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集落の社会設計
social_design_of_the_village




 カーボンストーム時代の次の「千年のうち」の世界では、農業と消費が近距離で完結する社会になるはずです。
 農耕がはじまってから、人間の圧倒的多数は農民であり、我々は数世代の間隔をおいて、再び農村で暮らすことになるでしょう。

 その場合、どのような社会。どのようなムラ社会で、人間関係を構築して、個々人が自由で平等で博愛を実践し、平和で知的で、豊かで安定して、強靭な「小さな村」を作れるか、ためされるのです。

 江戸時代の社会体制の再現は否定されねばなりません。同様に封建制の世界の各地の過去の社会体制も同様です。

 ここで参考にしたいのは、江戸時代が終わってかなりの年月がたって武士の支配から完全に解放されきり、しかも本格的に一般農村のすみずみまで化石燃料による動力・肥料・農薬が大量使用され、グローバルな経済体制が導入される前の、地方の小村の社会体制です。

 日本でいえば、車の普及以前。20世紀半ば以前の、小さな村がどのように人間関係を構築していたかをみてみましょう。
 これは、体験者もまだ多数おられるし、私も父母からその実態を見聞きしている近い過去のことですから、リアルなモデルです。
 ただ、自分がその場にいなかったので、「きだみのる」の著作を参考に、要素を書き出してみます。


・村には世話役(村長・庄屋)がいる。
 世話役は十〜十五世帯の「平(ひら)(一般世帯)をまとめて、意見を統一したり、各種のべんぎ、役所などとの折衝をおこなう。

・それより戸数が多いと、サブの世話役がおかれ、やはり一人がそれぞれ十〜十五世帯をまとめて、筆頭の世話役と他のサブ世話役と合議する。
(一人が掌握できる組織は、部下が十数人までである。これは会社の係・課の人数、内閣の大臣数、軍隊の小隊の人数などでも、同じである)

・世話役は、ある程度の資産をもち、そのひと個人の人格・人望と、村と村人のために負担を引き受けることで、支持される。財産は世襲できるが、地位は世襲できない。

・基本的に戸数の増減はない。
 耕地の面積により世帯数は決まるので、長男・長女しか村に残れない。
 それ以外は他家に養子にいくか、外に働きにでるか、家の飼い殺しになる。

・世話役は命令をくだせない。
 村人全員が絶対的に習得して守るべき伝統にもとづいた慣習法(条件付け)によって運営するだけである。
 村のトップの意思による恣意的支配は、利益誘導か公権力(おどし)を背景にした圧力によらねばならない。(しかし圧力は決定的に人望を失う)

・村内の決議は、各世帯主(あるいは代理)がすべて出席のうえでの、全会一致によってのみ効力がある。
 少数反対意見がある場合は、7割程度の賛成があるうえで、根回しと感情的義理・利得誘導などで意見を変更させてから、決議する。(しかたねえなあ)
 反対者に恥をかかせて村を分裂させないためである。

・村内の慣習法は基本的に4つである。
 1 殺傷するな  2 盗むな  3 放火するな  4 外部に村の恥を出すな(警察にたれこむな)
 村以外の世界の公的な法律と、村内の不文律が対立すると、村の慣習法が優先され、外の世界での犯罪でも通報してはならない。

・村の「和」の存続は絶対に優先される。
 村の分裂を招く行為は許容されない。だから「選挙」は出来レースになる。

・上記の村の秩序を破れば村八分となり阻害される(リンチ)。
 しかし和解の機会はあるし、他の村への移動は自由である。
 (親戚を頼るなどして、他の村の世話役に話を通せば移籍できる)

・贈答には必ず同額のお返しを同様の機会にしなければならない。

・村人の間では敬語がなく、女性語がない。
 公正感覚は鋭く、階級がなく、手柄をたてる英雄もいない。
 (嫉妬をまねき、不平等、競争をまねくから)

・村人の理想とは
 生まれ、育ち、自分で労働して暮らしをたて、結婚して、子供を残して死ぬこと。
 だれにもかまわれず、村人同士は徹底的に平等で、平和であり、物資が豊富で、それを買う経済力(ゼニ)があり、公権力(警察)が村で気にしていないことを取り締まらず(治安は自分たちで維持する)、税金が安いこと。である。

・個人の貧富は、個人の労働と倹約の成果であり、働き者で人徳がある証明であること。

・自立していない学生、独身者は半人前である。
 書物の知識、学歴は実力・有効性がなければ度外視される。(高学歴志向、出世志向はない)

