1987年 夏 大雪山縦走
 今回は、憧れの北の山『大雪山』に挑戦した。この山は、緯度が高いので標高が低くとも、3000m以上の雰囲気だし広大なお花畑も楽しめる。また、登っている人も少なそうだしゆっくりと孤独を楽しめる。
 もうひとつ今回の特徴として、行き帰りにバイクを使ったということだ。ツーリングとまではいかないが、夏の風をおもいっきり浴びるにはちょうど良いし、足代も安く上がると思ったからだ。しかし結局は、夏の雨をおもいっきり浴びて飛行機で往復するほど金がかかった。
 バイク3日、山6日、休み1日、の冒険記を始めよう。
8月8日 雨
 朝3時起床。うっすら雨が降っている。本当は、昨日の夜から夜通し走って、北海道を昼走りたかったのだかあいにくの天気で、夜の高速道路は危険と判断、日が登ってから走ることにした。雨は霧雨程度だったのでウインドブレーカーを着て出発。山登りの荷物はあらかじめ札幌の友達に宅急便で送っておいたので、バイクに着けた荷物は、寝袋や雨具などをナップサックに入れたものにごみ袋をかけて防水し取り付けだけで良かった。
 高速道路は郡山インターから乗ったが、まだ夜が明けず雨の中とても恐い。すぐサービスエリアに入ってハンバーガーとコーヒーを食べ、雨が強まってきたので雨ガッパに着替える。
 4時をまわるとやっと辺りが明るくなってきたので、走りだす。今回、ネズミ取り対策としてレーダー探知機を搭載した。それが本宮のオービスで効きめを確認できたので、ばんばん飛ばす。
 仙台を過ぎた辺りで、給油をする。燃料タンクが12リットルしか入らないので、リッター20Kmとしても200Km毎に給油しなければならない。そこから札幌の友達に電話をしたが、本当に夜まで札幌に着けるのか心配になってきた。コーヒーを飲んで出発。雨がヘルメットのシールドに着いて前が見えなくなると横を向いて風で流す。120
km/hの風圧だからできる技で、上体を起こすと飛ばされそうになる。
 岩手県に入ると雨が上がり路面が乾いてきた。するとレーダー探知機が鳴ったのでスピードをおとすと、案の定やっていた。また青森県に入ってからもあったので2回も助かった。雨はすっかり止んで嬉しくなってしまった。
 終点の青森の料金所に着いたのが10時半。金を払おうとしたら、なんとカードが無い。飛ばされてしまったのだろう。道路公団の事務所の中で書類を書かされてしまった。郡山から乗った証拠が無いと始点からの料金をとられるので、困ってサイフの中からバイク屋の領収所をみつけてなんとか許してもらった。8100円もした。自動車と同じ料金とはどう考えてもおかしいと思う。
 フェリー乗り場は大変混んでいて、自動車は予約無しでは乗れなかったがバイクはすぐ乗れた。切符売り場も大行列でみんなイライラしていた。船の中ではすぐに寝て体力の温存につくした。しかし2時間位しか眠れなかった。
 函館はなんと雨。5年ぶりに戻ってきた感動もなんのそので、あとまだ半分もあるのかと思うと気が重くなる。しかたないので、フェリー乗り場で海草うどんとおにぎりを食べて5時過ぎに出発。レーダー探知機の線が切れてしまって、この雨ではやってないだろうしスピードも出せないのでそのまま走る。しかし日も暮れてきて、寒いしつらい。自動車はエアコンつけてカーステレオを聞きながら走れるというのは、天国のようなものだ。
 長万部で友達に電話をいれる。道を聞くと、国道5号や中山峠より室蘭から国道36号のほうがいいというので、私は中山峠のほうが近くていいと思ったが地元住民に従うことにした。しかし、つらいのなんのってほとんど惰性で走った。
