Rost Ball


1993.11/13〜17 野方区民ホールWIZ開館記念公演 「ロストボール」
1991年に銀座小劇場で初演。風貌劇場を手放すことを決意し、極力空間に依存しない作劇方法を選んだ。そのため最も再演しやすい作品となった。1992:風貌劇場 1997:宮本三百人劇場で再演。


大人と子供が本気で喧嘩

 見よ、このダイブの高さ!

キャスト スタッフ
小池 明夫 嶋崎 靖 鳴澤 清一
繁子 村上 智子 演出 嶋崎 靖
かよ 菅 京子 美術 小林 秀子
まさる 田中 晶 照明 須賀知恵子
しんじ 山本 達也 音響 斎藤美佐男
松本 小池純一郎 舞監 遠藤 美穂
満子 今津留美子 衣装 岸 南美子

Story
 うだつの上がらないサラリーマン小池は疲れていた。ウダルような夏の暑さに…、疲れきっていた。日差しを避けるようにフラフラと迷い込んだ鉄条網に囲われた空き地。ふと、この暑さも目映さも輝いていた時のあったことを思いだす。少年時代、あの夏の日の思い出…。無くしたボールのように失ってしまったものは…。
 一方、学校から逃避しこの空き地を隠れ家とする3人の中学生。彼らには一つの計画があった・・・。
 交わることの無い、4人が捨てられた空き地で触れ合い、”何か”を取り戻していく
…。

 夏が消えてしまった。(中略)夏の光の中、汗まみれの主人公達がクラクラと陽炎の燃え立つ中で叫んでいる。何かを語ろうとしている。その姿を美しく思うのは、それは少年であろうと、おじさんであろうと、不純なものを燃やしてしまう光の中で、昇華する純粋な姿なんだろうと思う。
 そんな暑い夏の日が消えてしまった。おかげでクーラーもかけずに良く眠れたが。夏休みの最後の日、残った宿題を目の前にした子供達は、どこに怒りをぶつけたのだろう。でも原っぱも小川も持たない子供達は、サイパンとかグアムとかに行って陽に焼いたのだろうか。ディズニーランドや水族館に連れて行ってもらえたのだろうか。汗をかかない夏休み、思い出を残せなかった夏休み。
(以下略) by 鳴澤清一 93.11.13

 

宮本三百人劇場
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キャスト スタッフ
小池明夫 小池純一郎 原作 鳴澤清一
小池繁子 村上智子 台本・演出 嶋崎 靖
松本 楠 良命 舞台監督 菊池寿剛
満子 一本松亜生 照明 大村真一
かよ 福原 和華 音響 斎藤美佐男
まさる 田中 晶
しんじ 神原 哲

船橋市宮本三百人劇場「ロストボール」上演当日チラシより
私の芝居
 この芝居は、91年に初演したものですので、もう6年になります。この間にバブルははじけ、大不況と言われるような時代になりました。一流企業や銀行の相次ぐ倒産、今や日本経済は危機的状況にあると言われます。山一證券の負債だけでも、マレーシアの国家予算の6倍にもなるとか…。しかし、それでも私達の日常に危機感が漲っているとも思えません。未だ、私達日本人が”大金持ち”であることはどうも間違いがないようです。その実感が無いのは寂しいかぎりですが…。
 そういった経済の動きとも必ずしも無縁ではなさそうですが、この6年の間に、初演時の想像をはるかに凌ぐ、驚愕の大事件が起こりました。ここ船橋市にも関わりの深い「オウム事件」と神戸の「酒鬼薔薇聖斗事件」です。私にはまったく異なるこの二つの事件が、私したちの時代が抱える同じ病巣から派生しているように思えます。一見大人びた知性に隠された幼児性と、虚実のあまりにも無責任な曖昧さ、という点において…。あらゆることが損得で計算される今日、人と人との関係すらも、手軽で便利なものが求められ、深い交流は敬遠されていくのは必然でしょう。
 私達は「金持ち=欲望の充足」では無い新たな指針を見つけなければなりません。それは見果てぬ夢、あるいはあらかじめ失われた希望かもしれません。しかし、モラルや価値を自信を持って体現できる「大人」が消失してしまったこの時代、世代を超えた共同幻想を手探りで検証していく以外、道は無いように思われます。それが私にとっての芝居です。
 この芝居は、そんな私達の悩みと思いをストレートに描いたものです。若い未熟な集団ですが、現在の私達の関係性がそのまま立ち現れることと思います。(以下略)

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