1989年 春
雪 の 北 岳 雪 辱 戦
昨年(1988年)のゴールデンウイークにピッケルも持たず北岳に挑戦し、腐れ雪と筋肉痛のためあえなく敗退してきた。そのときの足の痛さと惨めさ、悔しさは忘れられない。今年はぜがひでも登らなければと、連休は北岳と決まっていた。
なんといっても装備であるが、昨年は南アルプスを侮っていて雪山の準備をしていなかった。これが敗因のひとつてせもあったのだ。まずはシュラフであるが小学校の頃から使っていた物は、すっかり中の綿が縮んていて夏でも寒かったので、昨年の秋に安くなったスリーシーズン用のやつを買っておいた。あとピッケルは一番安い1万円位のものと思っていたが、登山用具屋の人に良い物と安い物を比べられ、結局一流のメーカーの物にした。といってもあと5千円ほどたすだけで、実際使ってみて助かった。安いやつは後ろのへらの部分か1枚の金属をねじまげているだけで、ちゃんと熔接されたものよりも、雪に差したときに安定が得られないのだ。やはり山で使うものは命が掛かるだけ、けちってはいられない。良い例が今回のシュラフカバーでゴアテックスを買わずにナイロンにしたため何の役にも立たなかった。結局ゴアテックスを買うのでナイロンの金を損したことになる。昨年、夏山でも苦労したカッパは真っ赤なゴアテックスにした。汗で雨より濡れるのは御免だからだ。あとスパッツもカッパに合わせて真っ赤なやつ、もちろんゴアテックスの物にした。カッパのズボンと併用してショートスパッツで間に合わせるためだ。昨年は、靴に雪が入って大変だった。これが凍ってしまったら、凍傷で足が無くなってしまう。
今回は北岳アタック1本に絞り、食糧もジフィーズ(フリーズドライの味飯{まずい})とカロリーメイトだけと食事の楽しみよりも軽量化に徹した。腐れ雪での1kgの違いは大きいのである。
色々と能書きが長くなったが、今回はこのぐらい気合の入った山行きだったのである。
4月29日 晴れ
自分でも良く信じられない。たしかに昨日は22:30まで、友達のうちで騒いでいたのだ。それが8時間後の今6:30、400km離れた夜叉神峠でビールを飲んでいるのだ。昨日のうちに少しでも先に進んでおこうと夜に出発した訳だが、せめて宇都宮まではと『眠れないコーヒー』と『眠気覚ましスプレー』を多用し走り続けた。しかし交通量が少なく流れが速かったので、国道4号から国道16号へ入ったあたりから、「これは朝まで着ける」、「夜が明けたら連休で渋滞してしまう」と思いこのまま眠らず夜叉神峠まで行ってしまうことにした。着いてから眠れば良い。しかし八王子からの国道20号はカーブも多いし、早朝はワインディングロードを攻めるバイクも多かろうと、中央自動車道を走ることにした。1時間後に甲府に到着、ちょうど2千円だった。セブンイレブンでお握り等を買い込んでから30分ほど走って夜叉神峠に着いた。寝酒のビールを飲んで寝た。
10時半頃、車の中が恐ろしく暑く目が覚めた。お握りを食べトイレに行っていざ広河原へ車道徒歩4時間の出発だ。林道ゲートの番人のおじさんも昨年と変わっておらず、挨拶して行った。5分ほど歩いて夜叉神トンネルまで来てタオルを忘れたことにきずき、荷物をおいて戻った。途中2台の車と擦れ違ったがおじさんに聞くと、農工大の人が遭難して遺体を捜しに毎週来ているとのこと。
相変わらずだらだらと長い林道を歩く。照明の無いトンネルは20分も掛かるので、ヘッドライトを付けて歩いた。しかし何一つ変わっていないが確実に自分が1つ年をとっているのである。
体調は絶好調で、昨年のように足が痛かったりしない。足が靴に慣れたようだ。着々と歩く。風が涼しいが歩いている時はあったかいので、Tシャツ1枚でよい。
3時半頃、広河原に着いて小屋でキャンプの申請をする。ついでに山の情報も教えて貰ったが、雪が例年の倍でかなりのラッセルになるそうだ。明日は肩の小屋の人達が登るので合流して行ったほうが良いと言われたが、そんな山登りのプロみたいな人とはペースが合うはずがない。
明日は樹林帯の終わり辺りでテントを張って、後は時間をみて行動したい。
4月30日 晴れ
