掲 示 板


はじめまして 投稿者:Pirvs Lvdens 投稿日:2003/07/16(Wed) 00:59 No.83

これほど原作に関して詳しいサイトがあるとは最近まで知りませんでした。

昨年初めてマイエンフェルトに行きました。たつのさんのところのbbsではその時のことを書いたことがあります。
今年も月末にスイスへ行きます。同じグラウビュンデン州のティーフェンカステル(マイエンフェルトよりずっと小さい村)とシルス・マリーアに滞在する予定です。

マイエンフェルトの語源について次のようなアプローチはどうでしょうか。
ベルンでレトロマンシュ語の辞書を買って帰りましたが、Maidnfeldはレトロマンシュ語でMaiavila、Maia=5月の、vila=村という意味だと書かれていました。Vilaはもともとラテン語の「別荘」を意味し、派生したフランス語のVille、英語のVillageは村という意味が強くなっていますが、古代には隣町クールがローマ都市(またはローマ軍駐屯地)でマイエンフェルトは近郊の別荘になっていたのではないかと思います。ゲルマン語に置換されたとき意味が比較的似ているMaien + feldに転写されたのかもしれません。

また、レトロマンシュ語でHで始まる単語は僅か14語しかなくHeidiはは珍しい響きに聞こえたかもしれません。ちなみにここから近いダヴォス(トーマス・マンの『魔の山』の舞台であり、ハイデッガーとカッシーラーの大論争が行なわれた場所)Da vosは後背地の意味になります。

『ハイジ』をキリスト教の文脈からみたらどうなるかはとても興味深いと思います。例えば同時代の『ピーターラビット』はキリストの受難と復活が下敷きになっていることが明らかになっていますし、『ピノキオ』もクジラに飲まれて再び戻る場面はイタリア人であればすぐにヨナの物語を思い出し、単なる復活の意味以上のニュアンスがあることを感じるでしょう。

Heidi=荒野も、荒野はキリストが40日間修行した場所であり、このため「福音は荒野を通して…」ということになります。キリスト教の諸聖人は奇蹟を起こす能力によって列聖されましたが、歩けない人が歩けるようになった、というのは典型的な奇蹟譚で、クララにとってみればまさに「荒野を通して」だったと思います。また、黙示録では反キリストを象徴する竜に追われた「女と幼児」(マリアとキリストとされる)が避難する場所でもあります。

1880年代、同じグラウビュンデン州シルス・マリーアでニーチェは反キリスト教の書『ツァラトゥストラ』の構想を得、書き上げました。続く著作のためマイエンフェルトの隣町クールの司教図書館にこもって調べ物をしています。

秋のマイエンフェルトです。
http://homepage1.nifty.com/Pyrus/sh/0308/Pyr030806.html

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Re: はじめまして tshp - 2003/07/17(Thu) 06:38 No.84


Pirvs Lvdensさん、いらっしゃいませ。

 いろいろととても詳しい方からメッセージいただいて、うれしいです。わたしのスイスやドイツ語文化圏に対する知識はまことに浅薄なものでお恥ずかしい限りです。
 お気づきの点がありましたらどうかご教授いただけるとありがたいです。これからもよろしくお願いいたします。

 マイエンフェルトがレートロマン語が語源というのはおもしろいです。言語分布地図をみるとレートロマン語はグラウビュンデン州の南側に集中していますが、もともと州全体に分布していたのが北方からドイツ語を使う人が流入して現在の分布になったように見えます。簡単に歴史をあたってみてもそうらしいので、地名がレートロマン語が語源というのに納得です。

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脱線です。 tshp - 2003/07/17(Thu) 06:42 No.85


 脱線です。お許し下さい。
 地図ではマイエンフェルトのある地域(谷すじ)は総称としてPrattigauプレッティガウと呼ばれているようです。
 この東西にのびている地域はバルベルおばさんの出身地として原作に登場しますが、マイエンフェルトもプレッティガウの一部ではないのかと前から気になっていました。もしかしたらマイエンフェルトはあまりにも西よりなので、プレッティガウとは見なされないのでしょうか? ご紹介いただいた国際会議などで有名なダボスはこのプレッティガウの東の端にあたるようにも見えます。

 また、おんじはもともとDomleschgドームレシュッグの豪農の総領息子という紹介がされてますが、そこはプレッティガウの南西に20キロほどいった地域のようです。
 ハイジはカールした黒髪で、父のトビアスやおんじに似ているとされているので、イタリア的な風貌を想像しています。ドームレシュッグは強いて言えばイタリアよりともいえるので、その地方色をあらわしているのかなとも思ってしまいます。ついでに言うなら、トビアスの母親ですが、グラウビュンデン州の女性としか書いてありません。プレッティガウもマイエンフェルトもドームレシュッグも、グラウビュンデン州内ですから、それらの地域外のグラウビュンデンのどこかですね。いわば「よそ者ではないけど知らない人」ということでしょう。(てきとうなことを書いてます)
 流浪のあと、最終的におんじがあのアルムの山小屋に落ち着いたというのは、自分の故郷でも妻の故郷でも、息子の妻の故郷でもないし、同じ州のはずれにあってめだたなくて、心が休まるからでしょうか?

 いいかげんにしろと言われそうな気もしますが、地名のお話からさらにもう一つ。
 ハイジがあずけられていたウルゼルばあさんのPfaefersプフェーファース村は、ラガーツの南の山間部に隣接しています。ハイジを預けにいくとき、デーテとハイジは標高差300メートルのかなりの坂道をのぼりおりしたのでしょう。ハイジの脚力はあんな幼い頃から、ちゃんと鍛えられていたのでした!
 そして目の前にいつもアルムの山とフォルクニスを遠くに見ながらラガーツへの道をくだっていたはずで、あそこにおじいさんがいるのよ。などと聞かされていたのでしょう。
 デーテはいずれハイジをおんじに預けにいかなければならない可能性を考えて、あえておんじの悪い評判をハイジには聞かせず、「そうよとってもきれいなところよ」と、あたりさわりのない事を言っていたでしょう。
 ウルゼルばあさんは耳が不自由で、ハイジを家の中の目の届くところにとどめておかねばなりません。元気いっぱいのハイジが家の中で退屈していて、目の前に遠く見える、「きれいでひろびろとしたアルムにいきたいな」と思っても不思議ではありません。
 だからハイジはアルムの山小屋にいくときだって、けっして見も知らぬ場所にいくのではないし、いよいよあのきれいな山にいくのだと思って、わくわくしていたのかもしれません。
 ハイジはアルムの山を、以前から大好きだったかもしれないのです・・。
 推測に推測を重ねておりますね。

 それから、レートロマン語はイタリア語の一方言だとしてムッソリーニがグラウビュンデンの一部の併合を計画していたという話を聞いたことがあります。私はまったくレートロマン語にふれたことがないのですが、どうなのでしょう?

