1989年 夏
 夏 の 北 ア ル プ ス 初 挑 戦
 今年はお盆前にかなり忙しく、山のことなど考える余裕がなかったため、夏山登山の行き先が全然決まっていなかった。南アルプスも去年で歩き尽くしたし・・・、まだ行ったことのない大きな山は北アルプスぐらいだ。しかし北アルプスといえば、たいそう整備の行き届いた山だそうで、女子供でもスニーカーを履いて、着替えとお金さえ持っていけば簡単に登れる山だそうで、ましてやお盆などは人でびっしり埋まっていてとても山とは思えない所だと思っていた。だから今年のこの文章は『初の北アルプス、ミーハー登山奮闘記』にしようと決めていた。そして北アルプス批判をばんばん書いてやろうと思っていた。
 ところが、実際登ってみて驚いた。南アルプスに負けないスケールの大きさに加え、南アルプスには無い派手さや険しさもあり、すっかり見直してしまった。食わず嫌いとはこのことだ。またお盆休みを1週間早くとったためか人も思ったほどおらず、かえって南アルプスのピーク時よりも少ない感じがした。ただし最終日のお盆の土曜日はすごく300人以上の人とすれちがった。よって時期を少しずらすことだけで楽しい登山が出来る。
 また今回からの新しい試みとして、カメラを持っていった。以前までは、登山というのは、汗を流して息を切らして登ったからこそ景色が美しく感動できるものであって、目に焼き付ければ良い。そして忘れたらまた行けば良い。などと考えていたのだが、春に雪山をやったときに送ってもらった写真の美しさに感激したことと、あと何回こうして長い山行きに行けるかと思うと、やはり残せるものを残しておきたくなってしまった。結構、帰ってきてからいろんな人に見せたら、話が弾んだ。
 またしても能書きが長くなってしまったが本題に入ろう。
 
8月6〜7日 雨のち曇り
 日曜日に一日かけて道具と食糧を揃え、車で4時過ぎに出発。電車は17:40と18:40のどちらでも良かったが、市内でちょっと買い物をしたため、早い方は諦めていた。富久山官舎に車を置いてバスかタクシーに乗ろうと思ったが、あいにくの土砂降りで傘を持って行く訳にもいかないし、寮にだれかいないかなと尋ねたら一人居て駅まで送ってもらった。今日は台風がきていて朝から土砂降りだ。明日の朝登り口に着いたころは過ぎ去っているとの事で、ナイスタイミングの出発だ。
 駅には17:30に着きみどりの窓口へ直行、急行アルプス83号の指定席を取る。去年のように床に座ったのではとても眠れないからだ。東京までは鈍行で行くので8500円くらいだ。そのまま改札をくぐると、なんと 17:40発の普通黒磯行きに5分前で間に合ってしまった。とりあえずキヨスクでビールを一本買って乗り込んだ。車内は結構混んでいたがザックを抱く形で何とか座れた。
 黒磯へは1時間ほどで着き乗り換え。またビールを一本買い込み、つまみも無くすきっ腹に1リットルも飲んだので結構効いた。それでも腹がすいたので宇都宮で少し長く停まっているときにポテトチップスを一つ買って一気に食べた。終盤1時間は眠った。
 上野からは山手線、中央線を乗り継ぎ滑るように新宿へ。このへんはやはり旅慣れしてきた。早い列車に乗ったため発車まで1時間以上の余裕があり、夕食を取りに行く。立ち食いそばで天玉うどんを食うが、どうして東京のうどんはこんなにまずいのだろう。たれがしょっぱくてまるで醤油だ。
 さて急行アルプス83号は、臨時なのか日曜だからか結構すいていてかえって自由席の方がすいていたようだ。昨年は床の上だったが今年はリクライニングシートで眠っていける。とはいっても辺りがうるさいし、リクライニングシートといっても寝るには結構立っていて寝にくい。幸い隣の席が空いていたので、二つ使って寝た。それでも1時間毎に目が覚めたが確実に眠れた。お客は登山客がほとんどだった。
 松本へは4時過ぎにつきすぐに松本電鉄の新島々行に乗る。松本からは直接上高地行きのバスは出ていないのだ。乗車券はセットで2400円と割り引かれていた。
 新島々に着いたあたりで日が昇り明るくなったが、何とも眠たくて景色も見ずに上高地へ着いてしまった。上高地は台風の名残かあいにくのしとしとの雨。登山者届けを出してから、しかたなくヤッケを着て歩き出す。ゴアテックスのヤッケといえど蒸れにくいというだけで、結構暑かった。しかしすごい人だ。ズックやジーパンなど見た目からシロウトな人や、年輩の方でもしっかりとした装備の人など、とにかく色々な人がいた。
 車道のような(実際小屋の車が走っていた。)広い登山道を3時間かけて横尾へ。平らな道で楽だったが、ひとそれぞれペースが違い結構疲れた。途中休んで写真を撮ろうとして1枚写したら、そのままファインダーが半分しか見えなくなってしまった。たたいてもなにしてもだめ。横尾の小屋でフィルムを抜いて直そうとしたが、尚更見えなくなりファインダーで覗けるのが、上の部分、10分の1ほどになってしまった。しかし、見えないだけでフィルムには写るようなので勘で方向を向けて撮ることにした。一枚目からこれでは、よはど私とカメラは合わないらしい。
 横尾からはやっと登山道っぽくなり高低差が出てきてかなりきつい。雨はとっくに上がってヤッケは脱いだが、空はどんよりして時々パラパラと来る。それでも汗が滝のように流れ落ち、休み休み抜きつ抜かれつ歩く。休んで食べる飴がうまい。寝不足か運動不足か足が重く休みを取りがちになる。

