2002年「美しき天然」公演日誌
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主演の二人 柿崎勝行(小次郎) 神原哲(タロー) |
公演を終えて。(11/5)
アンケートを読むと、サーカスシーンについて「面白かった」と「長かった」はっきりと評価が二つに分かれる。勿論、「両方面白い」や「全く違うものを繋げた構成が面白い」と、私の意図を理解していただけたものも沢山ある。
この芝居は私の”演劇論”でもある。いや表現をすることは常に「何故そういう表現を選ぶのか?」と言う芸術論と不可分であることは自明ではあるが、「演劇を社会に開いていきたい」と考える私には、その思いがことさら強い。
芝居を作るときに最も重要だと思っていること、「芝居など興味も無い人達をいかに楽しませ、挑発し、巻き込むことができるか?」
私にとって演劇的行為とは、生身の観客と演技者が向き合うものは全てそうだ。あえて定義を狭くすれば、”会話に比重を置いた”と言ってもいいが。言い変えると、テレビや映画は演劇ではないが、チンドン屋は演劇的だと言える。
ところが、生身の芸は食えない、いきおい「食える役者」=「俳優」=「TVタレント」と言う図式が出来上がる。悲しい現実・・・。「生身の芸」=「演劇」で食える道を作らない限り、私の理屈は妄想でしかない。
私が自分をチンドン屋であると認識する理由はそこにもある。
あえて言葉を極力減らした”サーカス的”表現。しかしそのサーカスに携わる者達にも夫々固有の人生があり、哲学がある。たとえ、ライオンや犬にさえ、もし彼らが言葉を持っているのだとすれば・・・。
私が拘った長い”葬列”。様々に解釈していただいて結構だが、人生は間違いなく死への行進だ。その短い一生の中に、出会いがあり、感動があり、喜びがあり、夢があり・・・、人生はバクチだ。
10月30日(水曜日)
やっと、やっと幕が開いた。今回は、4年前の再演と言うこともあり、台本はほぼ変えず稽古時間をきっちり確保することが出来た。しかしだからと言って満足することは無い。初めて私の舞台に出るメンバーもいる。とりわけ、前回とサイズの違ってしまった円形舞台、空間の問題は、劇場に入ってやっと認識された。まあ、ここから先は役者に任せるしかないのだが…。
昨日載った朝日新聞を見て、業界関係者からのコンタクトが多い。本番前に打ち合わせやら取材に追われ、嬉しい悲鳴だ。ここから先、また新たな展開が産まれるかもしれない。
観客は、さびしい限りだ。それでも、元駐英大使ご夫婦、チンドン菊乃家親方ご夫婦、代理店関係者、大道芸関係、音楽家など、多彩な顔ぶれ。この幅の広さが私の目指すものだ。演劇を開かれたものに!
31日(木曜日)
昼間、街中をチンドンで流す。久しぶりの野方でのチンドン。顔見知りの方々が、笑顔で手を振ってくれる。改めて、”僕らの町”を実感する。セイモ(中木青茂)の神楽笛が、なかなか味があっていい。こう言うところが伝統芸の強さだ。
初日にやり残した細かい修正をいくつか。今回は小学生の子役(小林慶太郎)がいるので、ちょっとした変更にも気を使う。舞台の上で事故があったら大変だ。
葬列のシーン、初めて私も参加。本当は30人は欲しいのだけど…。
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WIZ 劇場前で呼び込み | サーカス小屋の中? | 没コミュニケーション |
11月1日(金曜日)
生憎の雨、午後2時から予定していた町廻りを中止せざるを得ない。芝居は見てくれなくても、チンドン屋を楽しみにしている町の人達が結構いるのに…。僕らの課題は、そう言う”町の人達”を、ハーメルンの笛吹き男よろしく、いかに劇場にひっぱってくることができるか、だ。非常に難しいが、連日数人はいる。
レトロブームなのか、チンドン屋に対する問い合わせが増えてきた。朝日新聞に取り上げられたのも、そう言う”世間の風”と無縁ではないだろう。例えば昭和をモチーフにした内装のビルがお台場に出来た、そこで流れているチンドン屋メロディーは、我々の演奏だ。六本木の新しいレストランのオープニングで、と言う依頼も来た。これまで、チンドンなど見向きもしなかったような所からの問い合わせが多い。どんどんチンドンを盛り上げて行こう。
終演後、行き付けの「のんき」で、葬列に人数が欲しいと言ったら、スタッフや客で来ていた女優さんが、手伝ってくれることになった。ありがたい、ありがたい。舞台の端から端まで列が繋がれば、私の意図が明確になるのだが…。
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ヒロー、ヒロインの確執 | サーカスの舞台裏? | サーカスに売られて行く |
11月2日(土曜日)
今日はこの公演唯一の2ステージ。疲労が重なっているので、体力、集中力が心配だ。その上、”慣れ”もある。慣れが"楽”に繋がればいいが、大様にして”集中の無さ”に繋がりかねない。演出部からひとつ”カミナリ”でも落としておければいいのだが…。私はどうもそう言うことが苦手な、駄目な演出家だ。自分が役者として出演していることもあるし…。
と、心配していたら案の定、ミスが多い。好意的で暖かいお客が多いので、客席は沸いているが、そう言うお客をきっちりつかむところまでいけない。”笑われている”と”笑わしている”の違いとも言える。この辺が演劇と言う生身の表現の面白いところでもある。本人達がそのことを自覚してくれればいいのだが。失敗を次に生かせるかどうか、そう言う意識が成長に繋がる。
夜公演。さらにミスが多くなった。失敗を分析し、自分の中に取り込んで行く、そう言う”すごい役者”には、まだまだ到達できない。時代の雰囲気も”ポジティブ”と言う意味が、殆ど反省をしないことだったり、”ミス”や”他人”を「気にしない」ことであるかのように思える。つまりレベルの低い時代…、その時代に産まれ、その時代を生きる僕ら。 この芝居の基本テーマそのものだ。
3日(日曜日)
千秋楽。ここまでお客さんの反応は、とてもいい。上演中の客席は沸いているし、アンケートも大部分が絶賛の言葉で埋まっている。初めてU-Stage
を見てくれる人達も多い。しかし、それでも観客は遅々として増えない。先ず野方という場所が、観客を集めることを難しくしている。野方は東京の真ん中、中野区にありながら、辺境なのだ。そしてそこが野方の良さを支えている。だからこそ、地域と協力して劇場としてのWIZホールを盛り上げ、”野方”をアピールする必要があるのだが…。悲しいことに日本では演劇が文化として一般的に認知されていない。演劇の地域活性化への利用や、様々な社会的意味を理解されることが難しい。あるいは、そのことを強調し過ぎると、劇としてやる意味も無いものになってしまったり・・・。区民ホールは今だ子供達や老人会の発表会の場でしかない。志の高い、文化政策が求められる。そのことを、20年以上訴えてきたのだが…。
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劇中での記念撮影 | 悲しい結末 | 子役が二人…? |
千秋楽が、今公演の中で一番良かった。カッキーもテツも随分上手くなった。落ちついて遊べるようになってきた。稽古場で長時間の稽古をするより、実際に客の前に身をさらすことで、演技力は確実にアップする。演出の仕事は、そこを注意深く方向性を示してやることだ。アオイも天性のセンスが磨かれてきた、あとは持続への決意ができるかどうかだろう。シオとセイモはやっと賭場口に立ったと言うところか…。
来年はエジンバラ演劇祭へ参加、それをさらにWIZでやることを考えているが…。ハワイやオーストラリアへの話も舞い込んできている。経済をどのようにやりくりするか、そこが一番の問題だ。