 関係のないことを長々とどうも失礼いたしました。

 キリスト教についても、少々妄想を思いつきましたが、あまりに長くなりますので、別の機会に別の項目で書いてみたいと思います。

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Re: はじめまして Pirvs Lvdens - 2003/07/18(Fri) 02:25 No.86


先日『ハイジ』続編の初版本が売りに出ていましたが80万の値段がついていました。

ムッソリーニがロマンシュ語を口実に併合しようとしたのは事実で、あわててスイスがロマンシュ語を第四の公用語に昇格させたことと、たぶんヒトラーの圧力で実現せずに終わったものと思われます。イタリア語というよりラテン語に近いです。

グラウビュンデン州はスイス、というより西ヨーロッパでも最もキリスト教以前のケルト文化が残存している地域の一つであり、実際訪れるとそれを強く感じます。例えば州都クールの大聖堂にはどう見てもキリスト教由来とは思えない柱頭彫刻があったり、日本の「なまはげ」にそっくりな扮装をする祭もあります。

「マイエンフェルト」という地名もひとまずレトロマンシュ語に遡りましたが、実はこの州の言語はたいへん複雑な方言があり、山一つ越えると単語も発音も変わってきたりします。これらはロマンス語(ロマンシュ語とは違ってラテン語系俗語の意味)が入る以前のケルト語系(ということはインド=ヨーロッパ語としてアジアまで分布する広範な言語がバックにあります)由来でマイエンフェルトという地名もケルト語で名づけられていたことは十分有り得ます。Heidiという名前もレトロマンシュ語では珍しいですが、ケルト系言語では珍しくないかもしれません。ケルトというとアイルランドというイメージがありますが、ローマ人が征服する前はヨーロッパ全体がケルト文化圏でとりわけスイスはラ・テーヌのような遺跡にみられるようにケルトの重要な場所の一つでした。こうした先キリスト教文化が「なまはげ」祭の形で残存しています。ハイジの時代には今では失われたものがもっと現実にあったものと思います。

今月末にこの地域へ行くのは(最初ボーデン湖のライヒェナウに滞在し、次のティーフェンカステルに移動するときマイエンフェルトを通ります)、文化の古層を更に遡るためで、たぶん新石器時代と中世が直接繋がるのではないかと思っています。

一方、クララの住むフランクフルト・アム・マインは『ハイジ』より約100年前にゲーテの祖父が市長を勤め、カトリックの守護者を任じる歴代神聖ローマ皇帝が戴冠した由緒ある(比較的新しい)町でありグラウビュンデンのマイエンフェルトとは対照的です。

アーデルハイトという洗礼名はもともとカトリックの聖人(プロテスタントでは聖人を認めないので)からとられたと思いますがAdelは中高ドイツ語のEdel(今日もドイツ語に残っています)と同じ意味ではないかと思います。このEdelが今日のような意味になったのは中世のミンネゼンガー(中高ドイツ語を使った吟遊詩人)が「宮廷的高貴さ」の意味で詩の中に採り入れたのが始まりで、「高貴」という意味の中に「宮廷」のニュアンスが残っていると思います(これは英語の「シック」と「エレガント」が前者はブルジョワ階級に、後者が貴族階級にはっきり使い分けられていたのに似ています)。ということはフランクフルトの「文明人」からみると野育ちに近いようなハイジの洗礼名が宮廷的洗練を想起するものであった、というところに一種のアイロニー(本当の高貴とは何か?)があるのかもしれません。フランクフルトは今日でも金融業の中心地であるように、貴族というよりは商人の町であり精神の高貴さより商売の誠実さが求められた町でした。

おそらく、児童文学の傑作とされている『ハイジ』も徹底的に突き詰めるとヨーロッパ文化の深淵が見えてくるのではないかと思います。

と、何かのヒントになるのではと、とりとめなく書いてみました。

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Re: はじめまして tshp - 2003/07/20(Sun) 02:13 No.87


 大変すばらしいお仕事をされていますね。
 私も児童文学とともに、歴史全般に興味がありますので、どんどんとお話いただければうれしいです。

 ハイジの初版が80万円ですか・・。さすがといいたいですが、不思議の国のアリスや、なによりハリポタ第一巻初版の驚くべき価格に比べると、思ったほどではないですね。
 もちろん庶民には気軽に手がでるはずもないですが、これほどハイジ好きな日本人のことですからどこかに展示館でもつくるならけっして高くもムダでもないような・・・(おっと、いかんいかん?!)。
 ハイジ第二部は第一部の好評をうけて出版されたので部数が多かったのでしょうか?

 それからケルトのことがでてきて、ガリア戦記を思い出しました。
 ユリウス・カエサル(シーザー)が活躍して、その人自ら執筆したあの本の冒頭、紀元前一世紀のガリア戦争の最初の引き金をひいたのは、スイスのケルト人の平野への流出でしたね。
 それにケルトも黒髪でした(^ ^;;)

 ヨーロッパの歴史は膨大で複雑でなかなか手におえるものではないです。
 多言語・多人種・多民族・多宗教で、地形が複雑で特定の勢力が全体を均一化できず、各地が独立した封建制が成立しやすいミニ地球のようなものだと、どこかで読んだことがあります。(どこでだったかな?)
 その分裂しやすいヨーロッパをまとめあげたのが、ローマでありキリスト教であり、それ以前の文化を覆い隠し、現在の国際社会で最も強力な部分を担当している社会の基盤ともなっておりますので、私としてはハイジをさまざまにとりあげつつも、キリスト教の影響を重視してみたいと思います。

 こちらこそとりとめがありませんでした・・。

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Re: はじめまして tshp - 2003/07/24(Thu) 03:20 No.88


 大変すばらしいお仕事をされていますね。
 私も児童文学とともに、歴史全般に興味がありますので、どんどんとお話いただければうれしいです。

 ハイジの初版が80万円ですか・・。さすがといいたいですが、不思議の国のアリスや、なによりハリポタ第一巻初版の驚くべき価格に比べると、思ったほどではないですね。
 もちろん庶民には気軽に手がでるはずもないですが、これほどハイジ好きな日本人のことですからどこかに展示館でもつくるならけっして高くもムダでもないような・・・(おっと、いかんいかん?!)。
 ハイジ第二部は第一部の好評をうけて出版されたので部数が多かったのでしょうか?

 それからケルトのことがでてきて、ガリア戦記を思い出しました。
 ユリウス・カエサル(シーザー)が活躍して、その人自ら執筆したあの本の冒頭、紀元前一世紀のガリア戦争の最初の引き金をひいたのは、スイスのケルト人の平野への流出でしたね。
 それにケルトも黒髪でした(^ ^;;)

 ヨーロッパの歴史は膨大で複雑でなかなか手におえるものではないです。
 多言語・多人種・多民族・多宗教で、地形が複雑で特定の勢力が全体を均一化できず、各地が独立した封建制が成立しやすいミニ地球のようなものだと、どこかで読んだことがあります。(どこでだったかな?)
 その分裂しやすいヨーロッパをまとめあげたのが、ローマでありキリスト教であり、それ以前の文化を覆い隠し、現在の国際社会で最も強力な部分を担当している社会の基盤ともなっておりますので、私としてはハイジをさまざまにとりあげつつも、キリスト教の影響を重視してみたいと思います。

 こちらこそとりとめがありませんでした・・。

山の上の湖 投稿者:ねこばすちゃん 投稿日:2003/07/13(Sun) 13:24 No.79

たつのさんところでも話題になったのですが、アルムの山小屋の上のほうにある湖の写真が見つかったので、報告致します。

湖の名前は Flaescher See(n) で、実際は 3 つの小さな湖からなっているようです。tshp さんから教えて頂いた地図には、上から Oberst See、Mittler See、Unterst See という名前がついていますが、通常は全部合わせて Flaescher See と言っているような感じですね。

▼ Flaescher See (Unterst See)
http://www.buendnerherrschaft.ch/media/pics/aia/aia_b_foto13large_0_tbh.jpg

さて、行き方ですが、やはりアルムの山小屋から直接行くのは無理があるようです。行くとしたら、あの右側の崖をよじ登ることになると思うのですが、一般人にはきつそうです。(ペーターなら大丈夫?)

