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#677/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18: 6 ( 84)
2V>現代世界憲章 序文
★内容
第2バチカン公会議公文書
------------------------------------------------------------------------
現代世界憲章 CONSTITUTIO PASTORALIS DE ECCLESIA IN MUNDO HUIUS TEMPORIS
------------------------------------------------------------------------
司教パウルス
神のしもべのしもべ
聖なる公会議の諸教父とともに
ことを永久に記念するために

| 序文
| 前置き 現代社会における人間の状態
|
|第一部 教会と人間の召命
| 第1章 人格の尊厳
| 第2章 人間共同体
| 第3章 世界における人間活動
| 第4章 現代世界における教会の任務
|
|第二部 若干の緊急課題
| 第1章 婚姻と家庭の尊さ
| 第2章 文化の発展
| 第3章 経済・社会生活
| 第4章 政治共同体の生活
| 第5章 平和の推進と国際共同体の促進

序文
1(全人類と教会との深い連帯性)
 現代人の喜びと希望、悲しみと苦しみ、特に、貧しい人々とすべて苦しん
でいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、悲しみと苦しみで
もある。真に人間的な事がらで、キリストの弟子たちの心に反響を呼び起こ
さないものは一つもない。それは、かれらの共同体が人間によって構成され
ているからである。かれらはキリストにおいて集まり、父の国への旅におい
て聖霊に導かれ、すべての人に伝えなければならない救いのメッセージを受
けている。したがって、この共同体そのものが人類とその歴史とに、実際に
深く結ばれていることを自覚している。
2(話しかけの相手)
 そこで第2バチカン公会議は、教会の秘義をもっと深く理解するよう努力
した後、今はためらわずに、教会の子らとキリストの名を呼ぶすべての人た
ちばかりでなく、人類全体に話しかけて、現代世界における教会の現存と活
動について、教会自身がどのように考えているかを、すべての人に説明した
いと望むのである。
 公会議はここで、人間の世界、つまり人類全家族とこの家族がその中で生
活している諸現実の総体を思い浮かべている。それは人類の歴史が演じられ
ている舞台であり、人間の努力と失敗と勝利が刻みつけられている世界であ
る。キリスト信者はこの世界が、創造主の愛によって造られ保たれ、罪のど
れいの状態に陥ったが、キリストの十字架の死と復活とによって、「悪しき
者」の権力が破壊され、開放された世界であり、こうして神の計画に従って
改善され、ついには完成に達する世界であると信じている。
3(人間に対する奉仕)
 今日人類は、自分が発見した事がらと自分の力に感動している。しかし、
世界の発展の現状について、全宇宙における人間の位置と役割について、個
人および集団の努力の意義について、さらに事物と人間の究極目的について、
しばしば疑問に悩まされる。
したがって公会議は、キリストによって集められた神の民全体の信仰の証人
および解説者として、これら種々の問題について人類と話し合い、福音の光
に照らしてそれを解明し、聖霊に導かれる教会が、その創立者から授けられ
た救いの力を人類のために提供することは、神の民が属している人類全家族
に対する連帯感と尊敬と愛とを最も雄弁に証明することになると考える。実
際、人間こそ救うべきであり、人間社会こそ刷新すべきである。人間、すな
わち統一であり全体である人間、肉体と霊魂、心と良心、思想と意志を備え
た人間こそ、われわれの全叙述の中心点である。
 それゆえ、この公会議は人間の崇高な召命を宣言し、人間の中に神的な種
子が置かれていることを肯定し、人間のこの召命に相応するすべての人の兄
弟的一致を確立するために、教会の誠意に満ちた協力を人類にささげる。教
会はけっして地上的野心によって動かされているのではない。教会の望むこ
とはただ一つ、すなわち、真理を証明するために、裁くためではなく救うた
めに、奉仕されるためではなく奉仕するために、この世に来たキリスト自身
の仕事を、弁護者である霊の導きのもとに続けることである。

#678/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18: 7 (124)
2V>現代世界憲章 前置き1
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章

前置き
4(現代世界における人間の状態−−希望と不安)
 このような務めを果たすために、教会は時のしるしを探求して、福音の光
のもとにそれを解明する義務を常に持っている。そうすることによって教会
は、人生と来世位の生命の意味、およびこの両者の相互関係について人間が
いだく永久の疑問に対して、それぞれの世代に適する方法をもって答えるこ
とができる。したがって、われわれが寸でいる世界とその来たい、その希望、
その劇的正確と認識し理解する必要がある。ところで、現代世界のおもな特
徴を次のように描写することができる。
 今日、人類史の新しい時代が始まっており、深刻で急激な変革がしだいに
全世界に広まりつつある。人間の知識と創造的努力の挑発によって生じたこ
れらの変革は、人間自身の上に、また個人および団体の判断と欲望の上に、
人と物についての考え方と態度の上に、はね返ってくる。こうして、すでに
真の社会的、文化的変質について論じることができ、それは宗教生活にまで
及んでくる。
 あらゆる発展の危機に際して生じるように、この変質には重大な困難が伴
う。たとえば、人間はその力を大きく広げてゆくが、それをいつも人間の役
に立たせるようにすることができるわけではない。人間は自分の精神の深層
にまで深くはいっていくように努力するが、自分自身については、しばしば
いっそう確信を持てなくなっているように見える。社会生活の法則を徐々に、
もっと明確に発見していくが、社会生活の方向づけについて迷っている。
 人類がこれほどの富と可能性と経済力に恵まれたことは、けっしてなかっ
たが、他方では今もなお地球上の住民の膨大な部分が飢えと欠乏に苦しめら
れ、無数の人が読み書きを知らない。人間が今日ほど自由の精神を強く自覚
したことは、けっしてなかったが、他方では新しい型の社会的、真理的奴隷
が起こりつつある。世界が一つに結ばれていることと、各自が必然的連帯性
に基づいて相互に従属関係にあることについては強く感じているが、他方、
世界は相戦う力の対立によって引きさかれている。事実、政治、社会、経済、
人種、そして主義上の激しい紛争がいまだに続いており、すべてを破壊する
戦争の危険さえある。思想の交流は増しているが、主要な概念を表わすこと
ば自体が、主義の違いによってかなり異なった意味をもたらしている。より
よい地上生活の建設を熱心に追求するが、精神的発展の努力がこれに伴わな
い。
 多くの現代人は、このように複雑な事情に置かれているため、永遠に価値
あるものを正しく見分けることを妨げられ、またそれを、新しく発見された
ことと正しく調和させることができない。その結果、希望と不安との気持ち
をもって、現代の世界のなりゆきについて自問し、不安を抱いている。この
世界のなりゆきは人間に挑戦し、その答えを求め、されにそれを強要する。
5(深刻な変革)
 現代人の精神的同様と生活条件の変革は、もっと広範な変化と関連がある。
すなわち、人間の精神的形成においては数学、自然科学、人間に関する科学
が、そして人間の行動においてはこれらの学問が生み出した技術がますます
重要視されてきたことである。この科学精神は、今までのものとは違う文化
形態と思考様式とを生み出した。科学技術の進歩は地球の表面を変え、宇宙
の征服にまで乗り出した。
 人間理性は時間の上にも、ある意味での支配権を広げた。すなわち、歴史
的知識によって過去を、また推測と計画性によって未来を支配する。生物学、
心理学、社会学の進歩は人間に関する知識を深めるのに役立つばかりでなく、
技術的方法を用いることによって団体生活に直接影響を与える手段を提供す
る。同時に、人類は人口増加の予測とその調節についてますます関心を深め
ている。
 歴史の経過そのものも、動きが早く、かく個人がそれについてゆけないほ
どである。人類社会の未来は一つとなり、もはや過去のように種々の集団に
分かれて、それぞれ別個の歴史を持つようなことはない。要するに人類は、
静止的世界観から動的・進化的世界観に移行したのである。そこから膨大で
複雑な、新しい課題が生じ、それは新たな分析と総合とを要求している。
6(社会秩序の変革)
 同じように、族長的家族、氏族、種族、部落などの伝統的な地方共同体や
種々の集団、社会関係などは、ますます大きく変革を経験しつつある。
 工業形態の社会がしだいに広まり、それはある国々を経済的に富裕にさせ、
数世紀以来続いてきた社会生活の概念と条件とを根本的に変えつつある。同
様に、都市と都市生活者の増加によっても、また都会生活の農村地方への進
出によっても、都会文明とその魅力が増大している。
 ますます進歩する新しいマス・コミの手段は事件の報道に寄与し、多くの
連鎖反応を呼び起こしながら、思想や意見を極めて迅速広範に普及させる。
 またいろいろな理由から、おっくの人が移住を余儀なくされて、生活様式
を変えなければならなかった事実も軽視してはならない。
 このように人と人との関係が絶えず増加すると同時に、「社会化」そのも
のも新しい関係を生み出すが、それは必ずしも人格の完成と真の人格的関係
(「人格化」)を促進させるものではない。
 このような進化は、経済と技術の進歩による繁栄をすでに享受している国
々においてはいっそう明らかに見られるが、その動きは、工業化と都会化の
恩沢によくすることを望む発展途上国の国々にも見られる。同時に、これら
の国民、特に古い伝統を持つ国民は、いっそう円熟した、より人格的な方法
で自由を行使したいとの動きを示している。
7(心理的、道徳的、宗教的変革)
 人間の考え方と社会構造との変革は、これまで受けついできた諸価値につ
いて、しばしば疑問を起こさせる。特に若い人たちの間にそれが強く、かれ
らはときどき我慢できなくなり、不安にかられて反抗的にさえなり、社会生
活における自分たちの重要性を自覚しているので、もっと早く社会において
自分たちの役割を持ちたいと望む。この結果、親や教師たちがその任務を遂
行するにあたって、日増しにいっそう大きな困難に遭遇することもまれでは
ない。
 祖先から伝えられた制度、法律、考え方、物の見方は、現在の事態に常に
よく適応しているとは思われない。そこで、行動とその基準について重大な
混乱が生じる。
 さらに、新しい諸事情は宗教生活にも影響する。一方では、批判力の発達
は世界についての魔術的な考え方や、今もなお残っている迷信を宗教から排
除し、日増しにもっと人格的で活動的な信仰を要求する。こうして、多くの
人は、神について、もっといきいきした認識を持つようになる。
ところが、他方では、宗教の実践から離れてゆく群衆の数はますます増加し
ている。過去の時代と違って、神または宗教を否定または無視することは、
もはや例外的、個人的なことがらではなくなった。すなわち今日では、それ
は科学的進歩もしくは新しい人間主義の必然的要請であると考えられること
が少なくない。これらすべてのことは、多くの地域において、哲学者の学説
の中で述べられるばかりでなく、広く文学、芸術、人文科学と歴史の解釈、
法律に影響を及ぼし、その結果、多くの人が動揺している。

#679/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18: 8 (107)
2V>現代世界憲章 前置き2
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章
前置(続)
8(現代世界の不均衡)
 このような急激な、しばしば無秩序に行われた変革と、さらに世の中に見
いだされる不調和についての鋭い意識とは、矛盾と不均衡を生み、または増
大させている。
 人間の内部においては、現代的実践理性と理論的思考との間に、しばしば
不均衡が生じ、理論的思考は知識の総体を統制することも、満足できる体系
に総合することもできない。同様に、実用的能率のための配慮と道義心の要
請との間、そして集団生活の条件と個人的思考、さらには観想のために必要
な条件との間に、たびたび不均衡が生じている。なお人間活動の専門化と物
事についての総合的展望との間に不均衡が生じている。
 家庭内にも、人口的・経済的・社会的諸条件の重圧や、異なった世代の間
に起こる衝突や、男女間の新しい社会関係から不均衡が生じている。
 諸民族の間、社会の諸階層の間、富んでいる国とそうでない貧しい国との
間、さらには平和を求める諸国民の願いから生まれた国際機関とイデオロギ
ー宣伝の野心または国家や団体の集団的利己主義との間に、大きな不調和が
生じている。
 これらの結果として、相互不信と敵意、争いと惨禍が生じる。人間自身が
それらの原因であると同時に被害者である。
9(人類共通の願い)
 その間にも、人類は造物界に対するその支配権をますます強固にすること
ができ、またそうしなければならないとの確信が強まっている。そのうえ、
人間にもっと役立ち、また個人や集団が自分の尊厳を維持し発展させること
を助ける政治的・社会的・経済的秩序を制定でき、またそうしなければなら
ないとの確信が強まっている。
 したがって、多くの人は不正または不公平な配分によって自分たちから富
が搾取されたという意識を強く持ち、その返還を激しく要求している。新興
独立国のように発展途上にある国は、政治面だけでなく経済面においても現
代文明の恩沢に浴することと、自分の役割を世界において自由に演じること
を望んでいる。
しかし、これら発展途上にある諸国と他の富んでいる諸国との間では、後者
の発展速度のほうが早いため、両者の間隔はますます広がっているとともに、
しばしば前者の後者に対する依存度は経済面においても、男女同権がまだ実
施されていない所では、婦人たちはそれを要求している。
工業労働者と農業労働者は生活費をかせぐばかりでなく、労働を通して人間
を豊かにすること、さらに経済・社会・政治・文化生活の組織化に参加する
ことを望んでいる。現在、人類史において初めて、文化の恩沢は実際にすべ
ての人に及ぶことができ、また及ぼさなければならないとの確信をあらゆる
国民が持っている。
 これらすべての要求の中には、もっと深い、もっと一般的な期待が秘めら
れている。すなわち、個人も集団も、人間にふさわしい満ち足りた自由な生
活、現代世界が人間に豊かに提供するあらゆる可能性を利用できる生活を渇
望している。そのうえ、諸国家は一種の人類共同体を作ろうと懸命に努力し
ている。
 このように見てくると、現代世界は強力であると同時に無力であり、最善
と最悪の可能性を持ち、自由と屈従、進歩と退歩、友愛と憎しみのいずれに
も道が開かれている。そのうえ、人間は、自分が発明した力が人間を苦しめ
ることも人間に仕えることもでき、それを正しい方向に向けることは自分の
責任であると自覚している。そこで人間は自問する。
10(人類の大きな疑問)
 事実、現代世界が悩んでいる不均衡は、人間の心の中に根を張っている根
本的な不均衡と関連がある。事実、人間自身の中には多くの要素が互いに対
立している。人間は、一方では被造物として多くの面において自分の限界を
体験するが、他方では人間の欲求には限りがなく、また、もっとすぐれた生
活へ招かれていることを感じる。人間は多くのいざないに引かれるため、い
つも選択と放棄とを余儀なくされる。さらに、人間は弱く、罪びとであるた
め、望まないことを行い、望むことを行わないことさえ珍しくない。
要するに、人間は自分自身の中に分裂をかかえていて、そのため社会の中に
多くの不和が生じるのである。なるほど実際上の物質主義に染まっている多
くの人は、このような劇的状況をはっきり理解することができないし、また、
不幸に押しつぶされている人々はこのようなことについて考えることを妨げ
られている。多くの人は存在に関するさまざまな解釈の中に、心の平和を見
いだしたと考えている。ある人々は人類の真の完全な開放を人間の努力だけ
に期待し、地上における未来の人間王国が心のすべての願いを満足させてく
れると信じている。
他の人々は人生の意義について失望し、人生自体には意味がないと考えて、
自分の才能だけによって人生にすべての意味を与えようと努力する人々の勇
敢さをたたえる。しかし、発展する世界の現状を前にして、次のような最も
基本的な質問をする人、あるいはそれを新しい鋭さをもって感じる人の数が
日増しにふえている。人間とは何か。偉大な進歩にもかかわらず、今もなお
残っている苦しみ、悪、死の意味は何か。大きな代償を払って獲得した勝利
は難のためになったか。人間は社会に何をもたらすことができるか。社会か
ら何を来たできるか。この地上生活の後に何が続くのか。
 教会は、人間がその最高の召命に答えることができるよう、万人のために
死んで復活したキリストが、その霊を通して人間に光と力を与えること、ま
たキリストの名のほかには、人間を救うことのできる名は天の下において人
間に与えられなかったことを信じる。同様に教会は全人類史の鍵、中心、目
的が、主であり師であるキリストに見いだされることを信じる。教会はなお、
あらゆる変革の中に多くのものが変わらず、それらは究極的には、昨日も今
日も、そして永久に存在するキリストの中にその基本を持っていることを信
じる。
したがって公会議は、見えない神の像、全被造物の長子であるキリストの光
のもとに、人間の神秘に光をあて、現代の主要な諸問題の解決の発見に協力
するために、すべての人に語りかけようと望むのである。
..

#680/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18: 9 ( 27)
2V>現代世界憲章1<教会と人間の召命>
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章
第1部 教会と人間の召命
11(霊の呼びかけに対する答)
 神の民は全世界に満ちている主の霊によって自分が導かれていることを信
じて、他の人々とともに自分も参加している現代のできごと、必要、要求の
中に、この信仰に基づいて、神の現存または神の計画の真のしるしを見分け
ようと務める。実際、信仰は新しい光をもってすべてを照らし、人間の十全
な召命についての神の意向を現わし、したがってほんとうに人間的な解決に
精神を向けさせる。
 公会議はまず第一に、今日特に高く評価されているような諸価値を、信仰
の光のもとに判断し、その源泉である神に関係づけようと考える。これらの
価値は神が人間に与えた才能から産み出されたものである限り、非常によい
ものであるが、人間の心の腐敗によって、それらが正しい秩序からはずされ
ることも稀ではない。そこで浄化が必要となる。
 教会は人間についてどう考えるか。現代社会の建設のためには何を推薦し
なければならないか。世界における人間活動の究極的意味は何か。人々はこ
れらの問題に対する解答を期待している。この解答から人類とその中にいる
神の民とは互いに奉仕し合うものであることが明かとなり、その結果、教会
の使命が宗教的なものであり、それゆえにすぐれて人間的なものであること
が明らかになるであろう。

#681/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:10 (142)
2V>現代世界憲章1・1 人格の尊厳1
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第1部 教会と人間の召命
第1章 人格の尊厳
12(神の像である人間)
 地上に存在するあらゆるものは、その中心および頂点である人間に秩序づ
けられなければならないということについて、信ずる者も信じない者も、ほ
とんど意見が一致している。
 しかし、人間とは何か。人間自身については、多種多様の説、対立する説
さえも、となえられたし、現在もとなえられている。これらの説は、しばし
ば、あるいは人間を絶対規範として祭り上げ、あるいは絶望におとしいれる
ものであって、結果として、疑問と不安が残る。教会はこのような困難を理
解し、神の啓示を受けたものとして、人間の真実の状態を述べ、その弱さを
解説するとともに、人間の尊厳と召命を正しく示すことによって解答をもた
らすことができる。
 聖書は、人間が「神の像」としてつくら、創造主を知り愛することができ
るものであって、地上の全被造物を支配し利用して神に栄光を帰するよう、
神によってそれらの上に主人として立てられたものであることを教えている。
「あなたが思い出してくださる人間、それは何者ですか。あなたが訪問して
くださる人間の子、それは何者ですか。あなたは天使よりも少し小さいもの
として人間をつくり、栄光と栄誉の冠を与え、あなたの手によってつくられ
た物の上におき、万物を人間の足の下におかれた」(詩編 8:5-7)。
 しかし、神は人間を孤独なものとしてつくったのではない。神は最初から
「人間を男と女につくった」(創世記 1:27)のであり、かれらの教導生活は
人格的交わりの最初の形態である。人間はその深い本性から社会的存在であ
り、他人との関係なしには生活することも才能を発揮することもできない。
 再び聖書にしるされているように、神は「つくったすべてのものを見た。
それらは、非常によいものであった」(創世記 1:31)。
13(罪)
 人間は神によって義の中におかれたが、悪霊に誘われて、歴史の初めから、
自由を乱用し、神に対立し、自分の完成を神のほかに求めた。神を認識した
にもかかわらず、神に栄光を帰することをしなかった。人間の心は曇って無
知となり、人々は創造主よりも被造物に仕えた。神の啓示によって知らされ
るこれらのことは、人間の経験と一致する。すなわち、人間は自分の内心を
見つめてみれば、自分が悪に傾いており、多種多様の悪の中に沈んでいるこ
とを発見する。それらの悪が、人間の創造者である善なる神から来ることは
できない。人間は、しばしば神を自分の根源として認めることを拒否し、ま
た自分の究極目的への当然の秩序ならびに自分自身と他人と全被造物とに対
する調和を乱した。
 したがって、人間は自分の中で分裂している。こうして人間の全生活は、
個人的にも団体としても、善と悪、光とやみの間における劇的な戦いとして
現われる。むしろ人間は、自分自身の力で悪の攻撃を効果的に退けることが
できないきとを発見し、各自が鎖で縛られているように感じる。しかし、人
間を開放し力づけるために、主自身が来て人間を内部から再生し、人間を罪
の奴隷として捕らえていた「この世のかしら」(ヨハネ 12:31)を外に追い出し
た。実に罪は人間そのものを弱くし、人間をその完成から遠ざける。
 この啓示の光によって、人間が経験する崇高な召命と深刻な悲惨との究極
的な理由が明らかになる。
14(人間の構成)
 肉体と霊魂から成り立っているが、一つのものである人間は、肉体的なも
のとして物質界の諸要素を自分の中に集約している。その結果、物質界は人
間を通してその頂点に達し、人間を通して創造主の賛美の歌を歌うのである。
したがって、肉体の生活を軽蔑することは許されない。反対に、肉体は神に
よってつくられ、最後の日に復活するものであるから、良いもの、栄誉に値
するものとして取り扱わなければならない。しかし、罪によって傷ついてい
る人間は、肉体の反抗を体験する。人間の尊厳そのものが、肉体においても
神を賛美し、内心の悪い傾向に肉体を仕えさせないようにすることを要求し
ている。
 しかし、人間は自分が肉体的な物よりすぐれており、自然の一部または人
間社会の無名の一要素でないと考えるとき、まちがってはいない。人間はそ
の内面性によって全物質界を超越している。人間が内心をふり返るとき、こ
の深遠に帰るのである。人間の心の中には、人々の心を見通す神が待ってお
り、人間は心の中で、神の目のもとで自分の将来を決定する。したがって、
自分の中に不滅の霊的な魂を認めるとき、人間は単なる物質的、社会的条件
に基づく偽の想像にごまかされているのではなく、かえって実在の深い真理
そのものに達するのである。
15(知性の尊さ、真理、英知)
 神の知恵の光にあずかる人間は、自分の知性によって全物質界を超越する
という判断は正しい。諸世紀を通して人間は熱心に才能を働かせて、実証科
学、技術、芸術を発展させた。現代においては、特に物質界の研究と支配に
関して、すばらしい成果をおさめた。しかし、人間は常にもっと深い真理を
求めたし、また発見した。事実、人間の知恵は現象の観察だけに限定されて
いるのではなく、罪の結果として、いくらか曇りがあり弱められているが、
真の確信をもって実在の認識に到達することができる。
 なお、人間の知的本性は英知によって完成されるし、また完成されなけれ
ばならない。英知は人間の精神を真と善を求め愛するように、やさしく引き
寄せる。そして人間は英知に満たされて、見えるものを通して見えないもの
に導かれる。
 人間が新しく発見するあらゆることを、もっと人間的なものにするために、
現代は過去の時代にもまして、このような英知を必要としている。もっと英
知のある人々が出て来なければ、世界の将来は危険である。なお、経済的に
貧しくても英知に富んでいる国は、他の国に大きな福祉を提供できることを
指摘すべきである。
 聖霊のたまものによって、人間は信仰のうちに神の計画の秘義を観想し、
味わうようになる。
16(良心の尊厳)
 人間は良心の奥底に法を見いだす。この法は人間がみずからに課したもの
ではなく、人間が従わなければならないものである。この法の声は、常に善
を愛して行ない、悪を避けるよう勧め、必要に際しては「これを行なえ、あ
れを避けよ」と心の耳に告げる。人間は心の中に神から刻まれた法をもって
おり、それに従うことが人間の尊厳であり、また人間はそれによって裁かれ
る。良心は人間の最奥であり聖所であって、そこでは人間はただひとり神と
ともにあり、神の声が人間の深奥で響く。良心は感嘆すべき方法で、神と隣
人に対する愛の中に成就する法をわからせる。良心に対する忠実によって、
キリスト者は他の人々と結ばれて、ともに真理を追求し、個人生活と社会生
活の中に生じる多くの道徳問題を真理に従って解決するよう努力しなければ
ならない。正しい良心が力をもてば、それだけ個人と団体は盲目的選択から
遠ざかり、客観的倫理基準に従うようになる。打ち勝つことのできない無知
によって、良心が誤りを犯すこともまれではないが、良心がその尊厳を失う
わけではない。ただしこのことは、真と善の追求を怠り、罪の習慣によって、
しだいに良心がほとんど盲目になってしまった人にあてはめることはできな
い。
17(自由の尊さ)
 しかし、人間は自由でなければ善を指向することはできない。現代人はこ
の自由を大きく表かし、熱烈に求めている。確かにそれは正しいことである。
ところが、かれらはしばしば自由を放縦とはきちがえて、楽しければ何をし
てもよいし、悪でさえもかまわないとする。しかし、真の自由は人間の中に
ある神の像のすぐれたしるしである。神は、人間がすすんで創造主を求め、
神に従って自由に完全で幸福な完成に到達するよう、人間を「その分別に任
せること」を望んだ。したがって人間の尊厳は、人間が知識と自由な選択に
よって行動することを要求する。このような選択は人格としての内面的な動
機に基づくものであって、内部からの盲目的本能や外部からの強制によるも
のであってはならない。このような尊厳は、人間が情欲のあらゆるとりこの
状態から自分自身を開放し、自由に善を選択することによって、自分の目的
を追求し、効果的に巧みに適切な手段を選ぶことの中に見いだされるのであ
る。しかし、罪によって傷つけられている人間の自由は、神の恵みによって
助けられなければ、神への指向を完全に行動に移すことはできない。そして
人間はそれぞれ、神のさばきの庭に、自分が行った善徳について生涯の決算
報告を提出しなければならない。
..

