1986年 夏 南アルプス縦走
今までは地元の山を重点的に登っていたが、今年からは「山と渓谷」などに載っているようなオールジャパン的な山に登りたくなった。そこで北アルプスという手を考え登山地図をかなり集めたが、この山はかなり人が込み入るとのことで止めることにした。切り立った岩の稜線や、歩き切れないほどのコースは捨て難かったが、最近は猫もしゃくしも北アルブスで食事や寝具の整った山小屋にハイキング気分で登られたのでは、私の登山というイメージが狂ってしまう。
ということで、この北アルプスとはまるっきり正反対のイメージの、南アルプスに登ることにした。この山は、オールジャパンにもかかわらず地味で懐が深く、長い工程で歩けるし、何といっても人が少ない。
それでは南アルプス10日間の冒険記を始めよう。
8月8日 晴れ
仕事を終え、事務所のバスに乗って郡山の駅へ行き、甲府までの切符5200円を買いすぐホームへ。腹が減ったのでてんぷらうどんを食べ、睡眠薬がわりにワンカップを買う。今夜は、一晩夜行に乗り明日は一気に日本の標高第2位の北岳に登るのだ。列車の中で良く寝て体力を温存しなくてはならない。しかしまだ6時半なので眠れるはずがない。黒磯の30分手前ぐらいでうとうとしかけたが、すぐ乗り換え。残りのワンカップを飲んで上野に降り立った時にはすっかり酔ってしまった。明日の朝飯にと幕の内弁当を買い、山の手線で秋葉原へいきうどんを一杯食べるが、何だか時間が気になり慌てて中央線へ飛び乗り、新宿へ向かう。しかし大きなリュックだと東京に来ているという感じがしない。
中央本線23時55分発の各駅停車のホームは、登山客でごったかえしていた。なんとか座ってうとうとするが、立て掛けていたリュックが一時間毎に倒れて目を覚ます。もういやになってリュックは倒しておいて、寝ることに専念した。
8月9日 晴れ・ガス
甲府に着いたのが朝の3時ちょうど。結局一時間ほどしか眠れず、完全な寝不足。駅でバスに乗ろうとうろうろしているとタクシーの運ちゃんが、広川原に行く人を5人集めてバスと同じ料金で行くというので、タクシーにする。バスとタクシーの商売争いが激しいらしい。
結局タクシーの中でも話がうるさく眠れずじまいで、睡眠時間約2時間で広川原へ降り立つ。最悪の気分で弁当を食うが、これもまずいし昨日の酒もまだ残っている。5時から登り始める。始めはどこかのパーティーの後ろについてゆっくりゆっくり登る。気分はさえないが坂が緩いので良かった。しかし久し振りで重たいリュックを背負ったので、肩が締まって手が痺れてくる。これは慣れるまで仕方がないので休み休み登る。しばらくして道が二股に別れていて、お池の方へ行く。人は少ないがちょっときつく、いろんな人とおいつおわれつでお池には3時間ほどで着く。好いペースだ。途中、滝がありオレンジジュースを飲んだり顔も洗えた。昨年の飯豊山のときはジュース類などのすっぱみを持っていかず、非常に口が寂しく残念な思いをしたので、今年は粉ジュースやアメ玉をたくさん持ってきたのだ。
お池は標高2230mで既にここで私の体験した最高領を越えているのだ。さてここからが北岳の尾根まで標高差500mの直登だ。寝不足の割にはペースが戻ってきたが、なにせ10日分以上の荷物を背負っているのでえらいきつい。休み休みのおいつおわれつで、すっかり顔なじみになってしまう。また、降りてくる人達の会話で、「よくこんな坂登るなあ」、「うわー重そうな荷物」「重そうなんじゃなくて重いんだよ」、などと言われるくらいきつい坂なのだ。ガスが出てきて、休んでいると寒い。標高2500mを越すと、空気が薄く息が切れる。5歩も歩くとハアハアする。 なんとか稜線に出るがガスで何も見えない。稜線にのってからもガツガツの岩場で傾斜はきつい。肩の小屋には12時半に着き、小屋でキャンプの許可を貰い300円払う。北岳は2時間もあれば行ってこれるのだが、ガスっているしどうせ明日の通り道ということで行かない。テントを張ってから水を汲みに行くが、遠いのなんのって尾根をずっと降りなければならなかった。また水量もとても少なかったが、一番高い所にあるので当然といえば当然である。一時間がかりで取ってきて、のんびりと地図を見ながら紅茶を入れてのむ。ああ、10日間もこうやって山にいれるんだなあと思うと、嬉しくなり疲れも手伝い眠ってしまう。