ということで、通常はマランスから出ている Aelplibahn というロープウェイを利用することになるようです。下のページに Flaescher See 経由で Falknis 山に登る様子が写真で紹介されています。山の上から見たマイエンフェルトやラガーツの温泉も写っていますね。

▼ Falknis 山登山(Flaescher See 経由)
http://www.skiclub-konstanz.de/skischule/falknis-2002-08-18/

▼ Aelplibahn ロープウェイ
http://www.aelplibahn.ch/

細かいルートについては、Aelplibahn サイト内の下のページに詳しく出ていました。

http://www.aelplibahn.ch/wandern/falknis.htm

なお、このページに写っているのは真ん中の Mittler See なんですが、ほとんど干上がっています。最初見たときには同じ湖だとは気が付かなかった程です。秋には水が無くなってしまう年もあるということでしょうか。

最後に、山の上の世界を把握するのに役立ちそうな画像を 2 つ紹介します。最初のはイメージ図ですが、Flaescher See のある Flaescher Tal カールの位置もよく分かります。地図だけ見ていても立体像が今ひとつ浮かんで来ないものですが、そういう時に見ると、なるほど、と思わされます。2 番目のは、少し高い位置から撮影された Falknis 山とマイエンフェルト周辺の写真です。Flaescher Tal は見えませんが、それに通じる高台は見えています。そして、何よりも Schesaplana 山の雪原が写っているんです。Falknis 山と並んで原作に登場する山ですよね。

http://www.buendnerherrschaft.ch/html/de/de_ifrm_1.2.2_freizeitang.php3
http://www.romankoch.ch/cgi-bin/pdbViewB.asp?folder=berge&file=gr0011p.jpg

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Re: 山の上の湖 tshp - 2003/07/14(Mon) 01:47 No.81


ねこばすちゃんさま いつもありがとうございます。
たつのさんのところでも公式ページから何人もいらっしゃって
もりあがってましたね。
山の上の湖、ホントに素晴らしいところです。
ハイジの好きな皆様と一緒に旅ができたら楽しいことでしょう。(o^_^o)

さて、写真をプリンタで大きく出力して見てしまいました。
絵地図の黄色丸に星マークがおじいさんの山小屋」のあるOchsenburgですね。
最後に紹介していただいた写真は、ラガーツの南の山から北東に向いて撮ったみたいで、正面手前に写っているのはFlaesch村ですね。
右手中央の山腹の大きな三角形の牧草地がOchsenburgで、その斜め右下の鉄アレイ型の牧草地にペーターの家があるようです。
実際の地形とアニメの地形はもちろん大きく違うのですが、わくわくしてしまいます。
Falknis山は中央左の最高峰、中央右寄りに灰色にとがって見えるのがGlegghornで、その横奥に白く見えるのが真っ赤に燃えていると表現されたSchesaplana山(大斜面山)かな、と地図と見比べて想像しています。
たつのさんのサイトに紹介していた真っ赤になったGlegghornは印象深いです。

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Re: 山の上の湖 ねこばすちゃん - 2003/07/15(Tue) 01:37 No.82


レス、ありがとうございます。

山の上の湖へ行くには、ロープウェイを降りてから更に 1 時間半ほど歩かなくてはならないようですが、何としてもこの目でしっかりと見て来たいものです。

ご存知かも知れないのですが、もうひとつ参考になりそうな画像がありますので、ついでにリンクを張っておきますね。上で紹介させて頂いた最後から 2 番目の図と、ちょうど正反対の向きの絵地図です。上空から南西方向を見たものですね。ハイジランドのサイトにありました。ハイジランドですので、ザンクトガレン州が中心になっています。今でこそ協力体制になったようですが、当初は「ハイジランド」の名称をめぐってマイエンフェルト(グラウビュンデン州)とライン川を挟んで喧嘩していましたからね(笑)。ファルクニス登山の写真に写っている山々や町を同定するのに役に立つかも知れません。

http://www.heidiland.com/img/heidiland_sum.jpg

Heidiland 投稿者:ねこばすちゃん 投稿日:2003/06/08(Sun) 23:25 No.68

ミネラルウォーター・サミットも幕を閉じましたが、我らがハイジの故郷ハイジランドにも、ミネラルウォーターがあります。その名もずばり、“ハイジランド・ウォーター (Heidiland Water)”。2 つの泉、ハイジとペーター、から湧き出るこの美味しい水は、現地のホテルやレストランではよく目にするブランドのようであります。

さて、このハイジランド・ウォーターのサイトを漫ろ歩きと洒落込んでおりましたら、斯様な場所では何人たりとも予期し得なかったであろうものに出会したのでございます。およそ過去を振り返りますならば、斯くの如きは起こるべからざることでありまして、しかし、それが、今まさに起こったという現実は、如何なる理論をもってしても、説明すべからざるであろうことなのでございます。

すなわち、『ハイジ』の英訳テキストの PDF ファイルがあったのでございます。PDF でありますれば、単なるテキストファイルよりは格別に読み易き形式になっており、これを手元に置いておきますならば、サーチもジャンプも一発じゃん、と斯様に思った次第で候。

http://www.heidilandwater.ch/
("The Tale" なるを辿るべし。)

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Re: Heidiland tshp - 2003/06/10(Tue) 05:32 No.70


"The Tale" なるを辿りしすえに、新たなる佳文にめぐりあいて、恐悦至極に存じます。

まいど、ありがとうございます。(と、平民にもどる)
クララに評価されていないけどされているという、高畑版オリジナルのあの先生のキャラクターは成功していますね。
それから新しく紹介いただいたサイトはさすがに商用サイト。綺麗です。源泉の名前が「Heidi」「Peter」とあるのもニッコリ。
さまざまなサイトの紹介していただき助かります。m(_ _)m

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余計な追記 tshp - 2003/06/10(Tue) 05:44 No.71


このミネラルウォーターの会社のあるMelsって、ハイジのおとうさんのトビアスが大工修行にいった町です。
マイエンフェルトのとなりがライン川を越えた別の州のラガーツで、ラガーツのとなりのとなりがMelsです。(厳密に言うと違うみたいだけど)
息子に、遠くないけど別の州にいかせたおんじはやはり「屈折」していたのでしょうか?

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家庭教師の先生 ねこばすちゃん - 2003/06/23(Mon) 00:27 No.78


家庭教師の先生は、実に面白いキャラクターですよね。仰る通り、大成功しています。ややもすると暗く単調になりがちなフランクフルト編に、コミカルな側面を与えています。見ている我々も、彼の、いかにも学者といった勿体振った喋り方や妙な仕種に、幾度となく救われている気がします。これは、ある程度原作でもそうではないかと思います。

彼は常に理路整然と話を始めるのですが、そのあまりにも冗長な話し振りに、大抵途中で遮られます。遮るのは、ある時はゼーゼマンさんだったり、またある時はクララのおばあさまだったりします。子猫ちゃん達に邪魔される時もありました。私は彼が最後まで邪魔されずに話をしたのを聞いたことがありません(笑)。あ、でも、どういうわけか、ロッテンさんとは合うようですね。

では、シュピーリは、この一見コミカルな人物を登場させることによって、一体何を伝えたかったのでしょうか。インテリにありがちなこのキャラクターを、ただ単に面白可笑しく描いているだけではないような気がします。(因みに、高畑版では、ロッテンマイヤー女史が、後半このコミカルな役を引き継ぐことになる。)

家庭教師は、何とかハイジに字を覚えてもらおうと、彼なりに一生懸命教えます。ハイジも、別にこの先生に反抗しているわけではなく、むしろ真面目に「教えられ」ています。時折、変なアクシデントは起こしますが(笑)。

ところが、ハイジは一向に字を読めるようにはなりません。家庭教師の努力も虚しく、ハイジは A、B、C すら終わりまで言えないのです。そんな折に救世主の如く登場するのが、クララのおばあさまです。

おばあさまはハイジと接し、ハイジが字を覚えられない心のしこりを取り除いてやります。そして、ハイジに、面白そうなお話が沢山詰まった絵本を与え、その中のお話を何度も読んで聞かせます。ただこれだけのことで、ハイジはやがて自分で本を読めるようになります。家庭教師があんなにあれやこれや試みても、どうしてもうまく行かなかったことが、おばあさまの手に係ると、実にすんなりと達成されてしまうのです。家庭教師の面目丸潰れです。

