日本の近代化に最も影響を及ぼした国、そして今なお影響を与え続けている国、イギリス。昨今は「国際化に英語は不可欠」故に”英語公用語化”なんてことすら真面目に論じられたりもしています。しかし、それほど深い関係の英国でさえ、多くの日本人にとっては、ロンドン・シェークスピア・ビートルズ・ダイアナ妃と言った、断片的事象以外ほとんど知らないのが実情ではないでしょうか?嫌になるほど長い正式名称を言えないことは当然としても、UK.と呼称することすら日本人の常識とは言えないでしょう。
翻って、英国人の日本についての認知はどうなのでしょうか? 未だにチョンマゲをして下駄を履いていると信じている人は、そう多くは無いと思いますが、芸者・富士山・寿司・空手、それに最近では、ニンテンドウにポケモン…、ちょっとしたインテリの間で能・書道・お茶、やはりこの辺に尽きるのではないでしょうか?
私が良く耳にしたのは、「超近代的コスモポリタン東京。伝統文化を守りながら近代化に成功した国」と言う評価、これはかなりお世辞が入っていると思います。総じて「不思議な金持ちの国」 ロンドンなどの観光地で日本人のお金の使い方を見ていると、地元の人が仰天するのも肯けます。しかしそれは、羨望でもあり嫉妬でもあり、さらには「上手いことやってる」”ずる賢くて、狡猾、卑怯者の日本人像”を醸造しているようにも思えます。
経済的発想を本質としたものの考え方(=近代)は英国及びヨーロッパ諸国からもたらされたものだと思います、とりわけ英国人には産業革命を産み出した”近代発祥の国”と言う自負と誇りがあるように感じます。一方で彼らにはキリスト教影響下のモラルや伝統などの強いくび木があり、バランスをとって経済主義一辺倒にはならい…、それもまた誇りなのではないでしょうか?歴史を重んじ、紳士たらんとする”誇り” しかしそう言うものから逃れ様、あるいは窮屈に感じたアメリカが経済主義に突き進み(だからこそアメリカは新たな”誇り”を掲げる必要があった、それが”自由”) さらに日本などのそんなくび木とは無縁の国々に引っ掻き回されている「冗談じゃない。」という心理があるように思えて仕方ありません。
私には経済を超えた交流がどうしても必要だと思えます。この意味は経済的、近代的価値観をも、歴史的、文化的な立場から相対化して、改めてフェアーな関係を模索しよう、と言うことでもあります。
国家、歴史と言った基本的な概念、感覚すら、日本人と英国人では大きく異なっている・・・国境の感覚からして私たちには良くわからないのではないですか。「4つの国が連合している…。」この感覚判りますか?それどころか議会もついに二つになりました。ましてや「公用語がフランス語だった…」最近テレビでやっている英会話学校の宣伝にフランス救国の英雄”ジャンヌ・ダルク”が出てきたのには驚かされました。日本人の貧困な英語を救うってことなんでしょうけどね・・・?
”英国人の他人に対するとりあえずの無関心” この感覚のよって来るべきところは、余りにも長いこと培われた日常的な異文化との接触にあるのではないか、なんて想像しています。そういう感覚が個人主義を生み出したのではないか?ヨーロッパ史をちょっとかじってみたって、戦争に次ぐ戦争、民族の移動、血と文化の混血こそ歴史だと断定できるほどじゃないですか。そういう歴史の中で醸造され鍛えあげられた、理念や感性…。一方お気軽、能天気な日本は…?おそらく世界の中で、日本が特殊な国なのでしょう。感覚の根源的な拠り所からして違っている、と思わざるをえません。少なくともその違いに注意深くあらねばならない。「取りあえず仲良くしよう」とは思わない。喧嘩したっていい、いや喧嘩することで理解し合えることもある。そういう草の根の積み重ねが、結果的に平和に繋がるのではないか。これが私の交流に対する出発点です。
ですから先ず日本人が発言すること、発言するために自分たちの文化や歴史を知ること、そこから始めようと思います。そこに東京にJapan
Society の支部を作る意味もあると考えます。