4時ごろから晩飯の支度を始める。隣からシチューの香りがしてきたので、シチューのコーン入りにした。ツナやコーンビーフなどを入れようと思ったが、まあ道中ながいし今回はガマンした。標高が3000mなので米が炊けないので、初めから水をたくさん入れて煮た。米の形はなくなっているが、ちらしずしにして食べたら結構いけた。食うもん食ったら後は寝る。明日は4時に起きて6時には出たい。
8月10日 晴れ・ガス・小雨
夜中12時半ごろ小便がしたくなりテントの外に出るとすごい星空、3000mで見る星空は時のたつのを忘れさせる。流れ星を数えているうち寒くなって寝た。
4時にアラームで目を覚ます。辺りはまだうす暗く、一面の雲海から富士山だけ頭を出していた。フリーズドライの牛飯を炊いてみそ汁を作っているうち、太陽が出てきてご来光を拝めた。飯を食べてから、ヘリコプターが小屋へ物資の補給にくるとかで、中途半端でテントを片付けると風で飛ばされると悪いので、何もせずぼおっとしていた。7時に出発。
さて今日は日本標高第2位3192.4mの北岳だ。あと200m登らなくてはならない。空気が薄く息が切れる。休みながら1時間で頂上へ着。空は晴れわたっていて、とても眺めがよく30分ほど居る。下りはガツガツ下り間ノ岳へ急ぐが、荷物の重みがもろに足にくる。一回転びかけて、ひざをしたたかうち少し痛いが我慢して歩く。偽ピークの連続を息も切れ切れ登りなんとか間ノ岳に着いた。昨日からなじみの単独行の人と話したら、昨日私と同じ列車できたそうだ。彼は今日降りるそうだが私はまだまだ始まったばかりである。頂上は凄く寒くセーターとウインドブレーカーを着てカロリーメートをかじった。
また歩きだすときTシャツ一枚になったが寒いのなんの、しばらくふるえながら歩いた。しかしあんなにいた人はみんな下ってしまったのか、熊の平まで行く人は殆どいなかった。また雨がポツポツときたので、とても心細い。ずっと下りで、苦しくはないが足と肩が痛い。雨が本降りになってきたがそのまま歩く。座って休めないのがつらい。途中すごいお花畑があったが、息も切れ切れで見ている余裕などなかった。熊の平の小屋に着きへばり、キャンプ地へ行きまたへばる。
ここは昨日と違い水が豊富だ。テントを張って紅茶を沸かし一息着いた。そしてすぐにご飯を焚いてカレーにコーンビーフを入れて食べるが、ひじょうにまずかったがみんな食った。しかし飯を食いながら行程を考えたが、余裕がなく大雨でも降ったら困ったもんだ。山にいると、その日その日の調子で、暗くなったり楽天的になったりするもので、過ぎてみればおかしいがそのときそのとき本人は本気なのである。
テントに入っていると小屋の人がきて300円取っていった。明日は三伏までの長いコースだ。早く寝て4時には起きるぞ。
8月11日 晴れ・ガス
3時半に目を覚まし、ランタンに火を付けてコーヒーを飲みながら鳥飯ととん汁を作る。鳥飯がよく炊けずまずい。なんだか気持ちがバヤバヤして体が受付ない。吐きそうになるのて半分残した。飯を食うのに時間がかかり、結局出発は6時40分になってしまった。
