無給油で鈴鹿500kmレースを走破


トヨタ・スポーツ800が、モータースポーツ界に残したエピソードは多い。
なかでもマシンの特徴が最大限に生かされる耐久レースなどは、
トヨタ・スポーツ800の格好の”舞台”である。

その代表的なのが1966年の第1回鈴鹿500kmレースだろう。滝進太郎の
ロータス・レーシング・エランをはじめ、フェアレディ1600、スカイラインGT、
ホンダS600という強豪マシンと比べると、トヨタ・スポーツ800は
あまりに非力だった。

ところが、レースになると、トヨタ・スポーツ800は予想に反して快走し、
スタートから好位置につけた。そして、レース後半にはいるころ、
トヨタ・スポーツ800はその持ち味を生かしてトップに立ったのである。

ガス給油のためにピットにたち寄る有力マシン群。各ピットに給油装置が常設
されたのは1967年からだ。したがって、最終コーナーからリーダーボード間に
特設された6基の給油ポンプには各マシンが殺到するかたちになった。

そのため給油に手間どり、有力マシンはいたずらに貴重な時間を失っていた。
そんな光景を横目にみながら、細谷四方洋と田中三夫のトヨタ・スポーツ800は
快走し続けた。レースが終盤を迎えても、一向にピットインする気配のない
トヨタ・スポーツ800勢。ライバル達が焦燥したのも、無理からぬことだった。

結局、トヨタ・スポーツ800勢は無給油のまま勝利を飾る。ストックの31km/L
という燃費はダテではない。トヨタ・スポーツ800は、レーシングスピードで
9km/l近くも走ったというのは驚異的だ。チェッカーフラッグを受けた後も
70Lに増加された燃料タンクには、30%近くの燃料が残されていた。

しかも、タイヤも無交換。もう一度500kmを走れるほど、摩耗がわずかだったのは、
軽量ボディの恩恵といえるだろう。





「1960`S 日本の名車たち」著者:横越光広 グランプリ出版 より転載。 



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