#682/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:11 ( 93)
2V>現代世界憲章1・1 人格の尊厳2
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第1部 教会と人間の召命
第1章 人格の尊厳(続)
18(死の神秘)
 死を前にして、人間の条件についての謎は頂点に達する。人間は苦痛と漸
進する肉体の消耗だけでなく、永久の消滅の恐れによって、もっと苦しめら
れる。人間が自己の完全な破壊と決定的な消滅をきらい、退けるとき、心の
本能によるこの判断は正しい。人間の中にある永遠なものの種は、物質だけ
に還元できないものであるため、死に対して立ち上がるのである。あらゆる
技術的進歩は有用であるが、人間の不安を解消することはできない。生物学
的年齢が延長しても、人間の心にしっかり根を張っている後生の願いを満足
させることはできない。
 死を前にして、すべての想像は消え去るが、教会は神の啓示に基づいて、
神が人間を地上の悲惨の限界を超えた幸福な目的のために創造したと断言す
る。そのうえ、肉体的な死は、人間が罪を犯さなかったならばそれを免れた
はずであって、罪のために失われた救いが、全能で慈悲深い救い主によって
再び人間に返されるとき、死は打ち負かされると、キリスト教信仰は教える。
神は人間がその全存在をあげて、神の朽ちることのない生命の交わりにおい
て永遠に神に一致するよう人間を招いている。キリストは自分の死によって
人間を死から解放して生命によみがえったとき、この勝利を獲得した。した
がって、確固とした論証によってささえられている信仰は、すべての考える
人に人間の将来に関する不安についての解答を与える。同時に信仰は、すで
に死者となった愛する兄弟たちとキリストにおいて交わる可能性を提供し、
かれらが神のもとで真の生命を得ているとの希望を与える。
19(無神論の諸形態とその根源)
 人間が神への交わりに召されているということが、人間の尊厳の最も崇高
な面である。人間はすでにその存在の初めから、神との対話に招かれている。
事実、人間が存在するのは、愛によって神から造られ、愛によって神から常
にささえられているからである。神の愛を自由をもって認めて創造主に自分
を託さなければ、人間は真理に基づいて充実して生きているとは言えない。
しかし、現代人の多くは神とのこのような生命的な深い結びつきをまったく
理解しないか、あるいは明らかに排除する。したがって、無神論は現代の最
も重大な課題の一つに数えるべきものであり、真剣に検討されなければなら
ない。
 無神論という用語は、相互に大きく異なった種々の現象をさしている。明
らかに神を否定する人もあれば、人間は神についてまったく何も言うことが
できないと考える人もある。また、ある人々は、神に関する問題は意味がな
いと思わせるような研究方法を用いてこの問題を取り扱う。
多くの人は不当にも実証科学の分野を超えて、あるいは万事が科学理論だけ
で説明できると主張し、あるいは反対に、どのような絶対的真理も完全に否
定する。
ある人たちは人間をあまりにも礼賛しすぎるために、神への信仰が無気力に
なってしまうが、これは神の否定よりは、人間の肯定に力を入れすぎである
と思われる。
ある人々は神の問題を取り上げようとしないが、それは宗教的不安を感じな
いと思われ、また、なぜ宗教について関心を持たなければならないかが理解
できないからである。そのほか、世の罪悪に対する激しい反発から、また、
ある人間的価値を不当に絶対視して神格化することからも無神論が生じるこ
とがまれではない。現代文明そのものも、その本質からではないが、あまり
にも地上の事がらに夢中であるために、しばしば神への接近をいっそう困難
にすることがある。
 確かに、意識的に自分の心から神を締め出し、宗教問題を避けようと努め
る人々は、良心の命令に従わない人々であって、あやまちを免れることはで
きないが、このことについては信仰者自身にも、しばしばある意味で責任が
ある。全体的に考察して、無神論は自発的に発生したものではなく、いろい
ろの原因から生じたのであり、その中には、諸宗教に対する、そしてある地
域においては特にキリスト教に対する批判的反動も含まれている。したがっ
て信仰者が無神論の発展に小さくない役割を演じていることもある。すなわ
ち、信仰者は、信仰についての教えの怠慢、まちがった教理の解説、なお宗
教的、道徳的、社会生活における欠点によって、神と宗教の真の姿を示すよ
りは、かえって隠すと言うべきである。
20(体系としての無神論)
 現代無神論は、たびたび体系としての形態をも取る。このような無神論は
他の種々の理由のはかに、人間の自主性を強調しすぎるため、神に対するい
かなる従属にも反対する。このような無神論を主張する人は、人間が自分を
自分自身の目的であるとすること、自分を歴史の唯一の制作者、創作者とす
ることが自由であると言う。彼らは、この見方が万物の創造主であり目的で
ある神の肯定と両立できないし、少なくとも、このような肯定をまったく無
意味なものにすると主張する。現代の技術的進歩が人間にもたらす権力感は、
このような説を励ますのである。
 現代無神論の諸形態の中で、特に経済的、社会的解放によって人間解放を
期待する無神論を見過ごしてはならない。この説によれば、宗教は死後の偽
りの生命への希望をいだかせることによって、人間を地上の国の建設からわ
き道にそらせるものであり、本質的に人間解放を妨げるものである。したが
って、このような説の主張者が国家の統治権を掌握するとき、宗教をきびし
く弾圧し、特に青少年の教育に、公権がもっている圧力手段さえ用いて無神
論を宣伝する。

#683/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:13 (119)
2V>現代世界憲章1・1 人格の尊厳3
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第1部 教会と人間の召命
第1章 人格の尊厳(続)
21(無神論に対する教会の態度)
 神にも人間にも忠実に仕える教会は、人間の理性と共通の経験に反し、ま
た人間をその本来の高貴さから引きずりおろすこれらの有毒な理論と実践を、
過去において糾弾したと同様に、今も悲しみをもって、しかも断固として糾
弾することをやめることはできない。
 しかし、教会は無神論者たちの心の中に隠れた神否定の理由を発見しよう
と努力する。そして無神論が提起する問題の重大性を認識し、またすべての
人に対する愛にかられて、これらの問題を真剣に深く検討すべきであると考
える。
 神を認めることは、人間の尊厳にけっして反するものではないと教会は主
張する。人間の尊厳は神自身の中に基礎をもち、また神において完成される
ものだからである。すなわち、創造主である神によって知性をもつ自由な社
会的存在としてつくられた人間は、神のこどもとして神との交わりと神の幸
福にあずかるよう呼ばれているからである。なお教会は、終末的希望が地上
の諸活動の重要性を弱めるものでなく、かえって新しい動機によってその遂
行をささえるものであると教える。これに反して、神に基礎を置かず、また
永遠の生命に対する希望が欠けているときには、今日しばしば見うけるよう
に、人間の尊厳はひどく傷つけられ、生と死、罪と苦しみの謎は解けず、そ
の結果、絶望に陥る人も少なくない。
 この間にも、すべての人にとって、自分自身はばく然と感じられた未解決
の問題として残る。事実、ある時機に、解くに人生の重大なできごとに遭遇
するときには、なにびとも、前に述べたような疑問を避けることはできない。
神だけが、この疑問に完全な確実性のある解答を与えることができる。神は
いっそう高い認識と、さらに謙虚な探求とに人間を招いている。
 無神論の対策としては、教会の教えを正しく述べることと、教会およびそ
の構成員の生活を純粋にすることを求めなければならない。聖霊の導きのも
とに絶えず自分を改め清めながら、父なる神と受肉したその子とを現存する
もの、あたかも目に見えるものとすることが教会の努めである。それはまず
初めに、円熟した生きた信仰のあかし、すなわち、困難をはっきり見分けた
うえで、それに打ち勝つことができるように教育された信仰のあかしによっ
て行われる。多くの殉教者がこのような信仰のすばらしいあかしを与えたし、
また与えている。この信仰は俗生活をも含めて、信者の全生活にゆきわたり、
特に貧しい人々に対する正義と愛に信者をかりたてることによって、その豊
かさを現わさなければならない。さらに神の現存を現わすためには、福音の
信仰のために心を一つにして協力し、自分たちを一致のしるしとして示す信
者たちの兄弟的一致が最も役立つ。
 教会は無神論を完全に排斥するが、信ずる者も信じていない者も、すべて
の人が、ともに生活しているこの世界を正しく建設するために尽力すべきこ
とを真心をこめて主張する。これは真心のある慎重な話し合いなくしてはあ
り得ない。したがって教会は、ある国家権力者たちが人格の基本的権利を認
めず、不正にも信ずる者と信じていない者との間に差別待遇を設けているこ
とを抗議する。そして、この世においても神の殿堂を建設することのできる
実際の自由を信ずる者のために要求する。なお無神論者に対しては、キリス
トの福音を客観的に考察するようていねいに招く。
 人間の召命の尊厳を守り、人間の崇高な未来について絶望した人々に再び
希望をもたらすとき、教会のメッセージが人間の心の奥底にある望みと合致
していることを、教会はよく知っている。教会のメッセージは人間の価値を
下げるものではなく、光と生命と自由を与えて、人間の発展に貢献するもの
であり、このメッセージ以外には人間の個々とを満足させることができるも
のはない。主よ、「あなたは、わたしたちをあなたに向けてつくりました。
あなたの中にいこうまでは、わたしの心は落ち着きません」。
22(新しい人・キリスト)
 実際、受肉したみことばの秘義においてでなければ、人間の秘義はほんと
うに明らかにならない。事実、最初の人間アダムは、未来の人間、すなわち
主キリストの予型であった。最後のアダムであるキリストは、父とその愛の
秘義の啓示によって、人間を人間自身に完全に示し、人間の高貴な召命を明
らかにする。したがって、前に述べた諸真理がキリストにその根源を見いだ
し、頂点に達することは、少しも不思議ではない。
 「見えない神の像」(コロサイ 1:15)であるかた自身が完全な人間であり、
最初の罪以来ゆがめられていた神の似姿をアダムの子らに復旧した。人間性
はキリストの中に取り上げられたのであって、消滅したのではない。このこ
と自体によって、人間性はわれわれにおいても崇高な品位にまで高められた
のである。事実、神の子は受肉によって、ある意味で自分自身をすべての人
間と一致させた。キリストは人間の手をもって働き、人間の知性をもって考
え、人間の意志をもって行動し、人間の心をもって愛した。かれは処女マリ
アから生まれ、真実にわれわれのひとりとなり、罪を除いては、すべてにお
いてわれわれと同じであった。
 汚れない小羊であるキリストは、自分の血を自発的に流すことによって、
われわれのために生命を獲得した。キリストにおいて、神はわれわれを自分
と和睦させ、また、われわれの間に和解をもたらし、悪霊と罪との奴隷状態
からわれわれを救いだした。その結果、われわれ各自は、使徒とともに神の
子は「私を愛し、わたしのために自分を渡した」(ガラテヤ 2:20)と言うこと
ができる。キリストはわれわれのために苦しみを受けることによって、われ
われがその跡を踏むよう模範を示したばけりでなく、新しい道を開いた。わ
れわれがこの道に従うならば、生と死は聖化され、新しい意味をもつものと
なる。
 キリスト者は、無数の兄弟の中の長子である子の姿に似たものとなり、愛
の新しいおきてを守ることを可能にする「霊の初物」(ロマ 8:23)。「相続の
保証」(エフェソ 1:14)であるこの霊によって、人間全体は「肉体の復活」
(ロマ 8:23)に達するまで内面的に刷新される。「死者の中からイエズスを
よみがえらせた神の霊があなたがたの中に住んでいるならば、死者の中から
イエズス・キリストをよみがえらせた神は、あなたがたの中に住むその霊に
よって、あなたがたの死すべき肉体にも生命を与えるであろう」(ロマ 8:11)。
多くの苦難を通して悪と戦い、死を堪え忍ぶことは、確かにキリスト者にと
って必要であり義務である。しかし、復活の秘義に結ばれ、キリストの死に
似た姿となるキリスト者は、希望に力づけられて復活に向かって進であろう。
 このことはキリスト信者ばかりでなく、心の中に恩恵が目に見えない方法
で働きかけているすべての善意の人についても言うことができる。事実、キ
リストはすべて人のために死んだのであり、人間の究極的召命は実際にはた
だ一つ、すなわち神的なものである。したがって、われわれは神だけが知っ
ている方法によって、聖霊が復活秘義にあずかる可能性をすべての人に提供
すると信じなければならない。
 キリストの啓示が信ずる者に照らしだす人間の秘義は、このように偉大な
ものである。したがって、苦しみと死の謎は、キリストにより、キリストに
置いて解明されるが、キリストの福音がなければ、われわれを押しつぶして
しまう。キリストは復活し、その死をもって死を破壊し、われわれに生命を
与えた。こうして、われわれは子において子となり、霊において、父よ、と
叫ぶことができる。
..

#684/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:14 (131)
2V>現代世界憲章1・2 人間共同体1
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第1部 教会と人間の召命
 第2章 人間共同体
23(公会議の意図)
現代世界の様相の主要なものの一つとして、人々の相互関係の多様化があげ
られ、現代技術の進歩はその発展に大いに寄与している。しかし、人間同士
の兄弟的話し合いは、このような技術的進歩の段階においてではなく、もっ
と深い人格的な交わりの段階において完成されるものであり、そのためには、
人間の精神的尊厳を十分に相互に尊敬することが要求される。キリストの啓
示はこのような人格的交わりの促進に大いに貢献するものであるとともに、
創造主が人間の精神的、倫理的本性に刻み付けた社会生活の諸法則について
のいっそう深い理解にわれわれを導く。
 教会の教導権による最近の諸文献は、人間社会についてのキリスト教的教
説を広範に叙述しているので、公会議は単に、その中の主要な真理を思い起
こさせ、啓示の光のもとにそれらの根拠を解明する。さらに、現代において
特に重要な意味をもつ若干の関連事項について詳しく述べる。
24(人間の召命の共同体性格)
 すべての人について父として配慮する神は、すべての人間が一つの家族を
構成して相互に兄弟の精神をもって接することを望んだ。事実、すべての人
は神の像として創造されたのであり、神は「一つの根源から出た全人類を地
の全面に住むように」(使徒 17:26)させたのであって、人はすべて唯一同
一の目的、すなわち神自身をめざすよう呼ばれている。
 したがって、神と隣人とに対する愛は第一の、そして最大のおきてである。
聖書は神に対する愛を隣人愛から切り離すことができない教えている。
「・・・他のすべてのおきては、『なんじの隣人を自分のように愛せよ』と
のことばに要約される。・・・したがって法の完成は愛である」(ロマ 13:9-
10、ヨハネ 4:20)。このことは、ますます相互に依存するようになってゆく人間
にとって、また、日増しに一つになってゆく世界にとって、最も重要である
ことは明白である。
 なお主イエズスは、「われわれが一つであるように・・・・すべての人が
一つになるように」(ヨハネ 17:21-22)と父に祈ったとき、人間理性が達する
ことのできない視野を示したのであって、三位の神格の一致と、真理と愛に
おける神の子らの一致との間の、ある類似をほのめかしている。この類似は、
そのもの自体のために神が望んだ地上における唯一の被造物である人間が、
自分自身を無私無欲の気持ちで与えなければ、完全に自分自身を見いだせな
いことを表わしている。
25(人間と社会の相互依存)
 人間の社会的性質は、人間の進歩と社会の発展とが相互に依存しているこ
とを示している。事実、人間(ペルソナ)はその本性上、どうしても社会生
活を必要とするものである。そのため、あらゆる社会制度の起源、主体、目
的は人間であり、また人間でなければならない。社会生活は人間に追加され
たものではない。したがって、人間は他人との交流、相互奉仕、兄弟たちと
の話し合いを通して自分のあらゆる才能を伸ばし、自分の召命に答えること
ができる。
 人間の発展に必要な社会的結びつきの中で、あるものは家庭や政治共同体
のように、人間の深遠な本性にもっと直接に適応するものであり、あるもの
はむしろ自由意志に基づくものである。現代においては種々の原因によって、
相互連帯と相互依存はますます多様化し、その結果、公法なたは私法上のい
ろいろな会や制度がつくられている。社会化と呼ばれるこの現象は、危険が
ないわけではないが、人間の才能の肯定と発展のため、また人間の権利を擁
護するために多くの有利な条件を提供してくる。
 しかし、人間は宗教的召命を含む自分の召命を成就するために、社会化ら
多くのものを受けとるが、人々は子供のときから自分が育ち生活してきた社
会環境によって、しばしば善から遠ざけられて悪に押しやられることを否定
できない。確かに、頻繁に起こる社会秩序の乱れは、一部は経済・政治・社
会形態の緊張によるが、根本的には人間の高慢と利己主義に基づくものであ
って、これらは社会環境をも退廃させる。ものの秩序が罪の結果によって腐
敗している所では、生まれつき悪に傾きやすい人間は、罪への新たな扇動を
感じるものであり、恩恵の助けと熱心な努力なしにはこれに打ち勝つことが
できない。
26(共通善の促進)
 相互依存が日増しに緊密になり、徐々に世界に広がっていくことによって、
共通善−−−すなわち集団とその構成員とが、より完全に、いっそう容易に
自己の完成に達することができるような社会生活の諸条件の総体−−−は、
今日ますます世界に広がりを持つものとなる。その結果、人類全体に関する
権利と義務を含む者となった。どの集団も他の集団の必要と正当な要求、さ
らには人類家族の旧通善を考慮しなければならない。
 しかし、これと同時に、人間のすぐれた尊厳についての自覚も増している。
人間はあらゆる物にまさるものであり、その権利と義務は普遍的で、侵すこ
とのできないものだからである。したがって、真に人間らしい生活を送るた
めに必要なすべてのことを、人々が手に入れやすいようにしなければならな
い。それらは、たとえば食料、衣服、住居、身分選択の自由と家庭をつくる
ことに関する権利、教育に関する権利、労働の権利、名誉と尊敬に関する権
利、適正な報道に関する権利、自己の正しい良心に従って行動する権利、私
生活を守る権利、信教の自由をも含む正当な自由に対する権利などである。
 それゆえ、社会秩序とその発展は、常に人間の福祉に奉仕すべきものであ
る。事物の秩序は人間の秩序に従属すべきであって、その反対であってはな
らないからである。主自身、安息日は人間のために設けられたのであって、
人間が安息日のためにあるのではないと言って、このことを示唆した。社会
秩序は絶えず進歩しなければならない。それは真理に基づき、正義の上に打
ち立て、愛によって生かされるべきものであって、自由の中にますます人間
にふさわしく均衡のあるものとならなければならない。このような目的を達
するためには、考え方を改め、社会の大きな変革にとりかからなければなら
ない。
 すばらしい摂理をもって時の動きを導き、地の面を新しくする神の霊は、
この発展とともにある。福音の酵母は、人間の心の中に尊敬に対する押さえ
ることのできない要求を起こしたし、また起こしている。
27(人間の尊重)
 公会議は実際的で急を要する結論に移り、人間の尊重を強調する。各自は
隣人を例外なしに「もうひとりの自分」と考えなければならず、まず隣人の
生活と、それを人間にふさわしく保つために必要な手段とについて考慮すべ
きであって、貧しいラザロのことを少しも顧みなかった金持ちになってはな
らない。
 特に現代においては、われわれ自身がすべての人の隣人となり、われわれ
に近づく人に積極的に奉仕する緊急な義務がある。たとえば、すべての人か
ら見捨てられた老人、理由なく軽蔑されている外人労働者、難民、自分が犯
したのではない罪のために不当な苦しみを受ける私生児、「これらのわたし
の兄弟、しかもいと小さい者のひとりにしたのは、わたしにしたのである」
(マタイ 25:40)との主のことばを思い出させて、われわれの心をゆさぶる飢え
た人などである。
 なお、あらゆる種類の殺人、集団殺害、堕胎、安楽死、自殺など、すべて
生命そのものに反すること、傷害、肉体的および精神的拷問、心理的強制な
どすべて人間の完全性を侵すこと、人間以下の生活条件、不法監禁、流刑、
奴隷的使役、売春、人身売買など、すべて人間の尊厳に反すること、また労
働者を自由と責任のある人間としてではなく、単なる収益の道具として扱う
ような悪い労働条件など、これらのすべてと、これに類することはまことに
恥ずべきことである。それは文明を毒し、そのような危険を受ける者よりは、
そのようなことを行う者を汚すのであって、創造主に対するひどい侮辱であ
る。