最初はダラダラの登り下りで快調に飛ばすが、塩見岳の急登にかかると例によって息が切れフラフラである。カロリーメートを半分食べるが焼け石に水で、これでは三伏まではとてもじゃないが行けない。塩見岳山頂にいた2人にオレンジを貰い、話しながら食べた。今日は塩見小屋にテントを張ることにして明日は早めに出る予定。
テントを張って水場へ。しかしここの水場は悲惨だ。下りが20分でまた登ってくるのに1時間10分かかった。なおさら朝からろくなもん食っていないので、頭がぐらぐらする。テント場までやっとの思いでたどり着くと、さっき塩見岳であった二人がビールをくれた。コップ一杯分位あってとてもうまかったが、一息ついて考えてみるとうまく空きカンを押し付けられたようだ。しかたないので潰して持っていく。コーヒーを飲みながら晩飯の支度をしていると、辺りの人達がブロッケンだと見に行くので、私も行くがそれだけで息は切れ切れ頭はぐらぐら、エネルギーが底をついている。今日はあさり汁とにしんの缶ずめとふりかけ、ご飯が少し多かったので残してしまった。食欲がない。8時前に寝た。
8月12日 晴れ
夜中にザーッと雨が降ってきたが、雨は飯豊でも経験済みなのでテントは心配なかった。ただ雨で停滞となるのではないかと、心配しながら寝ていた。3時過ぎから周りがガタガタ始まってきて目が覚めたが、30分ほどゴロゴロしていた。ランプに火を着けカロリーメイトをかじる。朝飯は三伏にする予定で今朝は早出する。しかし昨日の残りを捨てに行く途中、何だか吐き気がして、心配だ。昨日から食欲も無い。まあ山に入って3日目だし疲れも出てきたのだろう。
5時過ぎ出発。テントが水を含んで重たい。初めのうち、昨日塩見岳から一緒だった単独行の女の人と今日も一緒だったが、靴の紐を結んでいたらもう会わなかった。三伏までは緩い上り下りがずっとで2時間半で着けた。これなら昨日水を汲みに行くのを考えれば、ここへ来たほうが川が流れているし楽だったのに。腹も減ってきたので、鳥飯を作る。あんがい食欲も出てきてみんな食えた。そのあとレモンを1つ食べた。ギーンと酸っぱくてうまい!!。歯を磨いて、9時過ぎに三伏を出る。地図の方向のとおり沢を渡っていこうとしたら、じいさんにそっちでないと言われテント場を登る。なんだか逆のような気もしたが、途中に左へ行く道があったのでそちらに行くと、ちょうど1時間で尾根に出られた。
尾根は比較的穏やかで、辺りも見渡せるので力が出ておどろくほどぐいぐいのぼれた。さっきのレモンも効いたのかもしれない。しかし今日は行程が長く午後からは休みがちになる。息はそんなに苦しくないが、足がくたびれて駄目だ。4時ごろ高山裏小屋まで1Kmの標識を見付け、一息着く。あとはずっと下りで、楽だったが一回もろにこけて、ズボンは汚れる手は痛い、なんとか小屋までたどり着いてキャンプの受付をすると、小屋のおっちゃんは何だか威張っているし、とても疲れた。小屋のおっちゃんいわく「最近は1人で大きなテントを持って来るのでテントサイトがなく困る」のだそうだ。まだ人がくるかも知れないので、隅のほうに張れと言われたがでこぼこで厭なので、真ん中に張った。
ここは水場がなかなか近く、水を汲みに行ってひさびさに顔や頭を洗いすっきりできた。ジュースも飲んだ。夕飯はシーチキンシチューとご飯だが、ご飯が何だか失敗しまずかったし、シチューも作りすぎたししょっぱくていまいちだった。ウイスキーを飲んで早く寝た。
8月13日 曇りのち雨のち晴れ
2時ごろ周りの人達が起き出したので、私も目を覚ましてしまった。うるさくて眠れないなあと思っていたが、実際は寝ていた。5時半ごろ本当に起き出してトイレに行き飯を食う。今朝はドライカレーだがまたもや食欲がなく、半分残してしまう。無理に流し込もうとしても吐きそうになって、駄目だ。大体フリーズドライはあまりうまくないし、量も多すぎるのだ。明日からは半分ずつ食べることにした。
