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プラスチックの恐怖
Fear of plastic




 プラスチックと総称して言われる物質は人間が作り出したもので、生物によって分解されないものが多い。
 だからこそ有用で、実にありふれたものになってしまっていますが、このことを今一度、考えてみると、我々はとんでもなく大変なことをしているのです。

 日本に住んでいようといまいと、地球の環境はつながっています。
 どこで作られて廃棄されたり、誤って環境中に放置されてしまっても、まわりまわって一人一人の生活する環境に、循環してくるのは致し方ありません。

 いくら丈夫なプラスチックといえど、太陽光線や風化によって劣化して、こなごなになり、あるいは土壌に埋もれて、人間の前からやがて姿を消していきますが・・なくなったわけではありません。

 粉々になったとはいえ、プラスチックはプラスチックで、生物が分解できないことに変わりはありません。

 微細な粉末となったこの「人工物質」は、いやおうなく野生動物や人間の口に入ったり、呼吸とともに体内に侵入したりします。

 さらに細かくなれば、プランクトンが体内に取り込むことになり、それは食物連鎖のなかに組み込まれていきます。


 いわゆる、マイクロプラスチック問題です。

 海洋のゴミの調査では、多くの海域で、生息するプランクトンの総量の数倍のプラスチックゴミが発見されるそうですし、海岸に漂着する微細なプラスチックは、想像以上に大量で、もはや分別も処理も不可能なのは、言うまでもありません。そして作り続け、捨て続ければ、その量は増えていきます。

 プラスチックは基本的に、焼却しなければ消滅しません。
 でも焼却時に、高温を発するため、耐久性の高い焼却炉が必要なため、多くの場合は地中に埋める埋没処分となります。

 それなのに、あまりにありふれてしまったので、小さなものなら、気軽にポイ捨てされます。大物でも不法投棄される分は、もちろん大量です。

 結局、生産される量に対して、安全に処理される量は圧倒的に少ないのです。そして自然に分解されることは原則としてないのですから、環境に蓄積し続けていきます。

 いわば、あのやっかいな「放射性廃棄物」と似た性質をもっているのです。
 半減期という物理的に絶対な管理方法しか存在せず、環境中に放出されたらいつまでも残り続ける放射性廃棄物は、極力「生産しない」方が良いのは自明の理なのですが・・、プラスチックもそれに準じた扱いが、本来は必要なのです。

 微細なあらゆる劣化したプラスチックが、土壌に、大気に、海中に、存在した場合、そして濃度が高まり続けた状態で、何がおきるのか、まだ未知数な部分が多いです。

 しかし、少なくとも口にした多くの野生動物が健康被害・・直接の死因となったり、環境ホルモンとして作用して代謝をかく乱して正常な行動がとれないなど、重大な問題となっているのは間違いありません。そもそも生物にとって不必要なものなのですから。

 ローマクラブの「成長の限界」を最初に読んだとき、「汚染」の項目について、なにを意味しているのか、私にはよく理解できませんでした。
 この問題を改めて考えてみると、確かに人間の活動に比例して、環境に変化を与えて、悪影響を及ぼすものとして、プラスチックの環境への放出は、明確な環境汚染に該当します。


 各種の温室効果ガスの放出による地球温暖化・気象激変も、「汚染」問題だし、都市の大気汚染、都市化による農地の消失や、遠隔地の農地に頼ることによる潜在的なリスクもまた、「汚染」問題として、ネガティブな影響を考慮しなければならないのです。

 農地に地下水を使って塩害を起こしたり、農薬や化学肥料の過剰使用による荒廃も汚染だとすると、総合すれば、まぎれもなく「汚染」は、「庶民」の生存条件を根幹から脅かすリスクです。

 個人的な意見としては、「生物が分解できず、環境が処理できない」あらゆる物質は、人間が最終処理して、環境に放置してはならない。という原則を自覚しなければいけません。

 プラスチックなど、生物が分解できない物質は、すべて安全に燃やすかリサイクルできる分だけ、生産して利用しましょう。無理だと思いますが。

 レジ袋を草むらや浜辺に投げ捨てたら、あなたの孫の口にその断片が戻ってくるかもしれません。
 まあどうせ、いままで世界中で安易で無責任にポイ捨てされた、あらゆる分解できないゴミを、我々は口にしながら生きねばならない環境になりました。

 これは、おそらく人間がプラスチックの利用をやめたあとも、数世紀は続くでしょう。

 あなたの目の前にある無数のプラスチック製品。それはやがて、あなたの家族の食卓にまわりまわってやってきます。

 手に持ったレジ袋に恐怖してもいいのです。それを「あなたはどこに」捨てますか?

2016/1/6 T.Sakurai