1988年 夏 南アルプスで3千メートル14座完登
 昨年は大雪山に行ったが、雨に降られたこともあるがやはり標高が低くいまいち物足りない気がした。空気の薄い3000mの稜線を息を切らしながら登っていくのがたまらなく懐かしい。そこで今年はまた南アルプスに決めた。一昨年来たときに10日間かけて歩いた山だが、それでもまだ北部は歩いていないといったスケールの大きな山だ。今年は歩いていない道を選んで、南アルプス3000m領全山登破を目標とした。
 実はこの南アルプスには、ゴールデンウィークの時に一度来ていたのだが、予想外の歩きと装備の無計画さ、なによりも運動不足から来た極度の筋肉痛のため断念しているのである。まあ雪山は来年の課題として、夏の南アルプス3000mをめいっぱい楽しみました。
 
8月13日 晴れのちガス
 12日(土)の午後まで準備の買い物にかかってしまい、またこの日は特別暑くシャワーなぞ浴びていたものだから、18時40分の郡山発黒磯行き普通に間に合うかどうかで、とても焦ってしまった。しかし郡山まで車を持っていき、駅までタクシーを拾おうと思ったが調度バスがあってだいぶ安く上がったし18時頃駅に着くことができた。
 甲府までの普通乗車券を5500円で買いホームへ。喉が乾いて仕方ないのでビールを飲んでうどんを食べる。車内でもビールを飲んでいたが黒磯までは眠らないうちに着いて乗り換えた。結局上野までも人の乗り降りが激しく眠れずじまいだったが、普通列車なのでしょうがない。
 新宿駅のアルプス広場は、土曜日ということもあり私の乗る0時1分発の普通列車に乗る人でごった返して居て、2年前にぎりぎりに来て座れた時とは随分違う。私は一番後ろの方だったので案の定座れる訳も無く、3時間床に座っていた。まあ床にでも座れたのは良いほうで立ち通しの人もいた。この間ウトウトはしたもののやはり眠れなかった。ただ一つ良かったのは、2年前に荷物がばたばた倒れて困ったので、今年はナイロンの紐を持ってきて縛り付けることが出来た。これは正解だった。
 甲府からはバスを使う。この前は狭いタクシーに5人詰め込まれてひどい目にあったが、やはりバスも混んでいて結局床のうえに座る羽目になってしまった。列車でさえ眠れなかったのだから、この揺れるバスでなぞ眠れる訳はない。あげくのはてに崖崩れで、登山口より30分も手前で降ろされてしまった。
 広河原に着いたのがまだ朝の5時で、ここから北沢峠まで町営のバスで行くが、その始発が何と9時。まだ4時間もあるのだ。眠るには寒いし、しかたがないのでチキンライスの朝飯を作ってたべる。こうなったら意地でも始発に乗るぞと切符売り場が開く前から待っていた。お陰で8時の臨時バスに乗ることができた。この1時間は後々大きかった。
 北沢峠に着いたのが8時半、すぐにテント場へ行ってテントを張る。今日は空身で甲斐駒ケ岳まで行ってくるのだ。サブザックに水筒と食糧、コンロなどを入れて即出発。仙水峠までは緩い砂防ダム越しの道を幾つも通りすぐ着く。この峠までは緩いためか、子供を連れた家族連れが多い。しかしガスで何も見えない。休みを取らず甲斐駒が岳までの尾根直登に取り掛かる。これはきつく標高も高くなってきたのか心臓がハカハカする。途中、休憩も兼ねて、カロリーメイトとレモンティーの昼食を取る。やはり行動中はカロリーメイトが便利だ。
 駒津岳へは登山地図どおり1時間で着いた。そこから甲斐駒が岳まで、地図上では1時間半、帰りが1時間、テント場まで1時間半かかるので時間が心配だったが行くだけ行くことにした。頂上まで2コースあるが私は荷物も無いので直登コースを選んだ。このコースは、岩場を3点支持をフルに使い真っすぐ登り、頂上には1時間で着くことができた。