朝、顔の辺りが冷たくて目が覚めたが、眠たかったのでそのまま寝ていた。起きてみるとシュラフカバーの内側がぐっしょり濡れていた。体から出た水蒸気が結露したのだ。やはりナイロンでは駄目だ。濡らさないためのカバーが雨も降らないのに濡らしている。まったく何の役にも立たない。頭にきながらシュラフの水を払っていると、コンロの上の牛飯がこぼれた。慌てて拭こうとしたら、飲みかけの紅茶もこぼしてしまった。本当に腹が立つカバーだ。ティッシュも2パック弱しかないので、3枚だけ使って絞りながら拭いた。
トイレに行って8時頃出発。すぐ後に隣のテントの人が登ってきたので、プレッシャーがかかり抜いてもらった。私はゆっくりペースなのである。やはり今日はきつい。喉が乾く。朝飯をちゃんと食べたのに腹が減る。今日は休んでカロリーメイトを3袋も食った。まあ腹が減るのは調子が良い証拠だ。小屋の人達も追い付いてきたので、抜いてもらった。
しばらくすると雪道になる。しかし思ったほど腐っておらず、どちらかといえば締まっていて急勾配になるとアイゼンが良く効いた。午後気温が高くなるとアイゼンに雪がダンゴになって着くので、外して歩く。なかなか疲れるが、3時には樹林帯の最後で尾根直下に取り付いた。テントを張る平場が無く、大きな段切りを作る要領で平場を1時間かけて作った。雪は3m近くあると見え、掘っても地面の見える気配は無かった。後はラジオを聞きながら晩飯を作る。ジフィーズの天丼と玉子スープ。なんとも明日は「曇り時々雨」とのこと。
5月1日 雪
夜ラジオを聞いていると、夕方は「曇り時々雨」だった予報が、段々悪化して「雨の確率90%」になってしまった。
寝ているとかなり寒く、カイロを足の方に入れた。靴に雪が入らなかったものの、革を通して染み込んできた水分で、靴下が濡れてしまったのだ。靴も凍ると手に負えなくなるので、ナップサックに入れてシュラフの中へ入れておく。しかし濡れた靴下からの寒さは変わらず、そのまま我慢して寝ていた。少しして良く考えれば脱げば良いのだ。裸足にカイロだったらよっぽど良くなった。
朝5時に起きて外を見たら、視界は良くないものの雨が降っていない。これは行けると思い、靴とスパッツを付ける。外に出るとすぐになんと雪が降ってきた。サラサラ段々強くなってきたので、停滞と決め込み小便だけしてまたテントの中に戻った。
ずっとシュラフにもぐって、退屈しのぎにラジオを聞いていた。文庫本も持ってきていたがラジオがあるとそっちのほうが良かった。働かざるもの食うべからずの精神で何も食わなかった。また燃料も心細いので、雪を溶かしてのコーヒーも飲まなかった。10時頃、どうしても腹がすいて海草サラダを作って食べたが、焼け石に水。ごろごろしながらうとうとと寝てしまう。ラジオを聞いているといかに食べ物の話題が多いことか。4時頃からはやけになって、登山が終わってからのキャンプでのメニューを考えていた。
明日は晴れそうだ。まあ降っても食糧は3日一杯まで持つ予定。
5月2日 晴れ
寝る前には靴下も乾いていたし、カッパの上着をシュラフの足のところに履いたら案外寒くなく、それでも起きてみるとテントがバリバリに凍っており、入り口のチャックを開けるのに苦労した。なんとかこじ開けて外を見ると、昨日までの雪が嘘のように晴れ上がっており、絶好のアタック日和だ。テントの中で靴、スパッツ、アイゼンを付けいざ出発。ナップザック1つに少しの水とカロリーメイトの軽装である。
稜線直下と言えども凄い傾斜で、息を切らしながら登っていく。小さな雪ぴを削り初めて稜線に上がる。凄い展望だ。少し緊張気味に歩く。あまり左を歩くと雪ぴを踏抜き、500m下まで草滑りを滑落してしまう。それでなくとも風がとても強く、肌をさらしている所が刺すように痛い。急遽ウェアの帽子を出しかぶる。傾斜のきつい所をトラバースするときなどは冷や汗ものだ。岩が剥き出している思いっきり急勾配の所ではピッケルを打ち込んでも「落ちる」と予感し、本当に落ちたら奈落の底で死にものぐるいで足を蹴り混んだ。5時半出発で飯も食っていなかったが、あまりの緊張で腹もすかず喉ばかり乾く。水筒には余り水を入れてこなかった。一度休んで水を飲んだが、雪を溶かした水は生ではまずく、いっそのこと雪を食う。稜線の雪はサラサラのパウダースノーで非常に冷たく、口の中が痺れる。それでも乾いた喉にはかき氷のようにうまく、甘い感じさえした。