 札幌が近くなると雨も止み心持ち暖かくなってきた。すすきのでめちゃくちゃタクシーが混んでいて、大通り公園に着いたのが12時、そこから電話をして道を聞いてアパートに着いたのが12時半であった。三春から札幌まで21時間の耐久レースは終わった。すぐ風呂に入れてもらって、半年ぶりの再会を祝いつぼ八に飲みに行った。3時まで飲んで帰りにワインを買ってきて5時まで飲んでいた。このときばかりは、自分のタフさに驚いた。
 
8月9日 晴れ
 今朝がたまで飲んでいて、当然おきれる訳がなく1時半まで寝ていた。今日1日は休みと決めこむ。ジンギスカンをするということで買い物に行く。しかしなんだか北海道に来たという実感がわかない。あまり急いで来たからだろう。天気もいいしのんびりしていて、明日から本当に山にこもれるのだろうかと思う。荷物をまとめて6時ごろから、ジンギスカンが始まる。ビールも含めて2000円で腹いっぱいになれた。しかし予想以上に金がかかった。これでは帰れないので、カードを預けて山に行っている間に金をおろしてもらうことにした。結局ワインも空け11時半ごろ寝た。1時半まで寝ていた割には早く眠くなったものだ。疲れていたのだろう。
 
8月10日 晴れ
 5時起床。夕べの酒が残っている。おにぎりとスープを作ってもらい、朝飯にする。6時過ぎ出発。地下鉄で国鉄札幌駅へ向かい特急ライラックに乗るが、すごい混雑で連結機の上になってしまいぐらぐらと揺られる。旭川で降りて、旭岳温泉行きのバスに乗る。バス乗り場にとてもたくさん人が居たので、みんな乗れるのか心配だったがバスが2台来たので座れた。旭岳温泉まで1時間半、やっとゆっくり景色をみれた。なんと驚くことに料金がただだった。あとロープウェイ2本乗り継ぎで600円と荷物が280円、今回は、少し登るのをざぼるためロープウェイを利用した。
 みはらしの駅で登山票の交付を受け、昼飯に朝作ってもらったおにぎりを食べ出発。観光客がかなり登っている中を、大きな荷物を背負って登っていく。火口からは白い煙が上がり、それを横目にきつい坂をふうふういいながら登っていく。頂上まで2時間半もかかってしまう。この旭岳が北海道の最高領で2230mである。頂上からは、キャンプサイトがすぐ見え幾つかテントが張られていた。頂上には、20分位居て出発。下りはすごい急な坂で、1回転んだ。雪渓を渡りテント場へ、かなり大きな雪渓でスキーをしていた人が居た。テントを張ってから、天気もいいしのんびりとコーヒーを飲んでいると、隣のテントの人が話し掛けてきた。焼酎を1杯貰って話していると、その人もバイクでツーリングをしながら山に登っているそうだ。ちなみにバイクはなんとナナハンだそうだ。晩飯は、ツナ、イモ、タマネギ入りのシチュウーとタマネギのマヨネーズあえ。これでも今回からの山行きは、料理に凝ることにしたのだ。今までは、単に動くためのエネルギー補給をしているだけだったので、食事も山の楽しみの1つにしたかったのだ。また今回からは、荷物の軽量化や合理化のためラジウスをやめてガスコンロ、ランタンをやめてキャンドルにした。お陰でプレーヒート無しで一発着火、ちょっとコーヒーを飲むときも大変便利である。
 日が暮れるととても寒くなって、テントに入って日記書きをする。学生の団体がうるさい。
 
8月11日 朝だけ晴れてのち曇ってどしゃ降り