#685/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:16 (139)
2V>現代世界憲章1・2 人間共同体2
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第1部 教会と人間の召命
第2章 第2章 人間共同体(続)
28(敵に対する尊敬と愛)
 社会、政治、宗教の問題について、われわれと異なった意見を持ち、異な
った行動をとる人をも尊敬し愛さなければならない。われわれが好意と親切
をもって、より深くかれらの考え方を理解すれば、それだけかれらとの話し
合いはもっと容易になるであろう。
 言うまでもなく、この愛と好意は、けっして心理と善に対してわれわれを
無関心にしてはならない。むしろ愛は、すべての人に救いの心理を告げるよ
う、キリストの弟子たちに迫る。ただし誤りと誤っている人とを区別し、誤
りは常に排除しなければならないが、誤っている人は、たとえ宗教問題につ
いてまちがった思想や不正確な考えを持っている場合でも、常に人間の尊厳
を保持している。神だけが審判者であり、人間の心の中を知っているのであ
るから、われわれはどの人の内心の罪をも裁いてはならない。
 キリストの教えは、われわれが受けた侮辱さえもゆるすことを要求し、新
しい律法の命令として愛のおきてをすべての敵にまで広げる。「『なんじの
隣人を愛し、敵を憎め』と命じられたのを、あなたがたは聞いている。しか
し、わたしはあなたがたに言う、『あなたがたの敵を愛し、あなたがたを迫
害する人のために祈りなさい』」(マタイ5:43-44)。
29(万人の本質的平等、社会主義)
 すべての人は理性的な霊魂を恵まれ、神の像として作られ、同じ本性と同
じ根源を持ち、キリストによってあがなわれ、神から同じ召命と目的を与え
られている。したがって、すべての人が基本的に平等であることは、ますま
す認められなければならない。
 もちろん、すべての人が肉体的な種々の能力や、知性と意志の力の面で異
なっていて、同じではない。しかし、基本的人権に関するすべての差別は、
それが社会的差別であろうと、文化的差別であろうと、あるいは性別・人種
・皮膚の色・地位・言語・宗教に基づくものであろうと、神の意図に反する
ものであり、克服し、排除しなければならない。これらの基本的人権が今も
なお、保障されていない所があることは、まことに悲しむべきことである。
たとえば、夫を選ぶ自由や身分を選ぶ自由、男性と同様の教育や文化を身に
つける権利を女性に対して認めない場合などもそうである。
 なお人々の間に差異のあることは当然であるが、人間の平等な尊厳は生活
条件がもっと人間らしく、公正なものとなることを要求する。一つの人間家
族に属する人々、または諸民族の間における経済的、社会的な大きな不平等
は醜聞であり、社会正義、平等、人間の尊厳、社会的および国際的平和に反
する。
 私的、または公的な諸制度が、人間の尊厳と目的とに奉仕し、同時にあら
ゆる種類の社会的、政治的奴隷制度に対して力強く戦い、あらゆる政治形態
において基本的人権を保障するものとなることが望ましい。なお、たとえ、
望む目的を達成するまでに長期間を要しても、これらの制度を、あらゆる現
実の中の最高のものである精神的現実に徐々に適合するものにしなければな
らない。
30(個人主義的な道徳を超える必要)
 諸般の事情の広範急速な変革は、なにびとも事態の伸展についての認識不
足や無気力のままに、単なる個人主義的道徳に安んじてはならないことを強
く要求している。各自がそれぞれの能力と他人の必要に応じて共通善に寄与
し、さらに人々の生活条件の改善に役立つ私的または公的制度を促進し援助
するならば、ますます正義と愛の義務を果たすことになる。
しかし、大きく寛大な意見を公言しながら、実際には社会の種々の必要につ
いては、なんの配慮もしないような生活を続けている人々がある。そのうえ、
いろいろな地域で多くの人は社会的法律や条件をほとんど無視している。種
々のごまかしや偽りを用いて、正当な税金や社会的負担をのがれることを恥
じない人も少なくない。また、不注意のために自分と他人の生命を危険にさ
らすことを考えずに、社会生活上の規則、たとえば保健衛生や自動車運転の
規則などを軽視する人がある。
 すべての人は社会的連帯責任を現代人の主要な務めの一つに数えて、これ
を果たすことを神聖な義務と考えなければならない。事実、世界が一つにな
ればなるほど、人々の義務は個別的集団を超えて、しだいに世界全体にまで
広がることは明かである。しかし、それは各個人、またその所属団体が自分
のうちに道徳的、社会的力を養い、それを社会に広めるのでなければ実現で
きない。こうして、必要な神の恩恵の助けとともに、新しい人類を造り出す
ほんとうに新しい人間が出現するであろう。
31(責任と参加)
 各自が、それぞれ自分自身と自分が属する諸団体とに対する良心の義務を、
もっと正確に果たすよう、今日人類の手中にある種々の手段を利用して、教
養を高めるように熱心に努めなければならない。まず何よりも、あらゆる階
層の青少年教育に力を入れて、有能であるばかりでなく、今日強く要望され
ている寛大な心をそなえた男女を育成しなければならない。
 しかし、このような責任感に到達するためには、自分の尊厳を自覚し、神
と他人に対する奉仕という自分の召命に答えることができる生活条件が必要
である。安楽な生活に甘んじて、あたかも象牙の塔に閉じこもり孤独を楽し
むとき、人間の自由は枯れしぼむように、極度の貧困に陥るとき、しばしば
衰退する。これに反して、社会生活上避けるころのできない束縛を甘受し、
人間の連帯性に基づく種々の要求を引き受け、人間共同体の奉仕に献身する
とき、人間の自由は強化される。
 したがって、すべての人が共同の仕事に参加する意欲をもつよう、励まさ
なければならない。できるだけ多くの国民が、真の自由をもって公務に参加
できるよう計らう国家の施策は賞賛すべきである。ただし、各国の実状と公
権が必要とする権限を考慮しなければならない。しかし、国民の全部が社会
を校正する諸団体の活動に参加する意欲を持つためには、これらの諸団体は
人々を引きつけ、人々を地上の奉仕に向けさせるだけの利益を提供しなけれ
ばならない。人類の未来は、生きる理由、希望をもつ理由を明日の世代に提
供できる人々の手中にある、と当然考えることができる。
32(受肉したことばと人間の連帯)
 神は人間を個別に生活するためではなく、社会を構成するよう創造した。
「神は人々を個別的に、まったく相互の連絡なしに聖化し救うのではなく、
かれらを、心理に基づいて神を認め忠実に神に仕える一つの民として確立す
ることを望んだ」のである。したがって、神は救いの歴史の最初から、人々
を個人としてばかりでなく、ある共同体の構成員として選んだ。神は、この
選ばれた人々に自分の計画を示し、かれらを「自分の民」(出エジプト
3:7-12)と呼び、なおシナイ山において、この民と契約を結んだ。
 この共同体的性格は、イエズス・キリストのわざによって発見させられ完
成された。事実、受肉したことば自身が人間連帯性に参加することを望んだ
のである。カナの婚宴に出席し、ザケオの家を訪れ、収税吏や罪びとたちと
いっしょに食事した。社会生活の普通の事がらについて語り、日常生活のこ
とばと実例をそのまま使って、父の愛と人間のすばらしい召命を啓示した。
人間関係、特に社会生活の基盤である家庭を聖化し、自発的に祖国の法律に
従った。その時代とその地方の労働者の生活をすることを望んだ。
 その宣教においては、神の子らが互いに兄弟として接することを明らかに
命じた。その祈りにおいては、すべての弟子たちが「一つ」であるように願
った。なお、「すべての人のあがない主として、すべての人のために、死に
至るまで自分自身をささげた。「友のために生命をささげるよりも大きな愛
はない」(ヨハネ 15:13)。人類が、法の完成としての愛が支配する神の家族と
なるよう、諸国民に福音のメッセージを宣教することを使徒たちに命じた。
 信仰と愛をもって自分を受け入れるすべての人の間に、多くの兄弟たちの
長子として、死と復活の後、自分の霊のたまものをもって、新しい兄弟的交
わりを制定した。これは、その「からだ」である教会において実現している。
このからだの中では、すべての人は互いに成員であり、与えられた種々のた
まものに従って、互いに奉仕しあう。
 この連帯性はその完成に到達する日まで常に増してゆくべきである。その
日になれば、恩恵によって救われた人々は、神と兄弟キリストから愛される
家族として、神に完全な栄光をささげるであろう。
..

#686/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:17 ( 96)
2V>現代世界憲章1・3 人間活動1
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第1部 教会と人間の召命
第3章 世界における人間活動
33(問題提起)
 人間は労働と才能をもって、自分の生活を向上させるよう常に努力してき
た。今日では、特に科学と技術によって、人間はその支配権をほとんど全自
然界に広げてきたし、また常に広げている。そして特に諸国間の多種多様な
交流手段の増加のおかげで、人類家族は徐々に全世界における一つの共同体
として自覚を強め、またそうなりつつある。その結果、人間は過去において
特に天上の力に期待した多くの恩沢を、今日ではもはや自分の努力で獲得し
ている。
 すでに全人類に行きわたっているこの巨大な努力を前にして、人々は多く
の疑問をいだいている。これら懸命な人間活動の意味と価値はなにか。これ
らすべてのものをどのように使うべきか。これらの個人的そして社会的な努
力は何を目的としているのか。神のことばの遺産を保管し、そこから宗教と
道徳の分野における諸原理をくみとる教会は、個々の問題について常に解答
をもち合わせていないが、啓示の光をすべての人の経験と合わせて、人類が
近年踏み入った行路を照らそうと望んでいる。
34(人間活動の価値)
 人間の個人活動および団体活動、すなわち人間が生活条件を向上させるた
めに諸世紀の流れを通して行ってきた巨大な努力は、それ自体として考える
場合、神の計画に沿っていることは、信仰ある者にとっては確実である。事
実、神の像として作られた人間は、大地とそこに含まれる万物を支配し、世
界を正義と聖性のうちに統治し、また万物の創造主である神を認めて、人間
自身とあらゆる物を神に関連させるようにとの命令を受けた。こうして万物
が人間に服従すれば、全世界において神の名が賛美されるであろう。
 この命令は日常の仕事にも適用される。自分と自分の家族のために生活費
をかせぎながら、自分の活動を社会の奉仕に役立てるように働く男女は、当
然、自分の労働を創造主の働きの延長、兄弟たちへの奉仕、歴史に神の計画
を実現するための個人的貢献であると考えることができる。
 したがってキリスト者は、人間の才能と努力が産み出した仕事が神の権力
に反抗するものとか、理性をもつ被造物が神の競争相手であるとはけっして
考えず、むしろ、人類の勝利は神の偉大さのしるしであり、神の計りがたい
計画の結実であると確信している。しかし、人間の力が増せば増すほど、そ
れだけ個人としても共同体としても人間の責任は大きくなる。キリスト教の
メッセージは世界の建設から人々の手を引かせ、仲間たちの福祉を無視する
ように励ますものではなく、むしろ、これらを実行するよう強く義務づける
ものである。
35(人間活動の規則)
 人間活動が人間から出るように、それは人間に向かっている。人間は活動
することによって物と社会とを変えるだけでなく、自分自身を完成させる。
人間は多くのことを学び、能力を養い、自分の外に、そして自分の上に出る。
正しく理解するならば、このような成長は外的な富の蓄積よりも価値がある。
人間の価値はその人の持ち物によるのではなく、その人自体によるのである。
同時に、より大きい正義を行うために、さらに兄弟愛を広めるため、社会関
係の中にいっそう人間的秩序を打ち立てるために行われるすべてのことは、
技術の進歩よりも価値がある。技術は人間向上のための材料を提供するが、
それだけでは人間向上を実現することはできないからである。
 したがって、人間活動の規則は次のようなものである。すなわち、人間活
動は神の計画と意志に基づいて人類の真実の福祉に合致し、また個人および
社会人としての人間に自分の召命を欠けるところなく追求し実現することを
許すものでなければならない。
36(地上の現実の正しい自律)
 しかし、多くの現代人は人間活動と宗教との密接な結びつきは、人間や社
会や学問の自律を危険にするのではないかと恐れているように見える。
 地上の諸現実の自律ということによって、被造物や社会そのものが独自の
法則と価値を持ち、人間はそれをしだいに発見、利用、調整していくものと
解釈するならば、それを要求するのは当然である。
それは現代人によって要求されるばかりでなく、創造主の意志にもそうもの
である。事実、万物は、造られたものという条件によって、それぞれの安定、
真理、善、固有の法則、秩序を賦与されている。人間はそれらすべてを尊重
し、各種の学問と技術の固有の方法を承認しなければならない。したがって、
あらゆる学問的分野における研究は、真実の学問的方法と倫理の法則に従っ
て行われるものであれば、けっして信仰に対立することはない。
世俗の現実と信仰の現実とは、ともに同じ神に起源をもつものだからである。
むしろ、謙虚と忍耐をもって事物の秘密を知ろうと努力する者は、万物をさ
さえて、そのものとして存在させている神の手に知らずに導かれているので
ある。したがって、ときにはキリスト者自身の間にもあったが、学問の正当
な自律を十分に認めないような態度を嘆かないではいられない。そのような
態度は、対立や論争を引き起こし、多くの人に信仰と科学とが対立するとい
う考えをいだかせた。
 しかし、「地上の諸現実の自律」ということによって、被造物は神に依存
するものではなく、人間がそれを創造主に関係づけることなしに利用できる
という意味に解釈するならば、神を認める者はだれでも、このような考え方
が誤っているとみなす。事実、創造主なくしては被造物は消えうせる。それ
に、どのような宗教に属するにせよ、信仰者はすべて、被造物の語ることば
のうちに神の現われと声とを常に聞いたのである。しかも、神を忘れること
によって、被造物さえも理解しがたくなる。

#687/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:18 ( 96)
2V>現代世界憲章1・3 人間活動2
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第1部 教会と人間の召命
第3章 世界における人間活動(続)
37(罪に毒された人間活動)
 聖書は、人間の進歩が人間に大きな福祉をもたらすが、大きな誘惑を伴う
ものであることを、人類家族に教える。諸世紀にわたる経験もこの教えに一
致する。事実、価値の秩序が乱され、善と悪とが混同されるとき、個人や団
体は自分のことだけを考えて、他人のことを考えない。その結果、世界は真
の兄弟的集まりの場所ではなくなり、増大した人間の力が人類そのものを破
壊するおそれが生じる。
 やみの権力に対する苦しい戦いは、人間の歴史全体に行きわたっている。
それは世の初めから始まったものであり、最後の日まで続く、と主は言って
いる。この戦いに巻き込まれている人間が、善から離れないためには常に戦
わなければならず、神の恩恵の助けと大きな努力なしには、自己の統一を実
現することも出来ない。
 したがって、キリストの教会は、創造主の計画に信頼して、人間の進歩が
人々の真の幸福に役立つことを認めるとともに、「この世に従ってはいけな
い」(ロマ 12:2)という使徒のことばをくりかえして叫ばざるを得ない。ここ
で言うこの世とは、神と人間の奉仕に定められている人間活動を、罪の道具
に変えてしまう虚栄と悪意に満ちた精神を指している。
 どのようにすれば、このように不幸な状態を克服できるかと問う人に対し
て、キリスト者は、高慢と乱れた自己愛によって毎日危険にさらされている
あらゆる人間活動を、キリストの十字架と復活によって清め、完成に導くべ
けいであると答える。キリストによってあがなわれ、聖霊において新しい被
造物とされた人間は、神によって造られたものを愛することができるし、ま
た愛さなければならない。事実、人間はそれらを神から受け、神の手から流
れ出るものとしてながめ、尊重する。人間は被造物について恵み深い神に感
謝し、清貧と自由の清心をもって被造物を使い利用し、何も持っていないが、
すべてを所有している者として、真に世界を所有する者となる。「すべては
あなたがたのものである。しかし、あなたがたはキリストのものであり、キ
リストは神のものである」(1コリント 3:22-23)。
38(復活秘義において完成に導かれた人間活動)
 万物を造った神のことば自身が受肉して地上に住み、完全な人間として世
界の歴史の中にはいり、それを集めた。キリストは「神は愛である」(ヨハネ
4:8)ことをわれわれに啓示し、同時に、新しい愛のおきてが人間完成と世界
改革の根本法則であると教えた。したがって、キリストは神の愛を信ずる者
に、愛の道がすべての人間に開かれていること、善人類の兄弟的集まりを確
立する努力が無駄なものではない、という確信を与える。同時に、この愛は
重大な事がらだけではなく、まず普通の生活環境の中においても実践すべき
ものである、と忠告する。
キリストは罪びとであるわれわれのために死を甘んじて受け、自分の模範に
よって、肉と世が平和と正義を求める人々の肩に負わせる十字架を、われわ
れもになうべきであることを教える。復活によって主に立てられ、天と地に
おける全権を与えられたキリストは、その霊の力をもって人々の心の中にす
でに働いている。キリストは来るべき世に対する願望を起こさせ、それによ
って、生活をいっそう人間らしいものにし、地上全体をこの目的に従わせよ
うと努力する人類家族の心をこめた願いを力づけ、清め、強める。霊のたま
ものはいろいろである。霊はある人を、天上の生活の望みについて公然とあ
かしを立て、人類家族の中にこの望みをいきいきと保つように呼ぶ。ある人
を、人々に対する地上的奉仕のために身をささげ、この役務によって天国の
ことを準備するように呼ぶ。しかし、霊はすべての人を解放して、かれらが
自己愛を放棄して、人間生活のためにすべての地上的力を結集し、人類その
ものが神に喜ばれる供え物となる未来の時を目さして努力させる。
 主はこの希望の保証と人生の旅路のかてとして信仰の秘跡を残した。この
秘跡において、人間によって手を加えられた自然の要素は、栄光あるキリス
トの体と血に変わる。それは兄弟的交わりの晩さんであり、天上の祝宴の予
行である。
39(新しい天と地)
 われわれは地と人類の完結の時を知らないし、すべてがどのように変えら
れるかを知らない。罪によって醜く変形した世界の様相は確かに過ぎ去る。
しかし、神によって新しい住居と新しい地が用意され、そこには正義が支配
し、その幸福は人間の心にある平和への願望をすべて満たし、それを超える
ことをわれわれは教えられている。そのとき死は打ち負かされ、神の子らは
キリストにおいて復活し、虚弱と腐敗の中にまかれたものは腐敗しないもの
を身にまとう。そして愛とそのわざが残り、神が人間のために造ったすべて
の被造物は虚栄の奴隷状態から解放される。
 全世界をもうけても、自分を失うならば、なんのためにもならないとさと
されている。しかし、新しい地に対する期待は、現在のこの地を開拓する努
力を弱めるものであってはならず、かえってそれを励ますものでなければな
らない。この地上において、すでに新しい世をいくらか表わしている新しい
人類家族の共同体が育っている。したがって、地上の進歩は、キリストの国
の発展からはっきり区別されなければならないが、人間社会の向上に寄与す
ることができる限り、神の国にとっても重要である。
 事実、われわれは、人間の尊厳、兄弟的交わり、自由など、すなわち、人
間の本性と努力のすばらしい実りであるこれらすべての価値あることを、主
の霊において、また主のおきてに従って、地上に広めた後、それらをあらゆ
る汚れから清められたもの、光り輝くもの、変容したものとして再び見いだ
すであろう。それはキリストが「永遠普遍の国、すなわち、真理と生命の国、
聖性と恩恵の国、正義と愛と正義の国」を父に返すときである。この国は地
上においてすでに秘義として存在するが、主の再臨をもって完成されるので
ある。

