1984年 夏 朝日連邦縦走
私にとって初の登山になる。今までは自転車で旅をしていたが、あまりの車の多さや人の多さにはいささかうんざりしてしまった。やはり一人で静かな山を歩きたいと思っていたのだ。しかし登山というものは未だかつて殆どやったことがなく、しいて言えば高校のとき友達2人と大鳥池まで日帰りで行ったくらいである。だから山でのキャンプなどは全くしたことがないし、山の道具も自転車の時の物を、職場にあったキスリングに詰めただけだった。またこの計画を職場で話したら、所長の猛反対に合い、休暇は許可できないの話になってしまった。まあ休暇が許可できないなどということは許されないし、何を言われても行くつもりだった。結局登山の計画書を所長にまで提出する羽目になって、結構な騒ぎになってしまったのだ。
8月11日 晴れ
午前中仕事をして午後から後輩に送らせ、長井市内の草岡登山口から登り始める。地元に朝日連邦の登山口があるというのは恵まれていて、日本全国から登りに来るというのに、私の場合は車で15分とかからないのだ。
登り始めると、やはり初めて背負った20kgという荷物はこたえる。30分あるいて15分休むといったゆっくりペースで登る。途中空が曇ってきてパラパラと雨がおちてきて不安になったが、にわか雨なのでそのまま歩く。そうするうち、休憩から休憩までの歩く距離が延びてきて調子が出てきた。
約4時間で葉山山荘に着いた。初めて重い荷物を背負ったにしては好いペースだと思ったが前にも来たコースなので油断してはならない。今日は誰も泊まらないようなのでこの山小屋に寝ることにする。
8月12日 晴れ
9時に葉山山荘を出発。始めは好調に歩いていたが、だんだん背中が痛くなってきて休みがちになる。暑くて暑くてなかなか調子が出ない。昼食予定の中沢峰に2時過ぎ付き、インスタントラーメンを食べる。後はここを下るだけで鞍部の水場にテントを張る予定なので、安心して水をがぶ飲みしたり食器を洗ったりした。それがいけなかった。
道が下りから登りに差し掛かってもそれらしい水場は見当たらない。地図にはしっかり水場のマークがあるのに・・。いっぺん戻ってみたがやっぱり無いのだ。これはしくじったと思った。水場まで戻るとなると、中沢峰の手前だ。今日中には戻れないので、とにかく行ける所まで進むことにした。前御影森の頂上にテントを張ってカロリーメイトをかじる。水が欲しい。水筒にはもう余り無い。
8月13日 ガス
夜中何度も目が覚める。夢の中でコップに水を汲んで、口元まで持ってくると目が覚めるのだ。未練がましいので水筒の中の水をみんな飲んでしまう。これはやはり焼け石に水で殆ど意味がない。何で中沢峰であんなに水を無駄にしたんだろう。登山地図を鵜呑みにしたのもまずかった。
2時ごろテントのフライシートに水滴が付いていたので、ティッシュに吸い取り鍋に絞る。100ml位取れた。夜の山は月がぽっかりと浮かんでいて、これで水さえあれば最高である。又眠り5時半ごろ、今度はタオルの切れっぱしで水滴を吸い取り、300・位集まって水筒に入れる。しかしかなり濁っていてテントの味がする。テントをたたんでからカロリーメイトを一袋食べる。水が無くともなんとか飲み込めた。ついでにその辺の木の葉っぱの水を集めて口に入れる。タオル臭い。これで水筒には400mlの水があるので進むことにした。また朝のうちは涼しいのでそんなに乾きを感じなかったのだ。
御影森山までは1時間ほどかけ水は飲まずに行けた。確かに足に力が入らず、休みがちではあった。その後の平岩山がきつく、コースタイム2時間のところ3時間掛かった。カロリーメイトと水をみんな飲む。頂上の手前で今回の山行きで初めて人にあった。犬を連れた人で今日下りるそうだ。水は大朝日のテント場まで無いとのことだ。しかし完全に水がなくなると辛い。5分歩くとめまいがしてきて息が荒くなる。唾なぞ昨日から出ない。汗も出ない。それで休んでいるとまた1人来て、あのピークにまで行けば後30分だと教えてくれた。そこまでがきついのなんの、頂上まで後30分の標識を見付けると少し下りで距離を稼げたが、またちょっと登りになるとやはりめまいがする。10分歩いた所で大休止と決め、荷物を降ろして転がるとなんと手足が痺れてきていうことを利かない。体も熱くなってきてもうおしまいだろうか、「死」という言葉が脳裏を過ぎった。水筒だけ持って水を汲みに行こうか。それともテントを張ってビバークしまた朝露を集めて生き返るか。いろんな事が頭を過ぎるが段々ぼけて来たのが分かる。
ここで最後の切り札と、小便を鍋にし、一気に飲み込んだ。小便はかなりすごい赤色で、生ぬるいその味はこの世のものとも思えず、2飲みくらいで飲めなくなった。これほど脱水状態でもだ。結局それを反射的に捨ててしまった。
小便には、毒性があるという。そのせいか手足が痺れてきたり、その痺れた手で穴を掘っていたり(水が出てくると思ったらしい)、高山植物の葉っぱをかじってゲーゲーやってみたり(胃の中には何も無く苦しいだけだったが)と、錯乱に近い状態が続いた。
