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残す技術・衰退しない技術


 退行しないための技術


 カーボンエネルギーをはじめとする、あらゆる経済手段が、成長の限界によって衰退して使えなくなっていっても、すべての技術を放棄する必要はないし、してはならないでしょう。

 どうしても必要な部分は、どうしても維持しなければなりません。
 そこまで破棄しては、カーボンストーム時代の欠点と悲惨を再現しかねません。

 いわば、現在存在する産業のトリアージをしなければならないのです。

(トリアージとは大量に緊急医療の必要が生じたとき、限りある医療スタッフを有効に配置するための判断基準です。
 患者を軽症・重症・死亡に初期に分類し、生命に危険のない軽症は医療をあとまわし、死亡は手遅れでなにもしない、そして重症者に集中的に治療をおこなうというシステムです)

 現在ある産業では、
 衰退するにまかせるもの(石油・鉄鋼・自動車産業・軍需産業)
 廃止するもの(原子力・ダムや高層建築など大規模建築・大量輸送システム)
 維持するもの(化学肥料・リサイクル・機械・電子産業の一部)を分類します。
 などになりましょうか?


 少なくなる一方の地下資源は、できるだけ節約・温存し、なおかつ千年紀に必要となるインフラ整備に限りあるあらゆる能力・金融資産を重点配置しなければならないだろう。

 生活の根本的継続性や質、そして人間の尊厳を守るための富の維持と、精神の自立を担保するための道具は、永続して持ち続けなければならない。

 特に必要となると思われるのは、

永続的エネルギーの確保につながる技術

言論の自由を維持するためのグローバルな情報システム
 (情報の格差による、詐術、略奪、合法的悪意から自衛するための抑止力である)
 (そのため村落・村・地域・国・大陸・世界のニュースが配信されること。)

知識レベル・教養レベルの維持ができること。賢くあれること。
 図書館の維持、最高レベルの思索・芸術・人類遺産に常に触れて共有できること。
 情報バリアーの排除し、公正な情報により、グローバルな負担の最軽量化がはかれる。
 (検証できない費用は負担しない(わけのわからない税金は負担しない))

情報機器の維持。耐久性の確保。百年使えるリサイクルで同等品を手に入れられる情報機器(パソコン・パッド)

 これらが必要ではないでしょうか。基本的な小型機械製造や維持は当然維持されます。

 しかしパーマーカルチャの考え方では、明らかに必要な技術の成果を放棄して、袋小路に入ろうとしていると思える部分があるようで、若干わたしは危惧しています。
 
 ・・わたしが求め、想像するのは、過去や現在にある、格差の果てにそびえたつ領主の楽園ではなく、個人個人の平安の楽園をです。

 あらゆる退行・衰退はしてはなりません。
 退行・衰退は、成長に対する冒涜です。


 規模が拡大することは成長ではありません。

 本当の蓄積する成長は、内面の充実にあります。


 千年の価値

 千年のこらない物は作るべきではない。建物でも技術でも、本でもである。

 千年残る創造物はもちろん価値がある。そしてこれまで千年残ってきたものを、次の千年残すために、その時々の時代であたらしく受け継いでいくことも価値がある。

 すべてのものは、百年二百年では、本当の評価はできはしまい。

 私は、自分の子供と、自分の著作を、今所有していて千年後も存在するであろう、小さな土地を次の千年に残していきたい。


 個人が千年残すもの


 あなたは・・千年のあとの子孫に何を残しますか?

 私は、不治の病であとすこしで消滅します。幸いなことに、蔵書のうち半分程度の1500冊は数年前の比較的健康と思っていたときから処分を始めて、スキャナでpdfにしてきました。

 妻は興味がなさそうだが、娘が大きくなって、父ののこしたデータに興味をもってくれるかもしれないし、孫の代に活用してくれるかもしれない。少なくともデータが消えないよう、数年後とに確認して新しいメディアに移行してもらえるよう遺言しておこう。

 「私を信じるものは死なない。あなたはそれを信じるか」
 この言葉を信じたがゆえにパウロは
 「死よおまえのとげはどこにあるのか」
 と、永遠の生命を信じ、老年にあり、死の前にあっても若々しく情熱をもって生き抜いた。

