18日火曜日 雨
疲れからか、無事に終わった安心感からか、機内では殆ど寝ていたようだ。行き届いたサービス、何よりも日本語で放送がある安心感、そう言ったJAL の快適さも影響したのだろう。
ふと気づくと、機内モニターに日本と樺太の地図が出ていた。もう間もなく日本だ、小さな窓の外を覗くと翼の先も見えない程の厚い雲に覆われていた。雨だ…。気流が悪く少し揺れる。成田が混んでいて、着陸待機で30分程遅れると言うアナウンスが入った。
それは日本対トルコ戦の開始時刻。 イギリスで始まったフットボールが、ヨーロッパの伝統的スポーツになり、ヨーロッパが席巻した南米を交えて、暴動や殺人さえ起こると言う熱い戦いが繰り返され、あたかも”擬似戦争”のよう。それがついにアジアで開かれることによって、まさに世界大会になった、World
Cup …。戦争より擬似戦争のが良いに決まっている。トルコには何の恨みも無いけれど、戦いには勝たなければ。外務省のxさんも「日本は勝つはずです」と言っていた。そうだ、ムネオさんにでも頼んでODA
援助と引き換えに勝ちを譲って貰うか、それが成功した暁には逮捕も免除されるとか…。
冗談はともかく、つい最近まで世界の中心はヨーロッパにあった。歴史も文化も…。World
はヨーロッパの意味だった。第1次世界大戦も第2次世界大戦も、基本的にはヨーロッパの戦争だ。日本は中国大陸の外れにある最辺境に過ぎなかった、極東。Plymouth
の学校で日本の世界地図をだし英国は極西だと言うと、先生も生徒も皆笑ってくれた。その笑いは夫々に複雑だっただろうが…。日常に蔓延する当たり前のヨーロッパ主義への私なりの一刺し。
日本人にとって英国は”日本と同じ島国”だが、多くの英国人にとって日本は”中国大陸から飛び出した一部”でしかない。殆どの日本人にとって英国はイギリスだが、England
が白地に赤十字の旗を誇らしげに掲げるように Scotland もWales も自国の主体性と独自文化の保護に必死だ。世界は今だ民族と国家の線引きの間で揺れ動いている。日本人は、世界の大多数の人々の心の底にある痛みに気づかないまま、のん気に経済主義に踊らされて行くのだろうか…?
日本から、英国を訪れ、さらにアメリカの西海岸Portland まで。まさにヨーロッパ世界地図の端から端、地球を3分の2廻る極東から極西への旅、それをまた逆に戻ってきた。世界は確実に狭くなった。極西に居ながら極東で行われている”ゲーム”の勝敗に一喜一憂できる。それでいて狭くなった地球にいったい幾つの”国家”があるのか、そんな簡単なことさえ知らない。今この瞬間にも生と死のドラマは至るところで繰り広げられている。出会いはMiracle
地球と言う奇跡の星に生まれた奇跡の命と命の出会い。どんなに世界が狭く感じられようと、全ては未知だ。
日本、ガンバレ!