#688/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:19 (121)
2V>現代世界憲章1・4 教会の任務1
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第1部 教会と人間の召命
第4章 現代世界における教会の任務
40(教会と世界との相互関係)
 人間の尊厳、人間の共同体、人間活動の深い意義について、われわれが述
べたすべてのことは、教会と世界の相互関係の基礎ならびに両者の対話の根
拠をなすものである。本章においては、教会の秘義について公会議がすでに
公布したすべての事がらを前提として、同じ教会をこの世の中に存在し、こ
の世とともに生き、そして働いているものとして考察する。
 永遠の父の愛から生まれ、あがない主キリストによって時間の中に設立さ
れ、聖霊において集められた教会は、救いと終末を目的とする。この目的は
来世においてはじめて完成に到達することができる。しかし、教会はすでに
この地上に存在し、この地上の国の成員である人々によって構成されている。
この人人は人類の歴史の中に神の子らの家族をつくり、主の再臨の時までそ
れをふやしつづけるよう呼ばれたのである。天上の宝を目ざして互いに結ば
れ、またそれによって富まされているこの家族は、キリストによって「社会
として、この世の中に設立され組織された」ものであり、「見える社会的一
致の適切な手段」を与えられている。したがって、教会は同時に「見える団
体と霊的共同体」であり、全人類とともに歩み、世と同じ地上的なりゆきを
経験する。教会は人類社会の魂または酵母として存在し、それをキリストに
おいて刷新して神の家族に変質させる使命をもっている。
 地上の国と天上の国とのこのような交錯は、信仰によってはじめて理解で
きるものであり、人類史の神秘であって、神の子らの輝きが完全に啓示され
る時まで罪によってかき乱される。教会は救いを固有の目的として追求し、
神の生命を人間に与えるだけでなく、ある意味でこの生命が反射させる光を
全世界に投げかける。それは主として、人間の尊厳を回復させ、高め、人間
社会の結合を強め、日常の人間活動にさらに深い意味と重要性を与えること
によって行われる。このようにして教会は、その個々の成員と全共同体とを
通して人類家族とその歴史を、いっそう人間らしいものにするために大いに
寄与できると信じている。
 そのうえ、この同じ使命を果たすために他のキリストの諸教会および諸団
体が協同して寄与したこと、また寄与していることを、カトリック教会は喜
んで認め、高く評価する。同時に教会は、福音への準備に関連して、世から、
すなわち個人からも人間社会からも、その才能と活動によって、いろいろ方
法で大いに助けを受けることができると確信している。ある意味で教会と世
とに共通な領域において、このような相互の交流と援助とを正しく促進する
ための若干の一般原則を以下に述べる。
41(教会が個人に提供する援助)
 現代人は自分の人格をいっそう完全に発展させ、自分の権利をより多く発
見し主張することを目ざして進んでいる。人間の究極目的である神の秘義を
現わすことを託された教会は、同時に人間存在の意義、すなわち、人間につ
いての奥深い真理を明らかにする。実に教会は、自分が仕える神だけが、地
上のかてによってけっして十分に満足できない人間の心の深い欲求に答える
ことを知っている。なお教会は、絶えず神の霊に勧められている人間が、宗
教問題についてまったく無関心でいることはできないことも知っている。そ
れは過去の諸世紀にわたる経験に照らしても、現代の数多くの証拠によって
も証明される。人間は自分尾生命と活動と死の意味を知ろうと、少なくとも
ばく然と常に望むはずである。教会の現存そのものがこれらの問題を人々に
思い出させる。人間を自分の像として創造し、また罪からあがなった神だけ
が、これらの質問に完全な答を与えることができる。神はそれを、人となっ
た自分の子キリストにおける啓示を通して行う。完全な人間であるキリスト
に従う者はだれでも、より完全な人間となるのである。
 この信仰に基づいて、教会は人間性の尊厳を、さまざまに変換する見解、
たとえば、肉体の過度の軽視、あるいは過度の礼賛から守ることができる。
人間の定めたいかなる法律も、人間の人格的尊厳と自由を、教会に託された
キリストの福音ほど完全に確保することはできない。キリストの福音は神の
子らの自由を告知宣言し、最終的には罪から出たあらゆる奴隷状態を排除し、
良心の尊厳とその自由な決定を厳重に尊重し、人間のあらゆる才能を神への
奉仕と人々の幸福のために有効に用いるよう絶えず教え、すべての人をすべ
ての人の愛に託する。これらすべてはキリスト教的救いの計画の基本法則に
合致する。それは、同じ神が救い主であるとともに創造主であり、また人類
の歴史と救いの歴史の主であっても、神の定めたこの秩序そのものは、被造
物、特に人間の正当な自主性を奪うものではなく、かえってその尊厳を回復
し確立するものだからである。
 したがって、教会は自分委託された福音の力をもって人間の権利を宣言し、
この権利をいたるところで推進させている現代の力強い動きを認め、高く評
価する。ただし、この運動に福音の清心を吹き込み、あらゆる種類のまちが
った自律の概念から守らなければならない。われわれは、神定法のあらゆる
規則から解放されるときにこそ、はじめて人間の権利が完全に確保されると
いう観画に誘惑される。しかし、この道をとれば人間の尊厳は救われるどこ
ろか、かえって消滅するのである。
42(教会が社会に提供する援助)
 人間家族の協和は、キリストに基礎を置く神の子らの家族の一致によって
大いに強められ充実したものとなる。
 キリストがその教会に託した固有の使命は、政治・経済・社会の分野に属
するものではない。キリストが教会に指定した目的は宗教の領域に属する。
ところで、実にこの宗教的使命そのものから、神定法に基づいて建設し確立
すべき人間共同体のために役立つ任務、光、力が出てくる。同様に、必要と
あれば、時と場所の状況によっては、死の事業やこれに類する仕事のように、
すべての人、特に困窮者たちの奉仕を目的とする仕事を教会自身が起こすこ
とができるし、また起こさなければならない。
 そのうえ、教会は現代の社会的な力強い運動の中に見られるすべてのよい
もの、特に一致への進歩、健全な社会科と社会的・経済的連帯性の進展を認
める。一致の促進は教会の思念名使命と一致する。教会は「キリストにおけ
るいわば秘跡、すなわち神との親密な交わりと全人類のしるしである道具」
だからである。こうして教会は、目に見える社会的な真実の一致が精神と心
の一致、すなわち、背入れ印おいて教会の一致を不解消なものとして確立し
ている信仰と愛から出ることを世界に示す。教会が現代社会に注入すること
のできる活力は、単なる人間的手段による外的な支配権の行使にあるのでは
なく、生活の中に実践されるこの信仰と愛に見いだされる。
 そのうえ、教会はその使命と本質のうえから、いかなる特殊の文化形態に
も、またいかなる政治・社会体制にも結ばれるものでない。この普遍性その
もののために、教会は種々の人間共同体の間や諸国家の間における強い結び
目となることができる。ただし、これらの共同体や国家が教会を信頼し、教
会がその使命を果たすために必要な真の自由を実際に認める限りにおいてで
ある。それゆえ教会は自分の子らと、さらにすべての人に向かって、神の子
らの家族的精神によって国家や民族の間におけるあらゆる不和を乗りこえ、
正当な団体を内側から強固にするよう忠告する。
 人類がすでに作り出し、また絶えず作ってゆく多種多様の制度の中に見い
だされる真実と、善と正義のすべてを公会議は大きな尊厳をもって注目する。
なお教会にできることであって、その使命と結びつけることができるもので
ある限り、すべてこれらの制度を援助し促進することを望むものであると宣
言する。教会はすべての人に奉仕するために、個人ならびに家族の基本的権
利と共通善の要請を認めるあらゆる政治形態のもとにおいて、自分が自由に
発展できることを、何事にも増して強く望んでいる。 ..

#689/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:21 (145)
2V>現代世界憲章1・4 教会の任務2
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第1部 教会と人間の召命
第4章 現代世界における教会の任務(続)
43(教会がキリスト者を通して社会に提供する援助)
 公会議は天上と地上とふたつの国の市民であるキリスト者が、福音の精神
に導かれて、地上の義務を忠実に果たすよう援助する。われわれがこの世に
永続する国を持たず、未来の国を求めることを知って、それゆえに地上の義
務を怠ってもよいと考える者はまちがっている。かれらは自分の受けた召命
に応じて地上の義務を果たすべきことを、信仰そのものが強く命じているこ
とを忘れているからである。これと反対に、宗教生活を単なる祭典の行事と
若干の道徳的義務の遂行にすぎないと考え、地上の仕事は宗教生活と完全に
無関係であるかのように、それに没頭してもよいと思う者も同様にまちがっ
ている。
多くの人に見られる信仰と日常生活の離反は現代の重大な誤りの一つと考え
るべきである。すでに旧約において預言者はこのような醜聞を激しく糾弾し、
それにも増して新約においてはイエズス・キリスト自身が重い罰を警告して
いる。したがって一方には、職業的・社会的活動、他方には宗教生活を不当
にも互いに対立させてはならない。世俗的義務を怠るキリスト者は隣人とさ
らには神自身に対する自分の義務を怠り、自分の永遠の救いを危うくする。
むしろキリスト者は、職人として働いたキリストの模範に従い、人間的・家
庭的・職業的・学問的・技術的努力を宗教的価値と結びつけ、いきいきとし
た一つのものとして結合することによって、自分のあらゆる地上的活動を行
えることを喜ばなければならない。すべてのものを宗教的価値によって秩序
づけることによって、すべてが神の栄光に向けて調整される。
 世俗の職業と活動は、独占的ではないにしても、信徒に固有の領域である。
したがって、信徒は個人としても団体としても、この世の市民として行動す
る時には、それぞれの職業に固有の規則を守るだけでなく、その分野におけ
る真の専門家となるように努め、同じ目的を追求する人々と自発的に協力し
なければならない。信仰の要請を自覚し、その力にささえられて、必要に際
しては、ためらうことなく新しい企画を出し、実行に移さなければならない。
地上の国の生活の中に神定法が刻み込まれるようにすることは、正しく形成
された良心をもつ信徒の努めである。信徒は霊的光と力を司祭から期待すべ
きであるが、司牧者が何ごとにも精通していて、どのような問題についても、
しかも重大な事がらについても、即座に具体的解決を持ちあわせているとか、
それがかれらの使命であるというように考えてはならない。むしろ信徒は、
キリスト教的英知に照らされ、教導職の教えに深く注意を払いながら、自分
の役割を引き受けるようにしなければならない。
 信徒は自分のキリスト教的なものの考え方に従って、ある状態において、
しばしば、ある特定な解決策を選ぶであろう。他の信者は同じくまじめに考
えた結果、同じ問題について異なった判断を下すこともたびたびあり、それ
もまた当然なことである。ところで、種々の解決策は、多くの人によって、
それぞれの主張者の意向から離れて、福音の教えと結び付けられやすい。こ
のような場合、自分の主張だけが教会の権威によって支持されていると考え
てはならないことを記憶すべきである。常に誠実な話し合いによって相互に
問題の理解を深め、相互に愛を実践し、共通善を第一の関心事としなければ
ならない。
 教会の全生命において行動的な役割を果たすべきである信徒は、世の中に
キリスト教精神を浸透させるだけではなく、社会のまっただ中で、万事にお
いてキリストの証人となるように呼ばれている。
 神の教会を指導する任務を託された司教は、その司祭とともに、信者のあ
らゆる地上的活動が福音の光に浴するものとなるよう、キリストの知らせを
のべ伝えなければならない。なお、すべての司牧者は、自分の日常の生活と
配慮とが世に教会の面を示すこと、それに基づいて人々がキリスト教の知ら
せの力と真理を判断することを忘れてはならない。司牧者たちは修道者や信
者とともに、教会がその現存だけによって、また自分の持つあらゆるたまも
のによって、現代世界の最も必要とする力を提供する尽きない源泉であるこ
とを、生活とことばをもって証明するべきである。絶えず研究を続けて、世
とのあらゆる意見の人々との対話において自分の役割を正しく果たすことが
できるよう努力しなければならない。特にこの公会議の次のことばを心にと
めなければならない。
「今日、人類はますます政治的・経済的・社会的に一つに結ばれつつある。
なおのこと司祭は司教と教皇の指導のもとに互いに力を合わせて働き、全人
類が神の一つの家族となるよう、分裂のあらゆる原因を取り除かなければな
らない」。
 教会は聖霊の力によって、主の忠実な花嫁であり、また絶えず世における
救いのしるしであったが、諸世紀を経過する間に、構成員である教役者と信
徒との中に、神の礼に不忠実な者がいたことをけっして知らないわけではな
い。現代においても、教会の説く教えと福音を託された者の人間的弱さとの
間に、大きな隔たりがあることを教会は知っている。このような欠陥につい
て歴史がどのように裁くにせよ、われわれはこれらの欠陥を自覚し、福音宣
布の傷害とならないよう、それらに対して熱心に戦わなければならない。同
時に、教会は、世との関係を発展させるためには、諸世紀にわたる経験から、
絶えずどれほど学ばなければならないかを知っている。聖霊に導かれる母な
る教会は、「キリストのしるしが教会の面上にいっそう明らかに輝くために、
自分の子らに自分自身を清め一新するよう勧告する」ことをやめない。
44(教会が現代世界から受ける援助)
 教会を歴史の社会現実として、またその酵母として認めることが世にとっ
て有益であるように、教会は自分が人類の歴史と進歩から多くのものを受け
たことを知っている。
 過去の諸世紀にわたる経験、学問の進歩、文化の諸様式の中に隠されてい
る富は、人間の本性をいっそう豊かに現わし、真理への新しい道を開き、教
会のためにも役だつものである。教会は、その歴史の最初から、キリストの
知らせを種々の民族のことばと概念をもって表現することを学び、なおそれ
を哲学者の英知をもって解明するよう努力してきた。それは、許される限り、
福音をすべての人の理解と知識人の要求とに適応させるためであった。啓示
されたことばをこのように適応させて宣教することは、あらゆる福音宣教の
原則でなければならない。このようにしてこそ、あらゆる国においてキリス
トの知らせをその国に合った方法で表現する能力が養われ、同時に教会と諸
民族の文化との交流が促進される。教会はこの交流を盛んにするために、説
くに変動が激しく考え方が非常にさまざまである現代においては、特に、信
ずる者と信じていない者を問わず、世に生活して種々の制度や学問に精通し、
それらの深い意味を理解している人々の助けを必要とする。聖霊の助けのも
とに現代の種々の声に耳を傾け、それを区別し解明し、神のことばの光に照
らして判断することによって、啓示された真理が常によりよく知られ、理解
され、述べられるように努めることは、神の民全体、特に司牧者と神学者の
努めである。
 キリストにおける一致のしるしとして見える社会構造をもっている教会は、
人間的社会生活の進歩によって豊かにされることができ、また豊かにされて
いる。それはキリストから与えられた教会の構成に欠陥があるからではなく、
それをいっそう深く知り、よく表現し、現代によりよく適応させるという意
味においてである。教会はその共同体全体のためにも、また子らのひとりひ
とりのためにも、あらゆる階層と生活条件に属する人々から、いろいろの援
助を受けていることを感謝の心をもって認める。家庭・文化・経済・社会・
政治の分野においても、国内的にも国際的にも人間共同体の進歩に貢献する
人は、神の計画によって教会共同体にも−−−それが外的要素に依存する限
り−−−多くの援助をもたらすからである。なお、教会はその反対者や迫害
者によるはんたいからも自分のために多くの利益を得たし、また得ることが
できることを認める。
45(初めと終わりであるキリスト)
 教会は世を助け、世から多くを受けながら、一つの事、すなわち、神の国
の到来と全人類の救いの確立を目ざしている。神の民がその地上の旅の間に
人間家族に提供できる善のすべては、教会が「救いの普遍的秘跡」であり、
人間に対する神の愛を現わし実現する秘跡であるということから流れ出てく
る。
 万物がそれによって作られた神のことば自身が肉となったのは、完全な人
間として、すべての人間を救い、万物をまとめるためであった。主は人間の
歴史の終局、歴史と文明の熱望の焦点、人類の中心、すべての心の喜び、す
べての期待の成就である。父はかれらを死者からよみがえらせ、高くあげ、
その右にすわらせ、生者と死者の審判者に定めた。われわれは彼の霊によっ
て生かされ集められて、人類史の完結に向かって旅している。それは「天と
地にあるすべてのものをキリストに置いて刷新する」(エフェソ 1:10)という
神の愛の計画にまったく一致する。
 主自身が、「わたしはすぐに来る。それぞれの人にその働きに応じて報い
るために、わたしは報いを携えて来る。わたしはアルファでありオメガであ
る。最初であり最後である。原始であり終局である」(黙示録 22:12-13)
と言っている。
..

#690/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:21 ( 16)
2V>現代世界憲章2<若干の緊急課題>
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第2部 若干の緊急課題
46(序)
 公会議は人間の尊厳と人間が世において果たすべき個人的または社会的役
割について述べた後、今度は、福音と人間との得た経験の光のもとに、人類
の大きな問題となっている現代の緊急課題のいくつかに、すべての人の関心
を向けさせる。
 今日、すべての人の関心を呼び起こしている多くの課題の中でも、特に婚
姻と家庭、文化、経済、社会、政治生活、諸国民の連帯性と平和を取りあげ
るべきであろう。これらのおのおのにキリストから来る原理の光をあてるこ
とにしたい。その光は、このように多くの複雑な問題の解決を求めるにあた
って、キリスト信者を導き、すべての人を照らすであろう。

#691/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:23 (124)
2V>現代世界憲章2・1 婚姻と家庭の尊さ1
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第2部 若干の緊急課題
第1章 婚姻と家庭の尊さ
47(現代世界に於ける婚姻と家庭)
 個人の幸福、ならびに一般社会とキリスト教社会の幸福は婚姻および家庭
と呼ばれる共同体の健全な状態に固く結ばれている。したがって、キリスト
者は、この共同体を大きく評価するすべての人々と共に、今日人々の間にこ
の愛の共同体の指示と生命の尊重を促進させる為、またその崇高な務めを果
すよう夫婦と両親を助ける為に、種々補助が提供されている事を心から喜び、
なお、そこから、多くのよい結果を期待し、またそれを促進するよう努力し
ている。
 しかし、この制度の尊厳がいずこにおいても同じ光をもって輝いているわ
けではない。多妻主義、離婚の流行、いわゆる自由恋愛、その他の歪みがそ
れを曇らせているからである。そのうえ、夫婦愛はしばしば利己主義、快楽
主義、不道徳な避妊手段によって汚される。そのうえ現代の経済・教会・心
理・政治条件が家庭にもたらす混乱も少なくない。また世界のある地域では
人口増加によって生ずる問題が憂慮されている。人々の良心はこれらすべて
のことによって悩まされているが、婚姻・家庭制度の力と堅実さは次の事か
らも明らかである。すなわち現代社会の大きな変革は、それに伴う困難にも
かかわらず、しばしばこの制度の真の本質を種々の方法で現している。
 したがって、公会議は教会の教えのいくつかの重要点に、いっそう強い光
をあてることによって、結婚生活の本来の尊厳と聖なるすぐれた価値を守り
促進しようと努めるキリスト者とすべての人を、照らし力づけたいと望むも
のである。
48(婚姻と家庭の聖なること)
 夫婦によって結ばれる生命と愛の深い共同体は創造主によって設立され、
法則を与えられた。それは結婚契約すなわち本人自身の、撤回できない同意
を基礎とする。こうして配偶者が互いに自分を与えそして受ける人間行為に
よって神の制定による堅固な制度が教会の前にも生まれる。この聖なる絆は、
夫婦と子供と、教会の善のために、人間の自分勝手にはならない。神自身が
婚姻の創設者であり、種々の善と目的をこれに付与したからである。そして、
これらのすべての善と目的は人類の存続にとって、家族各員の個人的向上と
永遠の目的にとっても、家庭と全社会の尊厳、永続、平和、繁栄にとって最
も重要なのである。婚姻制度そのものと夫婦愛とは、その本来の性質から、
子供の出産と教育とに向けて定められているものであって、これらはその栄
冠のようなものである。したがって男女は、結婚契約によって「もはや二つ
ではなく、一つの肉であり」(マタイ 19,6)自分たち自身(ペルソナ)と行
為の深い一致をもって互いに助け合い、仕え合う。こうしてかれらは自分た
ちが一つである事の意味を体験し、絶えずそれを深めてゆくのである。この
深い一致は、二人の人間(ペルソナ)が互いに与え合う事であって、こども
の善と同様に、夫婦間の完全な忠実を要求し、また夫婦間の一致が不解消で
あることを求める。
 主キリストは、神の愛の泉から生じ、キリストと教会の一致にかたどって
設立されたこの多面の愛を豊かに祝福された。かつて神が愛と忠実の契約を
もって、その民を助けたように、今は人々の救い主、教会の夫は、婚姻の秘
跡をもってキリスト信者である配偶者の助けに来る。そしてキリストが教会
を愛して、おのれを教会の為に渡したように、夫婦も献身的に、変る事のな
い忠実をもって、互いに愛するものとなるよう、キリストはかれらとともに
留る。真正な夫婦愛は神の愛の中に取り上げられ、キリストの贖いの力と教
会の救いの働きによって導かれ豊かにされる。こうして夫婦は効果的に神の
もとに導かれ、父と母の崇高な務めに際して、助けられ強められるのである。
この理由から、キリスト者たる夫婦は、その身分上の義務と尊厳のため、特
別な秘跡によって強められ、いわば聖別されるのである。キリスト者たる夫
婦はこの秘跡の力 によって夫婦と家庭の務めを果し、かれらの全生活を信仰
と希望と愛を以て包むキリストの精神に満たされて、ますます自己完成と互
いの聖化に進み、あい携えて神に栄光を帰すのである。
 したがって、両親が率先してよい模範を示し、また家庭の祈りを実行すれ
ば、こどもを初めとして家庭内に生活するすべての人は向上と救いと聖化の
道をもっと容易に見出すであろう。また父及び母としての役目と品位を与え
られた夫婦は、教育の任務−−これはまず第一に彼等の務めである−−とり
わけ宗教教育の任務を熱心に果さなければならない。
 こどもたちは、家庭の活発な構成員としてそれなりに、両親の聖化に寄与
する。こどもは感謝の念と孝心と信頼をもって両親の恩愛に応え、両親が逆
境や老年の孤独にある場合には、よきこどもとして助けなければならない。
結婚の召命の続きとして勇気をもって受入れられたやもめの身分をすべての
人は尊敬しなければならない。諸家庭は互いにおしみなく霊的富を交流し合
うべきである。このようにして、キリスト教的家庭は、キリストと教会の間
の愛の契約の像であり それへの参加であるところの婚姻から生じたもので
あるから、夫婦の愛と豊かな実りと一致と忠実をもって、また家族全員の愛
の協力をもって、世における救い主の生きた現存と教会の真正の本質をすべ
ての人に示すであろう。
49(夫婦愛)
 神のことばは婚約者と既婚者に向かって、婚約期間を純潔な愛をもって、
また結婚生活を分裂のない愛をもって養い豊かにするよう繰り返し勧めてい
る。多くの現代人も、民族と時代の健全な習慣に従って、いろいろの方法で
現される夫婦の間の真の愛を大いに讃える。この愛は感情を伴う意志の働き
を通してひとりの人間(ペルソナ)がもうひとりの人間自身(ペルソナ)に
向かう事であるから、すぐれて人間的なものであって、ひとりの人間(ペル
ソナ)全体の善を包含している。したがって、この愛は心と体の諸表現に特
別な品位を付与し、それらの表現を夫婦的友愛の要素または特別な印として
高貴なものにすることができる。主はこの愛を恩恵と愛の特別な賜物をもっ
ていやし、完成し、高めてくださる。この愛は人間的なものと神的なものと
を合せ、細やかな愛情とその表現によって現される相互の自由な与え合いに
夫婦を導き、かれらの全生活に行き渡る。
実際に、この愛は惜しみなき実践によって完成してゆき、また成長してゆく。
この愛は、利己的に追及され、まもなく惨めに消え去る肉体だけの傾向をは
るかに超える。
 この愛は結婚に固有の行為によって独特な方法で表現され、実現する。し
たがって、夫婦を親密に清く一致させる行為は正しい。そして品位のある行
為である。そのような行為は、真に人間らしい方法で行われるならば相互の
与え合いを意味し、これをはぐくむ。夫婦はこの相互の与え合いによって、
喜びと感謝のうちに互いを豊かにする。相互の約束によって封印され何にも
ましてキリストの秘跡によって神聖なものとなったこの愛は、順境において
も逆境においても、心においても体においても忠実であり不解消であって、
姦通と離婚とを全く排除する。また相互の完全な愛の中に夫と妻とに平等に
認めるべき人間(ペルソナ)の尊厳は、主によって確認された一夫一妻制を
明らかにする。
このようなキリスト教的召命の義務を絶えず実行する為には、すぐれた徳を
必要とする。従って夫婦は恩恵によって聖なる生活を送るための力づけをあ
たえられたのであるから、強い愛と寛大な心を犠牲の精神を熱心に養い、ま
た祈り求めるべきである。
 キリスト者の夫婦がこの愛の忠実と調和についての、またこどもの教育の
配慮についてのすぐれたあかしとなり、また婚姻と家庭の為に必要とされる
文化的・心理的・社会的刷新に協力するならば、真正な夫婦愛は一層尊重さ
れ、それについて健全な世論が形成されるであろう。若い人たちに対しては、
特に家庭において、夫婦愛の品位、任務、行為について時機をはかって適切
に教えなければならない。こうして、かれらは貞潔についての教育を受けた
後、時が来れば清い婚約時代を経て結婚に移ることができる。 ..