 4時起床。青空が見え今日はよさそう。さっそく朝飯、中華丼半分とわかめ汁。テントをたたんで5時45分に出発。足取りが軽く、間宮岳まで30分で着き北海岳もなんのそので白雲岳まで火口の周囲のかるいアップダウンを歩く。白雲岳は、荷物を置いて体だけでピストンする。この山は、旭岳と違い切り立っているので眺めが良い。荷物も無いので跳ぶように歩ける。白雲の避難小屋まですごい下りで、ひざが笑ってしまう。避難小屋にはヒグマ調査会の人が居て、双眼鏡ではい松の中に出たり入ったりしている小熊を見付けた。「あのーわたしそっちの方に行くんですけど・・」というと「親熊が出ないうちに早く行った方が良い」と言った。薮の中を歩くときは、生きた心地がしなかった。熊よけの鈴も小さいのが1つだけで、他の人達は大きな鈴をがらんがらん鳴らして歩いている。
 忠別岳までは、だらだらの登りでとても長く足が痛くなる。昼は休みがてらカロリーメートを食う。2箇所ほどドロドロの道があり靴がかなり汚れてしまった。池を過ぎると前に男女2人、後ろに男1人に挟まれ休みも取れずプレッシャーを感じてしまう。そのうちさっきからパラついていた雨が突然強くなり、辺りもガスってきて何も見えなくなってしまった。仕方なくカッパを着るがものすごい降りだ。男1人が「4人でパーティー組んで行きませんか」と言ってきたので本当はいやだったが、ここで「いやです」言ってしまったら性格を疑われるので「そうですね」と言った。人任せで歩くのは、不安だしやけに早い。私は休んでいないしテントもあるしとにかく重いのだ。ほとんどブスッとして歩く。忠別岳の頂上ではなにも見えず休まず下りる。下りはもっと足がきつい。しかし下りは道が分かりにくかったので少しはパーティー役がたった様だったが、忠別小屋への分岐点がなかなか見付からず大丈夫なのかと思ってしまう。やっと分岐点に着いて解放され私は座り込んでしまった。2人組みはヒサゴ池まで行くそうだ。すこし休んでから忠別小屋へむかう。ここもドロドロで転びそうになりながらテント場へ行き、雪渓の中から水を汲んでテントを張っていると、また息ができないほど降りが強くなる。隣のテントの人が来て手伝ってくれる。やっと張れてテントの中へ入りスープを飲みながら蝋燭で暖をとる。テントをたたく雨の音を聞きながらヘミングウエイの老人と海を読むのは、なかなかおつなものだ。しかし疲れているのか寝てしまう。このままでは明日は停滞になるだろう。エスケープコースを考えながら夕飯を作る。今日は卵が割れていたので、わかめ卵汁、わかめと玉ねぎのマヨネーズあえにアルファー米。
 しかしこんなに天気の悪い夏もないものだ。去年は10日いて朝方1回だけだったし、飯豊も朝方だけで昼は汗をかいて行動できたのに・・。
 
8月12日 晴れ
 昨日11時ごろまで隣の団体がうるさく眠れなかった。「すみませんが、静かにできませんか」と言ったら少し声が小さくなっただけでしゃべり続けていた。こいつらは夕方からうるさくてしょうがなかった。
 4時に目が覚めたが頭にきたのと、昨日停滞を決めていたのでテントか乾くまで待とうと結局5時半まで寝ていた。今朝も相変わらず隣がうるさくてすっかりペースが狂ってしまう。便所に言って出発。なんと7時半。1182高地までは1時間で着く。朝からブヨが多くかなり食われる。先を急ぐがぬかるみが多く靴がドロドロになる。天気が良く、二つ池まで行きたくなったので化雲岳は下を回り、ヒサゴ池の1番分岐を無視して下る。ここもかなり急で足がカダつく。下りきったところに本当の分岐が有ったので休んでカロリーメートを食う。10時半を過ぎてこの後かなり登りが続くことと、昼から雨の予報でやはりヒサゴ池に泊まることにした。岩場を下り雪渓を下りずっと下ってキャンプ地には、11時に着く。水場がちょっと遠いが、テントを張ってから行ってくる。