このことは何を意味しているのでしょうか。私は、これは形式的・表面的な教育方法に対するシュピーリの痛烈な批判ではないかと思うのです。この物語に登場する家庭教師の教え方は、いかにも形式的です。単に知識だけを一方的に与え、子供ひとりひとりの個性や、各人が抱えている個別の問題は全く無視しています。このような教え方では大したことは望めない、このような教え方は真の意味での教育ではない、というようなことを言いたかったのではないかと思うのです。つまり、家庭教師の先生には悪いのですが――人柄は大変良い人なので――この物語の中では、彼は悪い教育方法のお手本として提示されているような気がしてなりません。これは、ロッテンマイヤー女史にも当てはまるでしょう。

シュピーリは、一方では、ハイジをフランクフルトへ連れて行くことにより、信仰・躾・教育の必要性を説いています。こうして、“荒れ野”(Heide) は“高貴な荒れ野”(Adelheid) となります。ところが、シュピーリは、また一方で、信仰・躾・教育は必要だが、それは決して形式的・表面的なものであってはならない、とも訴えているわけです。Heidi は Adelheid となりますが、Heidi であることを失うわけではないのです。

クララの病気が治り、彼女もやがて学校へ行くようになるでしょう。そこでは沢山の友人もできることでしょう。彼女の性格(や美貌←アニメから)からすると、クラスの人気者になることは間違いありません。でも、このことは、取りも直さず、家庭教師の先生が職を失うことを意味します(笑)。彼が直ぐに次の勤め口を見つけられることをお祈りして、キーボードを擱くことに致します。

Heideland 投稿者:adelheid 投稿日:2003/06/07(Sat) 01:33 No.61

いつもお世話になります!

公式ページで、投稿があり、maekooさんが取り上げてくださっていましたが、作者がハイジをフランクフルトに行かせた本当の理由は、ロッテンマイヤー女史にハイジの本当の名前、Adel(高貴な)heid(荒野)を言わせるためだとおっしゃるドイツ文学の先生がおられるとのことでした。

ハイジは、Adelheidの後ろ半分を取った愛称で、Heide(荒野)だとおっしゃっていましたが、

原作本、冒頭、場面説明のすがすがしい記述の中に、「荒れ野」という単語がありますね〜。

 >道がのぼりにさしかかるとまもなく、あたりは荒れ野になって、
 >丈のひくい草や・・・・・・・(矢川訳)

↓ねこばすちゃんさんが紹介してくださったドイツ語のサイトで調べたのですが、"Heideland"です。

ここでも、HeidiとHeideをかけてあるんでしょうか。

それがどうした? って気がしないではないですが、(笑)
つい、うれしくなって投稿してしまいました。(笑)

ちなみに私のadelheidは、どなたかがおっしゃっていた方の、でいいのです。<さて、何のことでしょう? (笑)>

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Re: Heideland ねこばすちゃん - 2003/06/07(Sat) 17:19 No.63


いやぁ、面白いですね。

Heidi というのは Heide のシャレだったんですね。さらに、Heide ということばには「荒野/野原」(英語の heath)という意味と、「不信心者」という意味もありますから、主人公の名前が既に物語を語っています。(ロッテンマイヤー女史が "Heidi" と聞いて驚くのも無理はありません。)

シュピーリがマイエンフェルトをこの物語の舞台に選んだ理由も、ここにあるのかもしれません。というのは、Maienfeld というのは Maien と Feld から成ることばで、Maien というのは古いゴール語(Gallic) で「野原」という意味、そして Feld も「野原」(英語の field と同源)の意味なんです。(最初「5 月の草原」という意味かと思っていたのですが、下のページに語源の説明がありました。)

http://www.mindspring.com/~philipp/gr_maien.txt

こうなってくると、Frankfurt や Clara にも何か特別な意味が潜んでいるのかと疑いたくなってきます。

ところで、全然関係ないですが、この件でマイエンフェルトのサイトを眺めていたら、昔のストーブの写真がありました。パウル・ハイ氏の挿絵のストーブや、高畑ハイジに出てくる冬の家のストーブを思い起こさせます。やはり、本当にこういうストーブがあったんですね。

http://www.maienfeld.ch/Town/History.htm

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Re: Heideland tshp - 2003/06/07(Sat) 22:06 No.64


adelheidさまへ
こちらこそお世話になっております。
公式サイトのやりとりは見させてもらって、奥が深いと驚いていました。本当にいい名前ですね。
でも、もう一つの意味の方は読んだあと、机につっぶして、しばらく立ち直れませんでした・・あれはあんまりですぅ。
(なんのことでしょう? 知らない人は知らないほうが幸せかも)

ねこばすちゃんさま
また興味深いご指摘ですね。マイエンフェルトの語源まで調べてらっしゃるのですね。いやー、面白いです。
冬の家の話題もなつかしいです。あのストーブが実際にあったら、いまもタイルの破片ぐらい地面に散らばっているかもしれません・・。(現地へ行っても拾ってはいけないでしょうが、さわるぐらいはしてみたかったりして)

 さて、語源の話題ついでに脱線させていただくなら、ちょっと前から気になっていたのがおばさんの「Dete」です。おばさんのことを「die Tante」(英語the aunt)といいますが、妙に似てません?
 手もとの辞書をみても何もわからないので初学者のカンチガイだと思いますが、いかにも「頑丈なおばさん」らしい名前のような気がします。ハイジにカゲの意味があるなら、登場人物全員の名前チェックが必要になるかもしれません。これは手にあまりそうです。

 あと、ハイジとまったく関係ないのですが、聖人の名前がらみということで、このようなサイトを見つけてなるほどと納得したことががあります。もしよろしかったらどうぞ。

ペリーヌとオーレリーの名前の関係
http://e-nono.hp.infoseek.co.jp/a.htm#【おーれりぃ】

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Re: Re: Heideland adelheid - 2003/06/08(Sun) 19:17 No.65


ねこばすちゃんさん、tshpさん、
御返事をいただき、ありがとうございます。m(__)m
いつもながら、お詳しいですね!

お二人始め、こちらに来られる方には、いい刺激をいただいおります。読ませていただいて、ほんのちょっとずつですが、勉強させていただきますネ☆

なるほど、ねこばすちゃんさんのおっしゃるように、HeidiとHeideのシャレだとすると、ハイジと聞いたとき、真っ先に「あなたは洗礼を受けていないんですか?」と尋ねたロッテンさんの反応や、原作のゼーゼマン氏がハイジと呼びたがらない訳が、妙に納得できて、パズルが解けたような快感を覚えます!

ふと、連想が進むのですが、聞くところによると、キリスト教では、
福音は「荒れ野」から述べ伝えられるとする考え方があるそうですね。ハイジの、フランクフルト以前から持つ特性(おばあさんの辛さを自分のことのように感じたり、ヤギのユキの寂しさを憐れむ気持ちなど)や、クララやクラッセン先生が、アルムを訪れて元気になったことなどを考えると、「荒れ野」には、もう一つの意味も重ねて込められているような気がしています。。。。。。

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と、 adelheid - 2003/06/08(Sun) 20:07 No.67


tshpさん、もう一つの意味について、優しいお言葉を賜り、
ありがとうございます〜☆

ダッタン=韃靼? 投稿者:itonoz 投稿日:2003/06/03(Tue) 22:10 No.54

 矢川版で”あばれんぼう”を”ダッタン”としてますが、これは中国の人がモンゴル人を称する”韃靼(=欧州人がモンゴル帝国来襲以降アジア人を指す”タタール人”あるいは”タルタル人”の原語)のから付けた名前かと思うのですが、原文ではどうなってます?
 
