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「千年のうち」プレゼンテーション 説明
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 はじめまして。サクライです。

「千年」を題名として、どうかお話させてください。

 1972年に発表された本、「成長の限界」という本があります。これです。どのような本かは、申し訳ないですが、みなさまは知っておられる前提。とさせてください。

 この本を、私は出版から数年後の高校生のときに読みました。

 衝撃をうけましたが、そのときは目をそむけました。

 だれかが、どうにかしてくれるのだと、勝手な理由をつけたのです。

 正直にいって、あまりにも大きな問題をあつかっていて、何から手をつけていいのか、自分がなにをすればいいのか、わかりませんでした。

 それに、まわりのだれもが、関心が無いか、読んでいても私と同じように無視していました。
 あたかも、ふれるのがタブーであり、いわゆる大人の対応をとるのが賢いのだとして、生活態度などそのままでしたから、それに自分も安住させてもらっていました。

 実際のところ、どうすればいいのでしょう。

 人口増加をとめる? 世界同時に? どうやって? ありえない!

 世界全体の経済成長をゼロにする? またはマイナスにする? 同時に途上国の生活水準を高める?。

 それって先進国の生活水準を大きく低下させるってことだ。だれが賛成するものか!

 資源を使わないでリサイクルする? それだけですむものか。新しい工場も市場も開発・開拓しないってこと? 貿易制限、地下エネルギー資源の使用禁止?もうしらん!

 でも、やらねばならないことは、あるのです。

 つまらぬ「たとえ」で恐縮ですが、学校の宿題を無視すれば落第して、やがて放校になるでしょう。

 やることをやらねば、もっと重大な結果がおきます。

 そして、おきてしまったのが地球温暖化や、環境の大規模な崩壊という自然の変化です。

 なんと大きな宿題が、いまだ、かたづいておらず、なかば放置されているのでしょうか。

 私はやがて「成長の限界」の著者のお一人と、お話しする機会をもてました。そのときに、現代に生きる一人の個人として、だれひとり、逃れられない課題であると感じました。

 この本のとりあげた問題は、突発的事故などでおこったのではありません。

 おきていることは構造的な袋小路にわれわれ人間が陥ったということです。

 原因は、有限な地球を、無限とかんちがいしたこと。

 化石エネルギーを無尽蔵に使う前提で、「なにをしてもいい」としたこと。

 つまり産業革命以前のあらゆる制約を乗り越えたと思ったこと・・・だと私は思います。
 じつは制約はそのままだったのですがね。

 「成長の限界」は、文明の限界でありました。地球の限界であり、文明の再構築を要求するものです。

 高校生が逃げたってしかたないですが、どうか許してください。

 遅ればせながら、ここに私なりのレポートを提出します。

 次の世界を作りたいのです。

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 1980年代に「持続可能」という言葉が生まれました。いい言葉ですね。

