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マネーの封印



 ・・・自分と子供があそぶことが、 すなわち収入であり、生活の安定であり、人生であるということ。 ・・・それが本質かなとふと思った。


 富とはなんでしょうか。私の考えるところでは、生活の環境です。

 生活の場です。循環のシステムがあるところです。

 そこではエネルギーの獲得と、物質の循環が完結する、一種箱庭と表現できるシステムの確立した場所そのものが「富」です。

 その存在によって、人の生存が可能となり、人の時間がしょうじます。

 さまざまに、その時間をもちいることができます。もちいるさきですが、労働ができるのも人間の時間があるからであり、交易・商売できるのも、マネーの蓄積も、人の時間があるからこそ、だからこそ、できます。

 人の目的は、生存することであり、おだやかな生活です。それで満足せねばならないし、満足なはずです。

 これをおびやかすものは、リスクです。

 すでにマネーは、肥大化して、人の生活を破壊、分断しているがために、もはや富とはいいがたい。

 マイナスの富として、マネーをのさばらせたのは、すべてをマネーで表現しようとする軽薄な思想のためでした。

 マネー。貨幣を、パンドラの箱の中に送り返してやりましょう。

 もともと、精神世界のごく一部でしか合理性をもたず、通用しないものだったのです。貨幣を仲立ちにしなくとも、共同体を基盤とした地域生活は充分に機能し、やっていけていました。貨幣はプラスアルファの役得でしかなかった時代が、人類史のほとんどすべてでした。

 価値は多様です。マネーによって一元的に表現されると、色眼鏡の世界に変貌し、判断が狂わされてしまったのです。

 エネルギーや物質循環や環境問題をマネーで表現できないことは、すぐにわかるではないですか。

 こんな乱暴なことをやって、マネーの奴隷にすべてしてしまうことで、支配権を握ろうとしたのは「国家・統治機関」であったはずです。

 マネーを縮小させた経済世界を考えるのは、長い時間と卓越した発想が必要な天才の仕事を待つしかありませんが、「解答」は必ずあるはずです。

 この200年の技術成果をふまえた、その世界では・・・

 すべての仕事は「単純な監督」となるでしょう。過酷でも長時間でもない仕事です。尊厳を失う仕事はありません。同一時間、同一報酬となります。たとえれば自動生産ラインの監督者という立場です。それ以上の精神的崇高性をもった創造や利他活動は、名誉が報酬となります。

 財物の担保価値は実用性と時間内の有効性となり、世界共通の価値を持たなくなります。生産物は流通しますが、全内のごく一部となるでしょう。



2016/12/03 T.Sakurai