掲 示 板
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1974年のおんじ 投稿者:チョナン 投稿日:2004/03/11(Thu) 00:57 No.142  

1974年以来アルムおんじは、いつも誇らしげに毅然とした様相を発している。
その姿は、息子夫婦に先立たれひどいショックを受け、自らの業の深さから偏屈に鬱ぎ込んでしまった天涯孤独の可哀相な老人ではない。
沢山の危険や多くの苦境にさらされ、時に人を傷つけ傷つけられ、堅気の身の上からでは想像もつかない出来事を経験してきた人生に強く生き残った自尊心があるのだと思う。

「受難で体得した信仰に身をゆだね精神的な昇華の心を得る」アルムおんじはそんな崇高な類の人ではない。
何も信じずに不幸を背負って独り生きていくことは、とてつもなく恐ろしいことのように思うけれど
様々な災難を経験し頑強に生き残った人間は、本当には何も怖くないのかもしれない。

1974年
もはや戦後ではない団塊の日本が、高度経済成長を著しく進行していたプロジェクトXの時代、
かもめのジョナサンや元日本兵・小野田寛郎さんのように、アルムおんじもまた娑婆から離脱した自己と外界の闘いを続け生きることの意味を模索できていたのではなかろうか?

信仰を目に見えるように描かなくても、アルムおんじは尊厳を抱き強靱な人であったのだろう。
但し、その毅然とした様子から距離を感じさせずに誇らしさが伝わってきた重要な原因は、ハイジを心の拠り所にして生きている姿にあるといえるでしょう。


Re: 1974年のおんじ tshp - 2004/03/15(Mon) 07:08 No.143  


 チュナンさま、意味深い感想をありがとうございます。

 1974年はアニメ・高畑ハイジの放送された年ですね。
 高畑ハイジのおんじの描き方は非常に印象的です。
 孤高で強靭で孤独で偏屈で、とても優しく細やかで、また乱暴さのかげにひそんで内気でもあります。
 そうさせたのは、深い心の傷と、過去へのひそかな後悔と、高いプライドでしょう。それらが現実の生活に対して毅然とした闘いをいどむ動機になっていると思います。

 自然と一人で向き合うあのような生活は、ひとつの理想形にもなるのでしょう。ですから、私たちがおんじに共感し、またそうできるように高畑監督も描きました。
 大人になってから見ると、実に複雑な人物造型に驚かざるを得ません。
(ハイジのビデオを見てドキドキしてるいるところを誰かに見られたらちょっと恥ずかしいけど・・)

 ハイジがいなくともおんじはおんじとして生きていけたでしょう。
 でも、育児放棄されかかった幼児が、自分のこれからの運命を知りえないまま、ただただ今の瞬間を生きていこうとするけなげさ(もうちょっといい表現ないかな?)にふれて、ゆりうごかされ、ハイジにひきずられていきます。

 結局、それがおんじの幸せにもなっていき、見ている私たちも納得します。
 おんじが自分で望んだ幸せよりも、大きな幸せが、ハイジとの生活で得られたわけで、それはこれまでのおんじの生活の否定でもあります。
 この否定を妥当と考える私たちはなんなのでしょう。そして、妥当だと思わせるように作って大成功した監督にそれを意図させた人生観とはなんでしょう。長くなりますのでまた機会をあらためたいと思います。
  
 ・・ハイジのおじいさんとの最初の出会いは、良く考えれば相当に異常です。
 普通に愛情豊かに育てられた子供はあんな態度をとるわけがありません。
 まったくこれまでの環境や人々に執着しないからこそ、執着されてもらえなかったからこそ、ハイジはすぐにおじいさんと仲良くなりたいと、無意識のうちに行動の一部を「良い子供」の範疇に入るようにしたと思います。
「可哀想な子」(トマッシさん)です。


Re: 1974年のおんじ tshp - 2004/03/15(Mon) 07:10 No.144  


チョナンさま
もうしわけありません。お名前間違えてしまいました。m(_ _)m


讃美歌(その 2) 投稿者:ねごばずぢゃん゛ 投稿日:2004/01/19(Mon) 22:03 No.124  

少し前に公式ページの方で、クララがペーターのおばあさんに読んで聞かせる讃美歌のことが話題になりました〔第46話「クララのしあわせ」〕。

で、原作を当たってみたら、tshp さんは既にご存じだと思うのですが、クララが朗読する歌も原作からそのまま引用しているんですね! 面白いことに、クララの歌は 2 箇所に岐れて出てきます。歌の前半部分は第 2 部の第 6 章「遠くの友だちがうごきだす」、後半部分は、同じく第 2 部の第 4 章「デルフリの冬」です。元々 2 つの別々の詩だったものを、高畑版では 1 つに繋いでクララに読ませているんですね。もちろん、原作ではどちらもハイジが朗読します。そして、あの「こがねいろの太陽は…」の歌同様、やはり国松・鈴木訳を採用しているようです。


Re: 讃美歌(その 2) tshp - 2004/01/22(Thu) 01:44 No.125  


 ありがとうございます。またまた素晴らしいご指摘ですね。なるほどです。気がつきませんでした・・。あまりかいかぶらないでくださいな(^ ^;;)
 久しぶりに「クララの幸せ」を見なおしてみました。いいですね。
 クララが朗読した部分が以下になります。

 かみはおはからいくださっています。
 ものみなすべてが すくいをもたらすようにと。
 このよのなみが あれさわいでも おもいなさい
 みずからの うちなる やすらかさを。
 わたしのめが くらくかげってきたら こころのなかを てらしてください
 ふるさとへ かえっていくような たのしいきもちで あのよにいけるように

 そしてご指摘のとおり国松・鈴木訳の第 2 部の第 4 章「アルムの冬」で
「わたしの目が暗くかげってきたら、心のなかを照らしてください、
 ふるさとへ帰っていくような たのしい気持ちで、あの世へゆけるように。――」
とあり、 第 2 部の第 6 章「遠くの友だちがうごきだす」で
「神ははかりたもう、 ものみなすべてが すくいをもたらすように。
 この世の波があれさわぐとも、思え、わが身のやすらかさ!」
とあります。
 原作で3回あるおばあさんへのハイジの朗読を、アニメでは「こがねいろの・・」の1回だけにしています。同じようなエピソードをくりかえしていません。たぶん冗長さを回避するためで、残った二つの詩はくっつけてひとつにして、クララに朗読させ、クララの救済までしています。実にうまい演出だと思います。

