1985年 夏 飯豊連邦縦走
今回はやはり白川ダムに勤めたということで、自分の管理している川の源流を見なければならないと思い、飯豊連峰に登ることにした。また去年のように山に行くことを宣伝すると、騒がれると悪いので今年はこっそりと行くことにした。それとザックを去年のキスリングだと格好が悪いので、新しくフレームザックを買っていった。今時キスリングを背負っているのは大学の山岳部位なもので、みんな色とりどりの縦長ザックなのだ。あと今回は、最後に石転び沢の雪渓下りがあるので、4本爪のアイゼンを持っていった。
8月11日 晴れのち雨
朝4時起床。朝飯に昨日の残り飯に納豆と味噌汁を食べ、5時ごろに自分の車で出発。登り口までバスが無いので、今回は車を使うことにした。ぐるっとまわってまた同じ所に戻ってくる予定なのでである。
いつも走り慣れた通勤経路を通って、登り口の大日杉に着いたのが6時で登山者名簿に記入をしてすぐに登り出す。ひごろの運動不足がたたり、ほとんど5分も歩かないで15分休むといったペースで、ましてや登り口すぐにザンゲ坂という恐ろしいほどの急勾配が続くのだ。めまいがしてきて帰ろうかとも思った。それでも地図通りの時間で、10時半には地蔵岳に着けた。これはいいペースだと思いオレンジを1つ食べて歩き出す。あとここからは尾根道で楽だと思ったがとんでもなかった。今までの登りと変わり無い道が続くのだ。これでは昼食予定の切合が宿泊地になりそうだ。泣きっ面に蜂とはこの事で雨まで落ちてきた。にわか雨だと思いそのまま歩くが、たまに強く降るので木陰に隠れてコーヒーとカロリーメイトの昼食を取る。こんなに険しい道は帰りは通りたくない。
後ろから男女4人のパーティーが来たが始めは私が先に行く。しかし私はほとんどバテバテなので、途中でやすんで先に行かせる。切合に出る道が2つに別れていて近い方を行くが、途中道が無くなっていて前のパーティーも困っていた。後ろから5人位のパーティが来たので聞くと、戻った方が良いと戻っていったので私も急がばまわれで戻ろうと思ったが、前のパーティがそれらしい踏み後を見付けたのでやはりこっちを行くことにした。この時の私は非常に人任せの日和見だなあとつくづく思った。
まあこのまま付いていくつもりでいたが、バテバテの私は見失ってしまって途中沢が別れていたりすると非常に心細くなって、足跡を見付けて一安心するといった情けない状態になっていた。まあ沢の水があるので自分はどこにでもキャンプできるつもりでいたが、やはり切合に行きたい。
1時間近く転びながら登ると雪渓があり、そこにさっきの4人が待っていてくれた。そこから上に登る道も見付けていてくれて、私も少し休んで出発。ものすごい急な道を2回ほど休んで切合へ到着。本当に今日は他のパーティーにおんぶにだっこで、やはり仲間が居ると心強い様な気がした。
テントを張るが物凄い風だ。小屋に泊まったほうが利口かも知れない。夕飯は、農協のご飯の鳥飯とシーチキンシチュー。雨が降ってきてもう外に出たくないので食器を洗う位で寝る。ウイスキーの水割りを一杯飲むが、余り効かない。
8月12日 晴れのちガス夕方にわか雨
4時半にあたりがガヤガヤして目を覚ますが、5時まで寝ている。目覚めのコーヒーを飲んで、朝飯にラーメンを1つ食べてからテントを片付ける。それに1時間もかかり結局出発が7時半になる。今日は昨日より慣れたのか、道が楽なのか、結構続けて歩けるようになった。しかし荷の落ち着きが悪く、2回ほどポールや水筒を落としたりしたので積み直す。飯豊本山までに1箇所凄い痩せ尾根があり、荷の重さでぐらつき落ちると思った。
本山までの急登で水を飲みすぎ水筒の水が心細くなったが、本山のキャンプ地で満たしたので去年のような心配はなかった。あとその上に飯豊神社があり一応参拝した。本当はお賽銭を出すつもりはなかったが、神主がすぐ脇に居て「かしわ手2つ打って下さい」と言うもんだからしかたなく50円入れた。
飯豊本山まで行く途中、前から来た人においしい高山植物の実を2種類教えてもらい、休みがてら食べた。ひとつはぶどうの様な実と、もうひとつは青りんごの様な実で、どちらも5mm位の小さな実だった。