 日が出ているので焼こうと思い短パンになるが、照ったり曇ったりで文庫本を読みながらラジオを聞きながら、のんびり寝ていた。すると、男の人がかなり慌てて無線機はあるかと来た。何か事故だと思ったら、沢で年輩の夫婦が遭難して女の人が心臓麻痺で死んだそうだ。男の人は生きているが、ショックでしゃべれないし動けないそうだ。なんだか異常に怖くなった。発見者が処理をしてきたので、あとはヘリの救助を待つだけと言うことだった。
 4時過ぎから夕飯のしたくを始める。今日はシチューとご飯。明日は5時で出たいが天気が心配だ。今日は結局天気は良かった。
 
8月13日 曇りのち雨と霧
 3時過ぎ起床。今日は良く寝た。そんなに寒くない。さあ今日は2日分の挽回だ。すぐ朝飯を食って出発、しかし結局5時半になってしまった。
 雪渓を渡って石原を歩いていると、前の人がしゃがんでなにかを見ていた。「兎だよ」と言われて見ると、鳴き兎がいた。リス位の大きさで、鳴き声は「チュンチュン」と雀に似ている。声だけだったら今までも聞いていたが、鳥だと思っていた。感動のあまり「わ! 鳴き兎だ!!」と叫んでしまい逃げられてしまった。その後も2回ほど見付けた。
 トムラウシへの登りは緩く、庭のような景色で楽しく歩けた。少し雨がパラついたがカッパを着ないで歩く。頂上近くがすごい岩場だったが今日は調子が良く、なんと頂上まで2時間で着いた。頂上でジュースを飲んで8時半から下る。上はとても寒くじっとしていられない。下るとテント場があった。昨日ここを越えていれば今日楽だったのだが地図にもガイドにものってないのでしかたがない。そこから三川台までは、緩い登りがダラダラと続きまた鳴き兎を見る。雨がバラバラと落ちてきたがそのまま歩く。広い草原の様でとても景色が良い。
 三川台からは、緩い下りで二つ沼は、たいしたキャンプ場ではなかった。下りはすごいササヤブで、ズボンがびっしょりになってしまう。しかし雨が強くなってきたのでカッパを着る。ヤブコギが続いたので、カッパを着ないと駄目だった。
 下りきると急な登りになり、あたりの木につかまらないと登れなかった。登りきると上に3人いた。調子が良かったし、その3人から早い早いと言われてその気になってしまう。さっきから自衛隊のヘリコプターが飛んでいる。昨日遭難した人を救助しているのだろう。カロリーメートを食い12時半に出発。双子池は、下ればすぐだそうなので、これでは2時ごろまで着けるなと下る。
 しかしまた登りで、 山をまだかまだかと登っていく。 3つ越したあたりから不安になってくる。登れど登れど双子池が無いのだ。三川台からは、登山地図が無くガイドブックのコピーだけなのだ。ガスも出てきたし、カロリーメートを2袋食っただけなので足がいうことをきかないし頭がぼけてきた。足がすぐ木にひっかかるのだ。寒くて体力が消耗している。少し休んで飴玉を4つほど食べると頭が直ってきたので、また歩きだす。しかし自分がどっちから来たのか悩んでしまう。
 やっと山道から薮道になる。しかし、歩けど歩けど池はなく、薮が道をふさいで足元が見えず何度も転ぶ。薮がカサッとなると熊かと思い本当に怖くなる。歌を大声で歌いながら歩く。暗くなってくるしガスでみえないので通り越したのかと思う。まあテントがあるのでどこにでも眠れるつもりだったが、熊の事を考えるとやはりキャンプ場でやりたい。
 4時10分、いいかげん諦めかけていたところ見付ける。水を汲んで、風のなか2回ほどテントをとばされかけ、やっと張りきる。靴下を脱いで絞り、もう外に出ないつもりでコーヒーを飲む。それから飯を炊いて、納豆なめこ汁を煮る。飯にわかめを少し入れ、わかめご飯にするがまずく、納豆なめこ汁の中に入れ結局みんな食う。失敗したのが、わかののマヨネーズあえにコーンビーフを一缶入れてしまい、これはまずくて食えなかった。しかし外に捨てると熊が寄ってくるので持って行かなければならない。