そのうち上から2人下りてきてあと20分ほどだと教えてくれた。水が無くて動けないと言えば水を分けてくれそうだったが、山での水は血と同じ位大切だと自分で感じているので、元気なふりをてやり過ごした。
そんなことで1時間ほどもがいていたら、何と無く歩けそうな気がしてきて、荷物を背負って出発。やはり5分歩くと10分休むペースでなかなか進まない。後ろからやはりゆっくりの人が来て、抜かせて付いていく。2回ほど休んで登ると、ガスの中にたくさんの人影が見えたのでピークだなと思い、ラストスパートで登り切るとやはり大朝日岳の頂上だった。頂上からはガスで何も見えず、頂上にいた人とちょっと話してキャンプ場に行く。ずっと下りだけだったが、朝からカロリーメイトを2袋しか食べていないので足がガクガクする。
キャンプ場はすごい雪渓でガスッている。とにかく水場へ行き、水を飲む。金玉水と呼ばれる雪解けの水は、とても豊富で冷たくてうまくて生き返った。1リットルは飲んだろうか。あとは顔を洗ったりバケツに汲んできて紅茶を飲んだりした。一時は死をも覚悟したが、生きていることの素晴らしさを味わえた。夕飯はふりかけと納豆汁にサラミ、久々にまともに食べた。
8月14日 ガスのち晴れ
濃い紅茶を飲んだためか、ちょっと寝ると目が覚めた。まだ11時前だ。なかなか眠れず朝方寝たらしく、5時半ごろ目が覚めた。顔を洗ってすぐに頂上へ行ったが、案の定ガスで何も見えず、15分ほどぼーっと朝日連邦最高領の風格だけ味わっていた。
テントに戻って朝飯の支度をしていると、隣のテントのかわいいお姉さんが寄ってきて、オレンジをポンとくれた。しばらく話をしていて、コンロの火が消えたりすると喜んでいた。チャーハンを作ろうとしたら出来上がる直前にフライパンの柄が折り畳まってしまって、殆どこぼれてしまった。厭になってフライパンに残った飯と紅茶を飲んだだけで朝飯は終わり。テントを畳むと9時半でもう辺りには誰も居なくなっていた。
しかし今日は案外近くの、狐穴小屋の予定なので余裕で歩く。今日は昨日に比べるととても足が軽く調子が好いが、ガスで何も見えなくて残念だ。
中間点の竜門小屋でラーメンを作って食べていると、だんだん空が晴れてきて朝日連邦の山々が見渡せるようになった。素晴らしい景色だ。これでこそ来た甲斐が有った。こちらの方は南部と違い、かなり雪渓があり、竜門小屋の雪渓に下りて遊んだ。雪球を1つ作って歩きながらかじる。竜門小屋で会った3人と追いつ追われつでペースが狂うので、寒河江山で30分の大休止を取り狐穴小屋へ向かう。
狐穴小屋にはテントが一つ張ってあったので、私も近くに張った。しかし雲行きが怪しくなってきて、来る人来る人みんな小屋に入ってしまう。雨でも降られるかと思うと非常に心細くなってしまう。夕飯は、例によって飯に振り掛け納豆汁にサラミで、もう少しメニューを考えれば良かった。
8月15日 晴れ
朝起きてみると物凄い良い天気で、昨夜は雨の心配をしていたのが馬鹿らしくなった。小屋に泊まった人はみんな早起きで、例によって最後が私だ。
9時出発。始めの方のアップダウンは軽くこなせたが、以東岳の登りは結構きつく2回ほど休んで登り切る。頂上からの眺めも格別で、大鳥池が熊の毛皮の形をして見えることや、ずっと縦走してきた稜線の先に一番高く大朝日岳が見えた。しばらく眺めてから出発。直接大鳥池に下りるコースもあるのだが、私は急な下りは苦手なのでウツボ峰の迂回コースを取った。
大鳥池がすぐ下に見えたのですぐ着くと思ったが、歩き出すとその長いこと長いこと、3時間ずっと下りっぱなしである。考えてみれば標高差700mを一気に下るのでるあ。自転車であれば標高差700mのダウンヒルというのはこの上無い快感なのだが、登山の場合体重と荷物が重力の加速度を付けて自分の足に掛かってくるのだ。お陰で1回もろにこけて尻餅を衝いてしまった。
大鳥池の小屋について、水をがぶ飲みし顔を洗って、池の縁に座って赤ハラを見ながら休んでいた。その後テント場に行き、テントを張って紅茶を飲んだ。まだ5時過ぎで退屈なので沢に行ってぼけっとしていたら、面白いものがみれた。水面を産卵のためか飛んでいたカゲロウのような昆虫を、置物みたいな大きなカエルが3びきいて、ちゃんと舌を伸ばして食べているのだ。また水面に近付いた虫は、20cm位のイワナかヤマメが飛び付いて食べていた。フライがあれば確実に釣れるなと思ったが、彼らも必死で生きてるんだなと見るだけで満足していた。
夕飯は非常食用のフリーズドライの鳥飯と、納豆汁。もう明日で下りるので必要ないのだ。
8月16日 晴れ
のんびり起きて、のんびり出発、今日のコースは歩いたことがあるし、下りばかり。泡滝ダムからの林道歩きがたいへんだなと思っていたが、車に拾ってもらって、楽に大鳥まで着いてしまう。心配している職場に電話を入れてバスに乗る。時間もちょうどで鶴岡駅まで、列車ではアイスなどを食べながら、しゃばに着いたことを喜んだ。初の登山でかなり危ない目にも合い、やはり自然をなめたらいけないなと、今後も山を続けていくうえで非常に勉強になった山行きだった。
