会友・大村正敏さんを訪ねて                

                                                                  2021年12月19日(日)   記 Blue1 


 師走となり世間は慌ただしいのですが、私の場合“師”が走って下さるので、万歩計の歩数が延びません。 幸いそれもあって三浦さんに誘われ、富士市にお住いの大村大先輩宅への訪問が叶いました。
以下、そのレポートですが、なかなか筆が進みません。 特盛レポートはテーマが多すぎて纏まらないのです。 ➀ 絵画を届ける。 ② 二人での“演奏の初練習”。 ③ 旧作と新作のお披露目。 ④ 大村コレクションの見学。 絵画、音曲、ソリモ、そしてクラシックカー、この脈絡のない四点セットで話が始まります。 では始めましょうか。

★プロローグ 「いざ向かわん、富士の麓へ」
 当日は私の思い違いで三浦さんとの速やかなドッキングに失敗し、➀十五分のロス。 東名に上がってからは順調でしたが、途中会話が弾んだ為に第二東名に入り込む。 行き過ぎて清水JCTにてUターン。 三浦車には道を示す〝近代装備もアナログ装備〟も装備されておらず大慌て。 大村さんの指示で事なきを得ました。 ➁これで一時間弱の更なる遅延。 途中三浦さんが 『制作の遅れで首を長くさせてしまい、更に長くさせてしまった・・・』 と2度ほどのため息と嘆きが囁かれました。
 大村さんからの指令で「EXPASA富士川 (上り)」のスマートインターチェンジから降りる。 一般道に入ると大村さんが伸び切った首を速やかに縮めて待っておられました。 先ずは直ぐ近くの蕎麦屋さんで昼食。新蕎麦が美味かった。 ご馳走になってしまいました。 待たせた挙句只管恐縮。ご馳走様でした。
 お近くのご自宅に直行せず、愛車アクテーに付いて行くと、所有されるみかん畑のある高台に着きました。 真下にご自宅とガレージ、眼下に南北に流れる富士川を一望。 真向かいに富士山と愛鷹山を望み、河向こうの製紙工場の煙突が目立つ市内が広がる。 右手(南側)には富士川滑空場(18/36 850m×幅30m)が見える筈だが、橋梁が邪魔で視認出来ず、上空にも機影を見られませんでした。  素晴らしい場所にお住まいです。
坂を下り、先程上から視認出来た「大人の秘密基地」に到着です。  ガレージ前で真っ赤なHONDA・ S800の出迎えを受けました。
  
1. 「絵画・彩雲の引き渡し」
 訪問の最大の目的である三浦画伯の筆となる 『彩雲の夢』 の引き渡しと、記念撮影です。 なお
このタイトルは “彩雲と翔鶴の運用期間が2ヶ月以上ダブっている間に、「翔鶴」か「瑞鶴」の上を飛行した可能性がある?”と想像して名付けられたそうです”。 大村・三浦両氏の夢であります。
 彩雲が大好きな大村さんはご満悦でした。 画伯の解説によると彩雲の尾翼の番号(343-01)は仮ナンバーとの事で、現在河口湖自動車博物館・飛行館にてレストア中の彩雲に付される機体の番号で決められるそうです。 暫く二人の彩雲と翔鶴談義は続きます。 因みに1970年にTSMC会員有志による、一大企画「1/50 翔鶴建造」に関わられた方々は今日何人在籍されているのでしょうか。
  
2. 「旧作と新作とが相まみえる」
 無事に贈呈式が終わると、大村さんは三浦さんが 30年ほど前に制作の「彩雲 343-01 機」を、そして三浦さんは近作の「カットラス」をケースから取り出し制作談義、 話が尽きません。 後ろの書架にはCG誌(カーグラフィック)がずっしりと積み重なっておりました。 ロッカーの書庫もご説明を受けましたが時間がありませんでした。
  
