家族の遠心力・求心力
姉の長男の甥が昨年結婚しました。 石川県の北部出身で、滋賀県の工場に勤務して、佐賀県の方と知り合って、めでたく女の子がさずかりました。
姉は、一人息子の義兄と知り合って県内北部に嫁ぎましたが、数年前、母が倒れてから、週に数回、看護のため車を運転して、往復140キロを通います。 頭がさがります。嫁ぎ先のご両親もお具合が悪いなかでの奮闘です。
私の妻は宮城県の北部出身、故郷の町は津波で大被害をうけ、思い出の家も町なみも消滅しました。妻の姉は青森県の八戸近くに嫁ぎ、義兄は宮城の中央部で家庭を持ちました。 ちなみに私の父方の祖父は静岡県出身の明治人。 こうやってみると、実に見事に家族は・・ばらばらになってますね。 いがみあっているわけではないのに・・、子供が少ない中なのに・・、ただでさえ限りある家族の力が分散していきます。 当然、生業の継承、資産の継承、蓄積などできず、田畑もどんどん荒れて、子供もちゃんと残せず、育てられず、やがてばらばらになって一人づつ消えていくことでしょう。 知らず知らずのうちに、極めて強力な遠心力が働いているのです。 日本中で、同じ現象がおきており、いわば国中まとめて 「悪い意味での都市化」がおきているのです。 家族が生業をもって、自立することが困難なため、サラリーを求めて放浪の不安定な生活を続けるのです。 結末は明白です。いずれ、人も、思い出も、なにもかも、消えてしまうのです。 ですから、「断捨離」という行為は、本質的に「やってはいけない」ことです。捨てる必要があるなら、もともと持ってはいけません。 土から離れて生きてはいけない。生きる手段から手を離してはならない。 どうすれば、家族の力を集めることができるのでしょうか。 どうすれば、地域が一つ一つの家庭に協力して、お互いを支えあっていける「しくみ」を作ることができるでしょうか。 問題提起がされれば、実は解決は簡単なのです。
2016/02/15 T.Sakurai 千歳(ちとせ)、万歳(ばんざい)、百代の過客(ひゃくだいのかかく)、千代田(ちよだ)、八千代(やちよ)といった、言葉を日本人は使ってきました。 ちゃんと 「千年」を視野にいれていたのです。 自分や、家族や、国のゆくすえを、これらの言葉で、想定していたのです。 千歳(千年のうち) を考えるのは、べつに特別なことをするのではありません。 |