           涸沢から奥穂高を望む                        涸沢のテント村

 涸沢へは雪の上を歩いてフラフラになってやっと到着。涸沢は凄い雪だ。例年の倍とは聞いていたが、とにかく多くてまだ沢が埋まっているといえるほどだ。テントを張るのに岩の上にするか雪の上にするか悩んだが、滑るとわるいので少しゴツゴツでも岩の上に張った。水場の冷たい水で顔を洗いタオルも洗う。歩いているときはあれほど、喉が乾いてジュースを飲みたかったが、すっかり冷えてしまった。
 夕食を作りながら日記を書くが、時々居眠りをしてしまう。そういえばさっきも休んだとき、コックリときてしまって後から来た人に見られてしまった。夕食のメニューはシチューとワカメサラダとアルファー米。シチューはたくさん作ったので、朝食べるように半分のこした。
 朝はトイレが混むといけないので、行ってから寝る。少し汚かったが常時水の流れる水洗トイレだった。
 
             ザイテングラート                         がれ場のテント

8月8日 晴れ
 朝、3:00と3:10の2つ掛けていた、アラームの2つめで目が覚めた。しかしシュラフの中でうだうだしていた。やはり体が疲れている。3時半にやっと起き出してコーヒーを沸かす。昨日の残りのシチューを暖め直して食べる。朝食はそれで終わり。歯を磨きテントをたたんで5時半出発。ザイテングラートの雪の上をゆっくり登る。上に登る人は殆どディパックなどの軽装で早いのでどんどん抜かせた。多分小屋利用か奥穂高ピストンと考えられる。こっちはテントと一週間分の食糧をフル装備している。天気がすごく良く、風も涼しいがやはり登りは苦しさで顔が歪む。
  とにかくダイナミックな山でした。

 結局3時間かけて穂高岳山荘へ到着。上で作って飲んたアイスレモンティーがうまい。山荘で売っているジュースは300円、ビールは600円(350ml)こんなのを買っていたら金がいくらあっても足りない。
 荷物をおいて奥穂高へピストンに取り掛かる。始めにクサリとハシゴがありずっとこうかなと思ったら初めだけで、あとは立って歩けた。身軽なのでスイスイ行けた。天気が良いのでさっきから休むたびに写真を撮るが、ファインダーが残念でならない。