 テント場にはあと3つほどテントがあったが、誰も居ない様に静まりかえっていた。しかし今日は本当に辛かった。昨日の様な天気の良い日に遊んでいて、今日はこんなに苦労するとは・・・本当についていない。テントの中は火があってそれほど寒くないが、それでも息が白くなる。テントの中は、いくら雨が降ってもいいもので、時間さえあれば何日か雨の音でも聞いて雨を楽しみたいものだ。ただし行動はいやだ。
8月14日 雨、ガス、大風
 昨夜からかなりの強い雨が降っている。上からは漏らないがクランドシートからしみてきて、寝袋を濡らさないためシートを足の方に敷いた。そのときマヨネーズが潰れてしまって、大変だったがまた寝なおす。
 朝、3時と4時半と5時に目を覚ましたが、雨の音がすごい。5時過ぎにおきだして停滞しようか悩みながら飯をつくる。マットの上で作業をしているが、そこ以外は、びしょびしょなのである。
 明日になれば晴れるという保証は無いし、ここにいては下りようがない。少しでも歩くことにし美瑛富士小屋まで向かうことにし、とりあえず荷物をリュックに詰めるだけ詰めてからテントをたたむ。テント本体は砂だらけで、バケツで水をかけてとにかく袋につっこみカッパを着て出発。
 はじめ登り口が分からず、しばらくうろうろしてやっと見付けて登りだすがガスがたちこめて心まで暗くなる。右足が調子が悪く、少し歩いては休むの繰り返しで、なんとか一つのピークに立ちイチゴジュースを飲む。登る途中で暑くなりカッパを脱いだので、喉は乾いたのだが頂上が寒すぎガチガチになる。あとから一人来たが、えらく歩くのが速くなんと短パンすがただった。私は作業着すがたである。すごい強風で霧雨、眼鏡がすぐ曇るので外すと何も見えず、また尾根が痩せていてとても怖い。
 いくつかのピークをこえ、オプシタテシケの頂上に立つ。あとは地図によるとヘベツ岳を登れば下りのはずだったが、やはりそう簡単にはいかずかなりのピークを越える。まただだっ広い所を歩くのでどこが道なのか分からない。下りもきつく何も見えず、たまに日も差すがすぐに隠れてしまう。休み休み歩いて、1時ごろやっと小屋に着く。今日はテントも濡れていて広げるのもいやだし、明日また畳むのも面倒なので小屋に泊まろうかと思ったがかなり人がいたし、雨も今は降っていないのでテントを張る。風か強かったのでテントを乾かすつもりで、本体を張ったままで水を汲みに行く。十勝岳の方に15分程登った所に雪渓があり、そこから水を汲んで戻ってきたときにはテントは乾いていた。たまたま日が差すのでフライもほすとすぐ乾いた。テントを張っているのは私一人である。
 テントの中でボーとお湯割りを飲みながら、日記を書く。やはり風か強くテントがきしむ。またもやすごい雨が降ってきた。今日は最後の夜なので、シチューにジャガ芋と玉ねぎをありったけ入れて、得意のマヨネーズあえも作ってみんな食べてしまおう。
 
8月15日 ガス、雨
 昨夜からすごい風と雨だ。夜中、目を覚まして眠れずレモンティーを飲む。こんな時はあせると尚更眠れなくなるものだ。しかし寒くてしょうがないので、コンロを焚いてテントの中を暖める。
 5時半ごろまで寝ていて、もそもそ起き出して朝飯を食う。強風の中震えながら濡れたテントを片付け、カッパを上だけ着て下山を始める。下りだすとまたもや道が分からなくなり、右往左往し本気で悩む。少し戻ってなんとか見付け、今度は順調に歩きだすがなんとも足場が悪く何回も転んでしまう。下のカッパを着ていなかったので、ただでさえやぶこぎて濡れるのに転ぶこともあって、どろどろになってしまった。今更履いても同じなので、そのまま歩くことにする。ほとんどいやになった。
