1988年 春
特別企画 山 の ぐ う た ら 日 記
1988年のゴールデンウィークは休暇を2.5日出したため10連休が取れた。この連休を有意義に過ごすためにも山に行かない手はない。しかしのんびりと一人で本も読みたいし文章もまとめたい。郡山にいたのでは辺りがうるさくてのんびりもできない。そこでどちらの要求をも満たすため、前半はまじめに雪山を登り、後半はオートキャンプでテントに定着してのんびりと過ごすことにした。そのため10日分の食糧をはじめワープロや読みたい本、生活に必要な物は全部車に詰め込んだ。幸い普通の山行きの装備はザックにまとめて、他は車に詰め放題なのだ。車は重たいとは言わない。特に酒類はすごかった。ビールやウイスキーはもとより、カクテルを一揃い炭酸とセットで持っていったのだ。こうなると前半の登山は面目だけで殆ど楽しみは後半のようだ。まあ私にとって有意義な休みだったことに違いはない。
登山の方だってすてたものじゃない。私にとっては初めての雪山で色々と勉強になったことはたくさん有った。まあこんな山行きもあったんだなといったという1ペーシを書いておきました。
4月29日 (金)雨
今朝、出発が10時になってしまった。
出発の時は曇っていただけだったが、走り出すと間もなく雨になってきて運転しにくい。ましてや一般国道だけを走って甲府まで行くつもりなのだ。初めから高速道路は一人で走るには高くつくと思い通るつもりは無いのだが、何といっても現在私は免許証を紛失して申請中なのだ。つまり免許不携帯で連休を過ごすつもりなのだ。よって高速道路の料金所でよくやっている免許証拝見に出会うと非常にまずいのだ。だから一昨年の時のように疲れたからといって、高速道路に乗るといったことも許されない。何といっても雨の日の運転は疲れる。何度か事故りそうになった。
昼になんとしてもたこやきが食べたくなり、街道沿いでやっと見付け350円だしてたべる。後はひたすら走り続ける。ガソリンが108円と安いところが有ったので、給油する。やはり関東は競争が激しいのか目立って安いところが多い。
5時頃本屋へ寄って、本を買い込む。後はセブンイレブンですぐに食べれる食糧を買い込み、一路甲府へ。甲府からアルプス林道がわからず多少うろうろしていたが、やっと見付け夜叉神峠に到着したのが夜の11時過ぎ。この先は通行止めという事で、明日の気分で行動は考えるものとして、今夜は車の中で寝袋に入って寝る。他にも数台の車が停まっていた。
4月30日(土) 晴れ
6時半に起きて、セブンイレブンの手巻き寿司を食べトイレに行く。結構登山者がいて夜叉神の方へ行くようだ。警察が来ていて遭難注意のビラを配っていた。広河原の方へ行くのは私一人のようで、ゲートをくぐって歩き出す。歩き出すと新品の登山靴を履いたため足が痛い。この靴は今回の山行きのため買ったもので、アルピナの革製の本格的登山靴。これがたまたま1サイズのみ非常に安かった。店で履いてみてやはり少々窮屈だったが、やはり値段に負けて買ってしまった。歩き出すとすぐにある夜叉神トンネルの長いこと長いこと、照明は全く無いし遠くに見える出口の明かりを目標に歩く。
1時間ほど歩くとなんとナイフを忘れたことに気付いた。これはまずい。戻ろうかと思ったが往復2時間はきつい。ペグで飯食っても何とかなると思い、また歩き始める。後から1人の登山者に抜かれ車にも抜かれた。乗せてくれればいいのに、トンネルやら橋やら通って12kmもあるのだ。ほどほどいやになった。帰りも同じ苦労を味わう訳だ。