                        遠くに槍ケ岳



               奥穂高山頂から

 奥穂高岳山頂(3190m)へは9時半につき、これで日本の山上位3位まで登った。山頂でセルフタイマーで写真を撮ろうとしたら、近くにいた人が押してあげますよと来てくれた。ファインダーの事情を話して何とか撮ってもらう。 下りもシャンシャン歩き、小屋のところで少しだけ休んで10時半近くになって出発。涸沢岳までは息こそ切れたがあっさり登ってしまう。頂上でカロリーメイトを食べていると、高校生くらいの集団が登ってきて、北穂高まで行くとか行かないとか。私はすぐに出発。下りが凄い。殆どロッククライミングの世界で立って歩けない。クサリ場がかなり多くあり200m以上降りてしまった感じ。鎖場は一人一人なので待ち時間が相当のもの。しかしこのルートを見てすっかり北アルプスを見直してしまった。南アルプスではこんな所は無い。友達に北アルプスしか行かない人がいて、その人の話を聞いても殆ど馬鹿にしていた。ジュースやビールが売っていても買わなければ良い訳で、コース的には素晴らしいものがある。
 12時をまわると雲が出てきて槍ケ岳を隠してしまったので、写真はもう止めた。ルートを登り出すと、慣れない下りより早い感じで、それでも下る人が待っていてくれたりすると全力で登ってしまい、心臓が破裂しそうだ。なんとか北穂高岳の南峰までたどり着いたのが2時半。そこで粉ジュースを飲んで休んでいるとすぐ下にテント場があり、結構すいていた。さっきの高校生たちも登ってきて二言三言話をしたら、また穂高岳山荘まで戻るのだそうだ。あのコースを考えただけでも気が遠くなりそうなのに、又戻るとは・・元気だ。北峰にも行き掛けたが、ガスッていて何も見えないしどうせ明日も通るのだと思って、そのままテント場に下った。さてキャンプ申請をしようと思ってどこでするのかなと近くの人に聞くと、なんと小屋が北峰の陰にあってそこまで行かなければならなかった。あわてて水筒の水をバケツに入れて、水筒と財布だけ持って結局北峰まで行く羽目になった。途中、雪渓の水場があったが人が居たので後にする。小屋で400円払って結構美人のおねえさんに注意事項を聞く。トイレはここにしかないのでここでするようにとのこと。朝は混むだろうし、後でしにくるの面倒だと思いしていく。上履きに履き変えてするトイレだったので結構奇麗だったが、消毒薬の香りがきつく体についてしまう。
 水場に行くとまださっきの人達が居たが、どうぞと言ってくれた。顔が汗の塩だらけで、まず顔から洗う。顔を洗える水場があるのはここが最後で、あとこの先水はリッターいくらで買わなくてはならない。水筒に水を汲んでいるとまた一人水汲みに来たが、何とも雪解けの水を集めたものなので水量が乏しくなかなか溜まらない。やっと溜まって焦って避けたため、足が滑って岩のうえにもろに前から転ぶ。水筒を持っていたため手がつけず胸から落ちる。左手の肘より上の部分を擦りむくし、あばらが折れたかとも思った。それでも人が見ているとなると、顔が笑って「大丈夫ですよ」と言っていたが、本当に痛かった。幸い首に巻いていたタオルとウエストバックに入っていたカメラがクッションになったため、胸は日焼けが剥けた程度で済んだ。
 テント場に着いてから、ふと今のショックでカメラのファインダーが直ったのではと冗談でカメラを取り出して覗いてみたら、何と本当に直っていた。この時ばかりは、一人で声をあげて笑ってしまった。これこそ本当の怪我の功名である。テントを張り夕食を作る。今日は鰯のかば焼きをご飯に乗せたものとあさり汁。さっきまでは腹がすいていたのに、一口二口食べると食欲がなくなる。しかし、無理して食べる。疲れているのか、以前もそうだった気がする。ジーフーズは全く食べる気がしなくなった。
 
8月9日 晴れのち曇り
 朝やはりアラームで目が覚めた。夜中にも2回ほど目が覚めていたが、いずれも10時半とか11時半で、地上生活ではまだ起きている時間・・いやまだ仕事をしている時間である。「よくねたな・・まだくらいな・・3時になったかな・・」と思ってライターを着けると、まだ10時半ではがっくりくる。
 まあなんとか3時半頃起き出してコーヒーを飲む。3100m近いテント場は初めてだが、ちょっと動いただけで行きが切れる気がする。あとは昨日のうち切って置いた玉ねぎにワカメとマヨネーズをあえて食べる。刺激的な味がひどく、一気に食欲が無くなる。しかし卵スープを飲みながら無理して食べる。胃の当たりが気持ち悪くなる。