 なるほど持続可能でなければ、すべてに意味はないです。パーと楽しむお祭りでも毎年やるものです。消えてなくなる花火でも夏になればやりたくなります。

 でも化石燃料は使ってしまえばおしまいです。壊れた自然も、生物が絶滅すれば回復しません。

 人の経済活動を理由に、自然を回復不可能、持続不可能な状態においこむことは、花火以下のはかない行動となります。肯定できません。

 持続できるかどうかで判断するなら、産業革命からの人間の営みで、意味があるものはなんでしょう。

 最初から持続不可能とわかっているなら、どうせ無駄。やらないほうがましです。必ず悪い結果になりますから。

 これまでのすべてを持続することはできません。

 でも困ったことにすべてを止めることもできません。

 どれを残して、どれをやめるか、決めねばなりません。そのときの「人の力」の力量・「ふところ」しだいです。

 産業革命以来、作ってきた各家庭や社会のシステム、整備したインフラも、持続可能社会では、意味がなくなる部分が多々あります。

 持続するにはメンテナンスがかかせませんが、エネルギー・労力が必要なのです。

 とまあ、こんなことは、いうまでもなくわかってしまいました。いずれ「とばっちり」はきます。請求書がまわってきます。

 個人に・・・。私自身に、私の家族に!。しかたがありません。正々堂々、清算しましょう。

 なにしろ万一、社会が崩壊して物資やエネルギーが我が家にこなくなったら、どうすりゃいいのか。

 だれかにすべておまかせすれば、いいのか。そんな感じはぜんぜんしません。
 むしろ「弱者でいれば見捨てられる」ような気がします。

 悩んでもしかたありません。悩んで勝手に自分だけ不幸になることはありません。

 幸せになりましょう。いますぐに。

 同時に世界を変えましょう。

 個人のできることを、世界の全員がやれば、変えられることがあります。

 もともと、世界を危うくしたのは私たち小さな個人の集まりです。

 高望みではありません。

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 幸せってなんでしょう。

 永遠に続いても、さしつかえない幸せとはなんでしょう。

 だれもが受け取れる、守っていける分で、充分に満足できるもの。

 人より豊かになることではありません。全員が平等に貧しくなることでもありません。

 少数が遊んでくらせることでもありません。嫉妬はいりません。うらやんでもきりがありません。つまらないですから。

 だれもが、自分が望んで、家族や、隣人のつどいの一人となります。

 守り、いつくしみ、小さな喜びにふさわしいお祝いをかかさないこと・・・。

 日々の食卓に庭の花をかざり、すべての家族の誕生日ごとにケーキでお祝いするのは幸せでしょう。

 地球の裏側に気軽にいけてもしょうがありません。資本主義の世界では、一週間で帰ってこなきゃならないんです。幸せとは関係がありません。残るのは膨大な二酸化炭素ぐらいです。

 小さな幸せを積み重ねて、どうでもいい行為を全員がやめれば、ずいぶん違うはずです。

 人より多くを望んで、持ちきれないほどかかえこんでも、やがて失います。だれもが無一物で死ぬのです。生きている人の方が大切です。

 持ちすぎを手放し、なにかを生産して提供するぐらいが、だれもができることです。

 それで問題が解決しないなら、困ったことです。

 これだけで明るい未来はこないのでしょうか。

 貧困を消滅させ、温暖化をくいとめ、人災・天災・戦災を防止する。なんてことはできないですか?

 できることしか、できません。できるなら、幸せがあります。

 実現できることを、私は望みます。

 実現の決め手は、長長期の視点。だと思うのです。必要と不要が明白になるからです。

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 具体的になにをしましょう。

 今日から、私はなにをすりゃいいの?

 自分で考えましょう。だれが考えても、同じ結果になり、それぞれやり方は別になるはずです。

 「幸せな家庭はどれも似ているが、不幸せな家庭の原因はどれも違う」(アンナ・カレーニナ)でしょうから。

 ポイントは少ないはずです。

 ・貧しくならない  あったりまえですね。

 ・家庭が永続し、破壊されない  すぐに空中分解なんて問題外です。

 ・すべての人を助けたい  だれかが不幸であれば、心が痛むのが人間ってもんです。

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 では個人にできることを掘り下げましょう。 PLAN(プラン)です。

・貧しくならないために・・・

 収支をコントロールします。フローの管理です。

 二つの側面があります。金銭的な収入が支出を上回ることはあたりまえです。

 同時に、物理的エネルギー・物資的な方面からも収支プラスであるようにします。

 社会・環境情勢により、金銭的収入を得る方法はさまざまですから、そのときに応じて、できれば複数の収入が世帯で確保できるように「整備」します。

 基本は自力で生きるということです。そして一つの予想外のトラブルで窮地にたたないよう、誰に対しても依存・支配されない構造を求め続けます。致命的になりうる利害関係を排除しましょう。