 と思うのは、別版で”大きなトルコ人”になってるとこからも推理していったんですが、タタールというのは元々モンゴル人の一部族の名でして、精強でモンゴルを代表する部族だったそうです。モンゴル高原には実はモンゴル人よりトルコ系の部族が多く、その弱小のトルコ部族まで”タタール”を僭称するようになります。後のモンゴル帝国を構成する国民も実際はモンゴル人は一握りで、トルコ人が大半を占めていました(元の首都、現在のペキンをトルキスタン大都と呼ぶのはこのためです)転じて、後にモンゴルに酷い目に遭わされた欧州は主にトルコ人と、含めてアジア人を”タタール”と呼ぶようになったようです。
 いずれにしても欧州人からして親しみのある呼び名ではなく、粗暴もしくは、野蛮を連想させる呼び方のようです。(同じアジア人である中国人の視点からしてもやはり、北夷・南蛮と並んで非文明人に対する見下した呼び名ですし)

 あるいは”クマとスワン”の気品を際だたせるためにわざと対照的に用いた名かもしれません。逆に高畑版がストレートに”あばれんぼう”としたのは、特定の人種を差別するととられる可能性があったからではないでしょうか?

 トルコに特別な思い入れがあるわけでも、知り合いがいるわけでもないですが、欧州に日本がよく知られる以前は、アジア人全体、我々日本人も等しく”タタール”と呼ばれていたのですから笑える話でもないなぁ。

 蘊蓄めいた話で申し訳ありません。

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Re: ダッタン=韃靼? ねこばすちゃん - 2003/06/05(Thu) 06:39 No.56


ダッタンって、そういう意味 だったん ですね。興味深いお話、ありがとうございます。

「あばれんぼう」は原作では der grosse Tuerk(ss はエスツェット、ue は u ウムラウト)です。「大きなトルコ人」(国松・鈴木訳/偕成社版)というのは、これの直訳ですね。ネット上の英訳テキストも "the great Turk" となっています。

当時のスイス人やドイツ人が、トルコ人に対してどういうイメージを抱いていたのかは知る由もありませんが、大方 itonoz さんの仰る通りなのではないかと思います。そして、それはそのまま広くアジア全体のイメージ(“未開で野蛮な辺境地帯”)でもあったことでしょう。現在でもヨーロッパの多くの人々は、トルコを「アジア」地域への入口という位置付けで捉えているようですよね。

蛇足ですが、英語の小文字の tartar (< tatar) という語も、「野蛮人・乱暴者」の意味があるようです。もちろん Tartar (< Tatar) から来ています。

矢川氏が「ダッタン(韃靼)」という名前を選んだのは、シュピーリが der grosse Tuerk という語に込めたイメージを、「トルコ」という日本語を使わずにうまく表現したかったからではないかと思われます。でも、これを韃靼人が見たら、どう思うでしょうね。

そもそも、原作の der grosse Tuerk というのは、現在ならかなり問題になる表現です。シュピーリも、まさか自分の著作が世界中の国々のことばに翻訳されて読まれるとは、思いも寄らなかったのでしょう。この表現以外にも、ちょっと気になる言い方が『ハイジ』にはあります。たとえば、物語の初めのほうで、バルベルおばさんはデーテにこう言います。アルムおんじについての描写です。

 「あの濃い白い眉やもじゃもじゃした髯を見ればまるで異教徒かインディアン
 みたいなんだから、(略)」(関・阿部訳/角川文庫)     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

ここで言う「インディアン」とはアメリカ・インディアンのことだと思うのですが、このセリフは彼等をひどく蔑視しています。現在ではとても許されない類のものです。でも、当時のヨーロッパでは、特に問題にはならなかったということなんでしょうね。

面白いことに、この部分、矢川訳や上田訳(岩波少年文庫)では、うまく誤魔化しています。

 「あんなもじゃもじゃの灰色のまゆして、おっかないひげして、まるで山賊
 みたいなんだもの。(略)」(矢川訳/福音館書店)

「あばれんぼう」に限らず、この物語に登場する山羊の名前は非常に興味深いです。どれも、他の動物や事象の名前を付けています。これが現地での習慣なのかどうかは定かではありませんが、翻訳者にとっては苦痛の種となっているようですね。

たとえば、アルムおんじの「気品」ある 2 匹の山羊のうちの一つは Baerli ですが、これは「熊」を意味する "Baer" に、「小っちゃくて、かわいい」を意味するスイス地方の縮小語尾 li が付いたものです。これを意味で訳すと「熊」になってしまい、そのままでは実際の熊と区別が付かなくなってしまいます。かといって、音だけで訳すと、命名の面白みが伝わりません。そこで、「〈小熊〉」とか「『熊』」のように括弧で括ったり、「クマ」のようにカタカナにしたりと、いろいろ工夫しているようですね。山羊の名前の邦訳を見ていると、まるで翻訳者の想像力コンテストを見ているようで面白いです。そういう意味では、矢川訳の「ダッタン」も、苦労の跡がにじみ出ています。

下に、主な邦訳本における山羊の名前を挙げてみます。「白鳥」や「熊」などは、実際には括弧類を伴って使用されています。高畑版における山羊の名前は、竹山訳(旧岩波少年文庫)の影響が強そうですね。また、時代が下るにつれ、カタカナが多くなってきているのが分かります。(調査ミスがあるかもしれません。)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
高畑版     野上      関・阿部 竹山     国松・鈴木
─────────────────────────────────────
シロ      (小さい)白鳥 白鳥   白鳥     白鳥
クマ      小ちゃい熊   熊    小熊     小ぐま
ユキ(ちゃん) ゆき/小さい雪 雪    雪ちゃん   小雪
アトリ     ひわ      うそ   アトリ    あとり
あばれんぼう  トルコ人    トルコ  あばれんぼう (大きな)トルコ人
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
高畑版     矢川   上田   原作 [英訳]
─────────────────────────────────────
シロ      スワン  スワン  Schwaenli [Swanny]
クマ      クマ   クマ   Baerli [Bearly]
ユキ(ちゃん) ユキンコ ユキ   Schneehoeppli [(little) Snowflake]
アトリ     アトリ  アトリ  Distelfink [Greenfinch]
あばれんぼう  ダッタン デカ   der grosse Tuerk [the great Turk]
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(注:ドイツ語表記で ae, oe, ue は、それぞれウムラウト付き文字の代替表記)

ところで、高畑ハイジのドイツ語版では、ユキちゃんは Schneehoeppli ではなく Schnucki と呼ばれているようです。どうしてだろう?

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Re: ダッタン=韃靼? tshp - 2003/06/06(Fri) 05:40 No.57


 itonozさまへ
 トルコは1880年当時、産業革命に乗り遅れて、西欧列強に少しづつ領土を食いちぎれらていたとはいえ、中東の広大な領域を支配する大帝国でした。それまではヨーロッパ人にとって長年、武力でじりじりと自分達を圧迫してくる対象でしたし、科学・学問でも長い間、西欧と互角か、むしろ優位をたもっていました。ですから野蛮というより、対等か、劣等感の裏返しの反発に近い感覚だったような気がします。タタールは「タルタル」(地獄)から来た人間という意味だと前に聞いたことがあります。とんでもなくひどい言葉ですよね。裏返せばそれだけひどい目にあったという意識がヨーロッパ人にあったのでしょう。
 でも、高畑版がヤギの名前を「あばれんぼう」としたのは大正解ですよね。

 ねこばすちゃんさまへ
 すごい分析ですね。こんな比較研究をみると、ホント楽しくなります。それにドイツ語勉強されていますね。
 発表された内容をまとめて、いずれ掲載させていただきたいものです。お願いします(^ ^)
 ウムラウトの扱いについては前から悩んでいます。代替文字をつかえばいいのでしょうが、ウムラウトが結構好きで、特別なことをしないで、どなたでもごらんになれるよう、なんとか表現したいのです(エスツエットは・・どうしましょうね?)文字コード問題は困ったものです。