#692/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:24 (133)
2V>現代世界憲章2・1 婚姻と家庭の尊さ2
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第2部 若干の緊急課題
第1章 婚姻と家庭の尊さ(続)
50(婚姻の実り)
 婚姻と夫婦愛はその本性上、子供を産み育てることに向けられて定められ
ている。実に子供は婚姻の最も貴重な賜物であり、両親自身の善のためにも
大いに寄与する。「人間がひとりでいるのはよくない」(創 2,18)と言われ、
「初に人間を男と女に造られた」(Mt. 19,14)神自ら創造の業に人間を特別
に参加させようと望み、「産めよ、殖えよ」(創 1,28)と言って男と女を祝
福された。したがって、婚姻のその他の目的をないがしろにするわけではな
いが、真の夫婦愛の実行と、それに基づく家庭生活の全構造は、夫婦が勇気
をもって創造主と救い主−−すなわち、かれらを通して神の家族をふやし、
富ませるかた−−の愛に協力する心構えをもつようになることに向けられて
いる。
 夫婦は人間の生命を伝達し、人間を育てる任務を自分たちの固有の使命と
考えなければならない。この任務において、夫婦は自分たちが創造主なる神
の愛の協力者であり、いわばその解釈者であることを知っている。したがっ
て人間としての、またキリスト者としての責任をもって自分たちの務めを果
すべきであり、神に対する素直な尊敬をもって、共同の考えと努力によって、
正しい判断を下さなければならない。そのためには、自分たち自身の福利と
ともに、産れた子供たち、また産れるであろう子供たちの福利を考慮し、自
分たちの生活状態ならびに時代の精神的・物質的条件を識別し、家庭・社会
・教会のそれぞれの利益をも考えなければならない。この判断は最終的には
夫婦自身が神の前において決定すべきものである。しかし、自分の行為に関
しては、キリスト者である夫婦は自分勝手に処置する事は出来ない事を知る
べきである。彼等は常に良心に従わなければならず、良心は神の掟に従わな
ければならない。神の掟は夫婦愛の十全な意味を示し、この愛を守り、その
真に人間的な完成へ導く。
こうして、神の摂理に信頼し、犠牲の精神を尊び、人間として、またキリス
ト者としての強い責任感をもって人類繁殖の任務に従事するキリスト者の夫
婦は、創造主に栄光を帰し、キリストにおいて完徳に向かうのである。神か
ら託された任務をこのように果す夫婦の中で特記すべきは、慎重と共通の同
意と勇気をもって たくさんのこどもを立派に育てるよう引き受ける人々で
ある。
 しかしながら婚姻は繁殖の為だけに制定されたものではない。ふたりの人
間の間に不解消のものとして結ばれた契約の性質そのものも、またこどもの
善も、夫婦相互の愛が正しい方法で実行され、育ち、成熟する事を要求する。
したがって、熱望するこどもが与えられない場合にも、婚姻は全生涯の生き
方および交わりとして存続するのであり、婚姻の価値と不解消性は持続する。
51(夫婦愛と生命の尊重)
 公会議は現代におけるある種の生活条件がしばしば調和のある夫婦生活の
営みを妨げ、少なくともある期間は、こどもの数を増やす事が出来ない状況
に置き、愛の忠実な実行と生命の完全な交わりとを保ことがむずかしいこと
があり得ることを知っている。親密な夫婦生活が切断されれば、夫婦間の忠
実が危機に陥り、こどもの善が毒される恐れがある。こどもを育てることや、
もっとこどもを産む勇気は危険にさらされるからである。
 この種の問題に対して正しくない解答をもたらすことを敢えてする人があ
り、殺害を厭わない人さえある。教会は生命の伝達に関する神の掟と真正な
夫婦愛を剥げます神の掟との間に、真の矛盾があるはずがないことを思いだ
させる。
 事実、生命の主なる神は、生命の維持という崇高な役務を人間に託したの
であって、人間は人間に相応しい方法でこの役務を果さなければならない。
生命は妊娠した時から細心の注意をもって守護しなければならない。堕胎と
幼児殺害は恐るべき犯罪である。
人間の性的素質と生殖能力は下等生物に見出されるそれを遥かに超える。し
たがって夫婦生活の固有の行為であって、人間の正しい品位に基づいて行わ
れるものに対しては大きな尊敬を払わなければならない。夫婦愛と生命伝達
の責任との調和が問題となるときには、行為の倫理性は意向の純粋性や動機
の評価だけに依存するのではない。それは人間(ペルソナ)とその行為の本
質から引出された客観的基準、真の愛の連関において相互授与と人間繁殖の
十全な意味を守る基準によって、定められるべきである。このことは夫婦神
野貞潔の徳をまじめに実践する事なしには実現できない。教会の子らは、こ
れらの原則に従うべきものであるから、妊娠調節に際しては、神の掟の解説
において教権が禁止している手段を用いてはならない。
 人間の生命とそれを伝達する務めは、この世のみに限定された現実ではな
いし、この世の観点からのみ評価し理解しうるものでもなく、常に人間の永
遠の目的に関連して考えなければならないことを、すべての人が知るべきで
ある。
52(すべての人が婚姻と家庭の振興を計らなければならない)
 家庭は豊かな人間形成の学校の一種である。ところで、家庭がその生命と
使命との課完成に到達しうるためには、情愛のある心の交流、夫婦の協議、
こどもの教育についての両親の協力が必要である。子供の教育の為には父親
の積極的な存在は大いに役立つが、こどもたち、特に幼い者たちが必要とす
る母親の家庭における配慮が掛けることがないようにすべきである。ただし
女性の正当な社会進出を妨げてはならない。こどもが成人した後に、強いい
責任感をもって、聖なる召命にしたがい、また身分を選ぶ事が出来るように、
そして結婚する場合には道徳的・社会的・経済的に恵まれた条件のもとに家
庭を築くことができるように育てなければならない。若い人たちが家庭を作
る際に賢明な注意をもって指導するのは両親や保護者の務めである。ただし
若い人たちの言う事に喜んで耳を貸し、直接にも間接にも結婚や配偶者の選
択を強制するようなことを避けなければならない。
 このように、家庭は、種々の世代が集まって、英知を深め、個人の権利を
社会生活の種々の要請と調和させるように互いに助け合うところであるから、
社会の基礎である。
したがって、教会や団体に影響力をもつ人々はすべて、婚姻と家庭の向上に
有効に寄与しなければならない。国家は婚姻と家庭の真の本質を認め、守り、
高め、公衆道徳を擁護し、家庭の繁栄を助ける事を、その尊い義務としなけ
ればならない。こどもを産み、家庭で育てるという両親の権利は保護すべき
である。不幸にも家庭のないこどもに対しては、行き届いた立法と種々の事
業をもって保護と適切な援助の手をさし伸べなければならない。
 キリスト信者は現在の時を利用し、永遠のものを移り変る形あるものから
区別して、自分の生活によるあかしと善意の人々との協力によって、婚姻と
家庭の価値を熱心に高めなければならない。こうして困難を克服して、新し
い時代に相応しい便宜と必要な助けを家庭にもたらすであろう。この目的を
達成するために、信者のキリスト教的感覚、人間としての正しい道徳心、聖
なる学問を身につけた人々の英知と経験は大きな助けとなる。
 学者たち、とりわけ生物学、医学、社会学、心理学の専門家たちは、研究
を持ち寄って、人間繁殖の正しい調整を助ける諸条件を明らかにするよう努
力するならば、結婚生活と家庭生活の為、また良心の平和のために大いに寄
与することができる。
 司祭は家庭生活に関する必要な知識をたくわえ、既婚者たちが夫婦生活と
家庭生活において自分たちの召命によく応えるよう、種々の司牧的手段、神
のことばの宣教、典礼祭儀、その他の霊的援助をもって助け、困難に際して
は同情と忍耐をもって励まし、愛をもって力づけなければならない。こうし
て真に喜びに輝く家庭が作られるであろう。種々の活動、とりわけ家庭会は
教えと活動を通して若い人たちや夫婦自身、とりわけ新しい夫婦を励まし、
家庭・社会・使徒的生活に向けて要請しなければならない。
 夫婦自身も、生ける神の似姿につくられ、人間(ペルソナ)の真の尊厳を
有するものとして、同じ愛情、同じ考え、相互の聖化に一つに結ばれなけれ
ばならない。こうして生命の原理であるキリストに従う者となり、喜びと犠
牲を伴う自分たちの召命の中に、その忠実な愛を通して、主が死と復活をも
って世に啓示された愛の秘義の証人となるであろう。
..

#693/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:25 ( 91)
2V>現代世界憲章2・2 文化の発展1
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第2部 若干の緊急課題
第2章 文化の発展
53(前置き)
 人間は文化、すなわち自然の物と価値を耕作することによって、真の完成
した人間性に近づいて行く。これは人間の特性である。したがって、人間生
活と関係のあるところでは、自然と文化とは密接に結ばれている。
 「文化」は、広義においては、人間が精神と肉体との多様な能力を鍛錬し、
発展させるために用いるあらゆる事がらをさす。人間は知識と労働とをもっ
て全世界を支配しようと努力し、家庭とあらゆる市民社会における社会生活
を慣習と制度の進歩によってますます人間らしいものとし、時の流れを通し
て多くの人、むしろ全仁対の発展に役だたせるために、偉大な精神的体験と
期待をその作品の中に現わし、伝え、保つ。文化とは、これらすべてを意味
するものである。
 そのことから、人間文化は必然的に歴史的社会的な面をもち、「文化」と
いうことばは社会的また民族学的意味をもつことが結論される。この意味に
おいて文化の多様性ということが言われるのである。事実、物の使い方、労
働のあり方、表現の方法、宗教の実践、慣習の成立、法律と法制度の設立、
学問と芸術の発展、美の追求の努力、などが種々異なることから生活様式や
価値基準の差異が生じる。こうして伝統的な慣習からそれぞれの人間共同体
に独特の遺産が生じ、また歴史的な特定の環境が作られる。どの国どの時代
の人間もこの環境の中に入れられ、また、そこから人間的・市民的文化を発
展させるための価値をくみとる。

第1節 現代世界における文化の諸条件
54(新しい生活様式)
 現代人の生活条件は社会的、文化的観点から大きく変動したので、人類史
の新時代について語ることができる。したがって、文化を向上させ広めるた
めにも、新しい道が開けている。自然と人間と社会とに関する学問の大きな
進歩、技術の発達、人間交流の手段の進歩と組織化がこれらの新しい道を準
備した。したがって、現代文化は次のような特徴を持っている。すなわち、
「精密」と名づけられる諸科学は批判的判断を大いに発達させ、心理学の最
近の研究は人間活動をより深く説明し、歴史学は物事を変転と進化の面から
とらえることに大いに貢献し、生活条件と慣習はますます画一化史、共同体
的生活を促進させる工業化と都市化とその他の原因は新しい文化形態(大衆
文化)を産み出し、そこから新しい考え方、新しい行動方法、新しい余暇の
使い方が生まれ、諸国民や集団の間の交流の増大は諸様式の文化の富をあら
ゆる人に広く提供し、こうしてしだいに、より普遍的な文化形態が準備され
る。それは各文化の特色を尊重するものであればあるほど人類の一致をいっ
そうよく促進させ、表現する。
55(文化を作り出す人間)
 どの集団にもどの国にも、自分たちの共同体の文化を作り推進する者は自
分たちであるという自覚をもった男女の数が日を追って増加している。全世
界において自主精神と責任感がますます増加しているが、このことは人類の
精神的・道徳的成熟にとって最も重要なことである。世界の統一と真理およ
び正義の中によりよき世界を建設すべきわれわれの使命とを考えるならば、
それはいっそう明きらかである。こうして、われわれは新しいヒューマニズ
ムの証人であり、このヒューマニズムにおいて人間は、まず兄弟たちと歴史
とに対するその責任という点から定義される。
56(困難と任務)
 このような状況においては、文化の発展について自分の責任を感じる人間
が、高い希望に燃えるとともに、解決すべき多くの矛盾が存在することを不
安をもってあがめたとしても不思議ではない。
 諸文化のたび重なる交流は、諸集団、および諸国の間に実りのある真の対
話を促進すべきものであるが、そのような交流が共同体の生活を乱さず、祖
先から伝えられた英知をくつがえさず、国民の固有の長所を破壊しないよう
にするには何をすべきか。
 どのようにすれば、伝統の遺産に対するいきいきした忠実さを失うことな
しに、新しい文化の力強い動きと発展に寄与できるか。これは科学と技術の
偉大な進歩がもたらした文化と、種々の伝統に添う古典研究につちかわれた
教養との融合が必要とされるとき、特に大きな問題である。
 学問の分野が急速に分科し専門化していく現状に際して、どのようにすれ
ばそれらを総合することができるか、また、どのようにすれば英知への道で
ある観想と賛嘆の能力を人々の間に保つことができるか。
 エリートたちの教養がますます高まり複雑化してゆくにあたって、すべて
の人を文化の恩恵にあずからせるためには、何をなすべきか。
 分科が主張する自律性を当然なこととして認めるにあたって、単なる地上
的ヒューマニズムに陥らないようにするには、どうすべきか。
 以上のような矛盾のただ中にあって、今日、文化は、人間を全体的に調和
を保って向上させるもの、またすべての人、特にキリスト信者が一つの人類
家族の中に兄弟的に結ばれて遂行するように招かれている役割において人々
を助けるものとして発展すべきである。
..

#694/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:26 (111)
2V>現代世界憲章2・2 文化の発展2
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第2部 若干の緊急課題
第2章 文化の発展
第2節 文化を正しく発展させるための若干の原則
57(信仰と文化)
 天上の国をめざして旅するキリスト信者は、上にあるものを求め味わわな
ければならない。しかし、それによって、もっと人間らしい世界を建設する
ために、すべての人と協力するというかれらの義務の重要さが減少するわけ
ではなく、かえって増大する。実際、キリスト教信仰の秘義は、この義務を
熱心に果たすよう、また特にこの仕事の完全な意味、すなわち、文化が人間
の全召命において占める重要な位置を発見するよう、かれらに貴重な励まし
と助けを提供する。
 大地が実りをもたらし、全人類家族のよき住み家となるよう、人間が手や
技術を使って地を耕すとき、また人間がすすんで集団の社会生活に参加する
とき、かれは地を支配し、創造を完成するという時の初めに明らかにされた
神の計画を実行し、自分自身を向上させる。同時に、かれは兄弟たちへの奉
仕のために尽くすというキリストの重大な命令を守る。
 なお、哲学、歴史、数学、自然科学など種々の学問研究に励み、芸術に打
ち込むことによって、人類家族を真・善・美のいっそうすぐれた理解と諸価
値の総体の判断へ高めるために、大いに寄与することができる。こうして、
永遠より神とともにあり、神とともに万物を配慮し、地上において遊び、人
の子らとともにあることを楽しみとするすばらしい「英知」によって、人間
はもっと明るく照らせるのである。
 この事自体によって、人間精神は事物の奴隷である状態から解放され、創
造主の礼拝と観想とにいっそう容易に高められる。なおそのうえに、恩恵の
導きによって神のことばを認めるように準備される。神のことばは万物を救
うため、また自分において万物をまとめるために受肉する前に、「すべての
人間を照らす真の光」として、すでに「世にあった」(ヨハネ 1:9-10)のであ
る。
 現代の科学と技術とはその固有の方法によっては実在の深奥にまで到達す
ることはできないが、不当にもこれらの学問の用いる研究方法があらゆる真
理を発見するための最高法則であると考えられるとき、現代の科学と技術の
進歩は、ある種の現象主義と不可知論とを助長する。そのうえ、人間は現在
の種々の発見を過信して、自分自身で充足すると考え、より高いものを求め
なくなる危険がある。
 しかし、このような不幸な結果は現代文化から必然的にうまれるものでは
なく、また、われわれを現代文化の積極的価値の否定へと誘惑するものであ
ってはならない。現代文化の積極的価値として、科学愛好、学問研究におけ
る真理に対する絶対的忠実、専門家グループによる協同作業の必要、国際的
連帯感、援助と保護を必要とする人々に対する有識者たちの責任感の増大、
すべての人、特に責任感の欠如している人々や文化の程度の低い人々の生活
条件を向上させようとする意欲などが数えられる。これらすべては福音の知
らせを受けるための一種の準備となるものであり、世を救うために来た者は
神の愛をもってこの準備を生かすことが出来る。
58(キリストのよい知らせと文化との多様な関係)
 救いの知らせと文化との間には多くの関連が見いだされる。神は受肉した
子において自分を完全に現わすに至るまで、その民に自分を啓示するにあた
って、各時代固有の文化に準じて話した。
 同様に教会も時代の推移の中で種々の状況のもとに存在を続け、キリスト
の知らせを宣教によって諸国民に広め説くため、それを研究しよりよく理解
するため、典礼典礼祭儀と信者の多様な共同体の生活の中でよりよく表現す
るため、種々の文化の所産を用いてきた。
 同様にあらゆる時代とあらゆる地域のすべての民に対して派遣された教会
は、いかなる民族または国家にも、いかなる特殊の風俗にも、新旧のいかな
る習慣にも、排他的、不解消的に結びつけられていない。固有の伝統を保つ
と同時に自分の世界的使命についての自覚を持っている教会は、種々の文化
形態と交わることができ、それによって教会自身も種々の文化もとに豊かに
なるのである。
 キリストのよい知らせは、罪に倒れた人間の生活と文化を絶えず清め高め
る。精神的長所と各民族または各時代の美点を、天上の富をもって、あたか
も内側から豊かにし、強め、完成させ、キリストにおいて回復する。こうし
て教会はその固有の努めを果たし、それによって、すでに人間的、市民的文
化を励まし促進させるとともに、その活動、典礼活動によって人間を内的自
由に導くのである。
59(種々の文化形態の正しい調和)
 上に述べた理由によって、教会は、文化が人間の十全な完成に向けられ、
また共同体と全人類社会の善にむけられなければならないことを、すべての
人に思い出させる。したがって、人間の種々の能力、すなわち、感嘆し、理
解、観想し、個人的判断を下し、宗教感、道徳感、社会感を深める能力の発
展をもたらすように人間精神の向上を計らなければならない。
 文化は人間の理性的、社会的性質から直接に流れ出るものであるから、文
化の発展のためには正しい自由が絶えず必要とされる。また固有の原理に従
って行動する正当な自律性が必要とされる。したがって当然、文化は尊敬さ
れるべきものであり、また、共通善の範囲内で個人の権利と特殊または一般
の社会の権利が確保されたうえで、ある主の不可侵権を享有する。
 この教会会議は第1バチカン公会議の教えを受けつぎ、区別された「二様
の認識系列があること」、すなわち信仰の認識と理性の認識があること、ま
た教会は「芸術や学問がそれぞれの分野において独自の原理と法則を用いる
こと」をけっして禁ずるものではない、と宣言する。したがって、この教会
会議は「この正しい自由を認め」、文化、そして特に学問の正当な自律性を
肯定する。
 これらすべてのことは、倫理の秩序と共通の利益が確保されたうえで、人
間が、自由に真理を求め、自由に自説を述べ、発表し、好む芸術に自由に親
しむことができることを要求する。さらに、公の事件について正しい報道が
なされるべきであることを要求する。
 公権の努めは文化形態の性格を規定することではなく、すべての市民の間
に、国内の少数派のうちにも、文化生活を促進する条件と手段を講じること
である。したがって、まず何よりも、文化がその固有の目的から離れて政治
的または経済的権力に仕えることを強制されることがないように、力を尽く
さなければならない。