 あと、原作にでてくる詩はまだありますが、これらが十九世紀スイスで普及していた詩なのか、スピリの創作なのか、よくわかりません。
 スピリの作品にはほとんどの場合、詩や歌が挿入されます。にぎやかな俗謡や、しっとりとした歌や讃美歌などバリエーション豊富で、「歌う作家」と言ってもいいくらいです。
 これらの挿入歌のいくつかはスピリの母親の宗教詩人メタ・ホイサー作であるという資料がありますが、詳しくは調査中です。
 メタ・ホイサーは主婦でありながら宗教詩人としても有名とのことで、スピリは自分も幼い頃から詩を作っていたそうですが母にはかなわないと小説の方へ向かったらしいです。・・困ったことに日本に、このへんの文献がほとんどない!(T T)
 私はペーターのおばあさんやクララのおばあさんの描写に、母親の姿が間接的に反映しているかもしれないと思っています。さて、どうでしょうね?


Re: 讃美歌(その 2) チョナン - 2004/01/23(Fri) 23:56 No.128  


おばあさんがもう一ぺんきかせてと、ハイジへせがんだ金色の太陽終盤
〜十字架も 苦しみも いつかは終わる
さかまく波も あらしも すぎさって
待ちのぞんだ太陽が照りかがやく
あふれるよろこびと きよらかな静けさは
天の園生でこそ もたらされるだろう
あこがれのその地へ 心はいそぐ

クララの朗読部分を交錯させてみると
〜波風さかまき 荒れ狂うときも
いいか、安んじてあれ
〜この目が暗くくもったときは
この心をてらしてください
〜神はおのぞみだ あらゆるものごとが
よい方へむかうことを
〜家路をたどる旅人のごとく
いそいそとみもとへ行けるように

実にひとつに重なる詩ですね。
逆境や憂鬱な日常は過ぎ去り、天命に従う安堵感
「家路をたどる旅人のごとく」
「ふるさとへ かえっていくような たのしいきもち」という所は
ハイジの物語の力点であり、重心であり、核であり、本丸であり、心臓なのでは。

利発で聡明で信心深く、幸福をもたらす小天使であるのがハイジなのですが、
なんというか、そんなのは一切抜きにして
ハイジがアルムに戻ってきたというだけでモノ凄く十分なんですよ、比類無き孝行なんです。
アルプスの少女でいてくれるだけで、何かとてつもなく満たされるんです。


天の園生 adelheid - 2004/01/25(Sun) 23:56 No.130  


ハイジに出て来る詩は、素晴しいと思っていましたが、

>天の園生でこそ もたらされるだろう
>いそいそとみもとへ行けるように

など、死んで幸せになる、みたいなところ、実はとても抵抗がありました。生きることにこそ希望を見たいからです。

だけど、昨年、あることで、珍しく落ち込んだ日があって、もしかしたらこういうことだったのかと、ほんの少し、ひらめきかけました。。

人の想いとは相反して、人間の肉体はいつか必ず衰え、死を迎えます。病気の治癒にも限界があります。

自ら死を覚悟し、さらに肉体的にも苦しみ悶えるとき、楽しい気持ちで安らかな死が約束されるほど確かな希望はないってことかなと。

私の落ち込みの原因は実は大したことではなくて、すぐに取り除かれ、私は、幸いにもほんとうの暗闇は想像でしか知りません。

が、ハイジが来るまで、希望を見出せなかった、目が不自由で、貧しく心の美しい一人の高齢の女性がこの詩で救われること、

人が人生の最後に必ず迎える死、この物語が、死に伴う、究極の絶望をも打ち消していることは、驚きです。

ハイジやクララが読む詩は、アニメーション化の際、キリスト教色カットの中にも、カットしないで残しておかれただけのことはあるのではないでしょうか。

想いはあれど、つたない文章で、失礼しました。(べこり)


Re:  ねこばすちゃん - 2004/01/26(Mon) 01:35 No.132  


演出の件、tshp さんの仰る通りだと思います。クララ役の吉田理保子さんの朗読もいいですよね。おばあさんの「お嬢さまの声は大層綺麗だし、心がこもっていて、言葉の意味がよぉ〜く分かりましたよ」ということばは、吉田氏に対して言っているような気さえしてきます。詩の朗読以外にもクララがお話を読むシーンが 2 回ありますが(7 匹の子山羊の話と、狼と少年の話)、どちらも実にうまい。(狼絡みでは赤頭巾の話も登場しますが、こちらは人形劇でした。)

  * * *

素人的には、自分自身の作品中に他の作者の創作を埋む込むというのは、ちょっと考えにくいような気がしていたのですが、母親の作品だったとすると、充分あり得る話ですね。チョナンさんのメッセージを読ませて頂いてふと感じたのですが、もしかして、はじめに詩ありき、なんてことはないですかね?? 正直言って、内容が内容だけに、今まであの詩をじっくり味わったことは無かったのですが、読めば読む程、このハイジの物語全体を語っているような気がしてなりません。元々の最終章ですし。

或は、これはキリスト教の中心思想なのでしょうか? どんな宗教も、究極的には信者から、この世を去ることの恐怖を取り除いてやることが目的だと聞いたことがあります。もしそうだとしたら、ここまでキリスト教にどっぷりと浸った物語だったとは考えていませんでした。またまた勉強させて頂きました。皆様に感謝です。