 おんじが「Indian」のようだと表現されるのは、私も英文グーテンベルグ版を見てギョッとしました。1952年の竹山訳では「おいぼれたどろぼう」です。(この英訳は1884年の最初のものでしょうか? だったらいわゆる西部劇時代の真っ最中、カラミテ・ジェーンやカスター将軍が活躍中です。)
 原文ではein alter Heide und Indianer(年取った異教徒かインディアン)となっているので身もフタもないです。
 ただし、人間は完全な存在ではありません。これまでのすべての時代がそうでしたし、これらかもそうでありましょう。過去の文章を120年後につつきだすといくらでも批判できて当然ですが、それは正当な行為ではないのでしょう。
 発表当時に問題になっていなければ、当時の常識の範囲にあるから誰も気にしなかったということです。(実際になにか問題があったかどうか、わかったら報告したいです)それが時代の限界というものでしょう。でもそれはスピリや当時の人々が愚かだからでも、われわれが当時の人々に対して人格的に優れているからでもありません。
 とても恐ろしいことですが、この問題は現代の我々にも共通します。我々も、正しいことをやっているつもりで、実は未来の人間からみたらとんでもなく「ひどい」ことを一人一人がやっているにちがいありません。それでも我々は単に「今の常識」というものに目を閉ざされて、あるいは知識が足りなくて、トンチンカンなことをせざるをえないのですし、未来の人も結局、同じことです。
 スピリが現在も生きていて、新しい小説を書こうとしたとき、悪意を持ってこのような表現をするかどうかは、疑う余地はありません。ですから気にはしますが、問題にするべきではないです。(言葉狩りに血道をあげている人々は違うでしょうが)
 現代日本語に翻訳する時、語句を修正するのも問題ではありません。翻訳者としてのあたりまえです。それに同じ頃の明治時代の日本の文書の差別的表現は、この程度ですんでいません。
 ハイジのようにずっと前に書かれて、親しまれていた物語がその時々の時代の要請で、どのようにとらえ方が変化してきたのかは興味深いテーマです。
 こうやってほんの少しのすきまから、私たちの精神のほころびというか、我々の精神そのものがいかに「フィクション」であるか、みえてくるのは面白い?!

 ところで、以前のアルムの小屋についての研究ですが、私の不精から途中になっています。
 問題なければ掲載させてもらっていいでしょうか?

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Re: ダッタン=韃靼? itonoz - 2003/06/06(Fri) 23:06 No.58


あれ?、批判がましい書込みに捉えられてしまいましたか?

 私自身は用語の語源に対する純粋な興味のつもりだったんですが・・・シュピリを批判していると思われましたら申し訳ないです。ご容赦ください。

もちろん欧州の人々が嫌いなわけでもありません。

tshpさんが仰っているとおり、はトルコ人を悪くあげつらう表現はシュピリ個人の偏見とはおもっていません。その当時のヨーロッパ全体の認識であったと思いますし、一方的に批判できるものではもちろんありません。当時の世情をうかがい知れるという意味で、気にはなりますが、もちろん全体の物語の素晴らしさに目を背けて、用語のみをあげつらって問題にするつもりもありません。

 ヨーロッパの人々が偏見を持っていると思っているわけでも、当時のヨーロッパの人を批判できるほど自分が聖人君子と思っているわけもないですしね。

外人さんは、みんな英語でしゃべると思いこんでいるとこあるしなぁ。

 確かに明治以降、日本人は特別だと言い張り、同じアジア圏の国々を蹂躙した歴史もあります。しかし、その当時を生きた先輩方を安易に批判できるものでもありません。当時の軍国・全体主義の中にいたら自分も現代のような理性や勇気を持てたか自信ありませんからねぇ。

 自分の理解の及ばないこと(世界)を恐れるあまり頑なになってしまうことも無理からぬことでもあります。

 幸せなことに我々はそう言った偏見と無理解を乗り越えた(まだまだ残された問題もありましょうが)時代に生まれてきました。

 それまでの苦難の歴史を自らが体験したわけでもありませんが、多くの書物・物語を通して知ることができるのは本当に天恵だと思います。

「本なんてなんの役にも立たない」という人もいますが、こういう教訓を得ることができるところが、読書の最大の恩恵だと私は思います。

東欧がモンゴル帝国に侵略された以降、ヨーロッパ(キリスト教圏)に
「タタール人は、奴らの”タルタルス(地獄)”に追い返せ!」という格言というかスローガンが生まれたとチンギスハーン関連の本に書いてありました。。この”タルタルス”(う〜ん。やはりタタールが原語ではないでしょうか?)は、キリスト教的な地獄”ヘル”に対して、”異教徒の地獄”的な表現みたいなので、やはり未開、辺境の地に追い返せ!ってことじゃないかなぁ。


白鳥と子ぐま☆ 投稿者:adelheid 投稿日:2003/06/01(Sun) 01:21 No.47

こんばんは!

新しい岩波文庫を読んでいたら、8年前から知人に貸したままになっていた偕成社文庫のが、ど〜してももう一度読んでみたくなり、がんばって催促しました。無事、返って来て、めでたしです。(*^^)v

それほどハイジに思いのない知人ですが、催促するのが嫌でプレゼントしたものと思っていました。昨年、第一部が、出版社にないと聞いて、第二部だけ購入してあったのです。第一部を手に入れるのには、催促しか道はないとがんばったわけですが、^^; 翌日、何気なく大阪、阿倍野の某百貨店の書籍売り場を訪れたら、2003年3月付で、第一部が、出ているじゃないですか〜!

まぁ、いいですが。^^;

ハイジを通して読むのも8年ぶりだったのですが、8年も経つと、懐かしいというより、新鮮に感動しました。心に残ったことは、たくさんありますが、おんじ絡みで二つ、あげさせていただきますね。

まず一つは、おんじが、昔、軍隊にいたころ、部隊の隊長(戦争で負傷していた)が、おんじ一人だけを傍において、かたときもはなさず、看取らせたんですね。おんじにそれほどの信用を寄せていた人がいたんですね。

おんじは、病気のクララの面倒をみて、自分のよく知っている方法で
できるだけ楽にしてやることこそ自分の務めだと思ったとあります。
クララの世話をすることは、おんじの特性が生かされたことでもあったんですね。

いたるところ、必要とされることの大切さを説く物語ですね。

もう一つは、ハイジが最初に牧場に行った日、二箇所で出てくるのですが、おんじの二匹のヤギが群れの中で、とびぬけて美しく、気品があって、よく手入れされていたんですね。いつも自分たち二匹きりで歩いていて、あつかましいヤギを、はねつけるような、さげすむような態度を見せたとあります。

飼っているヤギに、おんじの人柄が表れているようで、好きな箇所になりました。

物語の初め、デーテの言葉、村人みんなが、おんじの息子夫婦の死は、おんじが神を忘れた報いだと、ところかまわずしゃべりたて、中には、おんじにめんとむかってそう言う人もいた。牧師も、懺悔をするときだと解いたが、おんじは、いよいよ腹を立て、誰とも口を利かなくなり、ふいにアルムに引っ越した・・・・・・ とありますが、

あつかましい村人をはねつけるようなプライドが、おんじにあった、
おんじの心の葛藤はそういうことだったのだ・・・・・ と、
さりげなくおんじを弁護しているようにも感じました。(*^_^*)

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Re: 白鳥と子ぐま☆ maekoo - 2003/06/01(Sun) 21:30 No.48


こんばんは、adelheid さん。
原作のクララのおばあさまがおんじのクララの扱いを見て感心する場面(高畑版にも少しありましたね)とおんじの過去に上官を介護したエピソードは何かその深みを垣間見ると共におんじの人生の重い歩みを感じさせ好きな場面です。
実際の話、大人向けの、原作に忠実な背景でおんじを主体にした映画があれば面白いですが、万人向けにはならないでしょうね。
でも興味津々。
それにしても原作は読み解いて行くと深いものがありますよね。
人間関係とか人の設定とか・・・。
小生も他の訳も読みたくなって来ました。

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Re: ああ〜ん。まだ読んでない・・・ itonoz - 2003/06/01(Sun) 23:21 No.49


一生懸命勉強しようと一念発起して矢川版と上田(岩波)版買ったんですが、スタンダード(っていうのも思いこみか・・・)な矢川版からと思って上田版まだ読んでません。(ちょっと見、行間が広くて昔の教科書みたいに読みやすくって好感持ったんですが)ただ矢川版にも手入れされていて気品があって余人を寄せ付けない的な説明はありましたね。
 
 ヤギに対する世話の仕方がおんじが世間で噂されているような”ならず者”ではないということを物語っているのということでしょうか?

