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性差を考慮した生涯
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 男女の差は生涯でたどる違う道を作りだします。

 男性と女性の体には決定的違い。それはY遺伝子があるかどうかである。 以上。

 ・・・ですますには、実に周辺問題が広いのですが、事実、遺伝子と言う設計図が違います。

 男女では想定されている機能や性能が違っていて、どちらも「人間」ですから、対で機能し、働いていかねばならないのです。

 Y遺伝子は特殊な存在で、父から息子にしか伝わりません。他の遺伝子が男女の双方から半分づつ提供され混ぜ合わさって新しい命となるのにたいして、そのままのコピーをひたすら繰り返して伝えられていきます。そのせいで、コピーを重ねるたびにわずかに劣化して脱落して、もともとの半分の情報しか持たなくなってしまいました。

 女性の方もミトコンドリア遺伝子は同じように同一コピーを娘と息子に伝えるのですが、機能は他の人のミトコンドリアと変わらないので違うミトコンドリアといれかえても影響はないようですが、Y遺伝子は男女のどちらになるかを左右するので、まるで重大さが違います。

 遺伝子は設計図ですから、そのとおりに体を作っても、正確に「できあがる」とは限りません。性同一障害などは典型でしょう。また、遺伝子のいうがままにすべてをまかせるのは知性の放棄です。

 生物としての戦術は大量コピー、大量放棄です。数打てばあたるが基本ですから、コピーエラーや機能不十分な、傷者、病者、老人、奇形や各種障害は保護されることなく放置される運命でした。でも、私たち人間はそんなことをしません。

 手をつくしてケアし、補って、支えあって、悲劇ではなく希望を求めて、良識とされる行動をとろうと日々努力しています。(はずです)

 その手法は日々進歩し、また遺伝子の想定を次々と超える事態を繰り返しています。

 たとえば奇形の子供の不十分な形態を手術や補助装具でおぎなう。

 出生前診断で問題を早期発見し、胎内にあるうちに治療をはじめる。

 難産でも帝王切開する。

 あるいは、夫婦の子供が夫の遺伝子を受け継がないのにわからないで育ててしまう。それが遺伝子検査で判明するようになったこともそうでしょう。(不貞の代償の大きさは決定的になりました)

 遺伝子の想定と反して、乳幼児の死亡率は大きく下がり、長寿があたりまえとなり、男女の価値が原則平等とされます。遺伝子の命令になどしたがってはいません。

 いまだ人間の認識で抜け落ちている遺伝子の罠も、ひとつひとつときあかされ、これまで知らず知らずのうちに盲従し、束縛されてきた事実に、修正を着実に加えていきます。

 それは動物としての「どうしょうもないやりきれない醜さ」をすてて、より「高潔な人間らしい」行動を求めていくことになりましょう。

 コストはかかりますが、子育てが膨大な手間をようしても必要な行為であるのと同様の、人間が人間として、この世界を肯定して、誇りをもって生きていくために決定的に重要な「覚悟」です。

 これを読まれた方が、たとえ、こんなのしょせんきれいごとで、幻想にしかすぎないと、うそぶかれて否定されても、私はそのように思います。

 この立場を基礎として、私は男女の性差を無視するのではなく、特徴と遺伝子的役割の機能分担を取捨選択してよりストレスのない、うまく機能する円満な社会を設計したいです。

 もちろん私個人では、手にあまりますが、できないことではありません。できたものが不十分なものとなっても、後から順次、不備を修正して運営していくことが可能と信じます。

 そして人間の集団行動における権力形成方法も動物行動学として検討がすすんでいますので、より平和で温和な世界にすることも可能です。

 やることは膨大にありましょうが、おもいついたこととして、

・男性の暴力性の封じ込め。

・仕事の選択の自由と、結果の尊重。男女で得意な作業が違うので機械的な半数づつ同等といった平等は悪平等となる。

・女性の生涯にわたるホルモンのコントロール。

・生殖能力のコントロール。必要のなくなった生殖能力の自己選択による封印を含む。

・組織暴力を形成しないための集団間対立をスポーツなどのコントロールしたものにおきかえる

・収入の結果としての安定化

・伝統的タブーの再検討。なぜそのタブーがあるのか、あったのかを、遺伝子や行動学レベルで解明して、その成果でタブーを再構築する。

 つまりは、社会を合理的にストレスなく、安定させることが目的です。

 トラブル・事件・事故を最小限にしたうえで、全体を有効的に機能させ全体の幸福・満足の実現を目指すのです。



2016/11/05 T.Sakurai