肩の小屋へは3時間掛かって、8時半に着いた。一昨日、広河原で一緒だった人に会って心配していたことを聞く。その人は北岳へは傾斜がきつく登らずに帰るそうだ。ちょっと前にも2人が諦めて帰るといっていたが、今朝は2人が登っていったそうでトレースが付いていた。私も行けるところまで行こうと登り出す。さっき死に物狂いと言った傾斜に更に輪を掛けた勾配が50m以上続く。前の人達が付けたトレースの足場を利用して登る。私が初めてだったらとても行けなかったろうし、行っても落ちていたろう。それでもアイゼンを蹴り込んで、ピッケルを打ち込み命懸けである。下を見てしまってなおさらびびる。
なんとか登り切って後は頂上まじか。ザクザクと歩く。一度ニセピークに騙されたが30分ほどで頂上へ。2年越の夢にまで見た積雪記の北岳登頂である。感動で涙が流れそうになる。これで帰りのアルプス林道も胸を張って歩ける。頂上には北岳山荘の方から登ってきた人が一人居て少し話をした。日本標高第2位の雪の北岳で、辺りの山々を見ながら粉雪とカロリーメイトを噛みしめた。
頂上には15分ほど居て下りに掛かる。下りは緊張の連続で一度アイゼンがとれかかり、雪の上にどっかと座り込んで治す。さていよいよ小屋直上の急傾斜だ。登りというのは案外先が見えるので何とかなるが、下りはトップから下が見えないので数段の恐怖が募る。恥も外聞も捨てて後ろ向きで降りる。(よくよく考えれば当然である)やはりピッケルを打ち込み足を蹴り込む。前の人の踏み後があってよっぽど助かった。アイゼンは右足は内側に蹴り込めるので良く効くが、左足は外側に蹴り込めない。よって左足の足場を確保するために打ち込んだピッケルにぶら下がり靴先を蹴り込む。しかしここでアイゼンが取れかからなくて良かった。生きた心地がしないとはこのことだ。
小屋の人達は相変わらず雪掘りをしていて、挨拶をして下る。途中カメラで山を撮っていた人(後で聞いたら報道関係の人だった)に、後ろ向きでゆっくり降りたことを褒められた。あの壁は5人落ちて4人死んでいるそうで、恐さがぶり返した。後は登りで初めてびびったところを、後ろ向きで難無く越して、新雪の尾根を気持ち良く下る。雪の北岳を征服した気持ちで、何とも足が軽いことか。
テント場の少し手前で足がずぼっと抜かり、前から切れると思っていたナップサックの肩掛けがとうとう切れてしまった。まああと少しなので片肩に掛けてあるくと、今度は左のアイゼンも外れてこれもまあいいやと、手に持って歩く。
稜線から下はとても暖かく風も無くて、雪がズブズブしていた。上から眺めるとよく登ったなと思うほどの勾配を尻で滑り降りる。今朝まであれほど凍り付いていたテントもすっかり乾いている。あんまり暖かくて気持ちが好いのでコーヒーでも飲もうと、雪のうえにどっかりと腰を降ろして雪を溶かす。お湯が沸くまでカロリーメイトをかじってボーッとしている。本当に気持ちが良い。やけた鼻先が少しひりひりした。喉が乾いていたの溶けたての雪を少し飲む。おえー、まずい。コーヒーはやめて水筒に水を詰めた。
テントを片付け12時から下り始める。雪は柔らかいが、腐っているとまではなく、鼻歌まじりに下る。昨日の雪で登ったときの足跡はすっかりと無くなってしまっていて、勘で歩く。登るときは左へ左へと歩いたので、下りも同じ用に左へ左へと歩く。まあ、迷ってもお池への 道へはぶつかるだろうとあんまり気にしないで下っていった。すると、近くで人の声が聞こえたので、これで安心と思いこちらから声をかける。しかし逆に、「そちらがコースですか」と聞かれ「そうです、大丈夫です。」といった。このときすでに大幅にコースを外れていた。私は全く自分を疑っておらず、しかし下りの数度のずれは山腹までくると相当なずれになってたいるのだ。声をかけた主は、広河原一緒で北岳肩でも会った人と、あと違う2人組だった。話を聞くとこの先は滝になっているとのことで、初めて自分が間違っていたことに気が着いた。結局この4人でパーティーを組んで右側へ戻りながら登山道を探した。しかし、4人が4人とも同じように迷うということは、後々も迷う人が出るに違いない。雪が無くなると泥だらけになり、薮が多くて随分と難儀したが、何とか登山道にぶつかった。このまま駄目で沢歩きになるかと思った。
