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Q資料の神の国



「失われた福音書」P181より


QS08 ルカ6:20−23(山上の垂訓)
 何と幸運な者だ、貧しい者は。彼らには神の王国がある。

QS19 ルカ9:57−62
 鋤(すき)に手をかけてから振り返る者は、神の王国にふさわしくない。

QS20 ルカ10:1−11
 町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べるのだ。病人の世話をし、そして彼らに、「神の王国はあなたがたに近づいた」と言ってやるのだ。

QS20 ルカ10:1−11
 しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、・・・・・・「だが、これだけは確実だ。神の王国は近づいた」と言ってやれ。

QS26 ルカ11:1−4(主の祈り)
 祈るときにはこう言うのだ。「父よ、・・・・・・あなたの支配(王国)がありますように。わたしたちに毎日、日々のパンを与えてください。」

QS39 ルカ12:22−31
 ただ、おまえたちへの神の支配(王国)を確信するのだ。そうすれば、これらの物はすべておまえたちのものとなる。

QS46 ルカ13:18−21
 神の王国は何に似ているか。それを何にたとえよう。それは一粒のからし種に似ている。・・・・・・それはパン種に似ている。女がこれを取って三升の粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。


(前掲書P183より)
「神の王国はQ1のレベルの語録の中で、七回述べられている」
(Q1・・Q資料の最古層・・イエスの生前に記録されたであろう、原初の言葉にもっとも近いと推測できる記録 引用者)

「これらの言及は、どれも黙示録的な世界、つまり研究者が伝統的に理解してきた神の王国を描いていないことである。」
(つまり神秘的、超越的未来におきる審判の結果としての現在実現してない王国・ありえない王国ではない 今ある王国なのだ 引用者)

「神の支配(王国)は、からし種とパン種のたとえにおいてはじめて考察の対象となり、成長の自然なプロセスと比較されている。(中略)一般的な人間の状況に関係する・どの場合も、その支配(王国)は、成し遂げられるところの何かを、因襲的なものとコントラストをなす何かをあらわし、新しいビジョンにふさわしい態度や振る舞いに変える価値のあるものとしている。神の王国は、人間的な言葉のやり取りの中で告げられ、望まれ、肯定され、申し立てられ、シグナル音を送られるものなのである。」
(つまり、現実世界を変更して、実現されるべきよりよい世界なのである。
 しかし、本の著者は、この概念が現代において重要ではないと考えている。
 なぜなら、神の王国についての具体的スケッチの試みはなく、また著書全体で取り上げているのはこの程度である。
 つまりほぼ無価値であり、この原初の運動がもたらした、影響と変形と変容を主題としている 引用者)


 神=父の支配とはどのようなものか、
 それは、神と人間の関係を表現した言葉で間接的に知ることができる。(これもQ1より)

QS10 ルカ6:36−38
 おまえたちの父が憐れみ深いように、憐れみ深いものになれ。

QS26 ルカ11:1−4(主の祈り)
 父よ、・・・・・・与えてください。・・・・・・赦してください。・・・・・・誘惑に遭わせないで下さい。

QS27 ルカ11:9−13
 おまえたちは、よい者でなくても、わが子にはよい物を与えることを知っている。もしそうなら、天にいる父は、どんなに多くのよき物を、求める者に与えてくださることか!

QS39 ルカ12:22−31
 もし神が、・・・・・・草でさえこのように美しく装われるなら、・・・・・・おまえたちにはなおさらのことじゃないか。・・・・・・おまえたちの父は、おまえたちがこれらの物を必要としていることを知っている。

 神の王国は、正しいものであり、それは父なる神によって保障されているという主張である。それを耳をかたむける人々に説いているのである。


201/0/0 T.Sakurai