 頂上はやはりガスで何も見えず、とても残念。小さな神様が祭ってあった。帰りは迂回コースの砂の道で楽に降りることができた。途中水場でおいしい水を飲んだりしていたので、駒津岳に戻ってくるのに1時間掛かってしまった。カロリーメイトを食べて少し休んでから、一路テント場へ向かって下降を続ける。せっかく登ったのに1時間の下りは勿体ない気がしてならない。
 降りた北沢小屋でビールを売っていて、とても喉が乾いていたので買おうとしたが、サイフをテントの中に置いてきたので、幸か不幸か買わずに戻ってきた。未だに山では水以外は自分で持っていったものしか使ったことがない。
 テント場に戻ると、私のテントの真ん前で3人の男女が料理をしていた。昨日から張ってあったテントの人なので、文句が言えずかえって私の方が迷惑を掛けているようで悪い気がしたが、何分混んでいたので気にせず私も料理をした。食糧は一番重そうなものから片付けようと思い、馬肉の缶詰を空けてシチューを作りながらウイスキーを飲んだ。疲れていたのか、ちょっと酔ってしまい多めに作ってしまって食えなかった。シチューだけは無理して流し込みご飯は明日の朝に廻した。カップラーメン用の乾燥肉をシチューに入れてしまったのがまずく、失敗だった。寝不足と疲れからか泥のように眠っていた。
 
8月15日 晴れ、ガス、雨
 昨日7時頃寝たのに前の晩良く寝ていなかったせいか、ぐっすり寝てしまった。4時にあたりの騒がしさで一度目が覚めたが、結局また寝てしまい6時頃になってしまった。テントの中でご飯にお茶づけをかけ、コーヒーを飲みながら地図をながめる。7時には出発したいと思っていたが、やはりテントを片付けるのに手間が掛かり8時になってしまった。今年はビーチサンダルを持ってきていて、キャンプ生活では大変便利だった。いちいち重たい登山靴を履いていられない。収納もマットの紐でくくり着ければ良かった。さあ、今日は1000mずっと登りっぱなしのコースだ。本格的に荷物を背負った登山が始まるのだ。
 荷物が肩に食い込むほど重い。まして降りてくる人が多く、挨拶するにも厭になってくる。たまに飲む水が何よりもうまい。森林帯を抜けると、あたりはガスで何も見えず道も険しくなってくる。ずっと尾根を登っているので、天気さえ良ければ素晴らしい景色なのだろうが。上のほうはやはり空気が薄く息が切れる。休んでいると少しガスが晴れてきて、このすぐ上が小仙丈岳だった。
 小仙丈岳で昼飯にする。今日はスープ餅にしてみた。しかし餅が中まで煮えるのが待ち切れずに食べてしまったので味はいまいちだった。何だか燃料が心細い気がする。ガスボンベは2つ持ってきたが、昨日は疲れていたためか食糧や燃料に気が回らず、使いすぎてしまったようだ。
 そうしていてもガスが立ち込めてきて、頂上に行っても何も見えないと思い、仙丈頂上小屋のテント場の方へ行った。少し下るとテントが幾張りか見えた。
 テントを張って水を汲んで来て何もすることがないし、持ってきた宮沢 賢二の文庫本を読んでいた。すると急にすごい雨が降ってきて、あと30分遅く来たらずぶ濡れになるところだった。アルファア米を鍋に入れ水にうろかしておいたら、ペグが外れたので外に出ようとしたときに引っ掛かってこぼしてしまった。すぐ起こしたので余りこぼれなかったが、狭いテントではこんな事にも気をつけなくてはならない。テントの中はとても寒く、長袖にウインドブレーカーを着て足は寝袋に突っ込んでいる。吐く息が白い。