飯豊山の山頂についたとき、視界はあまり良くなかったが山頂だけ晴れていて、大日岳が見え隠れしていた。ちなみに飯豊連峰で一番高いのは飯豊本山ではなく、この大日岳なのだ。頂上では景色を眺めながら水とサラミを食べて、あまり長居をせずに歩き出す。
頂上から御西岳までは緩やかな稜線で、時折お花畑がありしばし足を停めて眺めていた。雪渓の有るところで昼食にする。雪を取ってきてオレンジを冷やす。コーヒーとカロリーメイトを食べるがガスが降りてきたり上がったりで寒くなってきて、冷えたオレンジが身にしみた。
再び歩き出すと、すぐ御西のテントサイトに着いてしまう。大日岳まで1時間半あればいってこれるのだが、テントを張って水を汲んで来ても頂上のガスが晴れそうにないので明日登ることにし、テントでボーッとコーヒーを飲みながらスルメをかじっている。しかしコーヒーとスルメは合わない。夕飯の支度をしていたらザーッと降ってきて、風も凄くなってきた。隣の学生の団体はテント張りの途中で降られて、それでもとても元気が良かった。
小屋の人がテント料200円を集めにきて、住所などを書く。普通の米を標高2000mで炊いているのでうまく炊けない。仕方がないので水を足して味噌とふのりを入れて、雑炊にした。しかしこれはとてつもなくまずく、鍋ひとつ作ったが最後の一口だけどうしても食えなかった。一緒に空けた鯨肉の缶詰もまずくなり後の酒のつまみに廻した。
ウイスキーのグラスを傾けて2000mの夜を満喫し深い眠りに陥った。
8月13日 雨のち晴れ
昨夜から降り続いた風雨が物凄く、テントの窓が風圧で入り込みテントの中が雨でグチョグチョになってしまう。タオルで拭いてその濡れタオルを重しにして窓に突っ込んでおくが、それでも風の方が勝ってしまいまた吹き込んでくる。
そんな格闘をしながら4時半ごろ起き出す。しかしもう今日はテントの中で休みと決め込み、ふて寝をしていた。7時ごろ雨の音が止んだので外に出てみると、ガスはかかっているものの晴れ間の青空が広がってきているし、風もテントの中で聞くより静かだ。よし登ろう!急いでラーメンを食べてテントの中を片付け、テントは張っぱなしで大日岳のピストンに取り掛かる。装備は作業着にウインドブレーカーを着て水筒を持っただけの軽装のため、服を脱いだとき以外は休まず1時間で頂上に到着。頂上からの眺めは、北はどこまても続く雲海と、南は連なる飯豊の山々が見渡す限り広がっていた。
下りもそこそこでテントも乾いていたし荷をまとめて出発しようとしたが、水筒の水が心細くなっているので汲みに行った。ここの水場は以外に遠くすっかり疲れてしまった。なんだか朝だけで1日分の体力を使い果たしたようで、足が重い。今日は主領縦走路なので楽かと思っていたのに昨日よりずっときつい。といいつつも、昨日は3時間分しか歩いていないのだった。空は抜けるほど晴れわたり今朝の雨が嘘のように、私の日焼けをジリジリと焦がす。
長いアップダウンに喘ぎながら、御手洗池にたどり着き昼食にする。またカロリーメイトと水だけ。少し行くと雪渓があり2組の家族連れが休んでいて、私もせっかくの水場なので休んだ。しかし水筒にはまだ半分も水が残っていて重たくなるのが厭で、飲むだけにした。この水場から登山道に戻るのがまた一苦労で、下りてきたことを後悔してしまった。
家族連れの1組は、行き先は同じだろうと私が先に出発。急な坂が続いたので休んでいると、なんとその家族連れに抜かれてしまった。子供は速い。また途中昆虫採集しながらの人からも追い立てられ、ヒーコラえぼし岳に着く。そこで大休止をとって速い人は先にやる。それにしても酸っぱいジュースが飲みたい。コーヒーなどは持ってきているがこの酸っぱみを持ってきていないのだ。
