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カタストロフとジェノサイド
最悪シナリオの解をもとめて




 昨日のニュースでした。

 内戦中のシリアで、八歳の少女に爆薬をしかけ、迷子になったようにふるまわせて警察署に保護させ、遠隔操作で爆発させるテロがありました。警官は一人負傷し、少女は死亡しました。極悪のきわみである。

 日本赤軍が開発して1972年にイスラエルのロッド空港で実行した無差別神風自爆テロは、21世紀にISによる全抑制の排除という歴史的に画期的な人道の退廃にいきつきました。
 あらゆる暴力的抗議・反抗というものの責任の重さを感じます。もはや若気のいたり、軽薄な抵抗・抗議というものにたいする正統性を否定させ、かえって無力化したと思う。ロックもパンクも意味がなくなったようです。

 人間はいかに堕落できるか、全身全霊で悪を行えるかの新たな境地がひらかれて、それによってかえって、旧来の保守的倫理が光り輝く皮肉な現象があらわれると私は思います。

 千年のうちの最悪のシナリオもそれにそって、考える必要があります。

 気象変動が過酷で、資源が枯渇し、汚染が拡大し、さらに致命的な戦争や自然現象がおきて、グローバル社会が崩壊した場合です。あらゆる流通が機能しなくなり、製造ラインが分散して高度化したシステムが無意味となって、生産の激減が起きた場合です。

 安易なSF映画などでは都市の廃墟を銃を持ち犬をつれた個人のヒーローが生き抜くといった設定が目に付きますが、ソコに住んでいた住人はどこにいくのでしょうか。数年あるいはもっと短い年月のうちに死に絶えたということなのでしょう。

 まじめな議論でも、そうでない議論でも、場合によっては、半分とかほとんどの人口が消えるだろうとか簡単に書いてくれるが、それは地獄なのである。

 地獄をくぐりぬけた人間が、それ以後に、それ以前と同じに生きられるはずはありません。

 人間から、あるいは知性というものが永久に消え去るかもしれない正念場になると思えます。

 カタストロフ あるいは ジェノサイド という言葉の意味は、恐怖です。

 単に食糧がなくなり、環境が悪化して生存できなければ、人は暴徒となり、殺し合い、食べあって急速に消えていくでしょう。カタストロフです。

 そうならない環境を自分と家族のまわりに作り上げ、周辺の隣人と防備を固めて生き残る必要があります。人道的にはすべての人を助けたいですが、たった今、そのような世界に切り替わってしまえば、私もお手上げです。殺され、消えるほうにまわるしかありません。

 だからこそ、千年のうちの構想によって物理的に生存可能な物資を確保し、永続できるローカルな社会システムをそれまでに構築する必要があります。けっして、大量死をだれかに強制したり、奴隷としての生涯を大多数の人におしつけ、理不尽な屈辱を与えて復讐の動機と口実を与える「悪の権化」になってはなりません。

 なれるとしても封建領主や地域の僭王になってはならないのです。そんなことをして生き延びても「勝利者」ではありません。

 どうにもならない悲惨を目の前にして生き残れる人々がするべきことは、目をそむけて、悲惨を放置し、涙を流しつつ自らの罪をザンゲしつつ自分の子供だけは絶対的に守り通すことになるでしょう。

 ジェノサイドはそれよりさらにひどく、苦境にたった人々を人間としてあつかわず、資源・物質としてあつかい、処分するやり方です。

 IS以下のやり方ですが、そのほんの少しの延長線上にあります。ナチなどの民族浄化の例がありますので、いつでもこの世におきうる事態です。知性による歯止めはもはや期待しないほうがよい現実世界となりました。

 悲惨を想像の世界だけに押しとどめるために必要な行動とはなんでしょう。わたしはそのために、この本を書いています。

 どうか、力をあわせて、賢明な選択と行動が、万人にできますように。




20161219 T.Sakurai