 晩飯は、レトルトのカレーとご飯、それににんにくを焼いて味噌を付けたらとてもうまかった。何と今回ラジオを忘れてきてしまって、天気予報が聞けないし、何といっても寂しい。幸い隣の人達が持っていて聞こえるが、雨の音が強まると聞こえない。
 7時頃横になって眠ろうとしたが、眠れず、にんにくを焼いて食べる。段々焼きかたが上手になってきたようだ。
 
8月16日 雨
 風が強くテントが軋む。足のほうから冷えてきて参った。そういえばこの寝袋も小学校の時にキャンプ用に買ったもので10年以上使っている。中綿も縮んできたし、あちこちやぶけてきた。12時頃セーターを着込むがなかなか寝付けず3時頃までうだうだしていた。雨は止む気配を見せない。
 ふと気がつくと時計は7時を回っていて、やはり雨は止んでいない。今日は停滞を決め込んだ。どうせ予備日は1日とってあったし、こんな日に歩いても天気の良い日に休んでいたのでは予備日の意味がない。しかし台風がきているのでいつまで続くかが心配だ。
 しかし退屈だ。こんなに退屈するのも久し振りである。山に登って5年になるが、まるまる停滞というのは初めてだ。ラジオはないし文庫本も読んでしまったし、幸い隣のテントの人のラジオが聞こえるので気がまぎれた。いくら退屈でも腹だけは減るもので、口が寂しければコーヒーも飲むし、食っちゃ寝食っちゃ寝で太るんではないかと思う。日記を見ていてふと気付いたのだが、山で書く文章は何故か漢字が少ない。酸素が薄いので頭がぼけているのか。
 残っているテントは3張りだけだ。4時半頃から晩飯の支度を始めた。暇なのでうんと手の掛かるものを作った。食べているときも物凄い雨が断続的に降り続き、明日が心配だ。明日は多少のことでも歩きたい。テントの窓から、鋸岳の切り立った稜線がくっきり見えた。
 
8月17日 雨、ガス、晴れ
 昨日寝るときに毛糸の靴下を履いて寝たら、とても暖かく眠れた。朝4時頃、隣の家族連れが支度をしだし騒がしかったがまた寝てしまう。雨はまだ時折降るが風も昨日ほどてないし、まあなんとか歩けるだろうと、6時頃から起き出して朝飯を作る。しかしなんだか、今回の山行きはぐうたらである。以前は3時頃から起きていたのに・・。
 カッパを着てテントをたたむ。たたむというより、雨でビショビショのテントをまるめて袋に詰め込む。こんなふうに出発の準備をしていると、5人組みの大学山岳部風の女性だけの団体が来て、リーダーがすごい命令調の指揮でテントを張っていた。まだ7時半だ。今日はここに泊まるのかと聞くとそうだという。もう1泊停滞してお友達になろうかと思ったがとても溶け込めそうにないし、もうテントもたたんてまったし諦めて出発する。「今日は時間があるから20分で出来なかったらやり直しだからね」ときた。
 登り出すが、昨日怠けたのがまずかったのか息が続かない。ちょっと前に出た2人も、もうとうに見えない。後ろからも2人来たようだが追い付かれないうちに休み休み何とか頂上へ着けた。頂上は案の定ガスで何も見えず、このガスも霧雨で眼鏡を外さなければならなかった。まあこれで南アルプスの3000m領14座のうち、残すは農鳥だけとなった。
 さあ今日は二又まで1000m以上の下りだ。明日は北岳までまた1000m登らなくてはならず、稼いだ高度が非常に勿体ない。そんなことを言ってもしょうがないので下り出す。あとは幾つか小ピークを越えればずっと下りである。
 30分も歩いたろうか。きつい小ピークだなと思って登ると、そこは仙丈岳だった。まるで狐につままれたみたいだ。ガスで方向感覚が狂ったのだ。落ち着いて地図を見て出発。原因は断崖を見ようと道を外れたとき、同じ道を戻ってしまったのだ。しかし30分で気付いて良かった。これが半日ともなると遭難物だ。ガスは本当に怖い。大雪に行ったときも、自分がどっちから来たのかが分からなくなったが、今日は休むときは気を付けよう。