Re: adelheid - 2004/01/26(Mon) 16:20 No.136  


こちらの掲示板は毎日拝見しています。
拝見しているうちに、昨年、この詩について感じたことが懐かしく思い出され、個人的な思い出を書き留めさせていただこうかと思い立ったのが動機のものを、皆さんの貴重な会話のあとにつけて、すみませんでした。。
聞くところによると、この詩は、「十字架」「よみがえり」でキリスト教と分かる詩だということです。
でも、私自身、特定の宗教の確定が目的ではありません。この物語が、死に伴う、究極の絶望をも打ち消していることに驚いた、素朴な感想を述べたまでです。
書き込みさせていただくのは、何ヶ月かぶりです。では、また、何ヶ月か後に?(笑) adelheidは忘れた頃にやってくる。(笑) 失礼しましたー。(ぺこり) ←よく見ると、上のカキコでは(べこり)になってるぅ… (汗)


Re: 讃美歌(その 2) tshp - 2004/01/26(Mon) 22:26 No.137  


 チュナンさまへ
 そうですね。ハイジが山に戻る場面は「満たされてしまいます」。たぶん私たちがここで感動するのは、「自分も大好きな故郷に帰りたい。そして喜んで迎えて欲しい」あるいは逆に「去っていった愛する人を暖かく迎えたい。」という思いと共振するからなのでしょう。故郷への帰還、自分のいるべき場所の再発見がハイジのテーマの一つであるのは間違いないです。

 adelheid さまへ
>つたない文章で・・
とんでもありません。同感です。またお願いいたします。

 ねこばすちゃんさまへ
 「黄金色の・・」も「私の目が暗く・・」も「天国」を示しているので死と死の恐怖の克服を暗示しています。キリスト教思想はすごく幅が広くて一概にはいえませんが、私の想像している限りでは「絶対の神」との「契約」により「すべてにあらかじめもたらされている神の保護」を再確認する。ということだと思います。
 ですから「神の用意していた自分の運命が最善であり、それを受け入れることが安心」につながります。
 日本的な神と一神教の神の考え方は、まるで発想が違っていて、日本人なら(なんとなく)反発してしまうのは当然だとも思いますが、それがすべてでなかったりします。
 私はだいたい理解した時は「開いた口がふさが」りませんでしたが、よく考えるとものすごく堅固な思考体系ができていて、その世界の中ではそれで充分なように「なっています」。
 西洋と日本の思考方法というか、世界観は実はとんでもなくかけ離れています。一筋縄ではいきません。
 この断絶が、原作ハイジからキリスト教色を薄れさせて高畑ハイジが生まれた理由でしょう。(どちらが思想的に優れているかという判断は、もちろん決して決してしてはなりませんね。価値判断はこれ以上は踏み込みませんが、二つの作品の最重要ポイントとして比較分析してみたいです。)

 それからハイジは「詩が先にありき」の物語かもしれないというのは、またまたすごいご指摘です。ゾクゾクします。これは可能性高いですね。(裏付けは・・大変です・・(爆発))

---------------------------------

 ちょっと脱線ですが、ハイジの書かれた時代はヨーロッパの絶頂期といってもいいでしょう。
 普仏戦争以来ヨーロッパ内部での戦火はなくなり、実力が隔絶しているので他の地域はヨーロッパの植民地となって外部の脅威はありません。各地で産業革命が進行し、新技術が生まれ、地域全体は加速的に豊かになりながら、旧来の経済(生活方法)は衰退して行きます。また堅固な宗教倫理が維持されている一方でリベラルな新思想が次々と社会を動かしはじめます。スピリがスイス最初の女性作家であるというのもその一例でしょう。
 なんだか日本の大正時代とか戦後のような時代で、この後に怒涛の20世紀前半がおしよせて、ヨーロッパは自己崩壊で二転三転し、100年たったいま、ひとまわりして今度は世界の先進国諸国が当時のヨーロッパと同じような位置にいるのかもしれません・・。
 ハイジはどんな生涯をおくるのでしょう?


Re: 讃美歌(その 2) ねこばすちゃん - 2004/02/02(Mon) 02:18 No.139  


tshp さま、詳しい解説、ありがとうございます。キリスト教のことはよく知らないので、本当に勉強になります。結構「契約」というのがキーワードなんですね。

私も昔、聖書の中の「放蕩息子」の話とかは読んだことがあります。おじいさんが改心するきっかけになった説話ですよね。『ハイジ』の物語の中でキリスト教色が愈々表に出てくるのは、クララのおばあさまが登場してからですが、皆さんのお話をいろいろ伺っているうちに、もしかしたら『ハイジ』の物語そのものが――つまり、ハイジがフランクフルトへ連れて行かれ、そこでいろいろ苦労し、やがてアルムに戻ってくる、という話全体が、キリスト教的思想に基づいているのではないか、という気がしてきたんです。それで上のような質問に到ったわけです。

そうしますと、非常に単純に見て、フランクフルトが現世でアルムは「あの世」ということになってしまいますが(笑)、まあ、そういう見方もありかなと…。ただ、それだと、クララは「あの世」に一旦足を踏み入れてから、現世にまた戻って行くということになってしまいますね。まあ、あの部分は後で付け加えられた話ということで…。


こんなの書いてもいいのかな? tshp - 2004/02/04(Wed) 03:36 No.140  


ねこばすちゃんさまへ 少々見当違いな脱線をお許し下さい。

 私にはキリスト教の理解が日本人にとって最大級の弱点だと思えます。

 キリスト教はいうまでもなく現代世界において広く受けいられている思想の一つで、日本以外のすべての先進国がこの思想を伝統・基盤にしている以上、極めて重要でしょう。

 しかし、日本人の判断の仕方は、たいてい肯定か否定かの二極分化します。
 日本人クリスチャンはもちろん肯定ですし、そうでないほとんど大多数の人は「排除」の方向へ進みやすいのです。
 この傾向は戦国時代、江戸時代、明治、戦前、戦後を通して一貫しており、日本人とキリスト教はもっとも相性の悪い、相互理解しにくい組み合わせといって過言ではないでしょう。

 この肯定も否定も、主観に根拠を置いているという意味で実はよく似ていて、単に裏と表がひっくり返っただけであり、だからこそ両極端なのです。

 正確な判断(科学的判断といってもいいでしょう)には、まず対象物を観察し、それがどのような論理・メカニズムによって構築されているか事実を事実として把握する作業が必要です。
 客観的に対象をとらえるわけです。主観でとらえるのではありません。