高畑版の”ユキちゃん危機一髪!”騒動に描かれているようなヤギを単なる生活の道具”家畜”ではなく(まぁ、それはそれで正当だと思うし、安易に批判できるものではないですが)それ以上の人生のパートナーとおんじは捉えていて、感謝の気持ちが手入れの年の入れように反映されているのではないでしょうか。まぁ、山小屋に住むおんじにはそれこそ生命線なわけだし。

人の語る神よりまず、生活に密着した自然に感謝する。当時のおんじの心境はこういうことだったのかも。

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スワンとクマ ねこばすちゃん - 2003/06/02(Mon) 02:29 No.50


8 年間の空白の意味は、そういうことだったんですね(笑)。
お気持ち察します。
私も友人に貸したトトロのビデオがまだ帰って来ない。
もう 10 年にもなるのに。(時効まであと何年だ?)

つい先日、偶々入った古本屋で、偶々偕成社版を見つけてしまいました。
なんてラッキーなんでしょう!
もちろん、即購入!
100 円でした。

でも、第一部、出ているんですか?
それは知りませんでした。
やはり、高畑版 30 周年を目の前にして、
このまま絶版にしてしまうのは勿体ないと考えたんでしょうか。
ということは、現在出回っている文庫版は 3 種類ってことですね!
これは、なかなかの激戦ですな。

国松・鈴木訳(偕成社版)もなかなか味わいがあって良いですよね。
今頃気付いたんですが、
ハイジがおばあさんに読んで聞かせる賛美歌、
「こがねいろの太陽は、よろこびとたのしみにみち …」
で始まるあの歌、
あれ、国松・鈴木訳なんですね。
偕成社版の出版されたのが 1977 年なので、
偕成社版が元にしている白水社版によっているんでしょうか。
リズム感があって、小さいこどもにも読みやすそうです。

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ありがとうございます☆ adelheid - 2003/06/02(Mon) 22:13 No.53



お返事、ありがとうございました〜!

▼ maekooさん

おんじが上官を介護したところ、とても重みを感じますね。以前読んだときにもそう感じてはいたのですが、私は、以前は基本的に、デーテの語るおんじを鵜呑みにしすぎていたように、今回、とても思いました。

おんじをクローズアップしたものがあっても面白いでしょうね。

▼ itonozさん

なるほど、状況から考えて、家畜以上のパートナーと考えていたでしょうね。おんじは、ハイジを学校に行かせない理由として、ヤギや鳥と一緒に育てば、悪いことは教わらないと言っていますしね。

自由を愛し、したいように生きてきた人のようでありながら、ヤギの世話のような、地味で地道なことに秀でていることに、人間的な幅を感じました。

放蕩を尽くしたというのは、事実でありながら、それはそれ。息子夫婦を喪うという不幸のさなか、村人の言ったことは、ひどいと思うのです。隣人でもあった牧師さんだけには、自分の弁護をして欲しかったというのがあったのでは、と思いました。

おっしゃるように、村人や牧師さんの言う神に集うのではなく、家畜を相手に、タカのように独り立ちすれば、純粋でいられる・・ と思っていたのではないでしょうか。やがて、雪解けはやって来ますが。

▼ ねこばすちゃんさん

トトロもいいですね。私の感覚では、ついこの間のアニメです。(^^)
私はピアノを教えているのですが、「トットロ、トットロ♪」と歌っていた子供たちがすっかり大きくなっていることで、結構経ってるな〜 と、感じます。(^^)

古本屋で見つかるって、すごい確率ですよね。

思い出すに、私は国松・鈴木訳の、登場人物の台詞の部分が好きで、それで、知人に貸し出したのでした。私も本が返って来てから、気づきましたが(^^)、アニメの「黄金色の太陽は・・」は、国松・鈴木訳が基になっていますね! 
 

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Re: 白鳥と子ぐま☆ tshp - 2003/06/04(Wed) 06:13 No.55


みなさま、メッセージありがとうございます。ハイジの各訳を見比べて、あたらしい発見をどんどん発表していただいて楽しいです。

adelheidさんへ
国松・鈴木訳が復活しておりましたか!
ちょっと前までハイジの原作で手に入るのは矢川訳のハードカバーだけでしたのに、ずいぶんとうれしい変化です。(o^_^o)

高畑版でハイジが「おじいさんはいいひとよ」とむきになっていう場面があります。原作を読んでると、確かに最初から「とってもいいひと」です。ハイジのつくったベッドや、食器をそろえたことを素直にほめています。プライドは高いものの、けっして性格がゆがんでいるわけではありません。
ハイジの映像作品は高畑版をのぞいて本当に偏屈なおじいさんに描かれることが多くてがっかりしますが、高畑監督は正確におんじという人を読みとっておられます。大変な眼力なのでしょう。
おっしゃるとおり、デーテの言葉にまどわされてはいけませんね。

maekooさんへ
おんじをクローズアップしたもの、いいですね。
私の年になるとハイジよりも、はるかにおんじの方に思い入れが強くなってしまいます。そのうちおんじ特集をくんでみたいです。

itonozさんへ
おっしゃるとおりです。
高畑版でいつも「?」に思うのは、山小屋の整頓状態です。男の一人暮しがあれだけきれいなの?と不思議でなりません。
原作でも高畑版でもハイジは最初から山小屋を居心地のいい場所としてとらえていますのでむさくるしくはないはずです。
アニメでは乱雑な描写はかえって手間がかかるので手抜きかな?とも思うのですがおんじの生活態度をあらわしているのかもしれませんね。ヤギの手入れのよさはアニメで表現するのは困難でしょうけど、ヤギがきれいなら部屋だってきれいなのかな?!

ねこばすちゃんさん、いらっしゃいませ。
メールをいただきながら不義理して申し訳ありません。
それにしてもまたまた鋭いご指摘でわくわくします。
高畑ハイジの底本はセリフなどから「旧岩波少年文庫 竹山訳」だと思っていましたが、「詩」では、偕成社版だったのですね。偕成社版は1961年の白水社版の改訂ですが、この白水社版というのはスピリの作品を集めた全12冊の個人全集(!)の一冊です。
資料を徹底的に調べる高畑監督のことですから、このスピリ全集を読破してアニメ・ハイジの作品世界を作り上げていったのかもしれません。前々からこの全集におさめられている他作品のいくつかが高畑ハイジのオリジナル部分にかなり影響を与えているような気がしていましたが証拠がありませんでした。ですが、ハイジの詩の朗読が偕成社版と同じということがわかって傍証ができました。これはどなたかが高畑監督にお聞きできたら解決するのですが、ねこばすちゃんさまのおかげで、ハイジにおける底本探しが楽しくなってきました。
さて、ねこばすちゃんさまの指摘をネタにさせていただき、まことに申し訳ありませんが、こちらに「詩」の比較をしておきました。(平伏)

http://www.ne.jp/asahi/ts/hp/file5_heidi/heidi_text/5501_poem_contract.html

実はこういったものを4月からぼつぼつと作っていますが、なかなか公開できるところまですすんでおりません。(すっかり泥沼化!) ちなみに私のドイツ語は学生時代の第二外国語ですが、絵本を読むのがやっとの情けないレベルです。英語も大差ありません。どうか皆様、ご教授お願いいたします。(平伏平伏)