    遠く剣岳の山頂から朝日が昇る                         やせ尾根

 夜もだいぶ明けてきて5時ちょうど、テントから顔を出すと空はだいぶ明るくなっており、ちょっと、ほんのちょっと太陽が出始めた。すかさずシャッターを切る。10秒もしたら眩しくて見ていられない。素晴らしいご来光のシャッターチャンスだった。玉ねぎを少し残して朝食を終わる。
 テントをたたんで、6時出発。小屋へゴミをおいて下りに掛かる。山ではゴミは持ち帰るものと思っていたが、北アルプスではちゃんと小屋で燃やしてくれるのだ。下手に持ち帰れといって見えないところへ捨てられるよりは良いのだろう。
 さて下りだがいきなりの急降で、怖いのか体力がないのか、足ががくがくして力が入らない。200m位直に降りていて、足場は見えないし上からは軽装の人が一人来てプレッシャーがかかるし、落石でも起きたら終わりである。初めからこれでは、今回の最大の難所である大キレットは本当に越せるのだろうかと思ったら、後々これが大キレットとのことで拍子抜けこそしたもののやはりびびっていた。キレットの終わりにさっきから後ろに着いていた人から抜いてもらう。さぞかしイライラしただろうが、こちらも命懸けなので仕方がない。擦れ違う人が結構多くなった。


            大キレット・・・・死ぬ思い!!!

 キレットを降りているときに右手のひじがやけに痛いなと思ったら、フレームザックのインナーフレームがザックの生地から飛び出していた。小休止して直しながら、カロリーメイトとレモンティーを飲む。少しの登り下りの稜線を歩き、南岳の壁に取り付く。ずっと息が切れている。南岳は始め2箇所ほどハシゴがあり、後はクライミングの要領で3点支持で登っていく。
 登る途中でガスが立ち込めてきたが10時半には南岳山荘に着いてしまう。今日はここに泊まるつもりだったが、あんまり早くキャンプ届けを出しに行くとよっぽどの怠け者と思われるのが厭で、カメラ片手にガスの晴れ間から写真を撮っていた。
 ちょうど12時にテント場へ行く。テントが二張りほど張ってあったので安心。キャンプ届けをすると500円取られる。ちょっと高い気がしたがもっと驚いたのが水で、何とリッター200円。テントを張ってからしかたなしに2リットル買う。昼食にジフィーズを半分食べ暇なので無線の本を読んでいたが、飽きてウイスキーを飲みながら居眠りをしていた。明日は槍ケ岳までの短いコース。
 
8月10日 ガスのち晴れ
 昼寝をしたためが夜中なかなか寝付けず、10時頃まで起きていた。風が結構強くテントがバタバタした。
 朝、凄い風で目が覚めた。テントが濡れていた。雨の音はしていないので霧雨らしい。天気が悪いので少し寝ていた。6時半頃もそもそ起きだし、コーヒーを沸かす。朝食は食欲が無いので止めて、途中カロリーメイトでも食べれば良い。テントをたたむと残ったのは私一人、停滞も考えたのだが・・・。


            霧の中に槍ヶ岳

 ヤッケを着込んで出発。南岳の山頂へはすぐ着く。そこにいた人に雷鳥を教えられ写真に取る。こういう時、望遠レンズの付いているカメラは遠くから取れるから良い。少し休んでカロリーメイトを1袋かじって、写真を取ってもらって出発。しかし物を食っていないためか足元がかなりふらつくし、息も切れる。
 天気もだいぶ回復してきたのでヤッケを脱ぐ。しかし今、北アルプスの稜線で1人ぼっちである。来る前は考えられなかった。なだらかな稜線なのでカメラ片手に歩く。中岳の手前に大きな雪渓があり、そこの水が凄くうまい。まだ水筒には昨日リッター200円で買った水が殆ど残っていたが、勿体ないと思いつつ捨てて汲み直す。久し振りに顔を洗い歯も磨く。 ここからの道が結構きつく息が切れた。途中後ろから来た人に押され、中岳までやっと歩いた。中岳はガスで何も見えなかったが、写真だけ撮り降りる。下りも私が先だったが、変なところを降りていってしまって後ろの人に違うのではないかと言われ、引き返して岩のマーキングを探す。ただ崩れたような所だったので変だとは思っていた。辺りはガスで何も見えないので自分の行く方向が分からないのだ。少し戻って探すとすぐに見付かる。こんな何も無い所では恥ずかしくて遭難もできない。