最後のトンネルを抜けたとき、2台の自転車が抜いていった。なるほどこれは便利だ。4時間半きっかり歩いて、広河原へ到着。山荘で情報を聞くと、白峰お池小屋は雪で埋まっているそうだ。さっき抜いていった自転車の二人と少し話をしながら、持ってきた缶ビールを雪で冷やして飲んだ。またコーヒーとカロリーメイトで昼飯を取り12時半過ぎから登り始める。トレーニング不足のため、すぐにへばってしまうし、何だかすごく眠い。休み休み歩くとだんだん雪道になってくる。先に行った人の足跡があったのでそのとおりに歩く。一度来た道だが、こんなに急だったろうか。帰りが恐い。足跡のとおり歩くと、時々ずぼっと足の付け根までぬかってしまう。今回はスパッツを着けていないため靴に雪が入ってしまう。厳冬期ならば凍傷ものだ。ましてやピッケルもなしだ。この辺から北岳登頂は無理だと考えられた。
登れど登れど御池小屋がない。足を、ぬかった雪から抜くときの、足の付け根の筋肉が痛くてつらい。やっと小屋まで30分の標識を見付け、何とか小屋までと思って登るが、4時過ぎても着く気配がないのでビバークを決め込む。後々考えてみれば、御池の小屋から草スベリのコースは傾斜がとても急で雪崩が起こるため、積雪期は避けなければならないコースだったのだ。よって、林間部を小太郎尾根まで登って、尾根に出たら少し下ってから北岳に取り組むコース取りだったのだ。先に歩いた人が居なかったらやばかった。
ビバークと決まったらさっそくテントを張る平場を見付け、雪を踏み固める。しかし春の雪は腐っていて殆ど平らにはならない。ある程度の妥協でテントを張ってしまう。昼は暑い位だったのに、テントを張る手がかじかむ。バケツにきれいな雪を取ってきて、それをコンロで溶かし、ティッシュで濾過して飲料水を作る。夕食のしたくはナイフが無いのでビールの空き缶を壊してスプーンを作ってした。アルファ米に梅茶漬けを入れて食う。案外うまい。あとは味噌汁に餅と玉子を入れて食べたが、玉子がどろどろでいまいちだったし、洗うのにえらい手間が掛かった。食後にコーヒーなど飲みながら寝る準備をする。雪の上で寝るため、寒くないようセーターにスキーウェア、ももひきがわりのジャージ、シュラフにはシュラフカバーを付けて完全装備である。今回からマットを足までの長いものにした。やはり雪がでこぼこで非常に寝心地が悪い。
5月1日 (日) 晴れ
夜中、寒い寒い。目を覚ましてもまだ9時ごろで夜は長い。コンロを暖房がわりに焚く。一時的には暖かいが消すとすぐにだめ。仕方がないのでウイスキーのお湯割りを飲む。ラジオからさだまさしのセイヤングが聞けた。相変わらず寝心地が悪い。
5時には起きる。眼鏡が曇っていたのでコンロで暖めたら、鼻当てが少し焦げてしまった。朝食はコーヒーにカロリーメイトと茹玉子にマヨネーズで昨夜のどろどろ玉子よりおいしいし片付けも簡単だ。また雪を溶かして水筒へ。歩きながらそのまま飲むので、一度沸騰させてからティッシュで濾過した。
テントをたたんでさあ出発。足が痛いし、雪山に来る装備ではない事に気付き、断念して下ることにする。しかしこの腐った雪は悲惨だ。登りより惰性がつくためかずぼずぼぬかる。戻るくらいならばこんなに苦労してまで登らなければ良かった。ぬかればそれだけ靴の中にも雪が入りぐちょぐちょである。
しかし結構登ってくる人がいて、挨拶するたびにいちいち「北岳まで行かれたんですか」と聞かれ、断念したというのが悔しくて悔しくて。それと合わせて足の付け根と足が痛くて、泣きたい位だった。
水場で30分ほど休んでTシャツ姿になっていたら、ロッジまで3時間半も掛かってしまった。ロッジを通ると情報交換とかで色々と聞かれるのがいやで、わざわさ遠回りをしたが、結局林道を歩いて帰るときに次々に聞かれ、来年こそは、絶対に登るぞと心に誓った。
林道歩きも気が遠くなる。10分歩いて10分休むペース。肩やら背中やら体中が痛い。足はもっとだ。日ごろの運動不足が身に染みる。夜叉神峠の駐車場には何と5時間も掛かって到着した。最後の夜叉神トンネルは座り込んで休む訳もいかず、とにかく死ぬ気で歩いた。
