帝国のシステムの否定
帝国は領土を持ち、収穫物を都市に集積する。 都市は、周辺地域から、物資と民力を集積して、消費し、人的再生産をしないので、帝国の母胎であり、帝国化によっと膨張するので、主体ともできる。 そして、国となって、官僚・軍事力を形成して対内、対外の反乱・侵略を阻止し、異なる民族・言語・宗教・地理変化(海・山・砂漠・寒帯・温帯・熱帯)をも統合する事で、帝国となる。 それを束ねるイデオロギーと法体系をもち、「実力」を持った存在である。・・・が。 一つの帝国がすべてを、一瞬たりとも所有することはできないし、したと思いこみ、錯覚したところで 、絶対神の劣化コピーにすぎない。
帝国システムとて、人が人として生きられず、人として扱われないようなシステムであってはならない。 しかしグローバル化・都市化が帝国の本質なので、問題は自動的に量産される。 帝国・都市の問題は、カーボンストーム時代(産業革命時代)のはるか前からあり、その後もさらに続く、人間にとって永久の矛盾である。 帝国は、内部に取り込んだ民衆に未来を提供できず、やがて内部からは思想イデオロギーの変化と、外部からは侵略と環境の激変・災害によって必然として崩壊し、滅び、外的状況によってまた再生する。 人間は、自分自身のなかの、本当の問題を把握することができるべきで、少なくとも努力すべきだ。帝国・都市の問題はその一つだと私は思う。 経済は人の上に有ってはならない。 帝国は人の上に有ってはならない。 都市は人の上に有ってはならない。 人の義務は、人らしく、永続して、生きることだけでいいと私は思う。 近くで手に入る、ささやかで、充分なもので、完結して、過ごさねば、永続はありえない。 大規模所有は大きな収入をもたらす。しかし、再配分はけっして公平になされることはない。 |