・家庭が永続し、破壊されないために・・・

 フローの次はストックです。生活する場所そのものを、周到に配慮し、準備していきましょう。

 収入を生み出す設備、備蓄資材、土地・農地、建築物。家畜や生産設備もそうです。

 あらゆる災害にそれなりに余裕をもって対応できなければなりません。

 強靭で柔軟な物理的体制です。

 さらに、家族が家族であるための、「幸せの記憶」を充分に蓄積・保存・永久保持できるようにします。

 何度でもやってくる強烈な困難のあとでも、しっかりと生き残り、やはり何度でも立ち上がるための足場です。

・すべての人を助けるということは・・・

 強い意志、ゆるぎない確信を生み出す精神の源泉はなんでしょう。自分はなにをするべきでしょう。

 過去と未来からのすべての視線をうけとめた場合、黙する以外のことができる人はいません。

 すべての人はあやまちと恥のかたまりです。それでも重荷を背負って立ち上がり、前に進んでいきます。このとき、自己肯定のため、善良でありたいという願いは欠かせません。

 倫理的になにが正しいかを常に自己と他者に問いかけ続けねばなりません。すると道がひらかれることでしょう。すべての地球は、自分の家であり、適切に、きれいに使おうとすることで、やがて自分が救われます。自分が救われることで、家族もまた、救われることになります。

 どれも想像してください。イマジンです。可能なことばかりです。楽しいではありませんか。

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 少し具体的にとりあげましょう。収支は変動します。個人の精神も変動します。

 用意したあと変動しないのは「物理的設備・資産」です。目の前にやってきて、そのまま存在して、活用していくのですから、日々の目標は持つべき資産がどれで、どのように獲得・維持するかになります。

 家・農地・共同体・政府の四つが重点となるでしょう。

 どれも重要で相互にバランスをとって準備しなければなりません。

 自分でコントロールできないこともあり、紆余曲折が必然ですが、努力しなければなりません。

 特に政府は個人でどうこうできない社会システムですが、干渉され、コストがかかりますが、どうやっても放置も無視もできるわけがありません。しかも「もろい」もので、たいてい一人の人間の寿命より短く崩壊再生を繰り返すものです。それを計算にいれましょう。

 一言で言えば、究極的なところで「あてにしない」ということです。政府の知らないところで、勝手に幸せに生きていくことができれば、多くの問題は自動的に解決します。

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 スペックについて説明します。

 持つべき不可侵の基本的人権資産・・・大きく振りかぶった表現ですが、そういうことです。つまりは。

 個人が持ち、家族が使い、誰にも奪われず、誰をも支配しない。基盤です。

 ・家 家族が住むところは、永久に必要です。住むだけではなく、生活の継続に必要なあらゆる生産能力、備蓄能力が必要です。

 現在の建売住宅は、どの機能も不十分で、災害にもろく、耐用寿命も数十年しかないので、数年ごとに新たな費用が発生して住むだけでも負担が発生します。生活にとっての足かせ、不安定要因になります。子孫によけいな費用を背負わせる存在です。

 防ぐためには

 少なくとも数十年、できれば百年近く、修理のいらない住宅であるべきです。

 災害などで破損しにくく、破損しても安価に、住人の手で大部分が修復できる構造・素材。(安くて丈夫)

 高断熱・高気密で快適で、生活エネルギーが自給できる。

 さらに、大規模異変にさえ対応できる「長期のシェルター機能」も欲しいです。

 これは設計で大部分が実現します。具体案は別に提案いたします。

 ・農地 自立するには、地域で生活を完結する必要があります。家の敷地と農地が回答です。

 家庭で必要な作物を150%収穫を目指します。余剰生産物は2年分を備蓄をめざします。

 所有権は移動しませんが、同等な場所との交換はできるでしょう。

 (古代オリエントでは同じ条件の土地を設定して、毎年くじ引きでどの家庭がどこを耕作するか入れ替えていました。公平さを保証する優れた発想だと思います。)