8時ちょっと前出発。テントを片付けていると、威張った管理人がゴミ集めにきて、「随分のんびりだな」といわれた。私もそう思ったが大きなお世話である。しかし今日の行程は、荒川小屋まで4時間半コースなのだ。
出発してしばらくは樹林帯で良かったが稜線までのガレ場には参った。ガラガラの急坂で雨まで降ってきて、だんだん心細くなってくる。稜線まであと少しの所で、太陽が顔を出し私を安心させる。
稜線は恐ろしいほどの痩せ尾根で、風など吹くととても怖かったがなんとか東岳と荒川小屋の分岐点にたどり着けた。時間がまだ11時すぎだったので、荷物を降ろして東岳をピストンすることにした。登るときガスが出てきて寒いと思いウインドブレーカーを持っていったが、歩いているうちに晴れてきて暑くなってきたので要らなかった。登りは、から荷でもかなりきつかったが、頂上からの眺めはバツグンで富士山も顔を出していた。頂上で男の人にオレンジ半分と飴を貰い、少し話をした。帰りは少しばて気味だったが、荷物のところでカロリーメイトとジュースを飲み、元気を出して荒川小屋にむかった。
テント場は、この間からちょくちょく会っていた話好きの男の人の隣で、まずいなあと思ったが、結局私も話好きなので話がはずみ、お茶やお菓子を御馳走になり、夜は私のウイスキーで盛り上がった。ホワイトの小瓶を空けたころ、隣のテントの人にうるさいですよと注意され、時計を見ると9時を回っていた。山では9時は深夜なのだから、注意をされるのは当然である。つまみに出してもらった、玉ねぎととろろのマヨネーズあえはうまかった。5日ぶりの野菜の歯ごたえだった。次の山行きのおかずの参考になった。
8月14日 晴れ
やはり今日も4時おき。今朝はとても冷え込んだ。まずテントをたたみそれから朝飯。しかしまだ息が酒臭い感じがする。酸素の薄い山ではアルコールの分解が遅いのだ。今朝は牛飯を半分ととん汁にしたので、全部食べれた。昨日友達になった稲葉さんのシャープペンシルの調子が悪かったので、芯を分けてやった。その後彼とは遭うことはなかった。
6時過ぎに出発。今朝は天気がとても良く、富士山がみんな見えた。道は始め10分ほど急だったが、その後はほぼ水平な道が続きとても歩きやすかった。しかし赤石岳の登りはやはりきつく息も切れたが、体の調子が以前より良くなってきて地図に書いてある時間で歩けるようになってきた。
赤石岳の頂上は、結構人がたくさん居て賑やかだった。又空は快晴でここからも富士山が良く見えたがとても寒く、オレンジジュースを飲んで出発した。そこからは登りという登りはなく、ガラガラのがれ場をずっと下っていった。稼いだ高度が勿体ない。しかし思うのだが、この南アルプスは3000m領をまたぐたびにいちいち沢まで下ってまた登らなければならない。今までの稜線のイメージと全く違う。
今日はむちゃくちゃ天気が好い。前後の見渡す限りの稜線の上に独りぼっちである。焼けた鼻の頭がむけてきた。ずんずん歩くと12時には百間洞のキャンプ地に着いてしまった。そこから10分下った小屋の脇にも、テントが張れるのでそこまで行き沢ぞいに張った。私が1番かと思ったが既に3張りほどテントがあった。沢の本流は水量が豊富だったが、上流にトイレがあったので飲む気になれず、飲料水は脇の沢から汲んだ。しかし本流も水量が豊富で汚い気もしないので、頭や体を洗ったり6日分の垢のこびりついたTシャツも洗った。日がガンガン照るので短パン1つになってお茶を飲んで過ごした。が、2時ごろ曇ってきたのでテントの中に入って少し寝た。