          槍ヶ岳アタック

 すこし上りになったところでその人に抜いてもらってゆっくり歩く。しかし擦れ違う人に「北穂高からですか」と聞かれると、「いえ南岳からで
す」と答えるのが辛かった。何といっても南岳からのコースタイムは2時間半なので、随分のんびりだと思われたに違いない。
 12時ちょうど頃、槍ケ岳山荘に着く。結構テントが張ってあったので慌ててキャンプ届けを出しに行く。指定されたテント場が狭くてかなりはみ出たが何とか時間をかけてやっと張った。何にも食わずふらふらするので、テントの中でコーヒーを沸かしてカロリーメイトを食べる。そうしているうち晴れてきてかなり明るくなってきたので、サブザックに一応ヤッケと地図を入れて槍ケ岳山頂を目指す。


    槍ヶ岳登頂成功                       頂上にうごめく

 一斉に天気が良くなったため、人々も一斉に上り出したようで結構込み合う。コースはとても険しかったが、ハシゴやクサリが整備されていて登りやすかった。私は速いほうだったが頂上は満員で、順番で写真を撮った。もっと遅い人は上るのを止められていて、岩場に張り付いたままになっていた。下りもキレット降りた要領で着々降りれた。荷物が有ると無いでは違いが明らかだ。降り口でさっき一緒だった人と出会い挨拶をする。
 あとはテントに戻ってボーとしていた。しかしいつまでもそうしていられないので、夕飯を作る。今日は結構腹も空いていて、散らし寿司とみそ汁をおいしく食べる。隣のテントが賑やかでうるさいので、カメラを持って外に出る。外はちょうど夕暮れの時間で雲海になっていて、雲と夕日がおりなす芸術は感動できた。結構人も出ていてみんな写真家気取りで芸術写真を撮っていた。私も気が付いたときには20枚以上も撮っていた。
 日が沈むと涼しくなりテントに戻ってライトで日記を書いた。ウイスキーを飲みながら色々装備について考えていたがテントを買いたい。8年近く使っているテントはだいぶくたびれてきた。あとラジオもかなり使っていたが壊れた。食い物については、餅を持ってきたかった。あとは漬け物、特にきゅうりが食いたい。たくわん、野沢菜も食いたい。これは来年への教訓。
 
8月11日 晴れ
 朝、早起きして槍ケ岳へ登りご来光を拝もうかとアラームをセットしていたが、寒いし混むだろうとやめて寝ていた。水も少なくなってきたので朝食はコーヒーとカロリーメイトだけでテントをたたんで出発。今日は良い天気だ。
 朝日の槍ケ岳をバックに写真を撮ろうと、近くにいた人にシャッターを頼むが、たまたま逆光でシャッターが切れず、頼んだ人に申し訳なかった。ちょうど逆光にならない方向に歩いていたので、追い越した老夫婦を待ってやっと念願の槍ケ岳をバックにした写真を撮ることが出来た。良い写真が出来たらポストカードを作って残暑見舞いでも書きたい。しかし話は変わるが、登山客は年輩の方が多く半分以上はそうである。ラジオで聞いたのだが、最近の若い人は登山のようなハードで疲れる趣味は流行らないらしく、昔やっていて最近ゆとりの出てきた人達が登るらしい。


                         最高!!     雲上人

 ルートはずっと下りで楽だったが、水俣分岐辺りから結構登りも多くなり、ふうふうしながら登っていた。しかし今日はかなりの人と擦れ違う。今日は槍ケ岳の小屋は満員だ。15〜6人の人が80段もあるハシゴに掛かっていたものだから、ずっと待っていた。ここらはかなり地形が急峻で、ハシゴ場が多い。すこし前を歩いていた軽装の老人が、いつの間にかすぐ後ろにきていて、あおられて大変だと休んで抜かせようとしたらその人も休んで、結局最後まで抜いてもらえなかった。休みながら少し話をした。今日の天気の良さに2人で感動していた。
 しかし暑い。水筒には昨日中岳の雪渓で取った2リットルをキャンプで使った残りしか入っていないのだ。西岳まではかなり勾配がきつくバテバテだ。西岳の小屋のところではさっきの老人と、これから槍ケ岳方面に向かう人が話をしていて私も混ざった。写真を撮って出発。老人は食事を取るとのことで大休止だそうで、追われずにすむと思うと心が楽になった。
 西岳からの尾根の初めでとうとう水を飲み尽くしてしまい、まああと2時間半くらいならもつだろうと歩くが、勾配はきつくなくともだらだらした尾根は長い長い。途中高山植物を写真に撮りながら歩いていたのでよっぽど気が紛れたが最後の30分は舌を出して歩いていた。しかしこのサムライというカメラは良い。高山植物を撮るときに接写は出来ないものの1m位はなして望遠レンズを使えばバッチリ写る。フィルムもハーフサイズなので半分で済む。本当にあのときのまま壊れていたら、どんなにつまらなかったろう。