そのときすでにこの4人組は仲良しになっており、タクシーが呼べたら一緒に降りようと決めた。しかし広河原の小屋には電話はなく、結局今日はテントを張ることになった。私は元々そのつもりだったので、今日はせっかく仲良くなった仲間で酒盛りをして、明日は甲府まで私の車で送ることにした。お互いその方が得策である。
薪を集めてビールで乾杯。私は食べ物がほとんど無いので、日本酒を買って出す。小屋には酒がたくさん売っていて、シャバから4時間も離れているとは思えなかった。私達の外にも山には入っていた人達が合流して、結局10人近くのキャンプファイヤーになっていた。その中には2人のイギリス人もいて結構盛り上がった。凄い1日だった。
5月3日 晴れのち曇り、夕方雨
5時頃目が覚めたが、完全な二日酔い。6時まで寝ていてよっぽど良くなったので、トイレに行って顔も洗う。山の上では全然洗っていなかった。 戻ってくると2人組がパンどうぞとコーヒーまで飲ませてもらった。私は何もせずに済んだ。矢島さんも起き出してきて、一緒に朝食。出発が7時15分。高校生の30人位の団体が登っていった。引率の先生がだったの3人で天気も下り坂だし、大丈夫だろうか。
4人で林道を歩き出すが、北岳を見ながら昨日歩いたコースを話すので、なかなか進まない。私はもうそんなことはどうでもよく、山の大きさと人間の小ささ、その人間がうろうろして、たまには死んでしまう人がいるのだなと感動していた。
4人で話ながら歩くと、あっという間に5km歩いてしまい、1人でもくもくと歩くのとは感じ的にも長い気がする。後ろから芦安観光の車が来たので乗せてくれと頼んだら4人で2千円で交渉成立、一人5百円で2時間の儲け。
ゲートのおじさんと北岳に行けた話をして、3人を車に乗せ芦安温泉に向かい出発。おじさんの話だと、この季節は良い天気は長く続かないが、悪い天気も長くは続かないとのことで、待って正解と言われた。今日は芦安の新緑祭りとのことで、南アルプス温泉ロッジの風呂は無料解放、願ってもないことだった。
10時にロッジに着いたがまだ準備中で、ビールを飲みながら待っていた。結局、山の話に花が咲き、11時まで盛り上がっていた。風呂でぎっちり汗を流しすっきりする。山の後の風呂はいつでも気持ちが良い。ヒゲがかなり伸びていたが、いかにも山に行っていたようなのでそのまま剃らないでいた。ここには露店風呂もありそちらのほうにも行ったが、すっかり疲れてしまって見るだけにした。
甲府に向かって走る途中の食堂で食事をする。私はトロロうどん。久々の麺類だった。後はみんなを甲府の駅まで送り、また一人になる。今日は甲斐駒ケ岳のふもとでキャンプの予定だが、どうも雲行きがあやしい。今回は後半のキャンプも楽しもうと、焼き肉用の炭などを持ってきたのだが今日は無理か。
キャンプのためにサンダルを買ったり、白州のスーパーで肉等の食糧を買い込んだ。勿論ビールもたくさん買い込む。
キャンプでは車を止めてから管理人さんへ挨拶に行く。やはり覚えていてくれて、本当に何も変わっていない。一つ自分が年を取っただけ・・。とうもろこしを焼いたとのことで2本もくれた。バーベキューで一緒に焼きたいなとテントを張るが、すごい雷雨で車に逃げる。これではバーベキューは無理なので明日にする。明日は天気がよさそうだ。とうもろこしを2本食べたら腹がいっぱいになり、ランプの明かりの下で水割りを飲む。
5月4日 快晴
5時ごろ目は覚めたが、テントが暑くなるまで寝ていようと寝袋のなかにいる。車の雑誌などを読みながらのんびりとしていた。昨日出来なかった焼き肉をしようと朝食は抜き。ビールを沢に冷やして10時ごろまでテントの脇で本を読む。腹もすいてきたしと炭火を入れてビールをあける。炭をけちって半分しか入れなかったため、火力が弱く肉がなかなか焼けなかった。その分ビールが進んだ。
あらかた肉を食い上げビールも2本目を飲み切ると、すっかり良くなってしまい近くの岩のうえに寝そべり読書。かなり日差しが強く日焼けが凄い。3本目のビールを飲み干し水割りに切り替える。
