三島由紀夫の背後にあるもの(評論)
上記は,三島由紀夫の有名な文章だが,彼は発狂したのでも戦前のイデオロギーを無批判に信じる軍国主義者でもなかった。それほど愚かではなかったし,またあいまいでもない。
行動で暗示しているように。
それから決起一週間前に行われた評論家古林尚氏との対談でも明らかになったように。彼はなんらかの絶対主義により自分の命を投げ出せるし,「テロリズムを肯定」している。
彼は,何が彼に、この行動をとらせたのか,充分に自覚している。
けっして彼は何かにとりつかれて操られていたわけではない。
だからこそ,かえってタチが悪いわけで,一種の欺瞞に落ち込んだ半分無規範(アノミー)な確信犯なわけである。
彼は明治維新の原動力となった尊王思想,つまり天皇=国体として絶対化する思想を自己の中心に置いた。
しかしそれは明治政府の中枢の人間にとってすら,近代思想に耐え得ない虚構と気づき,消去にかかった思想なのだ。
三島由紀夫ほどの人間がこれに気がつかないはずがない。
明治は太平洋戦争によって思想的には破産した。
その破産は,ソ連共産党の思想的崩壊がフルシチョフのスターリン批判によって実は始まっていたのと同様に,実際の崩壊のはるか以前におこっている。
それが,明治初期における朱子学の抹殺である。
革命には流血を肯定させるだけの思想が必要である。
若者をかりたて,命をささげさせ,人を殺させる冷酷なる絶対的思想がなければ,それまでの現実である既存の社会体制を否定し,変革を強行に推し進めることはできない。
そして明治維新の若き志士たちの血みどろの中からなしとげられた数々の実績は驚嘆に値するが,それは悲惨なテロの連続でもある。
なにがそうさせたのか。
なにが古代人と同じように,大切なもの,財産や家畜,他の人間の命や、最後には自分自身の命すら,『神』へのイケニエとして捧げるのか。捧げさせる情熱を持たせるのか。
そして,現代の我々も,なぜ,危険な職業(警察官や自衛官など)への情熱を持ちえるのか。
どうして全世界の人々は息子や夫や恋人など,愛する人々を戦場へと、涙と歓声を持って送り出せるのか。
答えは古代も現代も変わらない。
それは自らと社会が信じる『思想』という神へのイケニエ,捧げモノそのものなのである。
江戸時代初期に幕府が官学として採用した朱子学であるが,そこから山崎闇斎系の日本風絶対主義的朱子学が生まれて明治維新の思想的基盤となった。
明治維新の原動力となったのはこの「崎門学」という日本的朱子学の一派で,極めて峻厳,反対意見はすぐに抹殺するという現代的に考えればまことにタチの悪い性格をもっていた。
これが日本的テロリズム肯定の原型であって,これにより維新の草莽の名もなき志士たちは憐れにも非命に倒れていったし,倒していった。
ひいては2.26事件などの軍によるテロ,それによる言論の封殺,太平洋戦争における一般兵士や市民の生命への軽視,はては現在も続く右翼的テロの起点ともいえる。
幸いなことにこの思想は明治維新直後に放棄された。
だが不幸なことに放棄しただけで,潜在的に残り,理論的に清算されず神経症的に日本人を呪縛した。
太平洋戦争は,この呪縛から日本人を「解放」した。
終戦の日を覚えている人の多くが「なにやら重苦しい気分から解放され,ホッとした」と話してくれた。
もはやいくら右翼が黒バスで威嚇してまわろうと,この思想が息を吹き返すことはない。
ニセモノの思想は,ようやく死を迎えたのだ。
だが,三島由紀夫は明治維新の志士ではない。
若くして散っていった幕末の可憐な志士たちは、ほとんど無自覚に唯一の革命思想にとらわれて逃げようがなかった。だが,三島由紀夫は違う。
三島由紀夫の死の相手は日本人であるが,もう一つあるとしたら,昭和天皇であろう。
ある意味で,三島由紀夫は昭和天皇と思想において戦った。あるいは戦っているつもりのポーズをとっていた。茶番にしかなりえない戦いであるにせよ。
昭和天皇の自己規定は、帝国国軍の最高指揮者である大元帥である以上に,立憲君主制の元首であって,自らの意志にかかわりなく,内閣には従うものとして理解していた。
自分がなぜ,現在の地位にいるのか。それは当然の権利だからでもなく,なんらかの絶対的根拠ある正統で永久不変なる思想によるものでもない。法的根拠は明治天皇の定めた憲法であり、憲法に従うことは自らの自由意思を尊重することよりも上位にあるのだ。