                      槍ヶ岳をあとに

 大天井のヒュッテでなにはともあれ水を買う。2リットル200円。少しぬるかったが、ポカリスエットを入れたらすごくうまい。粉末ポカリをあらかた飲んでしまった。少し休むとさっきの老人が来たので、また少し話をする。やはりこの人もヒュッテでなく上の大天荘に泊まるそうで、私もテント場のあるそこまで行かなければならない。ヒュッテの女の子に40分と聞いたもののとんでもない。途中で2回も荷物を置いて、水を飲んで休んだ。1時間以上も掛かった。あんまり着かないので道を間違えたかとも思ってしまったが、微かに遠くで小屋の発電機の音が聞こえたのでなんとかたどり着くことが出来た。どっかりとすわってポカリスエットを飲んだ。近くで休んでいた人と話をした。やまり人里を離れてしばらくたち寂しくなったのか、後半はいろんな人と話をしたようだ。
 テントを張って靴下を脱ぎ乾かす。今日は暑かったので毛糸の靴下は非常に蒸れた。テントに引っ込もうと思ったが、まだ3時半でせっかくここまで来たのだから、大天井の頂上まで行こうと歩き出す。登り始めるとすぐさっきの老人に声を掛けられ、おれも行くわと一緒に登った。少し酒を飲んだそうでえらくしゃべる。下るときにビールを誘われ、始めは断ったものの、内心は飲みたくて仕方がなく結局私のテントで飲んだ。500mlのビールをおごってもらった。話をすると青島さんといって市役所を退職した人だそうだ。北アルプスへはかなり登っていてすごく詳しかった。
 青島さんがそろそろ食事の時間だと帰った後、私も晩飯を作る。今日も散らし寿司でとてもうまく出来た。かたずけが終わるとまた青島さんが350mlのビールを持ってきた。さっきのように中で話をしたが、青島さんはかなり酔っているらしく、ビールを殆ど飲まず帰ってしまった。勿論それは私が飲んだ。しかしビール500mlは700円、350mlは500円もするのだ。
 今夜は最後の夜だし持って来たウイスキーでも飲みながら星でも見れたらいいな。空が曇ってきたかな・・。
 
8月12日 晴れ
 今朝もけっこう冷え込み風もあったがゆっくり寝ていて、5時ごろ起きだす。どうせ昼にはシャバに着くのだし、そんなに急いでもしょうがない。結局、スープとカロリーメイトだけ食べて出発。しかし昨日飲んだビールの空缶が凄い。
 ずっと下りで、しかも擦れ違う人が多い。燕岳に泊まった人がたくさんいたらしい。途中、幼稚園位の子供を連れた団体が私を私を抜かせ、後ろを付いてくるので、まさかそんな子供より遅いというわけにわいかず、頑張ったが頑張りすぎて登ったため、休んでいるすきに抜かれてしまった。悔しかったが息が続かない。下りも結構混んでいて前後を挟まれてしまい、息の詰まる思いだ。


                  燕岳のあたりから

 燕岳で休んでいると、また昨日の青島さんに会った。お互い写真を撮りパノラマ写真を撮ったらフィルムを取り付くしてしまった。青島さんを先にやり少しの時間休んでいた。いくら荷物が多いといっても、下りとなれば私が早い。



   数々の高山植物達(コマクサしかわかりません。)わかる方メールください。

 けっこう急な坂をずんずん下る。しかし登って来る人が多い。今日は土曜ということもあり、どっと登るのだろう。ざっと推測しても300人は登っているようで、今日の燕山は超満員だろう。しかしこのピーク時を避けれたことはラッキーであった。合戦小屋・第4ベンチ・第3ベンチ・第2ベンチ・第1ベンチと、一合目づつ木のベンチがあるがずうっと凄い人数と擦れ違った。これが北アルプスか・・。第1ベンチで最後に青島さんに会い風呂に一緒に入ろうと言って別れたが、私が下山口に着いたときには居なくなっていた。タクシーが結構居て、客引きをしていたので一時も早く帰りたいと思い、乗っていってしまったのだろう。バスがあるのにうるさいのだ。