 大仙丈岳を過ぎた辺りから道は山腹を巻く。その辺りで2羽の雷鳥を見た。人を全然恐れず逃げようともしない。しばらく腰掛けて、高山植物の葉を食べている鳥たちを眺めていた。
 この巻き道は、気のせいか左へ左へと曲がっているようで、また稜線に戻ったときも不思議な気がした。ただ前に歩いた人の踏み跡を見付けてほっとする。ガスで何も見えないが、歩いている稜線はとても切り立っているようで、晴れていれば素晴らしい眺めだろう。残念だ。
 いよいよ高度も下がってきて、樹林帯に入ってくると気温もいくぶん上がってきた。喉が乾いてきたが、今日は下りだけと思いあまり汲んで来なかったのだ。でも少し行くと水場が有るので我慢する。しかし樹林帯は倒木が多くて歩きづらい。足元を気を付けているといきなり頭をぶつける。カッパの中が汗でぐしょぐしょで、歩けば暑いし休めばひやひやする。ゴアテックスが欲しいな。
 水場で道を間違い、荷物ごと降りていってしまって苦労したが、何とか水を汲んで昼飯にする。カロリーメイト1袋とスープ餅。食べているときたまに日が差して暖かくなるが、また戻る。カッパの上だけ脱ぐと下にきていた物が、絞れば出るほど汗で濡れていてこれでは下もそうだろう。がんがん下る。下りというのも飽きるものだ。
 両又の小屋は沢沿いにあり、北岳との分かれ道にスケッチブックを持ったかわいめの女の子がいて、「小屋に行くならこっちが近いよ」と教えてくれて「テントはここで張ってもいいか」とか「北岳にはどこから行くのか」とか色々話をした。結局小屋まで行かなくともこっちに張ったほうが明日近いので、小屋から一番離れた所へ張った。荷物をおいて体だけ小屋を見に行ったら、あんがい今風のシンプルな小屋だった。
 テントを張って濡れたものを乾かし、沢で頭や体をおもいっきり洗った。Tシャツも洗って着干ししていたら寒くなってきてテントに入るとまた雨が降ってきた。せっかくテントが乾いたのに。しかしこの雨は一瞬だけだった。
 晩飯は予定通りさんまのかば焼きご飯にする。缶詰を鍋のお湯で暖めて、ご飯にかけるだけといった簡単なもので、暖めたお湯で味噌汁を作った。
 飯を食べ終わって片付けをしていると、さっきと違う小屋の女の子がきてテント場代300円を払った。「私も福島なんですよ」、「後で小屋に遊びにきませんか」と行ってくれたが、何だか面倒で「疲れたから寝ます」などといって後悔していた。最近物ぐさになったのか、昨日もあんなに暇だったのに隣の人と話もしなかったし、話出せば楽しくて長くなるのだが・・・。まあいいか。
 
8月18日 晴れ・ガス
 辺りに誰もテントを張っている人が居なくて静かだったことと、わりと暖かかったこともあり目が覚めたのが6時を回っていた。昨日は6時に出るつもりで7時過ぎには寝たのだが、何と11時間も寝ていた。空を見ると何と無く明るい。朝飯を作って外に出ると、日が差してた。テントの場所が調度日陰だったので、濡れたテントを日なたまで運んで乾かした。これはトイレに行ったり顔を洗ったりしているうちに乾いていたし、濡れてしまって臭くなったゴミ入れもポリ袋でくるんだら良くなった。今日は何だかすがすがしい気持ちで、荷が軽い。北岳肩の小屋目標2時。
