「米良の子守唄」(宮崎)
ねんねんころりよ、おころりよ、
ねんねしないと、かるわんぞ。(背負わんぞ)
ねんねんころりよ、おころりよ、
ねんねしないと、川流す。
ねんねんころりよ、おころりよ、
ねんねしないと、墓立てる。
男の子を間引くときは「川遊びに出す」
女の子は 「花摘みに出す」という隠語があります。
権力側が間引きを強制したこともあります。
薩摩藩には江戸時代後期に農家5軒で共同で年貢責任を取らせ、相互監視させる「門」制度がありました。
その一時期、5軒で許される子供は男子3人とされました。生産を維持しながら口減らしをして年貢を増加させる経済対策ですが、二軒は子供が禁止され、女児は全員殺されたということです。
これに対する農民の抵抗は一家、あるい門の5軒同時の逃亡しかありませんが、逃亡するさいには足手まといの幼児はやはり間引かれました。
人口が増加する社会は、必ず限界をむかえます。いずれは人口を安定・抑制しなければなりません。
しかし、効果的な避妊がなされないのに、人口を抑制するには、堕胎・間引きが前提になり、この 「悪事」を許容するために、社会をささえる思想も変えられました。
具体的に、人口を増やさないためには、まず女性の絶対数を制限することです。
それが農耕社会で 「男尊女卑」思想が成立しやすい前提条件です。
女性が多く生き延びれば、それだけ潜在的人口増加圧力は強くなるので女児は生命力が強いにもかかわらず、男児より冷遇されて死亡率を高くされました。
また、次男次女は、結婚させず、奉公に出され、行き先から戻ってくることが難しいか、蓄財して帰っても婚期が遅れて少子化しました。
人間の過去はこうであり、現在も中絶は2013年で186000件(厚生労働省)です。
この惨状は、過去の 「人口処分」思想がいまだに現代社会に強く残っていて、まともな人道的思想を阻害しているからと、考えます。
どんな理由でもいいのですが、子供をもつことを選択しないなら、結果ではなく、原因から絶ちましょう。
人道的に当然ではないでしょうか。
他でどんな人生の成功が得られたとしても、ただ一度、だれかの命を奪ったなら、その人生は失敗ではないでしょうか。わが子を守れず、慈しめなかった人生など地獄です。
私の人生は、おそらく自分の注意と偶然によって、いまのところ、この最悪の運命に遭遇しないできましたが、家族・子孫に、こんな苦しみがない未来が続くように願って、恐怖でたちすくむような陰惨な民族の記憶を並べておきます。
2016/01/27 T.Sakurai
銀(しろがね)も金(く(こ)がね)も玉(ぎょく)も 何せむに 勝(まさ)れる宝(たから) 子に及(し)かめやも
現代意訳「銀も金も宝石もおよばない、こどもはたいせつで、かえられるものなどない」