 とりあえず、風呂に入ろうと思い中房温泉に行ってみた。本館の方で登山客だけ360円で入れてくれた。大浴場といっても、4人は入るのがやっとで、お湯も桶から汲まなくてはならなかった。この辺が南アルプスと比べると貧しい。とにかく体や服が臭い。すっかり洗って、服もすべて取り替えた。また風呂上がりのビールも死ぬほどうまかった。
 泊まりは7500円で相部屋だそうで、何で7500円も出して相部屋に寝なければならないのか。ちなみに観光客相手の別館は12000円で今日は満室とのこと。昨年、奈良田温泉の民宿にとまってのんびりできたことで、今年も最終日は一人温泉でのんびりと洒落込もうと思っていたのに・・・。まあお金はまだ3万円以上あるし12000円でも別にいい。ここの下に国民宿舎が有り、今日は土曜日で駄目だろうが、明日空いているならもう一泊しようと思った。何といっても今回は天気に恵まれ、予備日が1日残っているのだ。今日はここにテントを張り、泊まることにした。国民宿舎は無線の季節電話が有り、ここからかけて確かめようとしたが、何度かけても通じず、結局歩いて行くことにした。30分も下らぬうちに国民宿舎に着きフロントで空き部屋を尋ねたが、この時期は予約無しでは無理とのことであえなく敗退してしまった。
 ここのテント場はなんと露天風呂があった。これだけでも極楽で12000円払ったつもりで飲んで寝ることにした。何といってもテントは個室だ。ここまできて飯を作る気もせず、ワイン一瓶とビールとスナック菓子を買ってきて、それで済ました。ワインも飲みごたえがあり露天風呂に持って行って飲んだらすっかり出来上がってしまった。
 
8月13日 晴れ
 昨日はすっかり酔っ払ってしまい、潰れてしまった。のんびり起き出して露天風呂に行く。人の声がするので先客だなと行ってみると、なんと2人の女性が服を脱いでいる途中ではないか。皆さんは喜んで入ろうとする私を想像するだろうが、いざそういった場面に出くわすとそうはいかない。すごすごと退散してきた。
 時間があるので売店でジュースを飲みながら、店のおやじと話をしている。昨日の最終バスが来ないなと思っていたのだが、林道工事で発破をかけすぎ土砂崩れで道路が不通になってしまったらしいのだ。バイクで見てきた人の話によると2〜3週間は復旧の見込み無しとのこと。ラジオのニュースでもかなり言っているらしいが、酒をかっくらって寝ていた私はそんなこととはつゆしらず・・。歩行者だけは何とか通すそうで、一歩きしなければならないかと思うとがっくり来る。まあ車で来た観光客は車を置いていかなければならず、もっと悲惨な情況だった。
 仕方がないので風呂にはいってからのんびりとテントを片付け、歩き出す。下りだが天気がよく高度も下がることから暑い。何時間歩いたろうか・・・足が棒のようだ。土砂崩れの現場は、物凄いものだった。復旧などは素人が見れば何週間もかかるように見えても重機をつかえばすぐと考えていた私でも、この崩れかたを見たらうなづけた。擁壁ごと崩れているのだ。そこには私よりも先に出発した人達が、歩行者の通行確保を待って居て、私が来ると間も無く通路が出来上がって、私が一番得した。しかし通路といっても、上からコンクリートの擁壁がのしかかっている中をトラロープで張っただけで、その中をヘルメットを借りてくぐっていく。のしかかった擁壁が軋む音が聞こえ非常にびびった。
 ここを通り抜けてからも道はまだまだ続き、暑いわ水はないわでばてばてである。やっと温泉の町中へ着いて、とりあえずジュースを立て続けに2本飲んだ。喉にしみるぜ。静かな温泉町で思わず泊まりたくなった。バス停で休んでいると、山へ向かうバスが行ったのでこれは帰りのバスもあると思い、2時間ぐらい来なくていらいらしたがやっと来て、穂高の駅まで乗っていけた。朝から何も食べていなかったので、信州名物のそばを食べ、鈍行を乗り継ぎ新宿へ向かう。眠らずに昼間乗ると偉く長く感じられ、結局上野からは夜行の八甲田に乗るしかなかった。
 今回は、天気にも恵まれ、結局予備日が一日余った形で終わったが、テーマを失いかけた私にとって、北アルプスを見直す事が出来たことは大きな成果であった。また来年からの登山に光が差してきた。