 主観とは無関係に、客観化された事実をとらえれば、それを基盤として、次は自分がそれをどのように主観的にとらえたかの差をつかむことになります。

 外部の客観をテコに今度は自分を客観化してとらえられます。対象と自己を共に客観化して、ようやく比較検討できるスタートラインにつけます。サルは動物で、人間は動物ではないといった「イデオロギー」に執着していると、「進化論」は成立しないのと同じことです。

 キリスト教の正体は、本当に「日本人にとって想像を絶した考え方」で、ものすごく面白いです。同時にその「おもしろさ」がわかると今度は、日本人の思想の体系がこれまた「とんでもなく」面白いことがわかってきます。

 西洋も日本も、客観的に比較することで、日常的には意識しなかった(しないですんだ)見えない構造が見えてきます。
 どちらも先進国として人間社会を運営できるパワフルな世界の一流思想だけあります。
 しかし主要な要素において、正反対の考え方をしている二つの思想を見ていると、「こりゃ断絶もするわ」と苦笑したりもします。

 私もこのへんの比較文化論では「モグリ」「駆けだし同然」の初心者なのですが、二つの文化の相互理解の並大抵でなさは理解しているつもりです。

 さて、ハイジの話題にもどりますと、ハイジは「西洋」→「日本」→「西洋」と交流したケースです。文化の相互比較の点で、非常に興味深いのです。(他にも注目点が満載なんですが・・)


祝ハイジ放映 30 周年 投稿者:ねこばすちゃん 投稿日:2004/01/06(Tue) 20:34 No.121  

新年明けまして(大分経ちますが)、おめでとうございます。

昨年中は大変お世話になりました。
本年も、どうぞ宜しくお願い致します。

今年はハイジ放映 30 周年ということで、どんな年になるのか非常に楽しみです。
ハイジにとっても、そして、ハイジを愛する世界中の人々にとっても、
素晴らしい年となることを願っております。


Re: 祝ハイジ放映 30 周年 tshp - 2004/01/06(Tue) 22:38 No.122  


こちらこそ昨年はありがとうございました。
ねこばすちゃん様にはお世話になったどころではありません。足をむけて寝られません。
今年も楽しくいろいろ御一緒に活動できたらうれしいです。

三十周年ということできっといろいろイベントがあるでしょうね。どんな企画があるでしょう。(こちらもオープン1周年企画を考えたりしてます・・!?)

>ハイジにとっても、そして、ハイジを愛する世界中の人々にとっても、
>素晴らしい年となることを願っております。

 何もいうことはございません。まさしくそのとおりですね。


Re: 祝ハイジ放映 30 周年 maekoo - 2004/01/22(Thu) 22:04 No.126  


今日は旧暦の正月、ねこばすちゃんさん、tshpさん、明けましておめでとうございます。
今年も、ハイジ作品を通じて色々学ばせていただくつもりですのでよろしく願います。


Re: 祝ハイジ放映 30 周年 tshp - 2004/01/22(Thu) 22:52 No.127  


maekooさま こちらこそいろいろお世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。

さて旧暦の正月というと、中国ではいま1週間の大型連休中らしいですね。中国は祭日「ゼロ」で年に3回1週間の連休を作ってるそうです。・・日本のややこしい細切れ休日より合理的だと思いませんか??


一週間の連休 maekoo - 2004/01/25(Sun) 22:28 No.129  


それは病める現代の子ども達には絶対に良いと思います。
どこか山や湖・海で思いっきり自然と触れ、チーズやそり等何かを創り出し、夕日や朝日に感動する機会になったり、じっくりのんびり詩や本を読んだり、昼寝をしたりとハイジやペーターの様に過ごして欲しいですね。
もちろん、大人もです!


Re: 祝ハイジ放映 30 周年 ねこばすちゃん - 2004/01/26(Mon) 00:22 No.131  


maekoo さん、こちらこそまたよろしくお願い致します。

体育の日が 10 月 10 日でなくなってから、天気が悪くなってしまいました…。


アニメ「世界名作劇場」のアンケートにご協力を。  投稿者:あや 投稿日:2004/01/03(Sat) 11:57 No.120  

あけましておめでとうございます。
&はじめまして(^^)。
管理人様、失礼してこの場をお借りして告知させて下さい。

私達は1997年までフジテレビ系の毎週日曜日夜7:30から
放映されていた、アニメ「世界名作劇場」についての
アンケートを行っています。
http://multianq.uic.to/anq.cgi?room=meisakuanime

本放映、再放送に関わらず過去に観ていた方は、宜しければ
該当する項目にチェックを入れ、投票して下さい。

結果はグラフで随時反映されています。

どうぞ宜しくお願い致しますm(--)m。
失礼致しました。


無題 投稿者:m.a 投稿日:2003/12/02(Tue) 10:53 No.118  

大学の授業で、「戦後短篇小説再発見10 表現の自由」という講談社文芸文庫の本を読んでいます。そこに、石川敦さんの『アルプスの少女』が入っていましたよ。


Re: 無題 tshp - 2003/12/03(Wed) 00:00 No.119  


m.a様 貴重な情報ありがとうございます。
最近なかなか更新できませんが、次の手直しの時に目録に収録させていただきたいです。m(_ _)m


トリビアでした 投稿者:tshp 投稿日:2003/11/27(Thu) 05:27 No.117  

トリビアで「楓」がでていました。まさにトリビア的ですね。
前半20分は見ていたのに後は眠ってしまって見逃してしまいました。事前に照会はうけていたのに残念です。再放送ないかな?

