New Orleans

30日 (金曜日)晴れ

6;00 いよいよ最後の日だ。真っ赤な朝焼けが感慨深さを助長する…。
6;30 朝食
7;30 宿坊を出発
8;00 学校着。直ぐに搬入開始。ホールは2階なので搬入が大変だ。
天井が低いため舞台は使わず、反対側をステージにする。
9;00 開演までまだ間があるのに、もう子供達が集まってきた。
確認すると、セッティングも動かされている。生徒の人数が多いため客席を広くとりたいようだ。慌てて太鼓位置や小道具を直す。
モニカの部屋での朝食作り。 会場となった2階のホール。舞台は客席にした 廊下は赤線の上を歩くよう指導されているようだ
9:30 早めに始めてくれと言われたが、生徒の集まりを待って結果的に定刻スタート。
子供の人数が多いせいか、先日の学校より反応は素直だ。
どんどん盛り上がる。校長自ら手拍子をしてくれるので、先生達もノリノリになってきた。
ワークショップ5組。かなりいい感じ。伊藤ちゃんの提案で、”エネジーを感じて”と言う部分を少し変えてみた。単なるストレスの発散にならないように。づっと叩き方も良くなった。
10:30 盛り上がりに、盛り上がって終了。先生や警備員から、今夜のショーに是非来たいと申し入れがある。
i最後のワークショップが実にいい感じで、我々の間では「学校が管理を厳しくしたほうが、素直な生徒になる。」なんて冗談がでるほど…。
この素直な子供達が、犯罪に巻き込まれないこと、当事者にならないことを祈らずにはおれない。
後で聞いた話だが、去年この学校は再興したばかりだそうだ。そして、再興後初めてのイベントが我々のこの公演だったと…。
子供達や学校を少しでも明るく、楽しませることが出来たかと思うと、それだけでもニューオリンズに来た意味はあったと確信する。
11:30 帰り道を遠回りして、カトリーナ被害の痕を見に行く。
未だ復興の気配すらない完全水没地域 市役所傍にはトレーラーハウスが沢山並んでいる この辺りの堤防が決壊したらしい
十いくつあった図書館で、残ったのは三つだけだそうだ。人口は未だに半分しか戻らないと言う。それほどカトリーナの被害は大きかった。
高級住宅街でさえ、壊れたままの家や信号などがあるのだから、低所得者層のおかれた環境は想像を絶する。
トレーラーハウス(キャンピングカー)は、日本で見かけるものの倍以上はある大きなものだし、米国文化の象徴と言えなくも無いが、生活環境として決して優れているとは思えない。それでもここに住み続けるのは、経済の問題も大きいだろうが、今後のハリケーンや自然災害を恐れている面もあるのかも知れない…。

広大な荒涼とした完全水没地域を眺めながら、自然の恐ろしさと復興に立ち塞がる困難に息が詰まる思いだった。
だがそれでもなお、巨大な軍事費のわずかでも回せば、音楽好きの陽気なアメリカンの町を復興させることは、それほど難しくないのではないか、と期待せずにはおれない。
アメリカは広大だ。この広大な土地とそこに住む人々を纏めるためには、常に外に敵を作る必要があるのかも知れない。
だが、そのことの結果が”小学校での銃乱射や麻薬の蔓延”に繋がるのだとしたら、悲し過ぎる。国とは、政治とは何なのだ?
もしかしたらジャズは、悲しすぎる日常の軋轢こそが生み出した「レクイエム」だったのかもしれないが…。私は音楽をただ音として楽しむ立場には立てない。全ての表現には、その背景があり、歴史があり、人間の呻きがある。そのイメージと想像力の産物だ。
アメリカの素晴らしい理想「自由と平等」は、その根本的意味を、まず国内でこそ再確認されるべきものだろう。
14:00 遅い昼飯。
15:00 ホールでリハーサル。
最後の公演だから、多少長くなってもやれることを出来るだけ披露したいと思う。だが長い時間を持たせる構成は難しい。
色々可能性を考えたいが、時間が無い。とりあえず、候補の曲でこれまであまり披露してこなかったものを中心に、確認リハ。
一部の最後に、チンドンでメンバー紹介を入れようと思ったが、「メンバー紹介は最後にやるものだ。」と、はなはだ当然の批判に会い、強く押す気力も無く引っ込める。メンバーには”音樂の専門家””リズムの専門家””照明の専門家”など多彩な顔ぶれが揃っているので、これまでも極力彼らの意見を取り入れてきたし、それが大した能力も無い私がここまで公演を成功させえた理由だと思っている。
だが、自分が試そうとしたことさえ簡単に引っ込めるようになっては、演出家として失格だ。
精神的、肉体的に追い詰められていく自分を確認せざるを得ない。
16:00 かなり増えそうな客数を想定して、舞台の向きを多少空間の広い方に向ける。
長方形の空間なので、片側に舞台を想定すれば簡単なのだが、奥にトイレがあり、お客の導線は必須だし、ギャラリーとして絵は隠せない、空調用の扇風機が邪魔など色々問題がある。長方形の角を斜めに舞台として使う以外ないのだ。また照明を変えるにも時間がかかる。
16:30 ジェフが椅子を運んでくる。前回は50席だったが、150借りてきたと言う。ここ数日「どれくらいの客を想定するか?」と言う話題はかなり出ていた。
当初の予定では80席借りて、後は立ち見で、と思っていたらしいが、ここまでの手ごたえから、150になったようだ。
客席のセッテイングを極力舞台と平行になるようにする。
「空間の芯をどこに想定するか?」は、演出的に重要な問題であり、このような空間ではとりわけ微妙な問題でもある。私が大きな太鼓を空間演出上の中心にすえているのもその意味で、どんな空間でも芯を明確化しやすいからだし、その前をチンドンで無秩序に動き回り、後半太鼓で明確に秩序立てる意図は、私の創作上の重要ポイントだ。
前回の公演で一本しかないマイクが芯に置かれなかったのはオカシイと言う意見がだされた。確かに最もな意見だ。
私自身はマイク位置にそれほど拘りは無い、と言うよりマイクはあるに越したことは無い、くらいにしか思っていないのだ…。(これはライブハウスなどでも色々な人から批判されるが、私がもし拘るなら”生”に拘りたい思いが強いのだ。)
しかしマイクコードが短く、スピーカーの置き位置との問題で手立てが無い。
スピーカーを床置きにすれば届くことが判明し、それで音がどうなるのか試そうとしていると、ジェフが怒り出した。
自分の仕事を否定されたように感じたのだろう。スピーカーの設定はジェフが苦労してやったのだ。
客席の並べ方、舞台の向き、スピーカー、ついにはステージの途中で乾杯を入れようとする構成にまで何か言い出した。
当然だ、言葉が通じない日本人集団で勝手に動いているのだから…。あんなに頑張ってくれているジェフに、そのことをフォロー出来なかった自分が恥ずかしい。
18:30 構成をしっかり考える間もなく、支度に追われる。
ジェフは大人だ、自分の感情を抑えて動き回ってくれている。お客様もぼちぼち集りだした。
ギャラリー入り口前のボランティアスタッフ 入り口にある、元音楽スタジオだった印 入って直ぐ右手にあるバーカウンター
30日本番