#695/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:27 (125)
2V>現代世界憲章2・2 文化の発展3
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第2部 若干の緊急課題
第2章 文化の発展
第3節 文化に関するキリスト者の緊急任務
60(文化に対する万人の権利の承認とその実行)
 今日では、多くの人を無知の悲惨から解放する可能性が存在している。
したがって、文化に対する万人の権利が、人間の尊厳にふさわしいものとし
て人種・性別・国籍・宗教・社会的条件による差別なく、経済や政治の領域
においても、国内的にも国際的にも、世界中どこにおいても承認され実行さ
れるような基本的決定がなされるよう熱心に働くことは、現代に、特にキリ
スト者にとっては、最もふさわしい義務である。したがって、すべてのに人
に対して十分に文化の恩沢、特に基本的文化と呼ばれるものを提供しなけれ
ばならない。そうでなければ、多くの人が文盲や個人的創意の欠如によって、
共通善のために真に人間的に協力することを妨げられてしまう。
 それゆえ、能力のある人々が高等な研究機関に進めるようにしなければな
らない。このようにして、その人々は可能な限り、自分の才能と身につけた
能力に応じた任務、務め、奉仕を社会において果たすことができるようにな
る。こうして、すべての人が、また一国内の社会集団が、自分の才能と伝統
に応じて文化生活の完全な発展に到達することができる。
 なお、すべて人が自分の教養を高める権利および嘆印の教養向上を図る義
務とについて自覚をもつよう努力しなければならない。事実、文化に対する
人々の努力を妨害し、文化に対する熱意を破壊するような生活条件や労働条
件がときどき存在する。このことは特別な理由で農業労働者と工場労働者に
あてはまる。かれらに対して、その文化的教養を妨げるのではなく、かえっ
てこれを促進するような労働条件を提供しなければならない。今では女性は
ほとんどあらゆる生活の分野で活動しているが、女性がその本性に応じた役
割を十分に果たすことができるようにすることがよい。文化生活に対する女
性独特の必要な賛かを認め促進することは、すべての人の務めである。
61(十全な発展のための教育)
 知識の種々の分野と芸術を一つの総合体としてまとめることは、過去に比
べて現代においてはもっと困難である。事実、文化を構成する諸要素の量と
種類は増大するが、それらを理解し統一する個人の能力は減少してゆくので、
「普遍的人間」という理想像はますます消えてゆく。しかし、知性、意志、
良心、兄弟愛を特にすぐれた価値として供えている全体的な人間像を維持す
ることは、各人に課せられた義務である。これらの価値はすべて創造主なる
神に基づくものであり、キリストにおいてみごとにいやされ、高められたの
である。
 まず第一に家庭は、このような教育の言わば、母またが乳母である。家庭
において子供たちは愛に包まれて、物事の正しい秩序を容易に学び、また、
成長してゆく青少年の心の中に証認された文化の諸要素が自然に刻み込まれ
てゆく。
 この同じ教育のために、特に書物の広範な普及と文化的・社会的交流の新
しい手段のおかげで、現代社会には、普遍的文化を促進する好機が存在する。
事実、労働時間の短縮が一般に広まることによって、日増しに多くの人が種
々の利益を受けつつある。余暇が精神を休め、心身の健康を強めるために正
しく使われることが願わしい。たとえば、時通名活動や勉強もよく、また他
の地方への旅行(観光)は才能を鍛錬し、相互理解によって人を豊かにする。
スポーツや競技会は個人や共同体の精神の均衡を保つために、またあらゆる
生活条件、国家、人種に属する人々の間に兄弟関係を確立するために役立つ。
したがって、キリスト信者は現代の特徴である文化的集会と集団的行動に、
人間的また、キリスト教会的精神を吹き込むように協力しなければならない。
 これらすべての恩沢も、文化と学問が人間にとって何を意味するかという
ことについて深く考えることを怠るならば、人間の文化的な全き発展を目ざ
す教育を実現することはできない。
62(文化とキリスト教との調和)
 教会は文化の発展に大きく貢献したが、文化とキリスト教との調和の実現
には、種々の事情によって、常に困難が伴ったことは経験の証するところで
ある。
 このような困難は必然的に信仰生活に害をもたらすものではなく、信仰に
ついての、より正確でいっそう高い理解へと精神を励ますこともできる。事
実、現代における科学・歴史学・哲学の研究と発見は新しい問題を提起する。
そして、これらの新しい問題は実生活にも影響するものであって、神学者の
新研究をも要求している。なお神学者は神学独自の方法と規則を守りながら
も、常に同時代の人々によりよく教理を伝える方法を探すように招かれてい
る。信仰の遺産そのもの、すなわち信仰の諸真理と、それを表現する方法と
は別のことだからである。ただし、別の表現方法をとる場合、同じ趣旨、同
じ意味が守られなければならない。司牧に関しては神学的原理だけでなく、
世俗の学問、特に心理学と社会学の発見を十分に知り、それを用いなければ
ならない。そうすることによって信者もいっそう純粋で円熟した信仰生活に
導かれる。
 文学や芸術も、それなりに教会の生命にとって重要である。実際、それは
人間の本性、また自分自身と世界とを理解し向上させようと努力する人間の
課題と体験を表現しようと試みる。それは歴史と世界における人間の位置を
発見し、また人間の悲惨、喜び、必要、力を明らかにし、人間のもっと明る
い未来を描こうと務める。こうして、文学および芸術は時代と地域に従って
多彩な様式をもって表現された人間生活を高めることができる。
 したがって、文芸に携わる人たちが、自分たちとその仕事は教会から理解
されているのだと感じ、平静な自由を味わい、キリスト教共同体といっそう
容易に交流することになるよう、努力がなされなければならない。教会は、
国や地方野種々の特色を生かして現代人の好みに合わせた新しい芸術様式を
も認めるべきである。それらの表現方法が適切であって、典礼の要請にかな
い、心を神に高める作品であれば、聖所に受け入れるべきである。
 このようにして、神に関する知識がいっそうよく示され、また福音の教え
が人間の知性にいっそう明かとなり、人間の存在条件に本来適するものとし
て現われる。
 信者は同時代の人々と密接に結ばれた生活を営み、文化を通して表現され
るかれらの考え方や感じ方をよく知るように努力しなければならない。現代
の科学と学説および新しく発見された知識を、キリスト教の道徳と教理に結
びつけることによって、宗教心と道徳感とが科学知識や絶えず進歩する技術
と同じ歩調で進むようにしなければならない。こうすることによって信者は
あらゆるものを真正のキリスト教的感覚をもって評価し解釈することができ
る。
 神学校や大学で神学を教える人々は、他の学問にひいでた人々と協同協議
して協力するよう努力しなければならない。神学的研究は啓示された真理に
ついての深い理解を追求するとともに、時代との接触を怠らないようにすべ
きである。そうすれば、種々の学問的教養のある人々が信仰についての理解
を深めるのを助けることができるであろう。このような協同の努力は聖なる
役務者たちの要請に大いに役立つであろう。役務者たちは神と人間と世界に
関する教会の教理を、より適切に現代人に説明することができるようになり、
その結果、現代人は自発的にかれらのことばを受け入れるようになる。なお、
多くの信徒が聖なる学問について十分な教育を受け、その中のおっくの者が
専門的にこの研究を続け、またそれを深めることが望まれる。かれらがその
務めを実践することができるためには、信者たちに、すなわち教役者にも信
徒にも、研究と思想の正当な自由、自分の専門の分野において謙虚と勇気を
もって自説を発表する正当な自由を認めなければならない。

#696/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:29 (112)
2V>現代世界憲章2・3 経済・社会活動1
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第2部 若干の緊急課題
第3章 経済・社会生活
63(経済生活のある面)
 経済・社会生活においても、人間の尊厳とその全き召命、全社会の善が尊
敬され促進されなければならない。人間は全経済社会生活の作者、中心、目
的だからである。
 現代の経済は社会生活の分野と同様に、自然に対する人間の支配の増大、
各市民・各集団・各国家の間の関連と相互依存の多角化と強化、政治権力の
ひんぱんな介入によって特徴づけられている。同時に、生産方式と商品およ
び奉仕交流の進歩によって、経済は人類家族の増大した必要によりよく奉仕
することができる適切な道具となった。
 しかし、不安の原因がないわけではない。少なからざる人々が、特に経済
的に発展した地域において、経済によって支配されているように見え、かれ
らの個人ならびに社会生活の大部分は、一種の経済万能主義に染まっており、
それは集団経済の国においても同様である。経済生活の発展が理性的に人間
らしく指導され調整されるならば、社会的不平等を緩和することができる時
代にあるにもかかわらず、しばしばそれを激化させ、ある地域においては弱
者の社会条件の退歩や貧者に対する軽蔑さえ生み出している。無数の大衆が
今もなお生活必需品さえ持たないのに、ある人々は、低開発地域においてさ
え、豪勢な浪費生活をしている。ぜいたくと貧困とが同時に存在する。少数
の人間が絶大な決定権を握り、多数の人間は自分の発意と責任において行動
する可能性さえ持たず、しばしば人間にふさわしくない生活と労働条件の中
に置かれている。
 農業、工業、サービス部門の間にも、同一国家内の各地方の間にも、経済
的・社会的均衡の同様な欠如が見られる。経済的先進国とその他の国との間
には、世界の平和を危機におとしいれることができる対立が日増しに深まっ
ている。
 現代人はこれらの差別を日増しに強く意識し始めている。それというのも
現代の新技術と経済力によって、このような不幸な状態を改めることができ
るし、また改めなければならない、と確信しているからである。そのために
は、経済社会生活において多くの改革およびすべての人の考え方と態度の改
革が要求される。このために教会は、正しい理性から要求される、個人・社
会・国際生活に関する正義と平等の原則を諸世紀の流れを通して福音の光の
もとに明らかにしてきたが、特に近年、それを広く述べるに至って。公会議
は経済発展による要請を考慮しながら、上述の原則を現代の事情に照らして
強化し、若干の方向づけを行うことを望むのである。
第1節 経済的発展
64(人間に奉仕する経済的発展)
 以前にもまして今日では、人口の増加に備え、人類の増大する期待に答え
るために、農業および工業生産の増加とサービス部門の工場を計ることは当
然である。したがって、技術の進歩、改革の精神、企業の創設と拡張、生産
方法の適応、生産に携わる全従業員の熱心な努力、一言でいえば発展に役だ
つあらゆる要素を促進すべきである。このような生産の基本的目的は、単な
る生産物の増加ではなく、利益でも権力でもなく、人間に対する奉仕である。
すなわち、物質的必要と知的・道徳的・霊的・宗教的生活の要請を考慮した
うえでの人間全体に対する奉仕であり、人種や地域の差別なしに、すべての
人間、すべての団体に対する奉仕である。したがって独自の方法と法則に従
う経済活動は、倫理秩序の限界内において行われなければならない。そうし
てこそ人間についての神の計画が実現される。
65(経済の発展に対する人間の統制)
 経済発展は人間の統制のもとに置かれなければならない。それを少数の人
間や巨大な経済力を持つ団体の自由にさせたり、政治共同体だけや若干の強
国の自由に任せてはならない。そうではなく、あらゆる水準においては、で
きるだけ多くの人が、そして国際関係においては、すべての国家が、経済発
展の方向づけに積極適役割りを持つべきである。同時に個人ならびに自由団
体の自発的な活動と公権の企画との間の適切な調整を計るべきである。
 経済の発展を各個人の経済活動の機械的なりゆきや公権のみに任せておく
べきではない。したがって、自由の仮面のもとに必要な改革に反対する理論
も、生産の集団組織を個人と団体の基本的権利に優先させる理論も、ともに
誤りとして告発しなければならない。
 いずれにせよ国民は、自分の所属する共同体の真の発展のためにできる限
り寄与すべき権利と義務を持つことを記憶すべきであり、国家もそれを認め
るべきである。特に、あらゆる資源を早急に活用しなければならない低開発
地域においては、自分の所有する資源を利用せずに放置しておく者や、自分
が属する共同体が必要とする物質的・精神的援助を拒否する者は、共通善を
重大な危険にされすものである。ただし、この場合、個人の移住権は例外で
ある。
66(顕著な経済的・社会的格差の排除)
 個人の権利と各民族の特質を尊重したうえで、正義と平等の要請に応じる
ために、個人的ならびに社会的差別待遇と結ばれ、増大してゆく現代のはな
はだしい経済的不均衡は、できる限り早く除去するよう懸命に努力しなけれ
ばならない。同様に多くの地域においては、農業が生産と販売の面で遭遇し
ている特殊の困難を考慮に入れ、生産の増加と販売の促進、必要な改良と刷
新の導入によって、公正な収入を得ることができるように農民を援助すべき
である。そうしなければ、しばしば、農民は、下等の国民であるかのような
状態にとどまるであろう。一方、農民自身、特に青年、専門の知識・技術を
向上させるように努力しなければならない。それなしに農業の発展はありえ
ない。
 同じく正義と平等は、発展する経済に必要な可動性の調整によって、個人
とその家族の生活が不安定・不確実にならないようにしなければならない。
国家または地域の経済開発に協力寄与している外人労働者または地方出身の
労働者に対して、給与あるいは労働条件上のいかなる差別も細心の注意をも
ってさけなければならない。なお、だれもが、そして特に公権は、かれらを
単なる生産の手段としてではなく人格として扱い、かれらが家族を呼び寄せ、
適当な住宅に住むことができるように援助し、現地の国または地域の社会生
活にとけ込むように助けなければならない。しかし、できるかぎり自分の出
身地で仕事を作り出してゆくできである。
 たとえば、オートメーションの進歩に見られるような新形態の工業界と同
様に、過渡期にある現在の経済界においては、各人に適当で十分な仕事と適
切な技術的・職業訓練の可能性を提供するようにしなければならない。また、
特に病気や年齢のために特別困難な状況にある人々の生計の手段と人間とし
ての尊厳を確保しなければならない。

#697/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:30 (101)
2V>現代世界憲章2・3 経済・社会活動2
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第2部 若干の緊急課題
第3章 経済・社会生活(続)
第2節 経済・社会生活全体を支配する若干の原則
67(労働、労働条件、休暇)
 物の生産と交換ならびに経済的サービス業に従事する労働者は、単に手段
にすぎない他の経済生活の要素にまさっている。
 この労働は自力によるものも、雇用によりものも、直接に人間から出るも
のである。すなわち、人間は自然物に自分の刻印をしるし、それを自分の意
志に従わせる。人間は普通、労働によって自分と家族との生活を維持し、兄
弟たちと結ばれ、これに仕える。また労働によって、真実の愛を実践し神の
創造の完成に協力することができる。なお、労働を神にささげることによっ
て、人間はイエズス・キリストのあがないのわざ自体に参加する、とわれわ
れは主張する。主はナザレにおいて、自分の手で労働することによって、労
働にすぐれた価値を与えたのである。これらのことから、忠実に労働する義
務と労働する権利とが各人に生ずるのである。社会は国民が十分な仕事の機
会を見いだすことができるように、社会の具体的状況に応じて、その立場か
ら、国民を助けなければならない。さらに労働の報酬は、各自の任務と生産
性、企業の状況と共通善を考慮したうえで、本人とその家族に物質的・社会
的・文化的・精神的生活をふさわしく営むことのできる手段を保証するもの
でなければならない。
 一般に、経済活動は多くの人間の協同によるものであるから、働く人々の
だれかの不利になるような経済活動を組織し規制することは不正であり非人
間的である。しかし、働く者がある意味で自分の仕事に隷属させられるよう
なことが、今日においても、しばしば起こっている。このことは、いわゆる
経済法則によってけっして正当化されるものではない。それゆえ、生産的労
働の全過程を、人間の必要とその生活の要求に適応させなければならない。
それはまず第一に過程生活の必要に適応させるべきであって、特に過程の母
親立ちに関して、常に性別と年齢を考慮に入れなければならない。そのうえ、
労働者が、自分の労働の中に自分の能力と人格を発展させることのできる可
能性を持たなければならない。働く者は正しい責任感に基づいて自分の時間
と労力を仕事に注ぎ込まなければならないが、過程・文化・社会・宗教生活
を営むためにも、十分な休息と余暇が働く者のすべてに与えられなければな
らない。なお、自分の職業においては十分に使うことができない能力や技能
を時通に伸ばす機会を持たなければならない。
68(企業参加、国際的経済組織への参加、労働争議)
 人間は、(すなわち自由で自主的で神の像にかたどって造られている人間
は)結合して得企業をいとなむ。したがって、資本家、経営者、管理者、労
働者のそれぞれの職務を考慮し、業務運営上必要な統一を確保したうえで、
適切に規定された方法によって、すべての人が企業の経営に積極的に参加す
ることを促進するべきである。労働者とその子供たちの将来を左右する経済
的、社会的条件は企業そのものの段階においてではなく、上層の組織によっ
て決定されることが多いから、労働者は自分自身かまたは自由に選出した代
表者を通して、この決定にも参加すべきである。
 労働者が自由に組合を組織する権利を、基本的人権の中に数えるべきであ
り、組合は労働者を真実に代表し、経済生活の正しい調整に寄与できるもの
でなければならない。また報復の危険なしに組合活動に自由に参加する権利
を認めなければならない。このような秩序のある参加は、経済的・社会的要
請の進歩とともに、自分の職務と仕事に関するすべての人の自覚を強めるで
あろう。こうして人々は各自がその能力と才能に応じて、経済・社会生活全
体の発展と全世界の共通善の実現に参加していることを感じるようになる。
 経済的・社会的争議が起こったときには、平和的解決に達するよう努力す
べきである。まず解決の常道として、双方の間の誠実な話し合いを求めなけ
ればならないが、現状においては、ストライキは労働者の権利を守り、その
正当な要求を実現するための最後の必要手段として認めることができる。こ
の際にもできるだけ早く交渉再開と話し合いによる妥結への道を探すべきで
ある。
69(地上の財貨は万人のためのものである)
 神は地とそこに含まれるあらゆる物を、すべての人と民族の使用に決定し
た。したがって被造財は、合いを伴う正義に基づいて、公正にすべての人に
豊富に行きわたらなければならない。変動する種々の状況に対応し、国民の
正当な制度に適応したものとしての所有の形態が、どのようなものであるに
せよ、人は財のこの普遍的指定を常に考慮しなければならない。それゆえ人
間は、財の使用に際して、自分が正当に所有している物件を自分のものとし
てばかりでなく共同のもの、すなわち、物件は自分のためばかりでなく、他
人のためにも役だつようにという意味に考えなければならない。いずれにせ
よ、すべての人は自分と自分の家族のために十分な量の財産を所有する権利
を持っている。教会の教父や博士はこのように考え、貧しい人を助ける義務
があること、しかもそれは自分にとって余分なものを与えるだけでは十分で
ないことを教えた。窮乏の極にある者は自分にとって欠くことのできない必
要物を、他人の財産から取得する権利がある。世界には飢えに苦しんでいる
人が多いので、公会議はあらゆる人と政府とに呼びかけ、「飢え死にしそう
な人に食物を与えなさい。かれに食物を提供しないならば、きみがかれを殺
したのだ」と宣言する教父たちのことばを思い起こすよう、そして各自の能
力に応じて実際自分の持ち物を分け与え、特に個人や国家がみずからを助け、
発展できるような手段を提供するよう迫る。
 経済的に低開発の社会において、その社会特有の習慣や伝統によって、財
の共同指定が部分的に実行されることもまれでない。こうして必要財は各個
人に提供される。しかし、現代の新しい要請にもはや適応しない場合、ある
種の習慣を、全然変更できないものと考えることは避けるべきであるが、そ
れと同時に、現代の事情によく順応させれば十分役だつ正しい習慣を、いた
ずらに破壊すべきではない。同時に、経済的に非常に発達した国においては、
保険と保障に関する社会制度の組織が、財の共同指定を部分的に実現するこ
とができる。なお、家庭奉仕や社会奉仕、特に文化と教育に寄与するものを
促進すべきである。ただし、これらすべてが制定された結果、国民が社会に
対して消極的な態度に陥ったり、引き受けた任務の責任を回避したり、奉仕
を拒否したりすることがないように、注意しなければならない。
..

