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図書館



 一日一冊本を読むとする。

 私の場合、サラリーマンをやりながらも、なんだかんだで年間300冊くらいになっていただろうか。

 精神活動の現役がつとめられる実働40年では12000冊である。

 私のパソコンには、スキャンした2000冊の蔵書と300枚のCDが入っているが、カラーページを使い放題で200ギガ程度である。

 一生分の読書と音楽は一テラのハードディスクに収容できてもおかしくない。2016年現在、2テラのハードディスクは数千円でチラシ掲載されている。つまり、一日の賃金以下で買えてしまう。

 100万冊の蔵書はもともと大学か国家機関クラスで管理が必要であろうが、現在ではそれをネットワークサーバーNASに入れれば、総額一千万で維持し、有線LANとWifiでとばせば四キロ四方の村のどこでも「自由」に読むことだって・・・、ありうる。(遠い目)

 一家に2台程度のパッド端末があって、100万冊と10万枚のCDが読み放題・聴き放題になっても不思議ではないのである。(映像はひとまず保留する)

 やがてそうなる。(でしょうか)


 蓄積された知識を、無制限に閲覧できて知的好奇心を満たし、実用に役立てられることは、たとえようのない安心感と満足感がある。

 精神の自由の大きな基盤・基礎インフラになるだろう。

 そして、一生の間に、それぞれの人がどんな読書をしたかも、後々公開しておけば、自伝を残さなくても、どんな人間であったか、時間の壁の向こうの、あうことが不可能な子孫との心の交流にもなる。

 これは楽しいことではないか。なんだかわくわくするのである。


2016/07/14 T.Sakurai