 個人が生きていく絶対的な足場として、権利として、永久に占有します。そして家族一人一人が一人一人の自分の土地からの恵みで生きるのです。

 ・共同体 家庭は単独では世代が継承できません。(あたりまえですね)

 周囲の家庭と次々と縁を結んで、幸せを広げていきましょう。

 同時に地域共同体の隣人と収穫を交換し合って生活を豊かにします。さらに付加価値を高めて、外部の市場の交易品とするにも共同体が必要です。

 また農地はインフラの基本であり、地域の協力によって維持します。個人の持ち物であっても、万人が責任をもって管理して、劣化しないよう守ります。だれであっても、貧困へと脱落することを防ぐのです。

 各種生産・備蓄の設備の整備、さまざまな機械設備の維持・継承・習得も共同体を考えなくてはなりません。水利権等の主張・維持や自衛の基盤もそうです。

 私たちは、自治・独立するのです。

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 障害物について。です。

 現在の文明の姿は、大きくゆがんでしまっている。と私は考えます。

 持続性をもった人間生活を世界全体で実現するためには、多くの努力が必要です。これまでの社会のありかたによって、妨げとなることが予想されます。

 3つ大きな要素として、「政府」「市場」「自分」をとりあげます。

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 政府がまた問題にでてきました。

 ここでの「政府」とは、統治する大きな枠組みと考えてください。

 古代では王国・帝国。中世では封建領主。現代では官僚機構などです。

 いずれも農民・市民の上にあって、収穫を一方的に収集してなんらかの見返り(リターン)はありますが、それだけのためには極めて非効率といわざるをえない。極言すれば浪費の主体者です。

 政府はいつも安定しませんし、権力をもっているので一方的行動(収奪)が行われます。政府に頼ることは、ある意味収奪者の一員になる側面を考慮しましょう。個人の生活権を守るために、絶えず統治機構とは緊張関係があるのです。政府は最少で、課税も最少で、できるかぎり自助・共助をめざします。

 「市場」とは、物資、エネルギーの流路と考えてください。

 どこかで余剰になった物質を運搬して不足したどこかに供給する。素晴らしいできごとです。

 問題は、どんな余剰をどんな不足へ埋めるのかです。どこかでなにかを破壊して略奪した闇(ブラック)の物資を、流通させてはなりません。

 「不正な物資」でもって、「正当なコストをかけて、将来への負荷を最少にして生産・循環していた物資」に置き換えてはなりません。正義と倫理にもとづく行為をするのです。

 価格でいえば、略奪品は輸送コストをかけても安いです。さらに遠隔地からの輸送は循環(リサイクル)を無視して成立します。物資が流出し続けた地域はいずれかならず衰退します。大量の略奪品に埋め尽くされた地域は、やがて自立能力を失い、やはり衰退します。共倒れです。恐ろしいです。

 また、略奪の源泉は、資源の浪費や不当低賃金による搾取です。

 そんな物資が大量に流通して、まともな地域経済・地域循環を破壊されてはたまったものではありません。

 市場は「マネー」によって表現されますが、仮想価値で「信用の思い込み」でしかないのですから、使用できる範囲を「倫理」的に判断して、「マネー」の暴走をおさえこまねばなりません。

 売買取引に特化したプロの存在も問題です。素人はプロには勝てません。必ず不利な条件での取引になります。

 市場に依存した判断は、限定すべきです。大量の物資や人の移動はそもそも根本的問題があるのです。

 「自分」とは、自己把握としてください。

 自分を自分で定義し、社会もまた自分なりに定義し、解釈します。

 これまでの人生で、人間関係や教育や読書で学んだ外部から入ってきた客観的な(はっきり文字に書き出せる)認識や知識を使うのです。

 外部に書かれた知識と、自分との関係を、機会あるごとに絶えずつきあわせ(祈り)、再認識することで、自分がなにをなすべきかを問いかけ続けます。

 自分だけの信念・確信をささえる、一人だけの宗教は、だれの心の中にもあります。つきつめれば結果は、あるべきところに落ち着くでしょう。

 私としては、「人間らしく生きよう。慈しみ、平安を祈り、愛のために手を動かそう。あたりまえのことをしよう」、

 そして「賢く、素直に生きよう」としたいのです。

 でも、なかなかうまくいかないのです。くり返しチャレンジです。

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 なぜ、わたしたちは、困難の中にいることになったのでしょう。暴走列車に乗せられたのでしょう。

