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不安をとりのぞきたい



 すぐに旧聞に属して忘れ去られるであろうが、今日、神奈川で障害者施設に進入した26歳の男が刃物で19人を殺害し、26人を負傷させて警察に出頭する事件があった。

 ここ数日、ドイツで、フランスで、ベルギーで、アメリカで、イラクで、アフガニスタンで、トルコで、同様な無差別殺傷事件がおき、いずれも犯人は逃げることなく自殺するか射殺されるか、自首した。

 報道されない同じような愚行は、どれくらい我々人間同胞を苦しめているであろう。想像を絶するはずだ。

 いうまでもなく、彼らは自らの身を滅ぼす愚か者であった。
 自分を殺せない、誰かに殺して欲しかった、自殺志願者であった。
 肉体ではなく、自らの精神を殺したいと思っている人々なのだろう。

 死にたい人間はいるのだろうか。恐ろしいことで、残念なことながら、いるのだ。

 私は推測だが、彼らは幸せになりたかったが、絶望して、自分のありのままでいられる世界がないこの「空間」から逃れようとしたのだと思う。

 だから、彼らにあたりまえの忠告と、人間として尊厳のある扱いをして、それが生涯続けられるという確信・信仰と、誇りをもっていれば、それらの魂の救済としての体の自殺は避けられたのではないかと思っている。

 そして、体の自殺をするために、自分の命を愛するために、自分を愛すことしかしらず、愛の無知がすべてだと、思いつくしている。
 だから、他者の命をいくらでも軽く、できるだけ大量に、無惨にあつかって、そんなゴミなどよりも、なによりも、かぎりなく尊い自らの死の「いけにえ」にしなければならなかった。のであろう。

 彼らとて大義に殉ずる英雄になりたかったはずだ。
 しかし結果は、無意味なテロリストでしかなかった。
 彼らの捧げた血は、自らを至高の神とあがめるにふさわしいナンセンスきわまるグロテスクな神殿の飾り物であるから、できるだけ多く、華やかで、悪辣で、おぞましいものでなければならなかった。

 自分がはてしなく愚かであればあるほど、救われると「わら」をつかむ人々であろう。
 よるべなき、さすらい人で、生きながらえても、死んだと同じ徹底的に孤独なのである。

(だから私はすべてを悼む。被害者も加害者も。この世のやりきれなさも。

 自分の力およばなさも。それでも、これから書き残したいこの小さな本が、いくつもの耐えがたく、逃れがたい「現実」をのりこえて、平和の地へとさし示す、弱々しいただ一本の指になれればとも思う。・・よけいな一文)

 いったいなにが、人間をここへとおいつめるのだろう。
 なにが、不安をつくりだし、そこからのがれる最短反応をひきおこして、自滅させるのだろう。

 知識の欠如。
 正常な判断を選択する勇気の欠如。
 そして平常心を失わせる環境の悪化。などが原因だろうか。

 だから万人のふりかかりうる、そんな不安をとりのぞきたい。
 私のできる範囲でも、できることをやりたい。

 少なくとも、生活環境の悪化は避けようとすれば避けられるはずだ。
 そのために、ささやかな提案をしたいのだ。

 だれかが不幸になって、それが拡大生産されるのは、あまりに悲惨である。



2016/07/26  T.Sakurai