でも、私としてはほとんど影響がなかったと思われる「楓」より、初訳の「野上訳」の方を詳しく調べてみたいと思っております。
この野上訳はいろいろドラマがありそうなんです。ハイジの初訳が大物作家によってなされていたのは幸運でした。

さて、トリビア的に補足するなら、ハイジは「あたい」っていってるし、ゆきちゃんは・・「チビ」でした。
ごあいさつ 投稿者:puc 投稿日:2003/11/11(Tue) 01:16 No.109  

pucです。ごあいさつを忘れてしまいました。すみません。
大変、面白く、奥の深いサイトで隅までいろいろ見て
まわりました。

夢遊病の描写や解決が、出稼ぎのスイス人への温かい
メッセージになっているという話や、
ロッテンマイヤさんの設定が、高畑監督の要請で美人に
なったとか、興味がつきません。

ちなみに、私、ロッテンマイヤさん、大好きです。
(美人?だし、ひたむきさ、中間管理職の憂鬱さ、、、)


終盤での性格の変化とは? 投稿者:puc 投稿日:2003/11/11(Tue) 01:04 No.108  

こんにちは。pucと申します。山羊の説明
(http://www.ne.jp/asahi/ts/hp/file5_heidi/heidi_text/5002_life_of_alm.html#Anchor270994)
のところで、「終盤でハイジの性格が変わっている」
という記述がありましたが具体的なエピソードとして
教えていただけるとありがたいです。

最近、DVDを購入し見ているのですが、いい大人になって
見返してみると、終盤は、ほとんどクララが主人公で、
「精神的にどんどん大人になって行く」ようすが描かれて
いると感じました。
ペーターのおばあさんに朗読を感謝され、自分が役に立つ
ことを自覚し、その一方、ロッテンマイヤさんが居なくて
はベッドから降りることも出来ないことを自覚し、ロッテ
ンマイアとおばあさんの仲が悪いこともわかって来て、、、
と、足が治ること以上に、精神的に成長して行くようすが
見てとれました。

この終盤でのハイジの性格の変化とはどういうものなので
しょうか。


Re: 終盤での性格の変化とは? tshp - 2003/11/11(Tue) 22:27 No.111  


 このあたりについては、いずれ高畑ハイジの総合分析をやるときに書きたいと思っています。
 感じたことの意味を簡単に書かせていただくなら、「ハイジはめったになく子ではありませんでした」とペーターのおばあさんと最初に会ったときのナレーションで紹介されています。原作の説明でもそうです。

 しかしアニメ終盤では、ハイジは実によく泣きますよね。
 これが経験と成長による変化なのか?、それともキャラクターの性格設定をはみ出した逸脱なのか? ということです。
 成長による変化にしては唐突で別の表現方法があると思いますので、少々納得がいかない部分があるのです。

 クララの成長と解放は、はっきりとしていますね。ご指摘のとおり、見ていてとてもうれしくなります。
 原作もアニメも現実をトレースして、それぞれの作者の望む情景を描き出しています。そしてテーマの一つは当然、各キャラクターの成長と解放ですが、最終部分のハイジ本人から、この要素が薄くなってきているように感じます。

 ご意見お待ちしております。


Re: 終盤での性格の変化とは? puc - 2003/11/12(Wed) 00:37 No.114  


ありがとうございます。
泣くのは、原作ではフランクフルトでずーっと泣いている
ようですが、高畑ハイジでのフランクフルトの描写は、楽しい
こともあって、それほど苦痛ではないように見えました。
(クララとの友情が結ばれるというためにはあまり泣かせては
いけなかったのでしょうか)。

最近、こちらで教えていただいたミネラルウォータのPDF
を読み始めておりまして、終盤のところに達したら、もう
一度、高畑ハイジと、比較してみたいと思います。

P.S.
じゃんけんの世界版は検索するといろいろ出て来ますが、
針千本の仕草は全くわかりません、、、。興味深いですね。


おしえて 投稿者:チョナン 投稿日:2003/11/09(Sun) 17:50 No.107  

クララのおばあさまとハイジがゼーゼマン邸の階段で、ジャンケン遊びをするシーン
針千本飲ますと約束するシーン
独版や仏版、西版等ではどのように吹き替え訳されているのでしょうか?

以前から気になっていて、アルムの掲示板に問い合わせたこともあるのですが未だに解決していません。

管理人さんは、資料&語学に通じていらっしゃるので
ご存じなのでは?


Re: おしえて tshp - 2003/11/11(Tue) 22:14 No.110  


 久しぶりに帰宅した管理人です(^ ^;;)
 書き込みありがとうございます。

 ハイジとおばあさんの「階段ジャンケン」は海外でどう表現されて、どう反響があるか、たしかに不思議ですよね。グーで3つあがるとはまさかグリコではあるまいし・・、私もとても興味あります。
 ただ、残念ながら私の持っているドイツ語版ビデオでは、この部分は入手しておりません。CD10枚でテレビシリーズの音声をダイジェストしたものもありますが、これにも該当個所が見当たりません。(なんだか漫才のいいわけみたいですね)

 フランス版で一応確認してみたんですが、日本語では1、2、3としか言ってないのでそのまま、アンドゥ・トロワ・・・です。会話のフランス語はわたしは「まったくダメ」です。
 それにドイツ語もヒアリングに「自信があるか?」といわれたら「ありません」と正直に言わなければならない程度の実力です。(・・20年間使っていない第二外国語。頭がイタイ・・)

 それでも調べてはおりますので、なにかわかりましたら発表したいです。どなたかご存知の方の投稿もお待ちしております。お役にたてませんで申し訳ありません。


Re: おしえて チョナン - 2003/11/13(Thu) 00:27 No.115  


「階段ジャンケン」結構難題かもしれないですね。
ドイツでも子供の遊びとしてジャンケンは認知されているという情報があったのですが、ジャンケンを応用した遊びのルールまではどうなのだろう?
ともかく、ゼーゼマン邸階段でのおばあさまとハイジのやりとりを観たドイツ人にとって、本当に何も疑問がないのか?知りたいです。

針千本の方はと言うと…
英米では以下のように言うそうです。
Cross my heart and hope to die, stick a needle in my eye.(十字を切って、針一本眼に刺して死なんと欲す)

やはり約束を公示する時には、針で突き刺すようなインパクトが必要なんでしょうか。
そういえば、「マニフェスト」こういう横文字、流行らせたがる政党がありますが、やはり普通に公約といっても今更インパクトないんでしょうネ、キット…