 始めは沢沿いを登る。傾斜は緩いが、川をジグザグに渡るため石ずたいにジャンプしなくてはならない。ここの道は沢に転がっている石に赤ペンキで目印がされていて、それがいきなり対岸に行っていたりするのだ。丸木橋でも有ればおっかなびっくり渡れるが、殆どは深い沢を覚悟を決めて飛び越える訳で、結局は落ちなかったが落ちないのが不思議なくらいだった。これが雨など降っていて荷物がずっしりだったら確実に落ちただろう。 いいくらい沢を登り詰めると、沢筋から外れ急登に取り付く。何といっても今日は1000m登らなくてはならない。沢との別れに水を飲む。日差しが暑い。しかしなんだか急な坂は下るよりも、登っているほうが好きだ。などといっても薄い空気でかなり息が切れている。10歩歩くか歩かないうち立ち止まって呼吸を整える。調子が良いだけ腹も減ってくるので、昼にならなくとも休んでカロリーメイトをかじった。
 森林帯を抜けるまで2時間掛かった。やっとハイ松地帯に出て見晴らしが効くなと喜んでいるにもかかわらず、下からガスが登ってきた。ここからは北岳までの真っすぐな稜線を登るだけである。後ろにも前にも私のほかに誰もいない。私一人の稜線である。独りぼっちの稜線でカロリーメイトをかじる。たまにガスの隙間から見晴らしを楽しませてくれるが、後半はずっと霧の中。遠くで雷鳴が響いている。雷が来ないうちに着きたいと焦るが3000mを越す高度では、息ばかり切れて思うように進めない。
 上から2人下りてきたのが見えた。これから下りるのかなと思ったら、そこが北岳稜線の交差部でそこまで行くと肩の小屋がすぐ下に見えた。今日は北岳に行ってもガスで駄目なので、このまま下ることにした。
 肩の小屋には犬が3匹居て、登山者の食糧を貰って生きているそうだ。まずテントを張る。しっかりと溝きりされた所に張ろうとしたが、私のテントより小さめだったので張ってから移動した。後で見たらその場所の脇は犬たちのトイレになっていた。張り終わるか終わらないかしたころ、近くでいきなり凄い雷鳴が聞こえた。前触れのない雷なので、やられたら怖いと思う間もなく死んでいるだろう。続くようなら小屋にでも非難しようとしたが1回きりだったし、辺りの人もそんなに騒いでいないようなのでそのままテントに入った。間もなくかなり強い雨が降ってきて、張り終わってからで良かった。こういうところはこの前からついている。雨はにわか雨ですぐに止んだので、サンダルを履いて水を汲みに行った。そのせいか、この前のときはえらく遠く感じた水場も案外近く、水量も日ごろの雨の多さからかたくさん流れていて、顔まで洗えた。水場まで行く途中、また雷鳥に会ってしまった。今度は親子連れで、親1羽に子供3羽、こいつら道なりにしか逃げないので、しばらく一緒に歩いていた。子供1羽がミミズを見付け、逃げるのを忘れて一生賢明に食べている姿はいじらしかった。
 まだ3時で暇なので小屋の周りをぶらぶらしたり、コーヒーを飲んだりしていたが相変わらずガスっていて何も見えない。それから小屋にテント場代を払いに行った。黙っていれば取られない気がしたが、山では正党派でいたい。
 晩飯はまたもやシーチキンシチューと玉ねぎサラダで、もっと何か考えなくてはまんねりになってしまっている。しかし作りかたが段々上手になってきてとてもうまかった。飯を食べているとまた雨が落ちてきた。
 
8月19日 雨
 夜中風が強くテントがバタバタしたが、12時半頃もしやと思い外を見ると案の定すごい星空。これは明日はいいぞとしばらく見とれていた。天の川は雲のように広がっていたし、あんまり星が多いので北斗七星が見付けられないほどだった。見とれていたためすっかり体が冷えて目が覚めてしまい、3時頃まで眠れなかった。
 結局5時半に起きて外を見ると昨日と変わらずガスっていて、それでも微かに雲海と富士山が見えた。朝飯を食べてテントをたたむ時には、ガスが霧雨に変わっていてカッパを着て作業しなくてはならなかった。せっかく乾いたテントがまた水を吸って、ずっしり重たくなってしまった。