3. 「その曲は・・・メンデルスゾーン作曲の『歌の翼に』 」
 以前大村さんから、二人での合奏を目論んで居られるとは伺って居りましたが、本当でした。 練習スペースはS800を引き出しての場所。 フルートを持つ大村さんは十年ほど前から始められ、レッスンも受けられている本格派です。 片や三浦さんは二年ほど前から始められたバイオリンです。
「ご自宅での練習にクレームの有無は在りや無しや」と伺うと、練習を休むと奥さんから『あなた、練習は? お遣りなさい』 と叱られるそうです。 但しここ二週間は彩雲の仕上げで弾いてなかったそうで、調弦を慎重にされて居られました。
 「歌の翼に」に始まり、懐かしのメロディーが奏でられましたが、本日が初めての合奏だったそうです。 お二人の会話から。 「この楽譜送ったよね」と大村さんが問えば、「頂いてません」と自信たっぷりな三浦さん。 二度三度繰り返されておりました。 独奏で技術を磨き、合奏で楽しさを知る。 自分の為だけに演奏する楽器(口琴や鼻笛)、そして鼻歌もありますが、合奏、合唱こそ音楽の楽しさがある、と私は常々思っております。 お二人のユニット名を思い付きました。 「デュオ・AYAKUMO」 如何でしょうか。
  
 写真は三絃を4弦に替えての三浦さんと、ホームベースで余裕の大村さんとの演奏風景。
4. 「大村さんのF-101」
続いて、私の為にTSMC現役時代の傑作、F-101シリーズ二機を見せて頂きました。
  
 RF-101C と奥はF-101A、 この2作品には面白いエピソードがあったと大村さんが語られました。 TSMC同期の鈴木嵩さんにモックをお貸ししたら、鼻っ先を削られてA型にされてしまったそうです。 しかし好きなRFへの思いを断ち切れず、改めてこのRF-101Cを削られたそうです。 
 何れの作品も正に王道を行くソリッドモデルでした。 一見のっぺりに見える表面ですが、しっかりとパネルラインが細く浅く刻まれています。 昨今のプラモデルのこれでもかという程の墨入れをした深溝は実機を見ていない性だ、又はそれが流行だという見方があり、私は常々嫌気がさしていました。 この作品に接し、モデルの表現技法の原点に触れ安堵いたしました。 F-101A機尾翼の手書きのナンバー32424には脱帽しました。 眼福の極みでありました。
5. 「艦船模型・駆逐艦陽炎型・天津風 1/100 船体のモック」
 受話器の向こうから「船を削っている」と聴かされた時、飛行機とクラシックカーのイメージしか無かった私は耳を疑いました。 今年の十月の頃です。 しかしよく考えると模型を趣味とされる方の多くは「陸海空」の多くに手を染められておられます。 その際にメモに残さなかった為に艦名を陽炎型の不知火と思い込んでしまい、このレポートの筆を起こす際に面目を失ってしまう事になりました。 確認し正解でした。  美しいラインが見事でした。 上甲板の膨らみもしっかりと表現されたそうです。 また上甲板と舷側板との角がくっきりと処理され見事な造形でした。 舷側の板張りの表現はどうなさるのか楽しみです。 銅板、ケント紙・・・、1/100ですから選択肢は広いですね。
  
6. 「大村コレクション’ズ」

その➀ 「TATRA Type-11 (チェコ製)」 
 世界に三台、そして日本にはこの一台しかないという「タトラ」。写真では軽そうに見えるが実にどっしりとして、質感は重い。S44年に私が初めて運転した乗用車はブルーバードP510型だった。 これとTATRAの重量を比較するとTATRA車は680~900 kg。 そしてP510型は915kgとある 現代車はエンジンの重み、クラシック車はボディーの重みなのだろうか。 私は車には全くの門外漢なのでTATRAを語る術はありませんが、「物を作る」と云う見方をすると、先人たちの物作りへの姿勢が伝わってきます。 しゃがんで車体下部を見るとその思いを強くしました。 本来は博物館でしか見られない車体ですが、肌を触り塗料を介して鉄板の厚みを感じ、車内に乗り込み平面ガラス超しに見る前方の景色、ハンドルとシフトに触り夢想、オイルのしみ込んだ機械としての臭い等々。 飛行機とは異なる物作りの姿を楽しめました。
※1923年の生まれ。生きていれば私の父と同輩だ。2005年、この車で国際ラリーに参加し、チェコ国内1,000kmを走破したという。
  