カイラギ岳を過ぎるとカイラギ小屋はもうすぐそこに見える。見えるはいいがすごいテントの数だ。私の張る場所が有るのだろうか。テント場に行くと足の踏みばも無いほどの数だ。本当に踏めないのだ。私は焦ったが一番上のほうに小さかったが有ったのでそこにした。なんとこの人達は、東京辺りの学生団体パックの人で、私から見てもドシロウトだ。冬用のシュラフを持って来た人はともかくとして、バスタオルだけとかという人もいて、事故にならないのか心配してしまう。リーダーの顔が見たい。隣のテントの人は、目覚まし時計を持ってきて2時57分に合わせていた。山では1分単位で動かないのだ。しかし持ってきた酒には敬意を表してしまう。3リットルのビールの樽を持ってきていた。
まあ人のことは良いとして、私も夕飯の準備に掛かる。今日はパックご飯にコーンビーフのシチューで、コーンビーフは非常にまずいし、洗うときに脂がぎとぎとで参った。昨夜はあまり良く寝ていないので、早く寝た。
8月14日 晴れ
フライシートのペグが外れたので外に出ると、空は降らんばかりの星空。今夜は月がない。しばらく眺めているが、寒くなって中に入る。時計はまだ10時半。
次に目が覚めたのが5時で、昨日あれほど有ったテントが嘘のように一つも無くなっていた。私も起き出し久し振りに石鹸で顔を洗った。少しひりひりする。それからお茶を飲んだりご飯を食べたりしていたら出発が8時を過ぎてしまった。
さあいよいよ今日は待ちに待った雪渓下りだ。ところが今年は雪渓が少なく、雪渓までかなり急な坂を下りなければならなかった。この坂はザンゲ坂どころでなく、雪渓にたどり着いたときには膝が笑っていた。雪渓の所に登ってきた学生とおじさんが居て、学生は「雪渓下り気をつけてください」とすぐ行ってしまったが、おじさんがなかなか行かない。実は私は、アイゼンを着けたことがなく、まさか着けかたを聞く訳もいかず、少し研究の時間が欲しかったのだ。こんな事なら出発前に研究しとくんだった。やっとおじさんが行くと次の人がくる。まあアイゼンそのものはすぐ着いたので、雪渓を一歩々々慎重に下り出す。アイゼンが良く効くが雪渓もかなり急で滑落したらピッケルも無いので多分死ぬだろう。休んだ後の気の緩んだ一歩が一番危ない。ズルッといきそうになる。
雪渓も終盤に掛かると傾斜も緩くなったのか、それとも慣れたのかペースが出てきた。しかし下から登ってきた25〜6才位の人に、恐いことを聞いてしまった。去年その人がこの雪渓を登っているときに、私のように上から下ってきた明治大学の学生が、滑落してきた岩に飛ばされ足の根元から切断、始めは生きていたのだが無線で救助を呼んでも沢筋で電波が飛ばず、自衛隊のヘリコプターが来たときには出血多量で死んでしまったそうだ。下りの人は上から落ちてくる岩が見えないので逃げられないらしいのだ。そう言えば雪渓のあっちこっちに2m大の岩が転がっている。さっきは何の気無しにこの岩で休んでいたのだが、こんな岩は初めから雪渓の上にあった訳でなく、やはり落ちてきたからあった訳で何だか無性に恐くなり、後ろばかり見ながら下っていった。
雪渓も無事に下り、下山道にかかる。そろそろ下界の暑さが感じられバテバテである。でも時々現れる涌き水に救われる。だんだん道が穏やかになってくると砂防ダムが見えてきたので、今日はそこの平場にキャンプと決め込む。始めは何も思わなかったが夕飯を食べながら、ここはダムの中なのだから雨でもきたら水に浸かってしまうのでは、などと考えてしまった。もうテントも張ってしまったし動く気も無いので、その時はその時体だけでも逃げれば好いしそんな雨も降らんだろう。今夜は最後の夜だ。ウイスキーを皆飲んで打ち上げだ。
8月15日 晴れ
今朝は適当にゆっくり起きて、30分も歩かず飯豊温泉のバス停に着いてしまった。バスの時間までかなりあったので、ビールを飲みながらボーッとしていた。
バスでは初日に色々世話になったパーティーの人達が一緒で、しゃべりながら小国の駅についた。汽車がすぐ出るとのことでキップも買わずに飛び乗り、今泉で乗り換え。しかし待ち時間が3時間近くあり歩いてもすぐなのだが、どうせ暇だし待っていた。
まあ今回は当初予定とガラッとコースが変わってしまったが、案外まとまったコースで良かったのではないかと思う。(自動車を登山口に置きっぱなしだったが
後日現場に行く途中に取りに行った。)