 豊かになりたかった。自由になりたかった。でも、もっとマシな世界にできなかったのでしょうか。

 これから努力するにしても、うまくいくのでしょうか。同じことに、あるいはもっと悪い世界になるのではないでしょうか。

 考えれば不安になります。おそろしいことです。

 その理由として、整理すると・・

・知るべきことを、知らなかった

・都市が奪っていった

・やるべきことを、しなかった

 だったから。と、仮説をたてます。どうか補足をお願いします。 

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 重たい話をします。

 反論・異論が続出、圧倒し、論点は拡散するでしょう。誰からも全面的賛同は期待できず、批判と無視の常態を覚悟します。それでも、この非力に投げる一石が、なんらかのきっかけになることを願います。

 個人の生き方において「これをやったら失敗するだろうな」といった、いわば経験から蓄積されたノウハウがあります。

 自動車の運転教本があるように、人生の運転教則というべきものがあります。

 意識しなくとも、それに従えば安全に人生をおくれるし、違反すれば事故をおこすでしょう。

 人間集団全体の「しくみ」でも奴隷制度のように、「この仕組みがあれば、あんなことになるだろう」な。という膨大な経験があります。

 人類の歴史に蓄積した声なき訴え・叫びを未来に生かしたいです。

 私が注目したのは、人類全体を拘束していた見えない思想(ジェイコブズの二つの倫理)があるということです。これは古代に自然発生し、知性の検討をうけないまま、知性を運転(つまり支配)した、意識しないけれども存在する思想です。

 これがあるから人間社会は機能してきましたが、一言で言えば、適当で、無分別で、不完全と評価するべき「シロモノ」です。ホントは、知性ある我々にふさわしくない。はずです。

 この思想は、統治システムを後ろざさえします。そして表現物として、都市を作りました。
 都市は、生活と社会を支配する道具です。都市の存在は支配の結果をあらわしています。

 見えない思想が作動すれば、選択ではなく束縛、理性の判断ではなく呪縛による強制になります。
 どうしても無分別・無原則になる支配・統治になります。その現実を、物質としての都市が継続させました。

 しかも都市内部は環境が悪く空間の余裕がありません。生物がのびのびと活動できる場所ではありません。
 かつては衛生状態も悪くて平均寿命は短く、現代も生活スペースがなく人口再生産が常にできません。
 いわば人材の墓場です。

 都市生活は先細りの選択です。都市は自立できず、循環できません。

 略奪によってのみ存在可能で、持続可能性がなく、ついには古代でも近代でも、ゆっくりと文明全体の消耗をまねくものです。

 対策はないのでしょうか。

 はるかな以前から、さまざまに考えられ、書かれ、実施されました。しかし現状はごらんのとうりです。
 残念ながら、成果が足りません。不十分です。

 成功まで無数の失敗をすることはあたりまえです。あきらめることはありません。
 過去からの願いのバトンは現代の私たちに受け渡され、次の世代へとさらに受け渡されます。

 現役の走者として、失敗も成功も、結果を申し送りたいものです。

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 ごらんになったとうりです。私の役目は終わりです。
 個人として、はてしないほどに、さみしく、悲しいですが、しかたありません。

 もはや荒野に叫び、消えていった、無数の声の一つとなりたいだけです。

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 だれもが自分の運命は、いずれ受け入れるものです。知るべきことを知ることになります。