  バックから見る。
  

  車窓から。 大村さんが通る。
  

  エンブレム  左右二本のねじ止め
  

 お終いは真正面から。 ボンネットの幅が狭いが倒立エンジンではなく、空冷水平二気筒のエンジンを有している。
  
その② 「筑波号」 東京自動車製造(株)製 昭和12年製 日本で最初の前輪駆動の量産車。
     残るはこの一台。 無論世界に一台の車です。
 何とも言えず落ち着く少し濃いめのちょっと濁った青色の車体でした。 縦長の大きなフロント・グリルが特徴的です。 TATRA車より車幅が狭く感じますが、実寸は不明です。 左右に懐かしい腕木式方向指示器が付いていますが、ワイヤー式ではなく電動式でした。 乗り込んでみました、 今日の車と異なり、ドアとガラスは平面の垂直の為、頭部は広く感じますが全体に狭っこい印象でした。 シートに現代車のソフト感はありません。 初めての感触です。

  
車軸の中央をジャッキで持ち上げていますが、車輪は浮かせていません。 伺うと隙間があると地震の際に左右に揺れ、ジャッキから落ちるからとの理由です。

  
  三浦さんが乗るとこんな感じ。 狭いか余裕かの判断はお任せしましょう。

  
  内緒で床のシートを捲りました。 木材が見えます。

  
  車窓から大村さんとS800見る。 雰囲気をTATRAと比較してください。

  
  筑波号のエンブレム。 山の形は筑波山を表わしている。 貴重だ。
 
その③ 「HONDA S800M(最終型)」  スポーツカーに乗ったのはハ・ジ・メ・テ。

  
  奥にはレトロな重力式計量器と積み上げた薪の列。 計量器が現役なら消防署からお咎めがあるやもしれません。 何れも赤がお似合いです。

  
  マスクを外したら、サングラスが欲しいと云う三浦さん。 車体が小さく感じます。

  
  私との比較。 ちょっと違うでしょう。

 初乗りに二人とも苦労しました。 外に残した右足が入らず、両手で太ももを抱えて引っ張り押し込めました。 ご覧になっていた大村さんからのアドバイス。「車体中央のプロペラシャフトのトンネルに左手を置いて、身体を持ち上げてから足を入れて、身体を滑り込ませます」とのこと。 確かにスムースですが、格好良く乗り込むには時間を要しそうです。

  
  さぁ、歴史を読み取って下さい。

  
 乗り込んでいると、大村さんがキーを差し込んでくれました。 揺れるキーを見つめながら・・・私には右に捻る勇気は湧きませんでした。 惜しかったぁ。

お終いは、サプライズショット。
  
 帰りがけに見せて頂いたのがこれ。 私には全く無縁の車でした。 お好きな方ならため息が出る事でしょう。 「トヨタスポーツ800」です。 調べたらフロントグリルの形は前期型の様ですね。 この車のレストアは天津風との並行作業でしょうか。

 退出する時刻となりました。 三浦さんは手際よく持ち物を整理されており、私の様にあたふたせずにお別れの区切りを用意されていました。 さらり~と手を振られて車に乗り込まれました。 お二人の長いだけでない呼吸のあったお付き合いを感じながらお別れいたしました。

 大村さん、お誘い下さいましてありがとうございました。 今年の最後を飾る最高の出来事でした。 日誌の五行には余りにも書き足らず、HPにご紹介させて頂きました。  文中の印象や感想は、私個人の拙い感性と文章力の結果です。 平にご容赦願います。 ありがとうございました。 
★プロローグ 「一路車は東に戻る」
 静岡県は東西に長い。 でも横浜市と富士市は時間で二時間も要しない。 近い。 神奈川に入ると陽も落ちて真っ暗だ。  車中は会話の途切れもなく、私の津軽弁も飛び出して二人の会話は到着まで続いた。 マスク越しと滑舌の悪い私との会話は三浦さんには辛かったかな?

六時半、無事に戸塚の自宅に戻りました。 心地よい思いが巡ります。
ともあれ、充実の機会を拵えて頂いた三浦さんに改めてお礼を申し上げ、レポートの終了といたします。

Blue1 こと 小林実でした。

ホーム(Home)  コーヒーブレイク(CoffeeBreak)