そして昭和天皇の資質は科学者であって,文学者ではない。現人神的存在による自己規定など,ありえないのだと,ちゃんと理解していた。
なのに2.26の青年将校は見事に誤解したし,三島はわかっていながら「皇(すめらぎ)はなどて人になりたまいしや」と恐ろしい言葉を口にするのである。
古い歴史的経緯,それをささえた伝統的思想,国民のその時その時の知識と意識によって「天皇」の地位は保たれていた。
日本の天皇はけっして絶対の神から統治権を絶対的に委託された西欧的王権神授説的君主ではなく,絶対的権力をふるう「権限」はない。だいいちそんな絶対主義君主に天皇はなったことがなかろうし,なったところで現代では生き残れない。自分が天皇という地位=役割を果たしているのは歴史的経緯と,機械的に定まっている血統順位によるものであって,自己の力量,実力,人望とは本質的に無縁であることも知っている。
だからこそ戦前に「天皇機関説」が問題となったとき,昭和天皇はそれでもいい。どこに問題があるかわからない。とつぶやかれたのだし,帝国憲法と戦後憲法にどこまでも従い,自らの意志を政治的に反映されることは憲法違反にあたるとして,これを遵守されたし,今上天皇もされている。(2・26事件と終戦時の決断は昭和天皇にとっても例外で,本人にとっては憲法の精神にそぐわないとして不本意であられたのだ。)
なぜか意外なほど一般には知られていないが,憲法の下にある天皇には,民主主義によって選ばれた内閣の提案を拒否する権利はないのである。だからこそ日本は民主国家と呼べる。
三島由紀夫は,このどちらをも知っていた。革命には絶対的思想が必要だが,もはや日本には現代的で合理的な理由により正統とできる絶対思想がないこと。
そして,天皇が現人神という思想は機能不全におちいった日本的に変形した儒教思想が生み出した幻想であって,天皇本人にも支持されていないこと。
三島由紀夫の革命は成功するはずはない。始めからその可能性はなかったし,今後もないであろう。
彼は真実,真剣ではあった。少なくとも自分の腹をきるぐらいには。
でも自分の死をもってしてもカバーできない巨大な責任からは逃れているのではないだろうか。
もし,太平洋戦争が一人の人物に全責任があったとしたら(そんなことはないのだが)その人物を吊るし首にすれば責任問題にカタがつくだろうか。
これはくだらない幻想なのだが,あの昭和初期からの凶悪きわまる日本の迷走を、民主的に平和裏に事前に解決できるとすれば,もしもそんな立場に私がいたなら,喜んで命を捨てるにきまっている。大部分の日本人もそう思うであろう。戦犯として処刑された人もふくんで。だ。
もちろんこれは単なる幻想にすぎないのだが,それでも私は嘆く。
もし1945年のあの結末とさらに現代までアジアの各地に残るさまざまな後遺症を残さないなら。アジア諸民族,とくに中華民族から千年でも消えぬであろう嫌悪と軽蔑をうけずにすんだなら。
それが事前にわかって止められるなら。個人で支払えるいかなる代償でも惜しくはなかろう。まさしく死んでも惜しくはない。
三島由紀夫にも死んで惜しくないことがあった。だが,彼の死には私利私欲な身勝手さを感じる。
なぜ,彼は,「絶対」なるものが必要だと知りつつ(彼の表現によれば「神が必要」なのだ),芥にひとしいものをそれに仮託したのだろう。
私はだから彼を「確信」+「犯」と呼びたい。
思想とは監獄のようなものだ。
それしかなかったら,抜け出すことはできない。
どんなに矛盾があって不合理な思想でも、それしかなかったらどうしょうもないのだ。人には自分の頭の中に入ってきたもの以外で考えることはできない。
そりゃあ,新しい思想を考え出すことは可能だ。でも,考え出せなかったらどうしょうもないではない。『思いつかなかった』ということは,とてつもなく切ないものである。
現代人は古代人や中世の人間を笑うことなどできないし,愚かに決まっている現代人を未来人が笑うことも許されない。
しかし,現代に生きる人間にとっては,現代において、真剣に生きる責任があるのだ。
自分の責任において,これまでのすべての思想と情報を検討し,自分で考え、選択して、実行する義務がある。
古代でも中世でも未来でも,「現代」に生きるとはそういうことである。
つらい仕事である。だからこそやりがいもある。
三島由紀夫はその責任を果たしたのだろうか?
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