 つまり・・・

・足るべきを知った

 残り少ない自分の時間・取り分のために、他者を犠牲になどできません。する気になるもんか。

・平和であらねばならない

 だれもがいずれ時間がなくなります。だれかの人生をつらく短くする必要はありません。

 自覚しないか、たかをくくっているときだけ、気にしないのでしょう。思慮深くありたいものです。

・「義の国」にいればいい

 選択するのは、個人の責任です。善も悪も、人間に、人間であるだれかの自分がすることです。

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 ですから・・・

・足るべきを知った―――持ちすぎるな どうせ持ちきれない

 ですし、

・平和であらねばならない―――柔和なるものは地を受け継がん

 であればどんなに良いことか。受け継ぎ、受け渡したいです。笑顔の平和の中にありつつ。

 そして

・「義の王国」にいればいい―――勇気をもって、心的転回を

 自分をこれまで動かしていた後ろ側の、「精神構造体・精神の体」は無自覚だが存在して支配されていた。
 この部分も把握して、方向転換します。だれにでも可能です。

 最初の一歩はどれも小さい。しかし、どんな人の、どの一歩もその人が最初ではなく、最後でもありません。

 先を歩いた人があり、後につづく人があることでしょう。さびしくなどありません。

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 では・・・どうすればいいか。

 具体策は状況に応じて変化します。実質やるべきことは、単純にわりだせます。

 行動と思考の立脚点を見直して、必要あれば、これまでから自分が変化して、新しい世界を構想するのです。

 構想基盤要素をこのように考えました。

・長長期の視点 千年という長期を考えます。

・エネルギーと物質循環 世界ではなく地球で考えます。経済や権力や軍事力ではなく、地球という星の物理的生存環境で考えます。

・個人倫理の確立 個人の生活指針を背後でささえる、個人を支配する倫理にまで切り込んで、検討します。


 新たな視点を導入して、新たなテコの支点を新しく考えたいです。

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・長長期の視点の導入を、要不要の判別基準とします。

「千年」という誇大表現といえる長期視点を使って、すべてを再検討することで、小さな落とし穴や大きな設定ミスが回避できます。圧倒的な時間をもって、持続性を検討するのです。落ち着くところに落ち着くべき姿を求めます。そして見落とされた世界と個人のあらゆるリスクを洗い出し、対策するのです。

・エネルギーと物質循環(経済モデルの変更)

 エネルギーの確保の方法の変更すれば、まったく違った世界が現れます。状況は変化し続けるでしょうが現時点では、太陽電力・太陽熱・地中熱補助 風力といったエネルギー源を組み合わせるのが安全でしょう。長期的に継続できないもの、環境や人的労力での負荷が大きいもの、あるいは資源量が少ないものは、あてにするべきではありません。思い切り良く廃止を想定します。化石燃料やバイオ燃料、原子力などです。

 また、物質循環の変更・組みなおしを考えます。資源の使用最小化・完全リサイクル。その結果として農業・工業生産物の移動制限の選択が必要と考えます。

 資源安全保障であり、農業生産の基盤劣化への対策になります。

 これは経済の世界モデルの変更です。統治の権力システムを変更するという劇薬にもなりえます。 

・個人倫理の確立(個人の生存担保 と 統治システム変更)  

 生涯ライフサイクル視点での人生の設計見直をします。
 そのうえで万人の庶民がとるべき合理的生涯とはなにを選択するのか?
 行動の範囲を倫理的に再確認、それぞれが律する理念と現実をここで接続し、実現を目指します。

