1990年 春 結婚前の雪山南アルプス
 この年、私は希望通り酒田へ転勤になり、結婚相手も決めていたものの母になかなか認めてもらえず、葛藤していた。この春の連休も登山が終わった足で、初めて彼女を母に会わせるとのことで、少々精神状態も不安定になっていたと思う。母とて突然のことなので同じ様なものだろう。何せこの事は転勤が決まってから母に言ったことで、まだ1ヶ月しか立っていない。まあ、反対されればなお結束が深まるもので、私たちは何があっても離れないと、今思えば何かにとりつかれたような状態にあった。皆この様な時期を過ごしてくるのだろうか。
 とにかく、来年は結婚するのだから雪山は最後にするつもりの登山であった。
 
4月27日(金)
 今回は、登山の後は彼女を酒田に連れていくという用事があったため、いつもののんびりキャンプはやらないので、郡山までは車で行ったがその後は公共の交通機関を利用した。 8時に酒田を出発したが行きがけに母と口論になり、それに追い打ちをかけるように折角作って貰ったおにぎりを忘れたため、電話で詫びを入れるが案の定喧嘩に追い打ちをかけてしまい、胸くそが悪い。車の流れも悪いし非常にいらいらした状態で車を走らせる。 郡山へ行く前には、前の事務所へ顔を出し後輩たちと話をしているうちにイライラも消えた。その後少し買い物などをし彼女のうちへ行く。あいにく彼女は仕事で残業のため家族と食事をし、妹さんに郡山の駅まで送って貰った。
 時間が遅かったため最終の上り新幹線に乗り込み東京へ、登山で新幹線に乗るなど私も変わったものだ。秋葉原から新宿へ、何とか0時20分発の快速へ間に合い、乗り込むことが出来た。曜日が良かったのか狭いながらも座席に座ることが出来、彼女の母親が作ったおにぎりなどを食べた。列車の中の夜中はとても暑く喉が渇いて仕方がない。甲府の駅には4時前についたのだが停車時間が1時間10分もあるとのことで、外は寒そうだし時計のアラームをかけそのまま寝ていた。周りの人たちは皆松本までだろうか。
 駅からおもてに出ると、それほど寒くはなくバス停でも少し眠られた。バスはそれほど混んでもおらず、登山姿は私とハイキングっぽい人が2人、後は普通の人だった。案の定バスは芦安村までで、夜叉神峠までは行かないとのこと。春山シーズンは明日からであった。ついていない。ついていないついでにバスから降りるといきなり、警察官に登山計画書を出せといわれる。そんな物はある訳がないので、とりあえずはザックの中にあるので夜叉神峠で出すと誤魔化す。「一人は気を付けるように」とのこと。私の哲学では人数が多いほど危険と思われる。山は自分のペースが一番だと思う。
 夜叉神まではまだ10km以上あるし、その先登山口の広河原までは17kmもあるのだ。夜叉神から先は一般車両通行止めなので仕方がないが、その前に10kmも歩く気がしない。とはいえ一人でタクシーに乗るのももったいない。そこで、先ほどのハイキングスタイルのカップルに声をかけ割り勘で行くことにした。近くの旅館でタクシーを呼んで貰うが、電話代10円出すと行ったが受け取ってもらえず、やはり山梨はいい人という印象がある。10円でもいい感じがしたら今度泊まろうかと思ってしまうのである。この気持ちという物は、テレビコマーシャルの比ではない。そんなことで夜叉陣峠までタクシーに乗ったわけだが、この運転手さんもいい人で、この先で作業しているダンプの運転手さんに話をしてくれて、広河原までも乗せて貰うことが出来た。なおかつこのタクシー代も1/2のつもりだったものの相手が2人だったため、1/3でいいと言われお言葉に甘えてしまう。
 そんなこんなで9時には広河原に着いてしまい、本当は今日はここに泊まるはずが天気も良いし、一気に稜線目指し行けるところまで行くこととした。登りはじめは、普通の登山道でもやがて雪道に変わるのが春山の掟であり、アイゼンを付けたり外したりで忙しい。あんまりアイゼンがはずれるのでネジを締め直したりもしたが、やはり春山の腐れ雪は歩きにくい。おかげでなかなか進まず15時30分、昨年と同じ景色、尾根までは1時間だと思われる場所でテントを張る。辺りは樹林最後の最後といった感じ。明日はサブザックでピストンの予定。相変わらず雪の上にテントを張ると凸凹で今夜は眠りにくいだろう。夕食はちらし寿司と納豆汁、とてもうまかった。ラジオを聴きながら日記を書きつつ眠りに落ちる。
 