ところで、戦時中千人針っていうのもあったそうですね、千人が針を刺し繕った布を持っていると戦場で弾に当たらないんだそうです。
どういう理由の迷信なんだろう?針千本、意味深ですね。

ドイツやフランスでも何か過激な言い回しがあるのだろうか?ハイジでの吹き替えが気になります。

資料メモ
http://www.netlaputa.ne.jp/~tokyo3/yubikiri.html
http://plaza.rakuten.co.jp/197546/012011
http://www.melma.com/mag/71/m00045971/a00000038.html
http://www1.odn.ne.jp/~cay36680/kan/kankan.htm


台湾のハイジDVD 投稿者:くろだ 投稿日:2003/11/05(Wed) 21:15 No.105  

http://www.pimgroup.com.tw/shop/index.phtml?PUT=show&R1=10393

http://www.pimgroup.com.tw/shop/index.phtml?PUT=show&R1=10393

こちらでは、はじめまして

さて、台湾のハイジDVD、これらは、いかがなものでしょう。

http://www.pimgroup.com.tw/
その台湾メーカーのホームページ


Re: 台湾のハイジDVD くろだ - 2003/11/05(Wed) 21:17 No.106  


http://www.pimgroup.com.tw/shop/index.phtml?PUT=show&R1=10400

すいません。

ふたつ 同じURLでした。


Re: 台湾のハイジDVD tshp - 2003/11/11(Tue) 22:33 No.112  


ご紹介ありがとうございます。
正規の販売のように見えますね。

 各国にいろいろなハイジがあります。でも作成年代が古いので、海外できちんとした版権管理がされてないふしがあちこちでありまして、胸が痛んでおります。

 それぞれの場所で、作品を支持する人々が作品を応援して、応援して行くことで、守り伝えていければいいなあ。と、思います。


初めて見た現場? 投稿者:maekoo 投稿日:2003/09/18(Thu) 07:39 No.94  

「車椅子を壊したのはペーターかクララか?」面白く読ませてもらいました。
アニメのペーターの足がクララの車椅子を蹴っている部分に何か感慨深いものがあります。
とともに原作を昇華させた高畑版の凄さを改めて感じました。
 



Re: 初めて見た現場? tshp - 2003/09/22(Mon) 01:11 No.95  


ペーターのあの場面は、原作でもあまり見たくない部分です。
後半のクライマックスのひとつですが、あのように物を壊すのはスピリ作品では珍しい描写です。ハイジ第二部は第一部よりも完成度がいまひとつと思うことが多いので、このあたりはもっと調べてみようかと思います。そして高畑版と原作の違いは、実に興味深いですね!


Re: 初めて見た現場? チョナン - 2003/10/05(Sun) 01:14 No.97  


管理人様 はじめまして
あちこちのハイジ掲示板に唐突な書き込みをしているチョナンという者です。
maekoo様 大百科板でのレス有り難う御座居ます。

・ファンタジー的要素がまったくないこと。
・原作ハイジと高畑ハイジという、二つの作品の複合世界になっていること。
・宗教的要素や自然的要素の、現代的・世界的意味でサンプルになること。

「ハイジ」という物語が、非常に面白い状況におかれていることの管理人様解釈を鑑みまして

>ペーターの足がクララの車椅子を蹴っている部分

というのは当に原作スピリ風の極端な色合いであると感じました。故意に物を壊したペーターに対し、良心の痛みと嘘を突き通す苦しみの葛藤を宗教的に諭していく最も顕著なシーンです。
ハイジは原作アニメ共に非ファンタジー色な人間ドラマを貫いている作品ですが、高畑ハイジが嫉妬心を自制できないペーターを描かなかった事は、スピリよりも道徳的な色合いを薄めている、或いは更に煮込んで説教というアクを取り去っていると言えるのではないでしょうか。

>ペーターのあの場面は、原作でもあまり見たくない部分
同感です!ペーターの強い嫉妬というのが、どうも気に入らない。ペーターとハイジの関係はもっと自然だと思いませんか?ぺーターは随分とクララに誠心誠意尽くしていたし、逆にペーターがクララに気を遣いすぎて、ハイジがあきれてしまうような展開のほうが理にかなっているような気がします。


Re: 初めて見た現場? tshp - 2003/10/07(Tue) 05:31 No.98  


チョナンさまへ いらっしゃいませ。ご尊名はあちこちで拝見させていただいております。m(_ _)m
これからもよろしくお願いいたします。

雑誌Moeのハイジ特集号で高畑監督が「(原作と)最も大きな違いはペーターの描き方です」とこの部分の変更を最大のものと考えていることを述べられています。
監督はスピリがペーターを野卑だと見下していると考えて、見る子供たちが自分の友達としてペーターを感じてもらえるようにしたかったとあります。
このように考えて、あのように変更したことは結果として非常によかったと思います。
この過程があるからこそ、高畑ハイジは単なるアニメ化でなく、独立した作品として価値を持ち得ます。
しかし高畑監督もスピリをすべて理解していたからいうと抜け落ちているものもあるような気がして、調べています。
ペーターが車椅子を壊さなければならない『必然的理由』です。


Re: 初めて見た現場? チョナン - 2003/10/13(Mon) 00:47 No.99  


管理人さんの論評&資料は、
ハイジ以外のスピリ作品に馴染みのない自分にとって
非常に有意義であり、とてもとても感謝しております。
m(_ _)m

『 架空人名辞典 欧米編』 発行:教育社
というのを図書館で見たところ。
アルムのお爺さん、クララゼーゼマン、ハイジ、ペーターの簡潔で的確な解説がありました。
勿論、原作の登場人物についてなのでペーターを引くと車椅子破壊事件にしっかり触れており「根は善良な少年なので良心の呵責に苦しめられる〜嫉妬心のなせる業」と説明されていました。
ともかく、原作のペーターは車椅子を壊すまではクララに対して非協力的なので、高畑ハイジとは根本的に行動原理のスタンスが異なります。
高畑監督が見逃した『必然的理由』とは?
あえて言及するなら、やはり架空人名辞典のペーターにあった記述のところでしょうか?
しかし、高畑ハイジは車椅子事件を上手にフォローしていますよ。
原作でペーターは「失敗を白状した対価」として「かえる刺しという小刀」を手に入れるために十ペニヒ希望したところ、クララ一行滞在中だいじなハイジをとりあげてしまった対価と言うことになるでしょうか、クララのおばあさまがペーターに一生涯毎週十ペニヒ支払うと約束します。
しかし高畑ハイジでは、おばあさまはフランクフルトの土産として木で細工するのが上手いペーターへ小刀をプレゼントします。これは、オンジも才能認める木工技能に関係しているしペータにとっては一生の商売道具になるはず。
車椅子を壊してしまっていたら、その代価に絡み置き換えているこのエピソードは無くなっていたかもしれませんね。