#698/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:31 ( 80)
2V>現代世界憲章2・3 経済・社会活動3
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第2部 若干の緊急課題
第3章 経済・社会生活(続)
第2節 経済・社会生活全体を支配する若干の原則(続)
70(投資と貨幣)
 投資は現在と将来の国民に十分な仕事の機会と収入を確保することを目ざ
すものでなければならない。このような投資と経済生活の計画を決定する人
はだれでも、個人も団体も公権も、上述の目的を念頭に置き、自分の重大な
責任を自覚すべきである。すなわち、一方では個人にも共同体にも相応な生
活に必要なものが提供されるように配慮し、他方では将来を見通して個人お
よび集団の現在の消費の必要と、未来の世代のための投資の必要との間に正
しい均衡を見いだすようにしなければならない。なお、低開発国または低開
発地域の緊急の必要を常に念頭に置かなければならない。通過の取り扱いに
関しては、自国または他国の利益を害することがあってはならない。経済的
に貧しい国々が貨幣価値の変動によって不正な損害を受けることがないよう
にすべきである。
71(財産取得、私有権、大地主)
 財産所有ならびに物件私有のその他の形態は、人間の自己表示に寄与し、
さらに社会と経済において自分の責任を果たす機会を提供する。個人または
団体が物件についてある種の支配権を取得できるように奨励することは非常
に重要である。
 私有財産または物件に対するある種の支配権は、個人と家庭の自律にまっ
たく必要な領域を各自に提供するものであり、人間の自由の延長とも考える
べきである。それは義務と責任を果たすための刺激剤であるから、市民的自
由の一条件でもある。
 このような支配権または所有の形態は今日、種々さまざまであり、それは
日増しに複雑化している。今日では、公共の資金や、社会が保証する権利と
奉仕が存在するが、これら種々の所有形態は軽視できない保障の源である。
このことは物件の所有に関してばかりでなく、専門的能力のような非物質的
な財についても言うことができる。
 私有権は公共所有権の諸形態のもつ権利を妨げるものではない。財貨を公
共の所有とすることは、所轄当局により、共通善の要求に基づいて、その限
界内で、公正な補償が与えられて行われる場合にだけ可能である。なお公権
は私有財産が共通善に反して乱用されないように手配すべきである。
 私有財産自体は、本性上社会的性格を持っている。この社会的性格は財の
共通目的の法則に基づくものである。この社会的性格を無視すれば、財産所
有はしばしば欲望と大きな無秩序の機会となり、所有権そのものを攻撃する
者に口実を与えることになる。
 多くの低開発地域において、いいかげんに耕作されていたり、または投機
のおもわくから放置されている、広大な、また巨大な農地さえ存在し、一方
では、国民の大部分が土地を持たないか、ごく狭い耕地しか所有していない
場合がある。しかも他方では農産物の増収が急務であることは明かである。
土地所有者に雇用されている人々や小作人として働いている人々の受ける給
料または報酬は、人間にふさわしくないほど少額であり、この人々は適当な
住宅を持たず、仲介人によって搾取されることもまれではない。この人々は
完全に無保障であり、自発的に責任をもって行動する能力をほとんど取り上
げられるような個人的従属関係のもとに生活している。そのため、文化的進
歩や社会的、政治的生活への参加はまったく禁じられてしまう。したがって、
種々の状況に応じて、収入の増加、労働条件の改善、職務保障の増加、自発
的労働の奨励をはじめ、開拓能力のある人々に対する未開発地の分配など、
種々の改革が必要である。この最後の場合には必要な物と手段、特に教育の
援助と協同組合を正しく組織する可能性を提供すべきである。共通善が私有
財産の収入を要求するときは、あらゆる事情を考慮したうえで、公正な保障
を算出すべきである。
72(経済・社会活動とキリストの国)
 現代の経済・社会発展に積極的に参加し、正義と愛のために戦うキリスト
者は、自分たちが人類の繁栄と世界の平和のために大いに貢献できるという
確信を持たなければならない。また、自分たちの行動によって、個人として
も団体としても、すぐれた模範を示さなければならない。絶対に必要な熟練
と経験とを身に付け、キリストとその福音に忠実に仕え、地上的活動におい
て、価値の正しい序列を守り、こうしてその個人的、社会的生活全体に真福
八端の精神、特に清貧の精神が行きわたるようにしなければならない。
 キリストに従ってまず神の国を求める物は、すべての兄弟を助けるため、
また愛のはげましのもとに正義のわざを行うために、いっそう強くいっそう
純粋な愛を受ける。

#699/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:32 (128)
2V>現代世界憲章2・4 政治共同体の生活1
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第2部 若干の緊急課題
第4章 政治共同体の生活
73(現代の公共生活)
 現代においては、国家の構造と組織にも大きな変化が見られる。国民の文
化的・経済的・社会的進歩に伴うこのような変化は、政治共同体の生活に、
特に市民的自由の行使と共通善の追求における各自の権利と義務に関して、
また国民の相互関係ならびに国民と公権との関係の調整に関して、大きな影
響を与える。
 人間の尊厳についての自覚が強まるにつれて、たとえば集会と結社の自由、
言論の自由、私的にも公的にも信教を公言する自由などの人権を、公共生活
においてよりよく擁護する政治的・法的秩序を確立しようとする努力が世界
の諸地域に生ずる。事実、人権の擁護は国民が個人としても団体としても、
国家の生活と統治に行動的に参加できるための必要条件である。
 文化的・政治的・社会的進歩と共に、政治共同体の調整により大きな役割
を持つという望みが多くの人の間に強くなる。国内の少数派の権利が擁護さ
れると同時に、かれらが政治共同体に対する義務を怠らないようにという意
向が多くの人の良心の中に強まる。そのうえ、意見や宗教を異にする人々の
権利を実際に享受できるためのいっそう広い協力が確立される。
 これに反して、市民の自由または信教の自由を妨害し、欲望と政治的犯罪
の犠牲者の数を増し、共通善の為ではなく、党派や統治者自身の利益のため
に権力を曲げて行使するような政治形態は、一部の地域に存在するが、この
ような政治形態すべてを排斥する。
 真に人間にふさわしい政治生活を確立するためには、正義感と親切心と共
通善に対する奉仕の精神を養い、政治共同体の真の性格、および公権の目的
とその正当な行使とその限界とに関する基本的確心を強めることが最も重要
である。
74(政治共同体の本質と目的)
 市民共同体を形成する各個人、家庭、諸団体は、完全な人間生活を営むた
めには自分たちだけでは不十分であることを自覚し、絶えず共通善をよりよ
く実現するためにすべての人が毎日力を合わせるような、さらに大きな共同
体の必要を感じる。そのため人々は種々の形態の政治共同体を形成するので
ある。したがって共通善の為に存在する政治共同体は、共通善の中にその完
全な意味とその完全な正当性を見いだし、またそこから最初のそして本来の
権利を得る。共通善は個人・家庭・団体がそれぞれの完成に、より用意に到
達できるような社会生活の諸条件の総体である。
 しかし、政治共同体を作る多くの異なった人々は、当然種々の異なった意
見に傾くことができる。そこで、各自が自分の意見を固守することによって、
政治共同体の分裂を防ぐために権威が必要となる。すなわち権利は機械的に
でもなく暴君的にでもなく、まず自由と責任感に根ざす道徳的力として、全
国民の力を共通善に向けさせるのである。
 それゆえ、政治共同体と公権は人間の本性に基づくものであり、したがっ
て神の定めた秩序に属するものであること明白である。ただし、政治体制の
決定と政府の指名は国民の自由意志に任されている。
 同様に、政治上の権威の行使は、共同体そのものにおいても、常に倫理秩
序の限界内において、動的(ダイナミック)なものと理解された共通善を目
的として、合法的に定められた、または定むべき法秩序に従って行われるべ
きである。その場合、国民には良心に基づいて服従すべき義務が生ずる。こ
こにおいて、上に立つ者の責任、品位、重要性は明白である。
 公権が越権行為によって国民を圧迫する場合も、国民は共通善によって客
観的に要求されることを拒否してはならない。しかし国民は公権の乱用に反
対して、自然法と福音のおきてが示す限界を守りながら、自分および同国民
の権利を擁護することができる。
 政治共同体がみずからの構造を定め、公権を規制する具体的方式は、それ
ぞれの国民性と歴史の発展に応じて異なり売る。しかし、それは常に全人類
家族の益のために、教養があり、平和を愛し、すべての人に好意をもつ人間
を育成することに役だつものでなければならない。
75(公的生活におけるすべての人の協力)
 政治共同体の法的基礎の制定、国家の統治と諸機関の領域および目的の決
定、為政者の選挙に関して、実際に国民のすべてが常によりよく、なんらの
差別待遇なしに、自由に行動的に参加できるような法的政治的形態を見いだ
すことは人間の本性にまったくなかったことである。したがって国民のすべ
ては共通善を促進するために自由投票を用いる権利と義務があることを記憶
すべきである。人々に対する奉仕として、国家の福祉のために尽くし、また
この任務の重責を引き受ける人々の働きを教会は賞賛に価するものとして高
く評価する。
 国民の良心的協力が国家の日常生活の中によい実を結ぶためには、成文法
が必要である。それによって、公権の諸機関と任務の適切な分割、ならびに
権利の擁護にあたる独立した効果的な制度が定められる。すべての個人・家
庭・集団の権利とその行使・ならびにすべての国民を拘束する義務が認めら
れ、守られ、促進されなければならない。
国民の義務の一つとして、共通善のために必要な物的または人格的奉仕、文
化団体、中間団体を妨害したり、その正当で効果的活動を禁止せず、帰って
そのような活動を喜んで秩序正しく促進するよう努力すべきである。国民は
個人としても団体としても、公権に過度の権限を与えないよう、また公権か
ら過度の援助や利益を不当に要求しないように留意すべきである。このよう
なことは個人、家庭、社会集団の責任感を低下させるからである。
 複雑な現代の状況において、人間としての完成を追求する国民や団体をよ
り効果的に助けることができるいっそう適切な状況を作り出すために、公権
はしばしば社会的、経済的、文化的な事がらに、止むをえず介入しなければ
ならない。社会化と個人の自主および進歩との関係は地域の違いと国民の進
歩の度合いに応じてさまざまに理解される。ただし共通善のために、権利の
行使が一時的に制限される場合には、事情が変われば、まず大一に自由を回
復すべきである。政治権力が個人および社会的団体の権利を侵害する全体主
義や独裁主義の形態をとることは、ひにんげんてきなことである。
 国民は祖国愛を惜しみなく忠実に養うべきであるが、心の狭さを避け、諸
民族、諸国民、諸国家の間における種々の関連によって結ばれている全人類
家族の善を常に志さなければならない。
 すべてのキリスト信者は、政治的共同体における自分の特別な使命を感じ
とるべきである。キリスト信者は義務に対する責任感と共通善に対する奉仕
の輝かしい模範によって、この召命を示すべきである。したがってキリスト
信者は、権力と自由、個人の創意と社会全体の連帯性および関係、必要な統
一と実り多い多様性をどのように結び合わせるかを、行為を持って示さなけ
ればならない。地上の諸現実の処理に関しては互いに異なる種々の考え方を
正当なものとして認め、自分の考え方を正直に弁護する市民と団体を尊重す
べきである。政党は共通善のために必要であると判断した事がらを促進しな
ければならない。しかし、政党自体の利益を共通善に優先させることは絶対
に許されない。
 公民教育と政治教育は、国民のすべてが政治共同体の生活において自分の
役割を果たすために、国民特に青少年にとって大いに必要であり、熱心に行
うべきである。困難であると同時に最も高貴な政治の技術に適する者、また
はその可能性のある者は、そのために準備し、自分の利権や物質的利益を考
えずに政界に入るように努力すべきである。不正、圧制、一個人または一政
党による専制と不寛容に対しては精錬潔白と思慮をもって戦い、誠実、平等、
愛、政治的勇気をもってすべての人の福祉に専念すべきである。

#700/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:33 ( 51)
2V>現代世界憲章2・4 政治共同体の生活2
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第2部 若干の緊急課題
第4章 政治共同体の生活(続)
76(政治共同体と教会)
 政治共同体と教会との関係について、正しい見方を持つことは特に多元的
社会において重要である。またキリスト信者個人または団体が、キリスト教
的良心に基づいて一市民として行うことと、牧者とともに教会を代表して行
うことを明確に区別することは重要である。
 教会の任務と権限から考えて、教会と政治共同体とはけっして混同される
べきではなく、教会はどのような政治体制にも拘束されてはならない。同時
に、人間の超越性のしるしであり、またその保護者である。
 政治共同体と教会はそれぞれの分野において互いに独立しており、自律性
を持っている。しかし両者は、名目こそ違え、同じ人々の個人的、社会的召
命に奉仕する。両者が時と所の状況を考慮して互いに健全に協力しあうなら
ば、すべての人の益のために、この奉仕をよりよく実行できるであろう。
事実、人間は現世的秩序だけに制約されているのではない。人間は人類の歴
史の中に生きながら、自分の永遠の召命をそのまま保っている。教会はあが
ない主の愛の上に築かれて、国内と国際間に正義と愛がいっそう広く実行さ
れることに寄与する。教会は福音の真理を説き、その教えとキリスト信者の
あかしをもって人間活動の全分野を照らすことにより、国民の政治的自由と
責任をも尊重し促進する。
 世の救い主キリストを人々に告げるために派遣された使徒とその後継者、
およびその協力者たちは、その使徒職の実践において、しばしば証人たちの
弱さの中に福音の威力を示す神の力に依存する。神のことばの奉仕に献身す
る者は皆、福音独自の方法と援助を用いるべきである。それは多くの場合、
地上の国の援助とは異なっている。
 確かに、地上の現実と、人間の条件においてこの世を超越する事がらとは、
互いに密接に結ばれている。教会自身もその固有の使命が要求する場合、地
上の現実を利用する。しかし、教会は国家権力が提供する特権を希望するも
のではない。むしろ正当な既得権の行使が教会のあかしの誠実さについて疑
いをいだかせたり、新しい生活条件が別な規制を要求するときには、正当な
既得権の行使を放棄するであろう。しかし教会は常に、どこにおいても、真
の自由をもって信仰を説き、社会に関する自分の教説を教え、人々の間にお
いて自分の任務を妨げなく実行する権利を持っている。なお人間の基本的権
利や霊魂の救いのために必要であれば、教会は福音および、さまざまな時と
条件に応じてすべての人の益にふさわしいあらゆる手段を、そしてそれのみ
を用いて、政治的秩序に関する事がらにおいても倫理的判断を下すことがで
きる。
 人間共同体の中に見いだされる真・善・美のすべてを育て高めることを自
分の務めとする教会は、忠実に福音に従い、世における自分の使命を実行死
筒、神の栄光のために人々の間に平和を固める。

#701/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:34 (109)
2V>現代世界憲章2・5 平和・国際共同体1
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第2部 若干の緊急課題
第5章 平和の推進と国際共同体の促進
77(序文)
 戦争の破壊と脅威がもたらす困苦と不安が今もなお重苦しく人々の上に伸
しかかっているわれわれの時代に、全人類家族はその成長への歩みにおける
最大の危機に到達した。人類家族はしだいに一つに集まり、すでにどこにお
いても一致の自覚が強まっている。しかし、すべての人が新たに改心して真
の平和を求めなければ、人類の仕事すなわち、すべての人のために、すべて
の所で、真に、いっそう人間らしい世界を建設するという仕事を果たすこと
はできな位。こうして、平和を作る者は、「神の子と呼ばれるであろう」
(マタイ 5:9)と宣言する福音の知らせは、人類の崇高な努力と期待に添うもの
として現代に新しい光を輝かすのである。
 したがって公会議は、平和についての真実の崇高な意味を解明し、戦争の
残酷さを断罪した後、平和の作者であるキリストの助けの元に。正義と愛に
基づく平和を打ち立てるため、また平和への手段を準備するために、すべて
の人と協力するよう、熱意をこめてキリスト者に呼びかけたい。
78(平和の本質)
 平和は単なる戦争の不在でもなければ、敵対する力の均衡を保持すること
だけでもなく、独裁的な支配から生ずるものでもない。平和を正義のわざと
定義することは正しい。平和とは、人間社会の創立者である神によって、社
会の中に刻みこまれ、常により完全な正義を求めて人間が実現しなければな
らない秩序の実りである。事実、人類の共通善は、基本的には永遠の法則に
よって支配されるが、共通善が具体的に要求する事がらは、ときの経過とと
もに絶えず変動する。平和は永久に獲得されたものではなく、絶えず建設す
べきものである。そのうえ人間の意志は弱く、罪によって傷つけられている
ため、平和獲得のためには各自が絶えず激情を押さえ、正当な権力による警
戒が必要である。
 しかし、それだけでは十分ではない。個人の善が安全に確保され、人々が
精神と才能の富を信頼をもって互いに自発的に交流し合わなければ、地上に
平和は獲得できない。他人と他国民お呼びかれらの品位とを尊重する確固た
る意志、また兄弟愛の努力と実践は、平和の建設のために絶対必要である。
こうして平和は愛の実りでもある。愛は正義がもたらすものを超える。
 隣人に対する愛から生まれる地上の平和は、父なる神から来るキリストの
平和の映像であり結果である。受肉した子は平和の君主であり、自分の十字
架によってすべての人を神と和解させ、一つの民、一つのからだのうちにす
べての人の一致を再建し、自分の肉において憎しみを殺し、復活によって高
くあげられ、愛の霊を人々の心に注いだ。
 したがって、すべてのキリスト者は愛の中に真理を実行しながら(エフェソ
4:15)、平和を求め、また打ちたてるために、平和を心から愛する人々と協
力するよう強く求められている。
 権利を擁護するために暴力を放棄して、弱い者にも使うことのできる防衛
手段にたよる人々を、われわれは同じ精神に基づいて賞賛しないわけにはい
かない。ただし、暴力の否定が他人または共同体の権利と義務を侵害するこ
とが合ってはならない。
 「人間が罪びとである限り、キリストの再臨の時まで変わることなく、戦
争の危険は人々を脅かし続けるであろう」。しかし、人々が愛によって結ば
れる限り、罪に打ち勝ち、暴力にも打ち勝つであろう。こうして次のことば
が実現する。「かれらは剣をすきに、槍を鎌に打ちなおすであろう。国々は
互いに剣を取りあげず、もはや戦いのために訓練しない」(イザヤ 2:4)。
第1節 戦争を避けること
79(戦争の残酷さを少なくすること)
 近年、戦争が物質的・精神的な大損害を世界にもたらしたにもかかわらず、
今なお毎日、地上のどこかで戦争による破壊が続けられている。そのうえ、
戦争においてはあらゆる種類の科学兵器が用いられるので、戦争の激烈さは
戦闘員を過去の時代をはるかに超える残虐さに導くおそれがある。現代の複
雑な状況と複雑な国際関係は、陰険な新しいかく乱戦法によるゲリラ戦の長
期化を許している。多くの場合、テロ行為があたかも戦争の新形式のように
考えられている。
 公会議は人類のこのような悲しむべき状態を思い、まず第一に国際自然法
とその普遍的原則のもつ永久の価値を思い起こさせることを意図する。人類
の良心そのものが、これらの原則をますます強く主張する。したがって、こ
れらの原則に故意に違反する行動とそのような行動を支持する命令は犯罪で
ある。
盲目的服従も弁解の理由にはならない。このような行動の中で、まず第一に
あげるべきは、国民全体、国家、少数民族を計画的に、全滅しようとする行
為である。それは恐るべき犯罪として激しく糾弾されなければならない。こ
のような犯罪を命ずる者に対して、恐れずに、はっきりと反抗する人の勇気
を大いに賞賛しなければならない。
 戦争に関しては、軍事行動とその結果の非人道性を少なくすることを目的
として、種々の国際条約が存在し、多くの国がそれに加盟している。たとえ
ば、負傷兵や捕虜の取り扱いに関する条約やこれに類する協定などである。
これらの条約は守られるべきである。またすべての人、特に公権とその道の
専門家は協定を改良して戦争の非人道性をいっそう効果的に、よりよく阻止
するよう、できる限り努力しなければならない。なお、良心上の理由から武
器の使用を拒否する人が、別の方法で共同体に奉仕することを受託すれば、
法律によって人間味のある処置を規定することは正しいと思われる。
 確かに戦争は人間の司会から消え去ったわけではない。戦争の危険が存在
し、しかも十分な力と権限をもつ国際的権力が存在しない間は、平和解決の
あらゆる手段を講じたうえであれば、政府に対して正当防衛を拒否すること
はできないであろう。国家の元首ならびに国家の政治にたずさわる者は自分
に託された国民の安全を守り、この重大事項を慎重に取り扱う義務がある。
しかし、国民を正当に防衛するために戦争することと、他国の征服を意図す
ることは同じではない。また戦力を保有し、それを軍事目的、政治目的のた
めに使用する時、その使用がいつも正当化されて、すべてのことが許される
わけでもない。
 祖国に対する奉仕を志して軍籍にある者は、自分自身を国民の安全と自由
のための奉仕者と考えるべきである。この任務に正しく従事している間、か
れらは真に平和の維持のために寄与している。