 そうして未来を規定して作っていくのです。これらを使って あらゆるものを 再設定しましょう。


 ――これが「千年のうち」の基本発想 決定的武器となる言葉・概念です。

 もっとも、現時点で開発されていない技術が実用化し、予想外の発展が見られることがあるでしょう。

 2000年代に低価格が実現し本格的に使用できるようになった太陽電池パネルは好例です。

 同じような突破的事態・世界が変わる新展開は今後も起こることでしょうが、あてにはしないでおきましょう。

 AIのシンギュラリティ、軌道エレベータ、世界的超伝導送電網などは、実現する候補になると現時点では思われます。

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 DO です。 実行する段階です。

 そろそろ、この全体を通した簡単な説明を終わります。

 具体的に、いますぐとりかかり、やめることなく続ける作業にはいりましょう。

 とりかかれば、終わりはありません。気楽なものです。紆余曲折はありますが、必ずゴールできます。

 ゴールするためにやることは

・永久資産を形成する

・家業をもち、複数の収入を

・身軽に 知識は多く 

 です。

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・永久資産を形成する。

 とは、少しづつ、必要な資産を形成していくことです。

 時間をかけた永久貯蓄です。だれもが生活しています。生活できるなら、ごく少額の余裕を貯蓄に回すことが可能です。劣化せず、売りはらうことのない財産を代々蓄積していけば、いいのです。

 いわゆる目標のための禁欲的な資本の蓄積です。ごくあたりまえの手法です。

 人として生涯を送るなら、そのくらいやってもいいではありませんか。

 堅実で賢明なら、必要資産は限られているのですから、必ず目標にたどりつきます。

 もちろん、いきなり家や農地は手に入りません。ハードルが高いものを手に入れるには、まず安全第一の貯蓄です。

 そして、資産を手に入れた人は、他者が同水準になれるよう、手助けをしましょう。

・家業をもち、複数の収入能力を

 生活能力の確立です。技術を身につけ、実務能力を身につけます。環境の変化、突発的な事態になっても、複数の現金収入手段があれば、生活リスクを避けられます。 確実に貯蓄できる実力を日々獲得するよう努めましょう。根本的には、自ら手を動かすことです。最終的な自助努力、代々続けられる家業・技術を形成しましょう。

 建築・電気工事・機械操作・農業技術の習得など、「つぶし」のきく能力がいいでしょう。これも教えあいましょう。

・身軽に 知識・技能は多彩に多く 

 知識・技能などのソフトノウハウは多ければ多いほど良いです。あたりまえです。

 ソフト資産こそ継承すべきものなのです。すると不要なものを持たず、残さないですみます。身軽でいましょう。知識・技能があればこそ、必要な設備を手に入れ、運用することができるのです。その結果、無から必要な有を、そのたび、作り上げられます。

  ――そして準備をはじめたら、とびたとう  すぐに、走り出そう。

          いつ死んでもよいと覚悟して  次にたくしながら  希望をもって。

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 まとめのことばです。 力を抜いてしるします。

 子供とあそびましょう。 はてしなく。

 子供は未来の自分であり、子供をいつくしむことは、先祖や、けして会えない未来の自分と向き合うことです。
 子供にあたえる一瞬の幸福は、連続することで、永遠の幸福になりえます。


 天の国は いま ここにある。

 私たちは永遠の今を絶対的に生きています。その世界を美しいと思えば、この世界は楽園となるでしょう。

 心の転回をもって、温かい心をもった価値観や視線を、すべてに向けましょう。


 死を前にして 常に 語り 働こう。 

 個人の生涯は短く、残せるものは、だれであろうと、わずかなものです。だからこそ、瞬間の輝きとなりましょう。

 その瞬間は、あなたが世界にいた証拠として永遠に残るのです。

 それなら、誰に知られようと知られまいと、どうでもいいではないですか。


 そして

 一人一人が自立し 家族と幸福になり 永続することで 世界のすべてを 解決する

 ことができるかもしれません。

 これが考えうる中でも・・・けっこう望ましき到達点ではないでしょうか?!


 限界をふみこえず

 安全を手にして

 どなたも けして手放さないでください。 どうかすべての人に平安がありますように。

 そして、私は すべての力をつくし  あとを ゆだねます・・・



T.Sakurai 2016.09.15  2016.10.27解説