4時半ごろから飯の支度を始める。今日は10日の晩と同じくカレーコーンビーフを懲りずに食う。今日は飯も中に入れたがやはりまずい。コーンビーフというものは根本的にまずい。肉はやはり固まっていなければ。今日は何と無く気持ちに余裕があり、金の計算をした。キャンプ指定地でテントを張ると、きっちりと300円ずつ取られるし、山を降りてからの交通費のほかにも、風呂に入ったり、土産を買ったりしなければならない。これでは静岡で金を下ろさないと帰れない事が分かった。ゆとりがあっても全く苦労は絶えない。何はともあれ沢の音を聞きながら久し振りにゆっくり寝れた。
8月15日 曇り・ガス
4時起床。今朝はテントに露が着いていないので、そそくさとテントをたたんでから朝飯の準備をする。しかし朝から鍋をひっくりかえしてしまい作り直す。そんなこんなしているうちに時は過ぎ去り、出発は6時40分。
稜線まできつい登りで足に力が入らないので、休んで最後のレモンを食べる。しかしレモンはよく効く。兎山をぐいぐい登れた。兎山から聖はすぐ目の前なのだが、せっかく2800mまでのにまた沢まですごい急な坂を下る。そしてまた恐ろしく急な登り。手を使ってクライミングの三点支持でなければ登れなかった。さすがのレモンもこれでは効かない。なんとか12時半に聖岳の頂上に到着。空気が薄いのでかなり息が切れる。頂上ではスポーツドリンクを飲みカロリーメイトを2本食う。日が射して暖かかったのでしばらく「ぼーっ」としていたが、聖平から来た人にテントを張る場所が無くなりそうだという情報を聞き慌てて出発。下りは、恐ろしいほどのザクザク道で何度もこけかける。それが終わるとずっとヤセ尾根の緩い下りが続く。私は、ヤセ尾根からの展望は大好きなのだが、ガスっていて何も見えなかった。その次が樹林帯の下りで、足はガタガタ息は切れ々々おまけに抜かせてもらった兄ちゃんにあおられ、ヘトヘトになって小屋に着く。まったくあおるくらいなら抜かせるな。
小屋では、テント場が無かった訳ではなかったが、1人ということで汚い昔の小屋の中に張らされた。こんなに暗くて汚い所でもしっかりと300円取られた。4時過ぎまで小屋の外で、コーヒーを飲みながら日記を書いたり、地図を眺めたりして過ごした。夕飯はお茶漬けと焼き鳥のカン詰めで案外おいしくてみんな食べた。飯を食うと何もすることがなくなり、テントの中でラジオを聞きながらぼーっとすごした。6時ごろ雨が降ってきたので小屋の中で良かったなと思った。
8月16日 曇りのち雨
朝4時には目が覚めたが、小屋の中も暗いし今日の目的地も近いということで、4時半まで寝ていた。ランブの光で牛飯を作り食う。なんだかんだで、出発が6時半になってしまう。
上河内までとてもきつい登りだったが、この南アルプスは登りはきついものと慣れてしまう。登っているとき後ろからかなりあおられて、ほとんど休まず登るが、辛くなってきたので大休止をして抜かせる。上河内の山頂は登山道から少し外れいるのは知っていたが、どこが分岐点なのかが分からず荷物を背負ったまま頂上まで着いてしまった。本当であれば、分岐点に荷物をおいてピストンすれば良かったのだったが、何だかとても損をした。
上河内を下りればあとはずっと下りのはずだったが、1箇所ザレ場の登りがあり1回休んだ。しかしその後は順調に下り、すぐに茶臼小屋への分岐点に着いてしまった。時刻はまだ11時15分。今度は荷物を降ろして、今回の山行きの最後のピークの茶臼山2600mへ。空荷なのですぐ登れたが、頂上がガスっていて何も見えずカロリーメイトをかじりながら、今回の山行を振り返ってみる。しかし寒くなってきたので、茶臼小屋へ向かって下りる。