#702/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:35 (115)
2V>現代世界憲章2・5 平和・国際共同体2
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第2部 若干の緊急課題
第5章 平和の推進と国際共同体の促進
第1節 戦争を避けること(続)
80(全面戦争)
 科学兵器の進歩によって戦争の悲惨と邪悪は無限に増大する。事実、これ
らの兵器を使用した戦闘行為は、正当防衛の範囲をはるかに超える多大な無
差別の破壊をもたらす。そのうえ、大国がすでに所有している科学兵器がそ
のまま全部使用されるならば、このような兵器の使用によって、世界に起こ
る多くの荒廃と恐るべき結果をもたらすだけでなく、敵対する両陣営のほと
んど完全な相互殺害が行われる。
 これらすべてのことは、まったく新しい考え方によって、戦争を検討する
ことをわれわれに強要している。現代の人々は、自分たちの戦争行為につい
て重大な計算書を提出しなければならないと知るべきである。未来の世界は
人々が今日行う決定に多く依存するからである。
 これらを考慮したうえで、この教会会議は、すでに近代の諸教皇によって
宣言された全面戦争の断罪を認め、次のように宣言する。
 都市全体または広い地域をその住民とともに無差別に破壊するための戦争
行為はすべて、神と人間自身に対する犯罪であり、ためらうことなく断固と
して禁止すべきである。
 これが現代戦争に独特の危険である。現代科学兵器の保有者に、このよう
な犯罪を犯す機会を提供し、ある種の無常な連鎖によって人間の意志を非常
に残酷な決定にまで押しやることができる。このようなことが将来けっして
起こることがないよう、全世界の司教は一致して、すべての人、特に国家の
元首及び郡の指導者に対して、神と全人類の前におけるこのような重大な責
任について絶えず考慮するよう切願する。
81(軍備競争)
 戦時における使用だけを目的として科学兵器が増強されるのでないことは
確かである。各国の防衛力は敵に対する迅速な報復力に依存すると考えられ
ている。そのため、年ごとに増大してゆく軍縮の拡張は、逆説的ではあるが、
起こりうる敵の攻撃を抑止するのに役立っている。それは現在のところ、あ
る種の平和を国際間に維持することができる、あらゆる手段の中で、最も効
果的なものと、多くの人にみなされている。
 この抑止の方法自体に問題がある。多くの国が行っている軍縮競争は、平
和を確保する安全な道でもなく、それから生ずるいわゆる力の均衡も、確実
で真実な平和ではないと人々は確信すべきである。それは戦争の原因を取り
除く代わりに、かえって徐々に増大させる。常に新しい兵器を準備するため
に莫大な費用が消費されているのに反して、全世界の現代の悲惨を救うため
の十分な対策は講じられていない。国際間の紛争が真に根本的に解決される
代わりに、世界の他の地域にまで紛争が広がっている。この醜聞が取り除か
れ、世界が不安の圧迫から解放されて真の平和を打ち立てるためには、精神
の改革から出発して、新しい道を選ばなければならない。
 したがって、軍備競争は人類の最大の傷であり、堪えがたいほどに貧しい
人々を傷つけるものである、と再び宣言しなければならない。軍備競争が続
くならば、いつかはあらゆる致命的な破壊を引き起こすおそれが大いにある。
その手段はすでに軍備競争によって準備されている。
 人類が可能なものにした災難に警告されて、上からわれわれに与えられ、
われわれが現在享有する猶予を利用して、自分の責任をよりよく自覚し、人
間にふさわしい方法で紛争を解決する道を発見するように努力しよう。神の
摂理は、古くから戦争の奴隷状態にあるわれわれ自身を解放することを切に
要求している。この努力を拒否するならば、われわれが踏み入っている悪の
道がどこにわれわれを導いてゆくかを、知らない。
82(戦争絶対禁止と戦争回避のための国際協力)
 したがって、諸国の同意のもとに、どのような戦争も絶対に禁止される時
代を準備するために、全力を尽くさなければならないことは明白である。
この目的を実現するためには、諸国によって承認され、諸国に対して安全保
障と、正義の遵守と権利に対する尊敬とを確保できる有効な権限を備えた普
遍的公権を設置することが確かに必要である。この望ましい権力が設置され
るまでは、現在存在する国際的最高機関は共通安全保障のためのいっそう適
切な手段を熱心に研究しなければならない。平和は、兵器の恐怖によって諸
国に押しつけるよりは、諸国民の相互信頼から生まれるべきものである。し
たがって、軍備競争に終止符が打たれるように、すべての人が働かなければ
ならない。軍備縮小を実際に始めるためには、一方的にではなく、協定によ
って歩調を合わせ、有効、真実な保障の裏づけのもとに進めるべきである。
 その間にも戦争の危険を排除するためにすでに行われた努力と、また今も
続けて行われている努力を軽視してはならない。複雑な現実を無視すること
は出来ないが、最高任務の大きな苦労を担い、重大な責任感に動かされて、
恐るべき戦争を廃止しようと努力する多くの人の善意を助けるべきである。
また、熱心に平和を築き上げていく仕事、すなわち、人間に対する愛の最高
の仕事を忍耐を持って続け、勇気をもって成し遂げる力がかれらに与えられ
るよう神に熱心に祈らなければならない。確かに今日では、それぞれの国境
を超えて理解と考えを広げること、民族的利己主義と他国支配の野望を放棄
すること、労苦を忍んで、より大きな一致をめざして進みつつある全人類に
対して深い尊敬を持つことが要求されている。
 平和と軍備縮小の問題に関して、今まで熱心に、たゆまず行われてきた研
究と、この問題についての国際会議とを、この重大問題を解決するための第
一歩とみなし、実際的な効果をあげるために将来いっそう力強く促進させな
ければならない。しかし、自分は無関心な態度をとり、少数の人の努力だけ
に任せてはならない。自国民の共通善の保障者であると同時に、全世界の善
の促進者である国家の指導者たちは、一般の世論と感情に大いに依存してい
る。敵意、軽べつ、不信、人種的憎悪、がんこなイデオロギーが人々を分裂
させたい律させている間は、平和を求めるかれらの努力も役にたたない。し
たがって、考え方の再教育と新しい世論が最も必要とされる。教育に従事す
る人々、特に青少年の教育にあたる人々や世論を形成する人々は、すべての
人に平和愛好の新しい精神を吹き込む努力を、自分の最も重大な義務と考え
なければならない。われわれはすべて心を改め、また人類の進歩のために一
致して果たすことが出来る任務として、全世界に目を注がなければならない。
 われわれは、まちがった希望に欺かれてはならない。事実、敵意と憎悪を
捨てて、将来の世界平和に関する堅固な正しい条約を結ばない限り、すでに
大きな危険にさらされている人類は、すばらしい知識に恵まれながら、恐る
べき死の平和しか味わうことが出来ない不幸な時を迎えるであろう。しかし、
キリストの教会は、これを告げる間、現代の苦悩のまっただ中にあって、強
く希望することをやめない。教会は現代に向かって、何度もくりかえし、機
会のあるときにも、ないときにも、使徒の知らせを告げるつもりである。改
心するためには「今こそ恵みの時であり」、「今こそ救いの日である」。

#703/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:36 (106)
2V>現代世界憲章2・5 平和・国際共同体3
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第2部 若干の緊急課題
第5章 平和の推進と国際共同体の促進
第2節 国際共同体の建設
83(不一致の原因とその治療策)
 平和を建設するためには、何よりもまず人々の不一致の原因、特に戦争の
温床となる不正を取り除かなければならない。それらの原因の多くは、過度
の経済的不平等と必要な対策の遅延に基づいている。その他の原因は支配欲
と人に対する軽べつから生じるものであり、さらに深い原因を探求すれば、
ねたみ、不信、高慢、我欲その他に基づいている。人間はこれほど多くの秩
序の乱れに耐えられないので、たとえ戦争で痛めつけられなくても、世の中
は絶えず人々の間の争いと暴力によって悩まされるであろう。なお、同様の
悪が国家間にも見いだされるので、それらに打ち勝ち、またはそれらを予防
するため、また暴力の奔走を抑圧するために、国際機関の協力と調整を力強
く推進し、平和を促進する組織を設立するようたゆまず努力することが絶対
に必要である。
84(諸国共同体と国際機関)
 世界中の諸国家並びに諸国民の相互依存関係がますます緊密になりつつあ
る現代において、全世界の共通善を適切に追求し、また効果的に実現するた
めに、諸国共同体は、現代の任務に対応する秩序を制定する必要がある。特
に、放置しておくことがゆるされないほどの窮乏に今なお悩んでいる多くの
地域に関して、そうしなければならない。
 この目的を達成するために、国際共同体の諸機関は、それぞれの分野にお
いて人々の種々の必要を満たすようにしなければならない。すなわち、社会
生活の領域においては食料、健康、教育、仕事であり、また、ある特殊な状
況において起こりうる一般的必要、例えば、開発途上の国に対する援助、全
世界に離散した難民の救済、移住者とその家族に対する援助などである。
 既存の世界的または地域的な国際機関は確かに人類のために役だっている。
これらの機関は、世界中に進歩向上を促進させ、またあらゆる形の戦争を未
然に防ぐなど、現代に最も重要な問題を解決するために、全人類共同体の国
際的基準となる最初の試みと思われる。これらすべての領域において、キリ
スト者と非キリスト者の間に活発な真の兄弟愛の精神が盛んになっているこ
と、また、世界の大きな悲惨を救済するための努力が、常にいっそう増して
いることを教会は喜ぶ。
85(経済の領域における国際的協力)
 人類の現在の連帯性は、経済の領域においても、いっそう大きな国際協力
の確立を求めている。事実、ほとんどすべての国家が独立を獲得しているが、
これらの国家は、ひどい不平等やあらゆる形の不当な従順からすでに解放さ
れ、また国内のあらゆる重大な困難や危険から脱していると言うにはほど遠
い。
 一国の発展は人的ならびに経済的資源に依存する。それぞれの国の国民は
教育と職業訓練によって経済・社会生活の種々の任務に従事するよう養成さ
れなければならない。このためには外人専門家の助けを必要とするが、この
人々は支配者としてではなく、援助者、協力者として行動すべきである。
今日の世界商業界の慣習が大きく変わらなければ、開発途上の国々は物質的
援助を得ることはできないであろう。なお、贈与、借款、投資の形の元に、
その他の援助が先進国から提供されなければならない。これらの援助は、一
方では寛大無欲に提供され、他方では誠実に受け入れられるべきである。
 真の世界的経済秩序を確立するためには、収益に対する過度の執着、国家
的野心、政治的支配の欲望、軍事的計算、イデオロギーの宣伝または強制を
廃止しなければならない。種々の経済的、社会的体制が提案されているが、
この事に関しては専門家たちが健全な世界の商業に共通な基盤を見いだす事
が望まれる。しかし、それは、各自が先入観を捨てて誠実な対話をする覚悟
になれば、より容易に実現するであろう。
86(若干の有益な基準)
 この協力のために、次の基準が有益であると思われる。
 a)開発途上にある諸国は、開発の目標を国民の人間としての完成に置き、
これを熱心に求めなければならない。開発はなによりもまず国民自身の努力
と才能によって始まり、また実現してゆくことを記憶すべきである。開発は
外国からの援助だけでなく、まず自国の資源の十分な活用と、自国の長所と
伝統の育成に依存しているからである。他人に大きな影響を与える人々は、
この事に関して、模範を示さなければならない。
 b)開発途上にある諸国が上述の任務を遂行するよう援助することは、先
進国の重大な義務である。したがって先進国は、この世界的協力を樹立する
ために要求される精神的、物質的調整を自国内で行わなければならない。
 同様に、弱い恵まれない国々との貿易に際しては、これらの国の利益を慎
重に考慮すべきである。これらの国は自国の生存のために、国産品の売却に
よる収入を必要とするからである。
 c)経済発展を調整し促進することは国際共同体の務めである。したがっ
て、この目的のために指定された資源が最も有効、平等に分配されるように
しなければならない。相互補足の原理を尊重したうえで、全世界における経
済的関係が正義の規範に基づいて展開されるよう、それを規制するのも国際
共同体の務めである。
 国際貿易、特に低開発国との貿易を促進し規制するため、また国家間の力
の大きな不均衡から生ずる欠陥を補償するための適当な機関を設立するべき
である。技術的、文化的、財政的援助を伴うこのような規制によって、開発
を目ざす国々がそれぞれにふさわしい経済成長を遂げることができるように、
必要な補助を提供しなければならない。
 d)多くの場合、早急に経済的、社会的構造を改革する必要がある。しか
し未熟な技術的解決案、特に物質的利益をもたらしても人間の精神性と精神
的向上に反するような解決策を避けなければならない。「人間はパンだけで
生きているのではなく、神の口から出るすべてのことばで生きている」
(マタイ 4:4)からである。人類家族を形成するそれぞれの民族は、多くの人は
その起源を知らないが、自分の中に、またそのすぐれた伝統のうちに、神か
ら人類に託された精神的富の一部分を保有している。

#704/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:37 (105)
2V>現代世界憲章2・5 平和・国際共同体4
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章/第2部 若干の緊急課題
第5章 平和の推進と国際共同体の促進
第2節 国際共同体の建設(続)
87(人口増加についての国際的協力)
 今日、他の多くの困難に加えて、特に急激な人口増加から生ずる困難に悩
んでいる国々に対する国際的協力が最も必要ある。諸国、特に富める国々が
充実した惜しみない協力によって、生活必需品と適切な人間教育に必要なも
のを全人間共同体のために準備し分配する方法を、緊急に探し出さなければ
ならない。ある国々の国民は、正しい訓練を施し、古い農耕の方法を改めて
新しい技術を採用し、それを必要な慎重さをもって、現地の状況に適応させ、
社会秩序を改善して私有地のより公正な分配を規制するならば、大いに生活
条件を改善することができるであろう。
 政府は自国内の人口問題に関して、その固有の権限の範囲において、たと
えば社会と家族に関する立法、農村人口の都市への移動、国の状態と必要に
関する情報などについて、権利と義務を持っている。今日、この問題につい
て人々の心は激しく動揺している。そのため、カトリックの専門家が、特に
大学において、これらすべてについて熱心に研究と計画を続け、また発展さ
せることが望まれる。
 世界の人口増か、少なくともある国々の人口増加を、すべての手段と公権
のあらゆる種類の介入とによって根本的に減少させなければならない、と主
張する人々が多い。道徳法に反する解決策は、たとえそれが公的または私的
に奨励され、ときには命令されていてもこれを避けるよう、公会議は、すべ
ての人に勧告する。
人間は結婚と子供を産むことについての譲ることのできない権利を持ってお
り、それによって、子供を何人産むかに関する決定は、両親の正当な判断に
依存するものであり、けっして公権の判断にゆだねることはできないからで
ある。しかし、両親の判断は正しく形成された良心を前提とする。そのため
時代と事情を考慮しながらも神の法を尊重する真に人間的な正しい責任感を
養成する機会をすべての人に提供することが重要である。そのためには、各
地において教育事情と社会条件が改善され、特に宗教教育または少なくとも
十分な道徳的訓練が行われることが必要であろう。産児数の調節に関して配
偶者たちを助けることができる方法、確実性が証明され、倫理秩序にかなう
ことが明白である学問的研究の進歩を、慎重に人々に知らせるべきである。
88(援助提供に関するキリスト者の任務)
 正当な自由の尊重とすべての人の兄弟愛をもって国際秩序を建設するため
に、キリスト者は喜んで心から協力すべきである。世界の大部分が、今もな
お過度の貧困に悩んでおり、あたかもキリスト自身が貧しい人々の中にあっ
て大声でその弟子たちの愛に訴えているかのようである現在、キリスト者の
協力はなおさら必要である。
国民の大部分がキリスト信者である国々が豊富な富みに満ち足りているのに
反して、生活必需品にさえこと欠き、飢えと病気とあらゆる悲惨に悩まされ
ている他の国々があるという醜聞を取り除かなければならない。事実、清貧
と愛の精神はキリストの教会の光栄であり、あかしである。
 したがって、他の人々や他国民を援助するために献身するキリスト者、特
に青年を賞賛すべきであり、かれらを助けるべきである。むしろ現代の悲惨
を取り除くために、できる限り力を尽くすことは司教のことばと模範によっ
て導かれる神の民全体の務めである。しかも教会の古い慣習に従って、余り
物だけでなく自分に必要な物さえも提供すべきである。
 援助の募集と配分には厳格で画一的な方法をとらず、しかも、司教区内、
国内、全世界において秩序正しく行われるべきである。このことに関してカ
トリック者は、適当と思われる所では、どこでも、兄弟である他のキリスト
者と共に行動するがよい。愛の精神は慎重で秩序正しい社会活動や愛の活動
の実践を禁ずるものではなく、かえって命ずるものだからである。したがっ
て、開発途上にある国々の奉仕に献身しようと志す者は、適当な施設におい
て適切な訓練を受ける必要がある。
89(国際共同体における教会の有効な存在)
 教会は、神から受けた自分の使命に基づいて、すべての人に福音を説き、
恩恵の富を分けるとき、世界中どこにおいても、平和の確立と人々および諸
国家間に兄弟的連帯の堅固な基礎を置くこと、神法と自然法の知識を広める
ことに貢献する。したがって、教会は人々の間に協力を奨励推進するために、
どうしても諸国共同体のまっただ中に現存する必要がある。教会のこの現存
は、教会の公的機関と、すべての人に奉仕することのみを志すすべてのキリ
スト者の誠実で惜しみない協力とを通して実現する。
 このことは、人間として、またキリスト者としての責任を自覚した信者自
身が、自分の生活環境において国際的共同体とすすんで協力する意欲にもえ
立つならば、いっそう効果的に実現するであろう。そのためには、宗教教育
においても公民教育においても、青年の養成に特別な関心を払うべきである。
90(国際機関におけるキリスト者の役割)
 諸国家間の協力を促進するために設立された、または設立されるであろう
機関に、個人として、または団体として、協力することがキリスト者の国際
的活動のすぐれた形態であることは疑いない。なお種々のカトリック国際団
体は、平和と兄弟愛に基づく世界共同体の建設のために多くの点で役だつこ
とができる。したがって、よく訓練された協力者の数と、必要な補助を増し、
活動力を適切に調整することによって、それらを強化すべきである。現代に
おいては、効果的な活動と対話の必要は合同企画を要求しているからである。
そのうえ、このような団体はカトリック者に適する世界的感覚を養成するた
め、また真に世界的な連帯性と責任感の自覚を形成するために大きく役だつ。
 なおカトリック者がその任務を国際共同体において正しく果たすために、
福音的愛を公言する分かれた兄弟たちと、また真の平和をも富めるすべての
人と、活発に積極的に協力することが望まれる。
 公会議は、人類の大部分を今もなお苦しんでいる多くの社会悪を考え、ま
た貧しい人々に対してキリストの正義と愛をいたるところで奨励するために、
全教会の一つの機関を設立することが最も時宜を得たことであると考える。
この機関の任務は貧しい地域の開発と諸国家の間における社会正義を推進す
るようカトリック共同体を奨励することである。

#705/1000 第2バチカン公会議
★タイトル (BCD42562) 93/ 1/22 18:40 (103)
2V>現代世界憲章 結語
★内容
第2バチカン公会議公文書/現代世界憲章
結語
91(個々の信者ならびに部分教会の務め)
 この聖なる教会会議が教会の教説の宝庫から引き出して述べたことは、次
のことを目的としている。すなわち、神を信ずる人も神を明白に認めない人
も含めたすべての現代人が、その召命全体をますます明らかに理解し、世界
を人間の高貴な尊厳にいっそうふさわしいものとし、より深い基準を持つ世
界的兄弟愛を求め、愛にかられた寛大な共同の努力によって現代の緊急な養
成に答えるものとなるよう、かれらを助けることを目的としている。
 確かに、世界における諸事情と文化形態は多種多様であるため、公会議が
述べたことは多くの点において意識的に一般的なものとならざるを得ない。
そのうえ、教会の中ですでに受け入れられた教説を述べたが、絶えず発展し
ていく課題を取り扱っている場合も少なくないため今後もいっそう追求し発
展させていかなければならない。しかし、われわれが神のことばと福音の精
神に基づいて述べた多くの事が実現された時、特に司牧者の指導のもとにキ
リスト信者によって、それぞれの国や考え方に対する適応がなされた時には、
すべての人に有効な援助を提供できる、とわれわれは期待する。
92(すべての人との対話)
 教会は福音の知らせによって全世界を照らし、またあらゆる国、民族、文
化に属するすべての人を一つの霊の中へ集めるという使命の力によって、誠
実な対話を可能にし、強化する兄弟愛のしるしとなる。
 このためには、まず教会自身の中に、相互の尊重、尊敬、協調を盛んにし、
すべての正当な相違を承認したうえで、一つの神の民を作っている司牧者も
その他のキリスト信者も含めたすべての人の間に、常に実り豊かな話し合い
を育てることが要求される。信者たちを分離する要素よりは一致させる要素
の方が強いからである。すなわち、必要な事がらにおいては一致、疑わしい
ときには自由、すべてにおいて愛を重んじるべきである。
 われわれの心は、まだわれわれと完全な交わりの中に生きていないが、父
と子と聖霊に対する信仰宣言と愛のきずなによって結ばれている兄弟たちと
その共同体を抱擁する。今日、多くのキリストを信じない人々からもキリス
ト者の一致が期待され要望されていることを知っている。事実、この一致が
聖霊の力強い働きのもとに、真理と愛のうちに進められれば、それだけ全世
界にとって一致と平和の前兆は大きくなる。したがって、われわれは力を合
わせて、このすぐれ目的を今日効果的に実現するためにますます適した形式
によって、日増しに福音に従う者となるよう励み、こうして、キリスト・イ
エスにおいて神の子らの家族となるよう召されている人間家族への奉仕のた
めに兄弟的に協力するよう務めよう。
 次に、われわれの心は、神を認め、固有の伝統の中に高貴な宗教的、人間
的要素を保っているすべての人に向かう。われわれすべてが、霊の勧めを忠
実に受け入れて力強くそれに従う者となるために率直な話し合いが期待され
る。
 このような話し合いの望みは、真理に対する愛のみに導かれ、適当な慎重
さを必要とするが、われわれの側からは何びとをも除外しない。また、人間
の高い精神的諸価値を尊重しながら、それらの創造主を認めない人や、教会
に反対する人、種々の方法で教会を迫害する人をも除外しない。父なる神は
すべての人の起源であり目的であり、われわれはすべて兄弟となるよう召さ
れている。したがって、またこの同一の人間的・神的召命によって召されて
いるわれわれは、暴力と欺瞞梨に、真の世界平和建設のために協力できるし、
また協力しなければならない。
93(世界の建設と目的への前進)
 「あなたがたが互いに愛するならば、このことによって、すべての人はあ
なたがたがわたしの弟子であると知るであろう」(ヨハネ 13:35)という主の
ことばを知るキリスト者は、いっそう寛大に、より有効に現代世界の人々に
奉仕することを熱心に望まずにはいられない。したがって、キリスト者は、
福音に忠実に従い、その力にあずかり、正義を愛し実践するすべての人とと
もに結ばれて、偉大な任務をこの地上において果たすことを引き受けたので
ある。最後の日にすべての人をさばく神に、この任務について報告しなけれ
ばならないのである。「主よ、主よ」という人すべてが天の国にはいるわけ
ではない。父の望みを実行し、実際に力強く働く人が天の国にはいるのであ
る。われわれがすべての人の中に兄弟キリストを認めて、ことばと行ないに
よって実際に愛し、こうして真理に証明を与え、天の父の愛の秘義を他の人
々と分け合うように働くことを父は望んでいる。このようにして、全世界の
人々は、聖霊のたまものであり、最後には主の栄光に輝く祖国において、平
和と最高の幸福の中に受け入れられるという、いきいきとした希望へと励ま
される。
 「われらが望み考えること以上に、われらのうちに働く力によってすべて
を行うことのできる神に、教会とキリスト・イエスにおいて、あらゆる世紀
と世代を通して、栄光あれ アーメン」(エフェソ 3:20-21)。

* * * * *

   この司牧憲章の中で布告されたこれらすべてのことと、その個々の
  ことは、諸教父の賛同したことである。わたくしもキリストからわた
  くしに授けられた使徒的権能をもって、尊敬に値する諸教父と共に、
  これらの事を聖霊において承認し、決定し、制定し、このように教会
  会議によって制定されたことが神の栄光のために公布されるよう命ず
  る。
     ローマ聖ペトロのかたわらにて
     1965年12月 7日
     カトリック教会の司教  パウルス 自署
     (諸教父の署名が続く)

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ヨセフネットより転載 浅野