やっと車の脇にきて靴を脱いで座り込んだ。右の踵に靴ずれが出来ていた。しかしこの靴は考えなければいけない。安物買いの銭失いとはこの事だ。休んでいると林道管理小屋のおじさんが話し掛けてきて、色々なこの近辺の話をしてくれた。この人は、お池の小屋の番人を15年していたそうだ。疲れていて1人で休みたい気持ちもあったが、結構聞いているうちにおもしろくなってきてしまった。そのうち、昨日追い越していった単独行の人が降りてきて、私は引き返したことを言うと彼は頂上の話をしてくれた。北岳は誰のトレースもなく今ゴールデンウイークの初登頂だったらしい。
腹が空いてきて座り込んだままラーメンとコーヒーを作って食べた。車に荷物を詰め込み出発。バックに入っていたと思ったギヤがセカンドに入っていて、前進した車がコンクリートの防護柵に接触してしまった。この時フォグランプが壊れてしまった。気を取り直して、芦安の南アルプス温泉まで下る。足の付け根の筋肉痛はひどいもので、クラッチを切るにもアクセルからブレーキに踏み変えるにも激痛が走り、危なくてしょうがない。
温泉ロッジで300円はらって3日ぶりの風呂にはいる。3日でも汗をかいたので、やはりすっきりして気持ちが良い。ビールが飲みたかったのだが車の運転があるのでジュースとアイスで我慢した。
さてこれからどうしようか。ロッジの駐車場で寝ようかとも考えたが、となりに宿泊施設があるのに車の中というのも惨めだし、これからキャンプ場を探すにしては6時も回って暗くなるし、しかたがないのでまた夜叉神まで戻って寝ることにした。
5月2日 晴れ
6時に起きるはずが7時になっていた。しかし私に待ち受けていたのは体中の筋肉痛だった。車のアクセルとブレーキの踏み変えが困難だ。
山を下りていくとき猿が道を横切り山に駆け上がっていった。芦安でジュースを買って飲みながらのんびり行くが、韮崎に行くのに早く曲がりすぎて、細い道をぐるぐる迷ってやっと国道20号に出た。
白州から甲斐駒ケ岳の登山口の方へ入るとキャンプ場が3つ有り、時間もたっぷりあるのでみんな見て回った。1つめは設備が整っていて1人500円、2つめはすごく立派なログハウスにシャワー等があり1張り1500円だった。私は水場とトイレさえあればいいのだ。やはり初めから目指していた甲斐駒ケ岳の登り口の所に行く。 駐車場に車を泊めるといきなり警察官に山に登るのかと聞かれた。免許証を持っていない私は非常にびびったが、山に入った人が帰ってこないらしくその捜索だった。年輩の方らしい。
始めキャンプ場がどこかわからず、探したかったが警察の前をうろうろするのもいやで、さっきの500円の所でもいいなと思いながら少し登山道の方を歩いていった。しかし足が痛い。すぐにテントが見えた。ここにはキャンプ場が県営と民営があり、県営は無料だったが水場とトイレは民営を使わなければならないし、管理人のおじさんもいい人でどっちでもいいよと言うので、あまりせこいこともしたくないし民営の方にとりあえず2泊申し込み800円払った。ここは川もあるし、ビールを冷やすのに調度良い。
テントを張って岩の上で、シャツを脱いでのんびり体を日に焼いたりしていた。カレーを鍋いっぱい作る。3食は間に合いそうだ。オエー!。
5月3日 晴れのち曇り
朝6時半頃、テントの中が暑くて寝ていられず、顔を洗ってぼーっとしていたら隣のテントの人が来て、話をしているうち飲む話になり始まってしまった。私がビールとカクテルを出し、彼が日本酒とつまみを出して飲み出した。途中酒が足りなくなり、焼酎を買ってきたあたりで既にかなり効いており、朝から2時まで飲んだらすっかりグロッキーになってねた。隣のテントの人は吐いていた。
7時頃のそのそ起き出すが殆ど二日酔いの状態で、カレーを食べる。夜は雨とのことで、外に出したものを中にしまい、食器も石鹸で洗いテントに入った。中でパラフィンを溶かして蝋燭を作っていたら、気持ち悪くなってきたので寝た。