まだ12時過ぎで、雨がポツリポツリ降ってきていたが、水場の近くにテントを張ってコーヒーを飲みながらラジオを聞きながら少し寝た。しかし2時ごろから本格的に降りだした。雷はないようなのでテントの中でじっとしていた。テントそのもは雨が漏らないが、グランドシートから攻めてこられてしまう。4時ごろ雨は上がり遠くで雷が聞こえる。外に置いておいた物が泥だらけになってしまたので洗う。ばけつの水にも泥が入っていて汲み直そうとしたが、沢も濁っていて仕方がないので水筒の水で米をといだ。今晩のメニューは散らし寿司になめこ汁。なめこ汁がとても旨い。食後はウイスキーを嘗めながらもの思いにふける。いよいよ明日で山は終わりだ。気を引き締めて頑張ろう。明日は風呂に入ろう。ビールも飲もう。
8月17日 雨のち曇り
夜中じゅう雨が降り続いている。4時には目が覚めたが雨の音でなにもする気が起きず、5時ごろまで寝ている。雨の音が弱まってきたので朝食の鳥飯をテントの中で作り出す。それを食べても止みそうもなく、ボーッとしている。山の最終日にしてはさえない日である。まあ今日は下りだけなので、ゆっくりでいいだろうがいつまでもこうしている訳にはいかない。
8時過ぎに雨が小降りになりテントを片付けだす。フライシートの水滴を拾ったタオルで拭いたりしたが、やはり水を吸ったテントは重たい。結局出発は8時45分になってしまった。この時になってやっと雨が止んで、Tシャツになれた。ところが下りの道がどろどろで、とても歩きにくく転ばないようにひやひや歩く。下るにしたがい気温も上がってきたようで、シャツは汗でベトベト眼鏡は曇るし、とにかく下りは疲れる。沢沿いを歩きいくつかの沢を吊橋で渡る。吊橋は揺れて面白いが、渡り終わってからも揺れているような気がする。下りだけかと思っていたが、沢から沢の峠が有ったりで登りもきつく、畑薙ダムの吊橋に着いたときには足が棒のようだった。橋を渡ると林道になり、やっとシャバに戻った気がした。しかしこの林道も長く、1時間近くかかり棒の足が石のように重くなった。だからダムから赤石温泉までも歩いていこうと思っていたのだが、そんな気はさらさら無くなってしまった。
とりあえずダムの売店でビールを買って飲んだ。売店の人に赤石温泉のことを聞いたが、今は赤石温泉というのは無くなって白樺荘が10時から15時までやっているだけで、泊まれないそうだ。まあ始めからキャンプのつもりだったが、今日は風呂に入れそうにない。明日は10時半のバスなので30分だけ風呂に入れる。バスを待っているあいだそばを食ったりしていたが、また雨がパラついてきた。
バスは超満員だったが私はすぐ降りるので一番最後に乗った。白樺荘には15分くらいで着く。駐車場にテントが一張り在ったので聞くと、キャンプ場が無くなったので白樺荘の人にことわって張ったとのこと。私も早速ことわってテントを張る。しかし水を貰うのを忘れ明日まで水筒の中の2リットル弱で過ごさなければならない。おなかがすいたので、冷やしラーメンを作ったがお湯を捨てるときに麺も半分こぼしてしまう。また水不足なので麺を冷やせず、暖かいままの冷やしラーメンにタレをかけて食べた。惨め。あとは何も食べるものが無いので早く寝る。
8月18日 晴れ
今日は久し振りに8時ごろまでゆっくり寝ていた。それからゆっくりテントを片付けて、風呂には入れるまでうろうろしていた。9時ごろに白樺荘に入り、ロビーで隣のテントの人や白樺荘のおじさんと話したりしていた。9時半ごろにもう入ってもいいといわれ1時間ゆっくり入った。10日分の垢をすっかり落として、なんだか体が軽くなったような気がした。
バスは昨日と違い空いていて、途中休憩も入れて2時間半ゆっくりと座って行けた。静岡に着いたのは2時近くで、財布の中は殆ど無く帰れそうにないので、郵便局へ行き金をおろした。月曜日で良かった。駅で普通券だけ買い、鈍行で三春まて帰ろうと時刻表を見たが、どうしても間に合わなかったので東京までは新幹線に乗ることにした。お盆明けということで新幹線の中は非常に混んでいて、結局立って東京まで乗っていった。あと東京からは鈍行を乗り継ぎ、三春の駅に降り立ったのは10時半になっていた。