 さあ北岳への登りだ。重たいザックと足を引きずって登るが、辺りがまるっきり見えないし、ただ息が切れるだけ。後ろから子供連れが来るが、抜かれるのも癪で頑張る。
 頂上も相変わらずで、これが本当の「来ただけ」である。しばらく休んで出発。間の岳までの稜線を歩くが、何のことやら苦しいだけ。今日の間の岳までのコースは唯一、2年前に来た時とだぶっている。休んでいると何と無く日が差しそうな気がしてきたが、寒くて待っていられず農鳥岳へ向かう。
 農鳥岳までは緩やかな下りでとても歩きやすかったが、雨が本格的に降ってきてザックは水を吸ってずっしりと重く肩に食い込んでくるし、カッパは蒸れるし。
 農鳥小屋でテント場の受付をしても、小屋のおじさんがなんとなく感じが悪いし、犬にもほえられるし。テント場は停滞者もおらず、私が一番乗りだった。すると何とザックにくくり付けておいたサンダルがないではないか。休むときザックをベタッと降ろすので取れたらしい。少しもどって探したが無かった。泣きっ面に蜂とはこのことである。もうこの時点で精神的にも落ち込んできて、あしたは頑張って奈良田の温泉に泊まりたかった。ジョタジョタになりながらテントを張って水を汲みに行く。ここの水場も遠い遠い、30分はかかった。
 やっと落ち着いてテントの中に入るが、中もジョタジョタしていてマットを敷いて何とか入れた。カッパの蒸れで服が濡れてしまい、セーターを上からきて乾かす。とても寒いのでコンロを焚いてテントの中を暖める。明日は早く起きて明るくなったらすぐでれば奈良田まで行ける。なんとなく雨の中のキャンプは疲れた。温泉に浸かってビールでも飲みたい。財布にはまだ2万1千円有るので、いくらなんでも1万は取られないだろうし、日曜の朝に一番で出れば全部普通列車で帰れるだろう。
 そうと決まったら今日は御馳走だ。ある食糧みんな食べてしまおう。散らし寿司に浅利汁、玉ねぎシーフードサラダ、コーンビーフにウイスキーだ。飯を炊こうとしたらライターの火が着かない。ライターを変えても暖めても・・・酸欠だ。空気を入れ換えたらあっさり着いた。呼吸は何とも無かったのだが、下のほうは無かったらしい。このまま寝ていたらやばかった。テントが濡れているため空気を通さなかったのだ。
 明日は旅館に泊まるぞ。アラームを3時半にセットして、寝袋の紐に付けて絶対に聞こえるようにして寝る。雨は止まない。
 
8月20日 雨のち晴れ
 思い込んだらすごいもので、アラームが鳴る前に目が覚めた。しかし雨はいぜんとして止まない。寝袋の足のほうが濡れてしまって靴下がぐちょぐちょになってしまった。とにかく起きて寝袋をたたむ。食器類は昨日のうちに片付けておいたので、朝飯はカロリーメイトをかじるだけですます。4時半頃まで夜が空けるのを待っていたが、8月も20日を過ぎるとなかなか日が昇らず、待ち切れずにライトとカッパを着けてテントをたたみだす。
 出発は5時。太陽が真っ赤になって昇るところだった。荷は相変わらず水を吸って肩に食い込む。息は荒い。しかし今日はガスがかかってないので昇るにつれて、遠くは仙丈、北岳、塩見、聖まで見える。やはり北岳は切り立っていて勇ましい。
 西農鳥岳へは6時45分に着く。頂上で景色を眺めながらジュースを飲む。しかし、塩見の上だけ青空なのだ。稜線の右は青空、左はガスなので右ばかり見てあるいた。しかし今回の山行きで景色が見れたのは初めてだ。最後の日に良くなるとは・・。農鳥岳まで行く間に雨が止んで暑くなってきたのでカッバの上だけ脱いで歩く。下を脱ぐとなると靴まで脱がなければならないので面倒だし、朝露も着くので履いたまま歩く。あとはカロリーメイトを一袋かじる。そうしている間にガスがかかってきてしまい、さっきまでは富士山もきれいに見えていたのに。最後に良くなってまた来いよと山が言っているようだった。