4月29日(土)雪
 夜中からすごい雪。雪が凸凹で眠りにくいし、明るくなってから見るとテントが潰れそうなほど降っている。50cmは積もったろうか。まだ降り続いている。当然外には出る気が起きず、停滞を決め込み寝ていた。しかし小用を催し仕方なく靴を履き外に出る。すごい降りだ。この4月の末にしゃばでは考えられない。暇なのでずっとラジオを聴いている。無線でCQを出してみるが誰もとってくれない。やはりここは山腹でロケーションが悪いのか。ずっと5Wフルパワーだったので電池の消耗が激しい。
 14時頃ラジオにガリッときて、雷かと少々びびったが、2時間と続かず一安心。また外へ小用をしに行くと、小動物の足跡があり、なんだか嬉しい。17時近く、やっとCQに応答あり。八ツヶ岳の麓の人で途中バッテリーが上がり7.2Vでコールし直したら何とか応答してもらえた。今までずいぶん無駄な電波を出していたものである。明日は頂上から小さなパワーでも話せるはずである。
 
4月30日(日)晴れたものの強風
 昨夜から雪が降り続き止みそうにない。予報では晴れるのに。この時期良い天気も続かないが悪い天気も続かないはずなのだ。しかし寒い。雪がテントにたたきつく。足の方にすごい圧力を感じる。今だすごい降りなのだろう。
 5時に時計のアラームがなり目を覚ますが、時折強い風が吹き付け木から雪が落ちる音が聞こえる。テントの窓から外を覗くとなんと快晴である。6時、よし行こう。直ちにスパッツアイゼンを付けて出発。背負ったサブザックも結構重たい。中身としては水筒、カロリーメイト、無線機、メモ帳、ライト、ガスコンロ、ライター、ナイフとにかくビバークできるくらいの荷物は背負っているのでそのとおりなのである。
 標高が2千メートルを越しているので呼吸が苦しい。10歩歩いて、3分休むペースだ。稜線までは2時間かかったものの、主領まで出てしまうとさっきまでのラッセルが嘘のようにアイゼンが良く効き絶好調である。しかし高度を上げるごと風が強まり北岳肩の小屋の手前で考えてしまう。この風向きで私にとっては傾斜角45度以上の壁を登るのはどうかと思うのだ。確かに昨年は、たったの4本爪で登ってのけた。しかし今年は度胸がない。待っていてくれる人が居るか居ないかで、こんなにも自分が臆病になる物なのか。きっぱり頂上アタックは断念し、写真を撮ったり無線にこうじたりしている。雪山に真面目に登り死んでいる人間が居るというのに何というていたらくか。それはその時の感情の問題であり後で考えたことではない。その時そう思ったのではしょうがないのだ。
 下りは尻グリゼード等をしながら、ヤッケが捲れあがると思いつつもテントまで降りてきた。相変わらず気温は上がらずテントの撤収には時間が掛かる。マットが飛ばされたりポールが落ちたりと出発は14時になっていた。
 登ってきたときのトレースはすっかり雪に消されていたので、去年のように登山道の無い左に外さぬよう、感で右へ右へと降りていった。すると肩の小屋の管理人たちが登ったと思われる人間と犬の足跡を発見し、それを辿って下る。下りも新雪が春の日差しでゆるみ腐りきっていてひどいひどい。途中登ってくる2人組と単独行の人に出会う。結構喉が渇いていたのだが、広河原へは16時には着けると思い、いっさい沢水を飲まず、ビールに備える。小屋の自動販売機で死ぬほどうまいビールを買い、テントを張る。管理人は留守だったので勝手に張るが、再度行ったときに酒を飲みながら世間話をした。今年は山に入る人が少ないとのこと。
 テントに戻るが酒とつまみで夕食にしてしまう。後で腹が空いたらスープでも飲もう。
 
5月1日(月)快晴
 今朝は寒くないのでのんびり7時まで寝ていた。コーヒーとカロリーメイトの簡単な朝食を済ましテントの撤収を始める。昨夜小用に起きたとき見上げた空は満天の星空で今日の快晴につながっていた。最近来ているオースチン彗星は分からなかったがすばらしい星空であった。
 顔を洗って歩き出したのが8時30分。車と出会えば乗りたかったのだがあいにく一台とも出会わず、とうとう17km歩き通してしまった。ただし肩に荷物が食い込みしびれを直すため休み休み歩いたので夜叉神まで4時間弱かかってしまう。バスの時刻表を調べるとたった今発ったばかりで、次回は16時30分とのこと。腹が空いた私は夜叉神のロッジでビーフカレーとアイスココアを食べてしまう。南アルプス温泉ロッジへ予約の電話を入れると空いているとのこと。連休の狭間はいつも良い。夕方まで待つのもましてや歩くことなど嫌だったので丁度人を乗せてきたタクシーを捕まえ、南アルプス温泉ロッジへと向かう。1370円。
 チェックインの後はなにはともあれ温泉に入る。体全体を洗って、伸び放題のひげを剃る。夕食まではけっうひまでビールを飲みながらテレビを見たりまた風呂に入ったり。
 夕食は公共の施設らしく、冷えた天ぷらと和え物等、まあ今日この頃にしては人間らしい食事だと思う。周りの旅行客はジンギスカン等の追加料理を食べており一般旅館並の金を使っているのではないだろうか。
 翌日は芦安村まで歩き(村行きのバスに完全に乗り遅れた)バスと電車で郡山まで、たどり着き、その次の行事へ・・・。登山と関係ないので省略。まあ、今の女房がその時の彼女なので良しとする。