原作、高畑ハイジに共通していえるのはクララが山に来てからハイジの頭の中は100%クララが占めているということです(ピッチーにしてもユキちゃんにしても言えることですが)。原作では仕方ないにしても、高畑ハイジであれば1話くらいペーターの事で気に病むような展開があった方が面白いと感じるのは私だけでしょうか?
ペーターは嫉妬というよりも、寂しいからハイジに居てほしいという願いを自然に抱いており、また快活なハイジに心打たれ何かと親切にしているのだとは思いますが、
ハイジがペーターの事を大好きで仕方がないというエピソードがあれば、クララが山に来たことに原作並みのパワーを感じたかも?


Re: 初めて見た現場? maekoo - 2003/10/13(Mon) 07:59 No.100  


チョナンさん、おはようございます。
ハイジがペーターへの想いを出したエピソードは高畑版には沢山散りばめている気がします。
第36話「そして牧場へ」の鳥の巣のエピソード。
第39話「がんばれペーター」のそりレースゴールの場面。
ハイジとペーターの暖かなそしてほのかな愛情あふれる場面だと思いますがいかがでしょうか?


Re: 初めて見た現場? チョナン - 2003/10/13(Mon) 21:22 No.101  


そうなんですよ!
がんばれペーターでハイジの心を掴んでいるからこそ
クララがやって来てからの三角関係?にてペーターに優位に立って欲しいんです!
>車椅子を壊さなければならない『必然的理由』
原作ではクララが介在することで、何かギクシャクしたストレスが発生していたようですが、嫉妬という感情を描くのであればクララと同性のハイジがペーターを想うことでしっくりする気がします。
だけど、ハイジがクララのことを想う気持ちも強いので恋敵には成り得ません。嫉妬心なんて露骨なのではなく、ハイジはペーターのことが大好きだ!ってエピソードがクララが来て以降もう一回あったらどうかな?と個人的に思うんです。
必要ないですかね?

第36話「そして牧場へ」
■牧場・花畑
ハイジ「ねぇペーター、私ペーターにあの雲全部あげる」
ペーター「エヘヘ、じゃぁ僕はハイジにここの草花ぜーん  ぶやるよ」
ハイジ「有難う、わーい!」
  色とりどりの花が咲き乱れる斜面をハイジが喜びながら  転がり落ちていき停止する。クシャミするハイジ。
  ハイジの頭上から沢山の花が降ってくる。
ペーター「ハイジの帰ってきたお祝いだ!それー」
ハイジ「ウフフ、エヘ(満身の笑み)」
  
本当に暖かなそしてほのかな愛情あふれる場面です。
高畑ハイジより愛らしい架空の人物って、あらゆる人類の英知を結集しても想像できない!と思ってしまいました。


Re: 初めて見た現場? tshp - 2003/10/16(Thu) 07:27 No.102  


みなさまのハイジに対する熱い思いを感じますね〜。

子供はもちろん大人がみてもいろいろなことを強く感じるアニメです。30年前に作られた・・とかいう言葉は関係ないですね。いいものは年代を越えるのでしょう。

そして原作は、アニメの切り口とまったく違った世界を持っていて、これも別の見方をすれば実に面白い作品です。

この「面白さ」の違いと、この物語の行く末をじっくりと見ていきたいです。


Re: 初めて見た現場? チョナン - 2003/10/16(Thu) 22:12 No.103  


ハイジには人の成長とともに共鳴し、大人になってから振り返り更なる理解に発展していく人間哲学が記されています。
高畑ハイジは、更に世代も時代も国境をも越えて我々の中にねむっている共鳴したい気持ちをひっぱりだし感動させてくれた最高の傑作です。

>しかし高畑監督もスピリをすべて理解していたからいうと抜け落ちているものもあるような気がして〜

高畑ハイジの固定観念で原作を読んでいくと、ペーターに限らず主要な登場人物に違和感を感じずにはいられません。「信仰」をテーマとしているからだと思いますが、ハイジにしてもオンジにしても原作では確かに他力本願な性質を孕んでいるように感じます。
ただし、宗教的なニュアンスを断ち切ってしまうと、何処か物語の核心を得ていない気もするのです。

勉強不足で思いつきで、ちょっと暴走気味なレス書いてしまったので上手く纏められないのですが、管理人さんの言わんとしている「抜け落ちているもの」というのも解るような気がします。

閑話休題
「車椅子を壊したのはペーター」について
ハイジが気にかけてくれないのが面白くないという理由でペーターが車椅子を壊したのであれば、ハイジがペータの事を想いやっていたとすれば車椅子を破壊する要因は無くなります。その辺の詰めが甘いと思っていたのですが、

そもそも高畑版で車椅子が壊れるのはクララの自力を促すためのきっかけに過ぎず、原作ほどの濃度を必要とする場面ではないのかもしれませんね。


Re: 初めて見た現場? クラフトマン - 2003/10/30(Thu) 00:11 No.104  


お久しぶりです。車椅子に関する書籍よく見つけられましたね!
素晴らしいです。私も書籍にそのような場面があるという情報は持っていたのですが、特定できずに見つける事かなわず未確認だった為に大百科のFAQには単に「絵本」としか書くことができずに非常に歯がゆかったです。

大変参考になりました。これからも探求がんばってください!