・反対意見は言葉にしないで、沈黙で反対を示唆する。


 ・・・これは、われわれ庶民の精神構造の原型といえます。直接民主制ですね。

 続きます

2016/05/13 T.Sakurai きょうは・・13日の金曜日の仏滅だった。


理想の農村



1680年(江戸時代前期)三河地方(愛知県東部)の農業書にこのようにありました。


一、田畑が豊富で四、五十町歩(ha)もある広い村里であること

二、土質が重くてよいこと(砂地でなく水田に適した粘土質の地盤である)

三、村里の東西南北を野山が囲み、飼料の馬草や燃料の薪が得られること
  (里山が豊富にあること 動物エネルギーが使え、肥料や、燃料エネルギーも使えること)

四、野山のふもとに耕地にそそぐ水が豊かにあること。百姓の家屋敷の下水は、低いところにある田に流し入れる。家宅の位置を考え、一滴の使用水(下水)も無駄にしない。(コンポスト資源は重要)

五、田畑にかよう道は広くつける。田畑を大きく区画して畦(あぜ)や境に空地がないようにする。(無駄なく計画的に使用する)

六、人の多い村里は人糞尿も多いので、土が肥え、タニシやドジョウも増える(土が豊かかどうかの判別)

七、村里が魚類や塩草(海草)(つまり海産物をつかった肥料)を入手することができる海に近いこと

八、いろいろな所用を足し、”不浄”(都市の糞尿)を得ることができる”繁盛の地”に近いこと


 以上が、村落の理想の立地条件とあげられているそうです。(「森林飽和」p57)

 肥料とエネルギーの確保が、年貢という収奪に抵抗できない条件下で、生存の前提としていかに重要かわかります。


2016/08/20 T.Sakurai


千年のうちの農村社会




 上記の社会、というよりは、これは実に日本的な(だと思う)思想による、ごく小規模な人間関係を絶対にした、共同体(ゲゼルシャスト)と機能集団(ゲマインシャフト)が渾然とした集団規律です。(ローカル(=ど田舎)なルールです)

 これは、カーボンストーム以前の社会で、一時的にせよ機能しましたし、いまも機能していることでしょう。

 その機能の仕方によって、集団は生き延びてこられたし、また数多くの悲劇・不幸も生み出したことでしょう。

 外部権力や権威を排除し、自己の所属する組織の安定を求めるのは一種のマフィアです。

 また、清濁あわせのみ、結果と、メンツを最終的に確保して、中間の闘争をさけるということは、常に「政治的人間」のみが、存在を許されて、「真実」を素直に口にすることは、できないことを意味します。

 そんなことすれば、無視、排除・圧殺されかねない、たとえ正論であっても、「政治的空気」に抵触するような「未熟」な意見は、無視して当然という態度にならざるをえません。

 この点、アメリカなどの地方集会で、教養のない人でも自らの意見を堂々とのべる民主主義の根本といえる光景は、許されません。(ノーマン・ロックウェルのイラストはいいですね 参照)

 日本では、すべての人が「空気」を読んで、如才なくたちまわる「政治的人間」でなければならないのです。

 議論の正邪は問題ではなく、政治的利害関係と空気の強さと方向によって、意見は集約されるし、全会一致によって、明らかに「誤った」結論がなされることが、止められません。
 「言論の自由」がなく、「レッテル貼り・差別」があたりまえなのですから仕方ありません。

 日本における千年紀の政治体制、村落共同体でどのような社会運営思想が活用されるかは流動的でしょうが、民族の伝統からはなれては存在しえません。

 どのような伝統思想を、我々が使って、どのような利点と弊害をこうむってきて、それらの対策の処方箋をあらかじめ明示されていて、集団内に共通認識となっていなければ、欠点を回避できないことでしょう。

 我々は政治的「空気」と「差別」を、常に意識しなければなりません。
 同時にその結果と、空気と無関係の、第三者からの冷徹な観察と検証によってもゆるぎない「真実」を把握します。(つかんでおきます)

 そして、両方を満たす「政治的」動作によって、個人の立場を守りながら、所属集団の「利益」「正義」「名誉」を守るのです。
 (言論の自由がすんなりと守られるようになれば、こんなまわりくどい方法は簡素化できるでしょうが、いつ実現するかなど、わからないのです)

 そうすることで、集団内の支持をとりまとめ、全構成員の総合的合意を形成して、合理的状態へ集団が到達することを実現させねばなりません。
 それが日本人の運命なのでしょう。


2016/06/15 T.Sakurai