 そして、数千年前の彼らに、私たちは、「出会い」「語り合い」、ともに歩くことが、いまでも、未来でも可能である。
 わたしは彼らのように、子孫と語り合いたい。

 そこに残すものは、写真・動画・音声・文書・生涯学んだデータやノート、ささやかな思い出の小品。であろう。

 千年の月日のあとには、家も多くの思い出の品も、財産もすべてが消え去る。
 血のつながりも希薄となり、後がたどれまい。

 そんな私は、いったいなにを残すのだろう。

 だから、わたしは「断舎利」などは絶対反対である。
 ゴミ屋敷は意味がないが、グローバル経済に寄生する都市の穴倉をいくら物品皆無にしたところで、心の平安も、未来の対話も生まれまい。

 わずかな部屋の空間に精神を支配されて、その場限りで生きていき、消えていくだけの生涯になるのではないか?

 そのように私は、ばくぜんと考える。


 千年の後の子孫に わたしは何を残そうか


 琥珀に恐竜時代の億年前の生物がそのまま保存されるなら、

人工的に同じもの、より優れたものを残してもいいだろう。

ごくささやかに 美しいものを

 墓石などのようにすぐに地震で倒れて、邪魔になるようなものではないものを

 爪や髪をいれた硬化樹脂はどうだろう。
 手のひらにのるような小さな透明の物体。
 内部にレーザーで自分の肖像を立体刻印して、自分の好きな本や日記や家族の思い出をデジタルデータにして刻みつける。

 それを一人一人の人間が残していく。
 過去の王侯貴族が残した肖像よりはるかに保存性と情報密度が高い遺物である。

 子孫が大切にしてくれるもの。どれほど多くの先祖が残してもコンパクトでもてあまさない高度な内容の「位牌」。
 あまり技術が高くなくても作れる程度のもの。

 われわれに必要なのは戦いではなく、安息と賛美の日々である。
 悲しみではなく幸せの時間である。ムチでだれかをたたくことなく、たたかれることなく、必要とあらばいつでも戦えるが、平和で微笑みの充実した瞬間の積み重ねである。

 そして、いかなる災害でも、住んでいた家の土台と地下室は残そう。

 そして、土台の中に埋め込んだ資材と、生活記録と、財産で再建を試みる。
 (もっとも山上、台地上の建物が、山ごと、台地ごと消滅すれば土台がどうかといってもムダだが・・)

 その一つとして自己の記憶として、千年写真と日記とメモリーを残す。万年メディア開発を希望したい!

 ガラスの固体の中に、レーザーで刻印記憶して、外部からまた読み出す。ガラスの中だから、溶けない限り、永久に変化しない。

 一人生涯記憶 1T(テラ)程度 かな?

 すべての人にといかけます。千年後の子孫に何を語りますか?


2013/11/17 2015/07/08 2016/06/17に各項目改定 T.Sakurai



 千年後の子孫に、何を残しますか? 

 あなたのカラーの写真を残しますか? 声を残しますか?

 自分の好きなこと、好きな人、人生で見聞きしたこと、感じたことを残しますか?

 どうやって。

 石版にレーザー刻印で残そうか、デジタル信号をガラスの塊に封じ込めましょうか?

 それを家の敷地にコンクリートで固めた安置場所に埋めましょうか・・。


 ほんの少し前、私の生まれてからすぐに、人間はカラーで自分の肖像を残すことができるようになりました。

 それ以前は、銅像とか、石造で、不完全な肖像しか残りませんでした。

 声は文章で、ごくわずか、王とかが、偶然残したものがわずかに残りました。


 それが、自分のビデオメッセージを千年後に残せるとなったら、どうします・・。

 どんな人生を送った人間か、胸をはって残せますか?

 残ってしまったらどうなりますか。

 残したくない人は、いるでしょうが、そんな人には聞いてみたい。


 あなたはちゃんと生きていないから、生きてこなかったから、なにも残したくないのでしょうか。

 満足できる、幸せを、残したくはないのでしょうか?と。



2013/08/24 T.Sakurai