 高度が下がるにしたがい、気温が上がってきて、シャバの臭いがしてくる。しばらく下ると林道に出て、もう転ぶ心配が無いと思い、ズボンやパンツを取り替え、短ぱんで歩く。またしばらく歩くと林道が左右二つに別れていて、私は迷わず下っている方を歩くが30分ほど行ってから、休んで地図を見るとやはり反対に歩いていた。頭にきながら戻るが、無駄に歩いていたと思うとすごく疲れた。舗装道路は、さっきの分岐点からすぐで、しばらく歩くと白金温泉に着く。
 まずバス停留所に荷物を置いて、時間を調べ風呂に入りに行く。400円払ってさっぱりする。しかし、山を登ってて何が一番気持ちがいいかと言うと、何日分もの垢を落とすときが一番である。今回は、6日分の垢を落としてひさびさにゆっくりと温泉につかった。ロビーで、これもまた何日かぶりのビールを飲み、つくづくシャバだなあ・・お金さえあれば物が買えるんだなあ・・と思った。またのんびりと露天風呂につかり、青い空と白い雲を眺める。今朝まで震えていたとは・・しかし上と下ではそれほど違うものか。その後、食堂に入りまたまた久しぶりのラーメンを食べる。
 まだ時間があるので、土産物などを見るだけ見てバス停留所に戻る。5人位登山の人がいて、私の様に縦走してきた人と、富良野の農家でアルバイトしていて休みを貰って登山をしにきた大学生の女の子、登山も兼ねながら自転車で北海道を回っている大学生だった。思わず話が盛り上がり、バスを一本乗り逃してしまい、
1時間半の損の上に汽車も特急に乗らなくてはならなくなってしまった。今日はどうも調子が悪い。結局、札幌の友達の所に着いたのは9時半ごろになってしまった。
 
8月16日 晴れのち雨
 昨夜は、友達と無事山を降りたのを記念し、朝の3時まですすきので飲んでいたので、起きたのが10時。ジュースとサンドイッチとアイスクリームを買ってきて食べる。ジュースがうまい。荷物を梱包して宅急便へ持っていく。
 2時ごろ出発。空は曇ってきた。R230を中山峠へひた走る。峠の手前でうどんと飯を食い、峠の土産物屋で土産を買ったり揚げ芋を食ったりする。峠を下りた辺りから雨が降りだし、またカッパのお世話になる。洞爺の温泉からR5へ入り、ガソリンを詰め函館まてあと3時間と聞く。一時止みかけた雨がまた降りだし、日が暮れると殆ど見えない。山ほどでないが、寒くてかみ締めた奥歯が痛い。
 函館に着いたのは21時を回っていたし、フェリー埠頭がどこだか分からなくなり、すごい雨の中1時間以上もうろうろしてやっと見付ける。バイクは1回まつだけで乗れたが、自動車は予約無しでは無理のようだった。チケットを買ってからまだ30分もあると思い、飯を食っていたがバイクの人は早く乗れとのことで、慌ててカツカレーを流しこんだ。
 フェリーでは、すぐに隅の方へ場所を取り寝る。子供が泣いたりして目が覚めたが、かんばって寝た。青森に着いたのが、4時近く2階の床に寝袋をひいて6時ごろまで寝た。床に寝るというのは、自分でも久しぶりで最近ほとんどしていなかったが、辺りにも寝てる人がたくさんいたし、なんだか高校時代に自転車で旅していた頃を思い出す。
 
8月17日 雨
 雨は弱まる気配を見せず降り続いている。ラーメンを食ったりコーヒーを飲んだりしているが諦めて出発。帰りは国道を通って行こうと思っていたが、雨でくじけてしまい水沢から高速道路に乗った、お盆の帰省客ですごい渋滞。しかしバイクは、路側帯を走れば関係無し(本当は違反)。しかしサービスエリアの混み具合には参ってしまった。ハンバーガー一つ買うにも行列だしバイクを置くところも無い。
 こんな調子で三春に着いたのが7時。これで私の今年の夏は完全燃焼した。