今日は本を1冊読み切ったが、すごく酔っ払ってしまった。テントに引っ込んでまたちびちびやる。夜、管理人のおじさんがウドを持ってきてくれて、ラーメンに入れて食べた。とてもおいしかった。
5月5日 晴れ
5時ごろ起きて、トイレに行き顔を石鹸で洗う。ちょっと寒かったがコーヒーを沸かして朝の雰囲気を楽しんだ。まだ誰もおらず気持ちが良い。しかしやっぱり寒くなり、テントの中で暑くなるまでワープロ打ちをしていた。
9時を過ぎるとテントの中は、Tシャツと短パンでも暑くなり、しかたなく外に出て朝飯にとシチューを作る。大量の具と昨日貰ったウドも入れてぎっちり煮込む。これがうまい。
昼近くになるとかなり家族連れも増えてきて、また岩のうえに上がって本読みをする。家族連れの中では浮いている気がして居心地が悪い。3時ごろ残りのシチューを食べ、またワープロ打ちをするが外でやっていると、「なんでここまで来てそんな仕事みたいなことをするのよ」みたい視線があり、何と無く違和感を感じてテントに引っ込む。
5時頃、辺りが静かになったので外に出た。今年も最後の夜なので焚火をしたいと思い、昨年のようにバーベキュー客の燃やし残しがないかと探し回る。するとあるわあるわ、テントの脇が山盛りになった。おまけに今朝流されてしまったと思っていた2本のビールのうち1本が見付かった。無くなったと思っていたので、管理人さんの所に2本買いに行っていたのだ。そのとき昨日貰ったウドがうまかったとお礼を言ったらまた貰ってしまった。
その夜は、焚火を焚き続け、薪が無くなるころ酒も飲み干し、最後の夜の眠りにおちいった。
5月6日 晴れ
昨日はすっかり酔っ払ってしまって寝たのが何時だかわからない。焚火を前にじっくり物思いにふけていたのだが、これについても何を思っていたのかを思い出せない。ちょっと二日酔いぎみだったのでテントの外で「ぼーっ」としていると、管理人さんが「暇なら手伝ってくれ」とバーベキュー客の雨避けのシート張りを手伝わされた。終わってから管理人さんのおごりのウーロン茶を飲みながら1時間ほど話をしていた。
今日は昼過ぎに出発して、風呂に入り夕方から夜にかけて帰る予定だ。まだ少し時間があるので、上流の遊歩道をはじめて歩いてみた。これが結構な長さがあり1時間半くらいはかかった。沢をずっと逆登るだけで有るのは滝くらいなので、人が居なくてよさそうだった。家族連れが多いときなどは、こちらにくれば良かった。
テントに戻ったのが11時頃で、少し早いようだったが片付けに掛かる。しかし結構な荷物でそこそこの時間になってしまった。色々とお世話になった管理人さんに挨拶をして出発。風呂に入るため再び、一路芦安村の南アルプス温泉ロッジへと車を走らせる。
風呂に入る前に一週間以上伸ばした髭を剃るべきか悩んだが、結局どじょう髭の頬と顎を剃って鼻のしたの髭は生やしたままにした。テント場でずっと短パンを履いていたので足が真っ赤に日焼けしていて、お湯がしみた。 体を奇麗に洗ってすっきりさせてから、2年越の念願だった露店風呂の方にも行ってみる。これがまた大変で知らないものだから、脱衣所で(これが内風呂の脱衣所で内風呂もあった。)服を脱いでから本当の露天風呂まで素っ裸で50mくらい歩かなければならなかった。道路からも見えるし何とも心細い。露天風呂へは先客が7人ほど居て、慣れた人はすぐ脇で服を脱いでいた。私は出るときも同じ気持ちを味わわなければならない。露天風呂はとてもぬるいらしく、先客も出るに出られずに居たようで、私の足が異常に赤かったので「内風呂はそんなに熱かったか」と聞かれたが、これは日焼けであることを聞くと、またぬるいお湯に浸かってしまった。実際、お湯はとてもぬるく、入っているときは良いもののちょっと肌を外気にさらすと、5月の風はまだ冷たく、私も出るに出れずに1時間も入って居てしまった。
その後、甲府に出向き山梨県立美術館を見学した。ここにはミレーの原画があり、その他にも多数の展示がありとても興味深く鑑賞できた。ラーメンの夕食を取り、6時頃からいざ福島までの帰路についた。
今回の山行きは、昨年と同じ物を目指した訳だが、昨年の反省点を今年の課題としたため、積雪期の北岳制覇と楽しいキャンプ生活ができた。来年また来るとは言ってきたが、この教訓を又別の山にぶつけたいなあとは、今思っている。
