膨張は不幸なことであり、
生存システムはシンプルなものであり続けるのだから
不要なことをする必要はない。(宝くじはいらない)
歴史は一回限りであり、回帰はない。
時間的な計画により、空間を規定すべきである。
空間によって時間を切り取ってはならない。
空間を前提に時間をつぶしてはならない。
インド・アメリカ的なその場限りの空間優先ではなく、聖書的未来規定をする時間軸優先主義の立場をとりたい。
そして、時間主義をとれば、すべての出来事は、事実として絶対的に残るのであり、忘却をまぬがれる。
つまり一人一人の行いに対する、懲罰も賞賛も、終わることなく存在し続け、永遠の生命を得ることになるのである。
千歳(ちとせ)、万歳(ばんざい)、百代の過客(ひゃくだいのかかく)、千代田(ちよだ)、
八千代(やちよ)といった、言葉を日本人は使ってきました。
ちゃんと 「千年」を視野にいれていたのです。
自分や、家族や、国のゆくすえを、これらの言葉で、想定していたのです。
千歳(千年のうち) を考えるのは、特別なことをするのではありません。
私は歴史が嫌いです。
どの時代も、生きる苦しみと流血と不義・不正の抑圧があります。
まともな時代が、どこかにありますか?
人間の歴史は、ろくなもんではありません。
指導者と称する人間達は、例外こそありますが、多くは××が××で××するような、大恥を後世に残していて、地獄に落ちるより悲惨な存在になっているのではないでしょうか。
(伏字は、ご自由に入れてください。)
毛沢東、スターリン、ヒットラー、ポルポト、さらにその他大勢の小悪党のような、自国民も他国民も、およそ人間というものを無に扱って気にしなかった人びとは、本人にしてみれば 「オレなんか生まれてこなきゃよかった」と、くいあらためのあとで、思っていることでしょう。
なにしろ彼等は、自らの愚行により、歴史の審判という、永遠の懲罰を受けて無期限の生命と罰を受けてしまったのですから。
現在進行形では、北朝鮮やイスラム国の極悪演技は、どれほど恐怖を与えようとしても、けっきょく 「道化」と「マンネリ」で、努力すればするほど 「哀喜劇」にしかなりません。
これは悪魔崇拝と呼ばれる人たちの努力にもつうじます。
(参考・「ジェニーのなかの400人」 ひどすぎる内容ですが、人間の全知全能をつくしての悪が、あっさり無力・無意味になって、あわれみにしかならなくなる摂理が描かれます)
「悪」など、いくら残虐最低を極めようとしても、すぐに恐怖は消え、こっけいにしかならないのです。でも、しょうこりもなく同じ間違いを繰り返す。
だから私は人間に対してサジを投げたいのですが、少なくとも今を生きる人間らしい人間であるなら、あきらめるわけにはいきません。
ということで、百年河清を待つ・・ではなく、千年河清を待つ。つもりで、このサイトを作ります。
いくらなんでも千年ありゃあ、どこかで、我々はまともな歴史を作り上げて、維持していけるようになる・・可能性があるのではないか?
ないものねだりの、机上の空想ですが、最低限の希望として・・、
その程度の 「ささやかな夢」を持ちたいです。
がんばりましょう。
2016/2/10 T.Sakurai
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