前のページに戻る


カーボンストーム
Storm of carbon



 産業革命は、資本主義の誕生のあとになされた。

 技術革新は資本主義によってもたらされたのであるが、化石燃料(カーボン)の大規模使用は、この技術革新によって始まったのである。

 化石燃料の無制限な供給は、人間のすべての活動に外部からエネルギーをもたらし、エネルギー収支と循環を一変させた。資本主義を変質させたのである。


 エネルギーが閉鎖体系にあった中でのレッセフォールによる資本主義は、・・・

 ・・・開放系のエネルギーを前提とした経済になったのである。(前提が根本から変化した)


 この場合、最大限の幸福(パレート最適)をもたらすはずだった資本主義は、環境の破壊、それによる気象をはじめとする全地球の変質、そして伝統的社会の変質(破壊)をひきおこした。

 けっきょく、それは大多数の人間をエネルギー弱者に転落させ、ほぼ全人類の奴隷化をもたらしたのではなかろうか?

 そして、

 無限ではない化石燃料は、やがて(必ず)枯渇する。

 無限ではない地球環境は、化石燃料の大規模使用により、変質する。

 この二つは、遅かれ早かれ約束された未来となった。

 私は、この200年の化石燃料の大規模使用時代を、カーボンストーム時代と仮に呼ぶことにしたい。

 問題はその後の「世界」である。


 この時代はやがて、そして「すみやかに」、古代ローマ帝国のように、膨大な遺跡を残して、すぎさる。

 200年の栄華は、瞬間にすぎない。

 だが、その時代の中にいるものにとっては、この「炭素中毒」「炭素依存症」を自覚できないし、逃げ出すこともできないであろう。

2014/4/5 T.Sakurai


追記

 カーボンストームのほとんどの期間である、使用の「開始と拡大」時期は、カーボンバブル時代と形容できる。うつろな基盤による根無し草の繁栄だからである。

 また、カーボン供給が急速に不足する局面に直面し、社会に予期しない崩壊がおきるような事態を、カーボン・クラッシュと呼ぼう。
 もっとも、あらゆる資源の急速な先細りがおきており、社会は多重に影響をうけつつあるが、エネルギーは収支が問題になるので、問題が顕在化したら事態の進行は早いであろう。

 カーボン・クラッシュは近未来におこりうる。
 その影響は、最悪想定である、核全面戦争の核の冬に匹敵するかもしれない。

 また、カーボンバブルは結局、環境を変化させてしまうために、生態系への破壊力は、VEI8の地殻変動による影響を上回っている可能性は否定できないだろう。

2016/11/01 T.Sakurai


 巨大すぎる問題提起のため、これだけでも一生をかけても足りません。

 粗雑な着想であることは、陳謝する以外にありません。

 これは理論ではありません。私個人の予感・あるいはばくぜんとした「カン」なのです。


エネルギーの流れを考える。


 大量の化石エネルギーが地中から掘り出されました。
 それをどうしましょう?

 自分で作ったわけではない「所有者」は使いきれないので、他のものと交換します。
 別の資源と、資源の加工工賃と、サービスです。

 その結果、「何か」でエネルギー提供者を満足させられた者のいる場所に、対価としてエネルギーが流れ込んで、エネルギーは何かを動かして、そこに「別の何か」を形成してしまいます。

 千葉からお台場・レインボーブリッジを経由して首都高を走ると、林立するオフィスビルやらタワーマンションが数知れません。

 これら「キノコの群生地のように、大量にニョキニョキしてしまった」構造物・インフラは、明治以来、日本に流れ込んだエネルギーのなれのはてであり、奇観といえましょう。

 次の千年のうちに、それらは自らの重みで傾き、何度かの地震でなぎ倒されていくでしょう。

 建設をささえたのと同じ社会体制とエネルギーの供給が継続されないと、これらの構造物は更新も維持も、できないことが明白です。

 放置すれば、この土地はやがて危険極まりない土地となり、無人の廃墟になるかもしれません。
 ・・ふと、そんなことを考えてしまいました。

 流れ込んだ膨大なエネルギーがこんな形で堆積して、一種の地層を作って、二度と再現不可能だとしたら、なんと無駄なことを我々はしたのでしょうか。

 この景色のために、どれほどの国力と自然が失われ、多くの悲劇の人生が生まれ、これからさらなる悲劇の終末を迎えるのが必然だとしたら・・・

 この景色の最後の姿に似合うのは、平家物語かもしれません。


2014/08/29 T.Sakurai




祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。

沙羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。

おごれる人も久しからず。
ただ春の夜の夢のごとし。

たけき者も遂にはほろびぬ、
ひとへに風の前の塵に同じ。




燃えてしまう文明



 化石燃料によって支えられ、なくなれば維持できないような文明に価値があるでしょうか。

 いかに巨大であろうと、すでに火事になって半分燃え尽き、あと数時間で焼滅するであろう大帝国の壮麗で贅をつくした宮殿に住みたいだろうか。考えるまでもありません。

 沈みかけた船からは逃げ出すのが、正しい行いです。あたりまえのことです。

 命の危険をさっしたら、全力で後ろを見ないでにげましょう。

 3・11で私は、つなみてんでんこの、教訓を知りました。
 なんと悲しくも感動的なのでしょうか。

 自分の命はけっしてあきらめてはいけません。
 あきらめるべきは、捨ててもかまわないものです。

 生き残ったら、同じように生き残った家族と力をあわせましょう。


2016/02/27 T.Sakurai