クラフトマン様へ tshp - 2003/11/11(Tue) 22:38 No.113  


 レス遅くなりまして申し訳ありません。
 書き込みいただき、まことにありがとうございます。
 クラフトマンさまの「大百科」はハイジサイトの方向性を決定付けた大変な業績です。
 かなりまえに最初に拝見したとき、インターネットホームページの可能性を実感しました。
 今後ともどうかよろしくお願いいたします。


車椅子について itonoz - 2003/11/24(Mon) 22:03 No.116  


お久しぶりです。でもって、今更カキコですけれども。

 車椅子を誰が壊したか?ということでふと思うことがあるんですが、私自身はこのシーンは記憶になかったというか多分のちの再放送でキッチリ補完できていたみたいなんですが、一歳年長の兄が同様に「ペーターが壊したんじゃなかったっけ?」と誤解していました。この兄、今ではアニメとは縁遠い男なんですが、当時私と同じ環境にいてリアルタイムでハイジを観ており、私が忘れていたようなこと(捨てられそうになったハイジの帽子をセバスチャンが持っててくれたとか、アルム帰還後同じ服をおんじが買い求めてくれたとか)をきっちり憶えているのです。その兄すら大多数の人と同じく幻惑さえていることが解せないんですよね〜。

で、思い出したのが、当時小学館(あるいは講談社系)の学習雑誌。兄と私は、毎月この手の本を買い与えられていたのですが、この手雑誌にハイジのアニメ絵本的連載があったことは私の記憶にはっきりあります。例の幽霊騒動の下着姿のハイジが扉を開けるシーンが妙に記憶に残っているのです。
 ひょっとすると、こういった本でもペーターが車椅子を壊すことになっていたのでは?
 うーん、でも絵はまんまセル画を写したフィルムコミック調だったし、わざわざオリジナル書き下ろす訳もないかぁ。

高畑版底本 投稿者:maekoo 投稿日:2003/09/08(Mon) 11:19 No.89  

ご無沙汰しています。
更新の「ハイジの原画と版画展」読ませてもらいました。
なんだか面白くなって来ましたね。
ここのサイトも智の結集になって来て大変勉強になります。
これからも気がついたことで参加させてもらいますのでよろしく願います。


Re: 高畑版底本 tshp - 2003/09/12(Fri) 08:34 No.90  


maekooさん、おひさしぶりです。
 ご感想ありがとうございます。徐々にですがいろいろ面白いことがわかってきます。
 でもハイジ大百科様やHEIDI PAGE様をはじめとする素晴らしい先行サイトの方々と競合するつもりはまったくありません。各サイト間で協力・補完しあっていけばと思います。
 ここでの守備範囲は原作とスピリと、他のサイトではとりあげない重箱のスミ情報・・・といった感じでしょうか?
 掲載データも、とくに囲い込むつもりはありませんで、たとえば映画情報を徹底的に扱ってくださるサイトができましたら、こちらはデータを提供してその分野から撤退してもかまわないと思っております。やっぱりモチはモチ屋さんですからね。
 ともかく楽しくやってまいりましょう!。
 なにかお気づきの点がありましたら、今後ともどうかよろしくお願いいたします。


ちひろのハイジ原画 maekoo - 2003/09/14(Sun) 10:12 No.91  


情報の共有・協力・補完・・・。
素晴らしい姿勢に拍手したいです。
情報って本来、そう言うものですよね。
とかく自分の苦労した情報を固定化し個人化したがるのが世の常の様な風情です。
ハイジ関連サイトはどこも共感と友愛に満ちていて大好きです。

さて、9日から12日まで金沢で研修に行っていて13日だけ独自でユースに泊まり観光してまいりました。
ちょうど、石川県立美術館で「いわさきちひろ展」を開催していてそこで、ちひろの描いたハイジの原画が展示されていました。
1961年に描いたもので、偕成社の児童世界文学全集のものです。
下着姿のハイジとベンチに座るおんじの出会い(再開?)の場面で、ちひろらしい優しい絵でした。
めっけもんでした。


Re: 高畑版底本 tshp - 2003/09/14(Sun) 23:46 No.93  


ちひろ展の情報ありがとうございます。
まったく知りませんでした。

数あるハイジの原作の中でも、高橋健二訳でいわさきちひろが挿絵を書いた1961版は注目しておりました。
ご紹介いただいたのは、その本の口絵に使われている絵のようで、私も好きです。現物をごらんになったとはよかったですね。私もいつか見てみたいです。

さっそく石川県美術館に問い合わせると金沢の展示は明日で終わるようです。でも図録が作られていて、練馬の「いわさきちひろ美術館」でも取り扱っているそうです。詳しくは聞かなかったのですが、各地でこの展示をおこなって、金沢が最後だったらしいです。


リンクさせていただきました。 投稿者:たつの 投稿日:2003/09/02(Tue) 02:09 No.87  

tshpさん、こんにちは。
こちらでは初めてとなります。
よろしくお願いいたします。

リンク、本当に申し訳ありませんでした。
たった今、完了いたしました。(-人-;;)

やはり、こちらのいらっしゃる方々は深〜〜くハイジを掘り下げることがお好きな人ばかりですね。(^^)
でも、とってもよく分かります。
たとえば、マイエンフェルトひとつ取っても、地図を眺め地形の起伏を考えるだけでも楽しいものです。
こういった事が楽しい人間って、同じ趣味がある者同志じゃないと理解できないんですよね(笑)。

うちの掲示板でねこばすちゃんさんが提示してくれた「山の湖」、そして、こちらでも話題となった「冬の家」のモデルとなった建物。
これはいつの日か現地調査をしてみないといけないですよね。
モヤモヤが残った状態は身体によくありません。(^^)b


Re: リンクさせていただきました。 tshp - 2003/09/03(Wed) 00:45 No.88  


たつのさま
わざわざ掲示板へのメッセージとリンクをありがとうございます。感激です。(o^_^o)

それにしても「山の湖」や「冬の家」・・見てみたいです。
ハイジの好きな人たちと一緒にまわれたらどんなに楽しいことでしょう。
想像するだけでわくわくします。

どうかこれからもよろしくお願いいたします。
そして、龍野さんの、かわらぬご活躍をお祈りしております。