 農鳥岳は西農鳥岳より低く、わりと楽に登れた。頂上から下降点までは少々ガスの中を歩く。ペースは速い。途中、また雷鳥を見た。今回は親1羽に子供4羽。この度の山行きは、天気が悪かったせいかよく雷鳥に出会った。
 下降点から下り出すと空が晴れてきて、カッパの下も脱ぎTシャツになって歩く。後はずっと下り。夏が戻ってきたように暑い。大間沢までは下りがきつく足がガクガクくる。沢に出ると今度は日差しがきつく、途中流れ入る沢で顔を洗ったり水を飲んだりした。また少し森林体に入ると、苔の生えた岩から冷たい水が染み出していて、それを水筒に詰めて水割り用にお土産とした。少し飲んだが、本当に味が違ってうまかった。大間沢の小屋の手前でおもいっきり転んでしまった。お土産用の水2リットルが利いたらしい。沢毎に休みながらゆっくり下るが、山のほうが曇ってきてまた雨がきそうで、少し急ぐ。
 終点が近くなると奈良田の温泉の看板があった。1軒だけと思っていたがたくさん有るらしい。登山口で車を待たせていることからも、旅館のほうが過剰気味と思われ今晩の寝床は保証されたような気がして安心した。昨日の夜は、泊まれなかった場合のテント場の心配をしていたのに・・。
 登山口には11時30分に着いてしまい、予想以上のペースである。やはり登山口にアルプス山荘という旅館の車が待っており、それに乗っていく。旅館で何はともあれ風呂に入って、体の隅から隅まで洗う。いつ思っても登山の後の風呂ほど気持ちの良いものはない。それまではどこの肌をこすってもボロボロと垢が出るのだ。
 部屋に帰ってもまだ13時を回ったばかりですることも無いし、テレビで高校野球を見て居ても飽きたし、そういえば昼飯も食っていなかったので久し振りにラーメンでも食べようかと、外に出てみた。空は昨日までの雨が嘘のように果てしなく青く広がっている。しばらくぶらぶらしていたが、それにしても何にも無いところだ。ラーメン屋どころか食堂一つ無い。仕方なく宿に戻ってビールを一本頼む。これがまたうまい!!。当然1本では足りるはずも無く、しかし1本600円もするので外に買いに行く。1キロほど先のバス停に売店があった。そこでもカンビール350mlが300円で、苦労して歩いた割には高かった。
 飲みながらテレビを見ていたらすっかり酔っ払ってしまい、また風呂に行く。体重計に乗ったらすっかり痩せて居て、53kgしかなくなっていた。そういえばベルトの穴が2つも詰まったのだ。
 5時半頃夕食で、広間で食べた。岩魚、てんぷら、冷奴、スパゲッティ等結構良かった。これで2食付き5500円だ。食後はもう酒は飲みたくなくなってコーラを飲みながらテレビを見ていた。久し振りの布団でぐっすり眠った。
 
8月21日 晴れ
 7時頃のんびり起きて、朝飯を食べて朝風呂に。7時30分の一番バスも有ったが急ぐたびでもないしのんびりしていた。お風呂で一緒になった人も登山客で、なんと昨日は北岳から歩いてきたそうだ。私の倍の健脚である。しかしあの雨の中そんなに歩いても、楽しかったのだろうか。まだバスの時間まではしばらくあるので、付近の神社などを散策する。本当にのんびりできる日だ。結局10時近くの2番バスに乗り帰路に着く。
 身延から全部普通列車で帰ろうと、文庫本を買い込んで、甲府回りの中央線、東京からの東北本線を白川まで来たところで、列車が無くなり、仕方なく1時間半待って急行八甲田に乗り、何とか郡山までたどり着くことが出来た。