New Orleans

31日(日曜日)

暗いうちからの積み込み 空港で最後の記念撮影 思い出深い4階までの階段
6:30 出発
7:00 空港着。宮太鼓を巡って少し揉める。「こんな大きな重いものは運べない。規則だ!」と。じゃ、どうやって成田から運んだと言うのだ? 
結果的には成田での書類がノースウエストのPC上に残っており問題ないのだが、それを先に調べもせず、職員一人ひとりの判断が尊重される、それが極当たり前のこと、主体が相手にある日本との大きな違いだ。
荷物検査などでの扱いも実にゾンザイ。大箱も壊れるわけだ…。
9:00 定刻通り出発。さらばニューオリンズ。
13:00 デトロイトで乗り換え。荷物の引き取りは無い…、これが不安。無事、揃って日本に到着するよう、ただ祈るしかない。
14:00 ミラーさんと華ちゃんが、飛行機に乗っておらず心配するが、何とか間に合った。
席は結構バラバラ。皆疲れて殆ど寝ている。私は日記の更新。
16:20 無事成田到着。荷物も全部揃った。トモコのバックは引きちぎられていたので、これはクレーム。中身は問題無い。
アメリカの”粗暴さ”これは困ったものだ。
18:30 平井の事務所で荷物を降ろす。PCには千通以上のスパムメールが…。ああ、うんざり。
19:30 自宅へ戻ろうと車を出すと、何と左前輪が完全にパンクしている。
10年以上乗っている古い車だが、この車になって初めてのパンク、スペアタイヤ交換。考えてみれば、昔はタイヤ交換なんて日常茶飯事だった…。タイヤや車、テクノロジーの進歩は著しい。余りのスピードに、こんなことでもないとそれを忘れてしまう。進歩と引き換えたものは何だろう?
築60年のオンボロ事務所の前で、手を真っ黒にしてタイヤを交換しながら、ニューオリンズの"古さ”を思い出した。
街角のミュージシャン カセドラル前 バーボンSt で昼間から

余りにも忙しすぎ、町を出歩くことも殆ど出来なかったが、それでもこの町が特殊な町であることは何となく理解できた。
常に何処かから音楽が聞こえてくる。町全体が雑踏の底に沈んでいるかのように、町全体の視線が違う…。音楽の町、芸術の町、ニューオリンズ。
カトリーナによって、ニューオリンズの8割が水没したとも聞いた。あれから2年も立つのに、復興は余りにもノンビリしているように思える。没っして戻らないものは建物や住民だけなのだろうか…? ジャズの視線は、水没の底から未だに町をアメリカを支えているのだろうか…? 
ジャズはアメリカ文化の良き王道でありながら、どこまで行っても裏面であることもまた免れないのだろう。
「自由・平等」と言うアメリカンスピリッツに、華を添え、その本質を照射する…。ジャズがあったからこそ、アメリカは救われたとも言えるだろう。
近代日本の仇花のようなチンドンを「日本のジャズ」と呼びたいのは、私にとっては音楽性より、この視線の問題であること、改めて確認したように思う。

禅寺の直ぐそばの時計台と教会 ミシシピー河 今は静かに流れている 人通りが寂しいと、まるでロケセット