千年のうち 序
私たちは、これからも、 地球に住み続ける。 太陽からエネルギーを受け取り、 植物が育ち、その収穫をいただく。
大地にすまいをみつけ、 同じく、太陽の光と熱で生活環境をととのえ、 伴侶とともに子供を育てます。
そして、社会を隣人とつくりあげ、わかちあって、 生き続けていきます。
終わりをめざすことなどなく。 生き物のライフスタイルはこれ以外ないはずです。 ――人間は動物の一種族なのですが、20世紀に、いくつもの暴走をしてしまったようです。 人口爆発 二酸化炭素の大規模排出による温暖化・気象変化・地形変化 森林などの自然環境の破壊と生物種の大量絶滅 大量生産 ・大量輸送・使い捨てによる地下資源と土壌肥沃度の喪失・劣化 などです。核の利用による破局戦争とか永久汚染の危険もあります。 これらは浪費と、各種技術の開発によって可能となりました。 長期的観点のなさで、危うさを見てみぬふりをしました。 背後からささえたのは、これまでにつちかった文明であり、肯定しささえた思想や宗教です。 もちろん最初から、長続きするはずない暴走で、結末は単純です。明確に予想できます。 遠くないどこかで何かに衝突して破壊とともに急停止するか、減速して安全にとまり、他の手段に乗り換えるかです。 自滅か自制か。どちらになるでしょうか。 別の何かの異変がぶつかってきて、輪をかけた状況になることもあるでしょう。 暴走に対する警告はいくつもなされてきました。1972年の「成長の限界」は、代表的なものでした。 今を生きる私たちは、いままでや、現在の結果をなげくより、やるべきことがあります。 事態は進行中なのですから。 ケガをしたなら、まず血をとめ、安全を確保をして、それから修復と、再発の防止の対策をこうじなければなりません。 あたりまえのことを、あたりまえにやるだけです。やるしかありません。 手品も奇跡も必要ありません。 でもあたりまえを考えていくと、確実な事実を積み上げていくと、いままでとまったく違った景色が見えることもあるでしょう。 私が観てしまったものを、 私の子供が、すべての人と、にこやかな日常をおくるために、役立つことをねがいつつ。 書き留めておきます。 |