15:45 無事成田到着。テツが廻りに気を配りしっかり動いてくれる。荷物の受け取りもテツとカキに任せておけば大丈夫だ。荷物を監視している役、カートを取りに行く役、チームワークが機能している。皆成長したんだ。迎えの車に荷物を載せ、土砂降りの高速道路を東京へ向かう。ああ、日本だ。何はともあれWorld Cup. しかしラジオで聞くサッカーがこれほど詰らないとは…。唯一判るのは日本が1点差で負けていること。狂ったようにわめき散らすアナウンサー。「ラジオの前の皆さんも気持ちを一つにして祈って下さい!」気持ちは判るが、雨に濡れるワイパーの向うについにフットボールは見えてこない。”祭り”は聞くものではなく、体験するものなのだ。
最後に
先ずここまで僕らの旅に、関心を持ち、心配もしながら付き合ってくださった皆さんにお礼を言います。World
Cup 観戦もそこそこにこの”旅日記”を読んで下さった皆さん、本当にありがとう!皆さんの精神的支えが無ければ、こんな無謀な試みは成功も実現もしなかった。サポーターに背中を押されることで頑張れるのは、サッカー選手も我々も同じでしょう。
2001年が英国での"日本祭り" そして2002年は日韓でのWorld Cup この両年に渡る英国公演旅行の実現は、私には単なる偶然として片付けられない重みがあります。日本人とは何なのか?国家とは、民族とは?それは私が生きていく上で主要なテーマです。
まして世界はどんどんきな臭くなっています。アフガン戦争もまだ完全には終結していません。パレスチナでは連日のようにテロと虐殺が繰り返されています。インド・パキスタン問も1色即発の危機です。イラクは、北朝鮮は、コソボは…?世界中が沸騰しています。そして英国もアメリカもそれら全ての危機の主要な当事者です。
それらの危機に私が全く無力であることは否定できないけれど、それでも表現に関わる者として、居ても足っても居られない思いです。ならば、ただ「戦争反対」を唱えるより、危機の根底にあるようなヨーロッパ的”考え方”を相対化し、多様性と寛容を訴え、そこに交流を作り出すことは、少しは意味もあるだろうと思うのです。そしてそれは日本と言う特殊な地理的、風土的、歴史的、辺境国家に産まれ育った者の特権であろうと…。
今回はわずか1ヶ月、昨年に比べれば公演日程も移動も、宿泊や食事の問題も、何もかもがとっても楽なはずです。しかし疲労感は激しい。昨年ここからさらに3ヶ月もあったなんてとても信じられないほどです。まあ途中アメリカへという大イベントがあったことは事実ですが…。
この旅が、素晴らしい出会いと感動の旅であったことはもうこれ以上言うまでもありません。さらに我々の未来へ繋がって行くものにもなったわけです。この幸運に私は感謝の気持ちで一杯です。しかしそれでも、一緒に行ったメンバー一人一人の顔を見ていると、そう感動に浸っていることもできないこともまた残念ながら事実なのです。
どんな集団もそうだと思いますが、U-Stage も様々な問題を抱えています。演劇集団などと言う、およそ非常識な行為を持続させるとんでもない集まりですから、問題があることは、当然過ぎることなのですが…。それらの内部問題もこのTour
によってより明確化させ鍛えなおそう、という一石二鳥を狙った私の作戦は、残念ながら見事に外れてしまったようです。明確化はしたが、それは集団内のヒビを大きくすることになっただけで、それを修復できないまま今年のTour
に突入してしまった、ということです。最終的には全て私の責任ですが、その精神的負荷がとにかく重圧でした。そしてこの問題をクリアーにしなければならない。そのことが、来年以降へ向けてU-stage
の最大課題です。
そして何よりも私の気持ちに重くのしかかるのは、U-Stage にとって大事な親しい仲間が亡くなった、その事実です。それも僕らが成田を発ったその日に、自殺で…。私がその事をメールで知らされたのは、19日のGuildhall での公演直後ですが、その時のショックは無論ですが、何時どのように皆に”その事”を知らせたら良いのか、重石を肩に背負わされたようなそれからの日々でした。またそれ以上に、私と年齢も志も近い演劇仲間の”死”は、遠く日本から離れていることもあり「私が今ここにあること」の重みや空しさを、もしかしたら必要以上に意識してしまったかも知れません。皆に”彼の死”をどう伝えたらいいのか悶々としていた調度その時、何故かFrank が偶然にも"Push up Daisy" を教えてくれました。
ご家族へはお悔やみの言葉もありません。ご冥福をお祈りします。
最後になりましたが、私達を応援してくださった全ての皆さんに改めてお礼申し上げます。壮行会に出席いただいた方々、2001実行委員会の方々、外務省関係者、そして助成していただいたGreatBritain
Sasakawa Foundation、格安で渡航させていただいたJAL、昨年に引き続き車を提供していただいたJEMCA
本当にありがとうございました。
これは始めの1歩、2歩、ここからU-Stage の本当の旅は始まります。
ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いいたします。
嶋崎 靖