5月4日 曇りのち雨
朝方天気予報のとおり雨がぱらついた。昨日は殆ど何も食べていなかったので、朝飯にラーメンに餅とわかめをたっぷり入れて食べた。隣のテントの人も起き出して、挨拶に行った。彼は今日登るそうだ。まだ頭が痛いと言っていた。それから別の隣の人のテントの脇に私のビールケースがあり、飲まれていた。怒って言うと、忘れ物と思って飲んでしまったとのこと。後でビールとつまみを持って謝りにきた。悪気はなかったらしい。
午前中はずうっとワープロ打ちをしていた。始めはテントの中でやっていたが暑くなってきて外でやった。バーベキューの客がかなり来て、子供が騒ぐがしょうがない。今日は一人になってしまったので、私一人浮いている気がした。
昼はシチューを作る。今回はあさりとにんじん3本、ジャガイモ3個、タマネギにツナ等たくさん入れてギッチリ煮込んだ。
午後からはテントに入って文庫本を読んでいた。夕方近くなって手を洗いに行くと、管理人のおじさんが今日は帰らないのかと来たので、もう2泊するとお金を払いに行く。昨日の酒飲みの話をしっかり知っていて、しばらく話をしていた。私は見付からなかったら黙って泊まるつもりだったが、このおじさんが人が良くお金が惜しいとは思わなかった。
夕飯の支度をしていると又雨が降ってきて今度は強そうだ。ここの土地は雨がすぐに染み込むのでテントの中に入ってこなくて良い。ランプの火で本を読んで寝る。
5月5日 晴れ
今朝は結構早起きして、涼しいうちにワープロ打ちをする。8時にもなると暑くてテントの中にはいれないので、外でやる。腹がすいたらラーメンを煮る。
その後は日光浴をしようと文庫本を持って岩の上に行きシャツを脱ぐが、空が薄曇りで寒くなり早々に切り上げて来た。それにしても今日は人がずっと少ない。午前中ずっとワープロを打っていて山での日記の方はほぼ完成した。
午後からは少し日が出てきて、やっと日光浴が出来る。文庫本1冊読み終えると薪集めに行く。今夜は最後の夜なので小さくとも焚火の前で酒が飲みたい。小枝を一抱えほど集めたところで腹が減り、晩飯にする。今日はレトルトのカレーになめこ汁。なめこ汁はわかめ汁に缶詰のなめこを入れたため味気が無かった。それと川に冷やして置いたビールと炭酸が、昨日の雨による増水で流されてしまっていた。
まだ日が暮れるまで時間があるので、最終日になって初めて辺りを散策する。痛かった足もだいぶ良くなり、神社吊橋の方まで歩いた。帰りにバーベキューをした人が残していった薪を見付け半分持ってきた。また無くなったと思った炭酸が川の中にピョコンと立っていた。ビールは無くなったがこれでカクテルが飲める。
焚火は盛大に燃え、ずっとやりたくなってさっき半分の漉してきた薪を、ライトを付けてみんな持ってきた。結局カクテルとウイスキーはみんな空いて、その場に寝そうになったがテントに寝たらしい。
5月6日 曇りのち雨
朝は結構のんびりと起きて、帰り支度をする。5日間もテントに居るとすごい荷物になる。みんな車に詰んで、出発。管理人のおじさんに挨拶をしていこうと思ったらあいにく出掛けて居て、奥さんによろしく言ってキャンプ場を後にした。走り出してすぐ管理人のおじさんの車とすれ違ったので、挨拶をすることができた。
キャンプ生活をしてからまる4日間、風呂に入っていない。何はともあれ、また芦安村の南アルプス温泉ロッジまで行き、大きな風呂へ浸かることにした。
帰りの道も、とても長く疲れたが、平日ということもあり渋滞には巻き込まれず帰ることができた。
今回の山行きは挫折の悔しさを味わったが、休養といった意味では大変充実していたと思う。これで来年への教訓と意気込みを感じ取ったとともに、雪山という自分にとっては新しい登山形態の一歩を踏み出すことができた。来年は絶対に雪の北岳のピークを踏むぞ!!。