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tshp 様へ ねこばすちゃん - 2003/06/09(Mon) 01:18 No.69


tshp 様、詩の比較、御苦労さまです。

こういう作業は、本当大変ですよね。対応関係が多くなると、わけが分からなくなったりします。しかも、詩だと短いフレーズに意味が凝縮されているし、韻を踏むために順番を変えたりしているし、ただでさえ困難なものが余計難しくなります。頭が下がります。

こうして通して見てみると、高畑版は国松・鈴木訳をベースにしながらも、実にうまく中間をスキップしているのが分かります。全く不自然さは感じられません。朗読の際の淡々とした調子と相俟って、おばあさんの目にやがて喜びの光りが輝く演出は、見事としか言い様がありません。

台詞の比較研究、楽しみにしております。

まれに見る名医 投稿者:maekoo 投稿日:2003/05/17(Sat) 23:18 No.36

先日、高畑版ハイジの41話・42話を子ども達と観たのですが、クララのお医者様って凄いと思いました。
まず、ハイジの言葉から学び、すぐに視点を変え、クララにとって素晴らしい自然の中で不自由をしながら生活をする事が身体的にも精神的にも「立つ」為にプラスになると思考を換え、ハイジにお礼を言います。(しかもハイジの目線に合わせて)
この子どもからも素直に学びを享受する姿勢は当事の医者で言えば驚異的なのではないでしょうか?
又、フランクフルトへ帰ってからもゼーゼマン家でクララに念押しをする時、クララに本当に理解しやすいようにアルムへ行く事の真の意義を説明しています。
原作にもあるハイジの幽霊騒動の時の名言「こりゃ、わたしの領分ですよ」の様に素晴らしい判断と対応の名医だと思います。
心理学・精神医学にも造形が深い様ですが、フロイトやユングと時代的にはどうなのでしょうかね?

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追記 maekoo - 2003/05/18(Sun) 22:37 No.37


原作と高畑版ではお医者様(クラッセン博士)の描き方が異なりますよね。
高畑版はお医者様の深刻な部分を描かず、人物を小さな子にも判る様に描いています。
まさにこの部分でも原作を昇華させ、説得力と人の心のキャッチボールを巧く描いている事が判ります。
青年用が多い現代のアニメで別の監督が作るとお医者様の娘さんの部分も描いていたかもしれませんね。
まさに高畑版は老若男女万人に受け入れられるタイプのアニメの名作中の名作ですね。

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Re: まれに見る名医 adelheid - 2003/05/19(Mon) 16:15 No.42


こんにちは☆ maekooさん、お考え、同感です。

クララのためにいちばん必要なことは何か?
長年の経験から得た自分の知識を超えるものに答えがあることを、
ハイジのように小さな子供が言ったことから認めることができるの
は、人間的にもよくできた人でしょうね。おんじやハイジのように
本質を見抜く人なのかも知れません。。。

アニメで、ハイジがまだフランクフルトにいるころ、クララの薬を
もらいに行ったハイジに、お医者様は、薬はたくさん飲んだからと
いって、効くわけではない・・ 病気を治すほんとうの力はその人の
身体の中にあり・・ 薬はその手助けをするだけ・・ ご飯もおなか
いっぱい食べなきゃ、そのためには、身体を動かしたり、お日様にあ
たることも必要と、日の光の効能を話していましたが、クララの病気
を思うと、的を得ていますよね。

幽霊騒動のときの、判断と対応、素晴らしいですね。
「怖いことはないよ、ハイジ。」(アニメ)
「だいじょうぶだよ、だいじょうぶだからね・・・」(矢川訳)と、
お医者様は言いますが、
なんかとても核心を突いた癒しの原点じゃないかと、
慈愛に満ちたこれらの言葉に、私はいつもかなり感動します。

アニメでは、ゼーゼマンさんに「誰だ!」と叫ばれ、
銃を向けられて怯えたハイジにかけた言葉でもあるわけですが、
お医者様が素早く「わたしの領分」を見て取って、
この言葉から、ケアーが始まっているのでしょう。。。

原作では、お医者様も、アルムの自然やハイジの読む讃美歌や
ハイジの信仰によって癒されることになりますが、
やはり、子供の言うことに耳を傾ける、純朴な人柄、いいなぁと
思います。

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お耳汚しながら・・・ itonoz - 2003/05/19(Mon) 23:12 No.43


 「出しゃばるな!」と批判も受けましたので良い折りとも思い、おんじのひそみに倣って今少し「雨の日はじっくり物事を考えよう」と思っていましたが、なかなか”出しゃばり”の性癖は治らんもんです。また相も変わらず搦手から斬り込む話をしますが、今暫くみなさまの寛大なお心に甘えさせてください。
 
 当たり前のことですが、こと物語はハイジを中心としておりますのでお医者様のハイジや他人にしたいしての人成りは皆さんと同意見ですし、異論の挟みようもありません。が・・・人間クラッセンの心の内を中心に考えたらどうでしょう?
 患者(子供)の話に耳を傾け、病は心の内にあると看破し、それを治癒する最良のすべを考える。それは現代に比しても敬愛すべき人物とは思う・・・他人から見れば。

 だが、その考えの根元は何だったのでしょう?何かに、いや、もっとハッキリ言えば技術者としての”医師”に限界を感じたからではありますまいか?”医は仁術”と悟り得たのなら、彼の心にも救いはあったのでしょう。しかし、知識や技術では救えないものがある。そう自分の心を責め続けた上での答えだと考えたら、彼の慈愛の光の後ろに引きずる影はより深いものであったのでは?と考えたりもします。彼もまた自分の心の痛みと引き替えに人を慈んでいたのたのではないでしょうか?
 
 話は前後するかもしれませんが、彼は最愛の娘を病気で失ったと聞きました。亡くなったのはハイジがフランクフルトを去った後だったと思いますし、急なことであったかもしれませんが、彼が医者としての仕事に忙殺されて家庭を顧みることができなかった間に、その兆候を見逃したのかもしれません。”医者の不養生”などという言葉もありますが、自分の身を持ち崩すのならまだ納得できたことでしょう。また、娘さん本人が父を恨んで亡くなったとはさすがに思えませんが、少なくとも先生本人が呵責に苛まれたであろうことは想像に難くありません。
 医者といえども神様のごとく万能でもありません。手に余ることもあるでしょう。しかし、千に一つの不運として思い流すことなど到底できることではなかったでしょう。あれほどの方でも神を恨むほどであったかもしれません。神を恨まなかったにせよ、自分を責め続けたことでしょう。

 幾人他人を救えても一番大事なものを救えなかったのでは意味が無いのではないか?

  これほどのことをしてきたのだから、少しぐらい報われても良いではないか。だのに、これはなんの意趣返しか!

 なにより、これでは私自身の心が救われないではないか!
 
 何のための仁術か!?

 ・・・そう、天を仰いで号泣したのではないでしょうか?

 だからこそ打ちひしがれ、アルムへ行くきっかけになったのでしょう。

 そう考えると、息子夫婦の死んだことを自分のせいだと責め立てる周りの”人”を恨んで山を登ったアルムおんじに似ているような気もします。本当に悲しんだのはおんじ自身だったはずなのにね。

 とか、偉そうなことを言い立てましたが、先生がアルムとハイジにどのように救われたか。肝心の答えを私は知りません。”いっちょかみ”ですな。

 実は今、ね・こばすちゃんさんに教えて頂いた”矢川版”と”上田版”の文庫本を買いこんで読んでいます。自分なりの答えが見えてきたらまたお話しさせてください。それまで、また。

追伸。高畑版を越えるかどうかは別として、おんじや先生の心の葛藤を掘り下げたうえで、ハイジにどう救われたかを描いたら、それはそれでよい作品になるのではないでしょうか?
 その場合ハイジの役回りは複雑なものとなるかもしれませんので、取っ付きにくくなるかもしれませんが・・・

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あっ、itonozさんだ。。 adelheid - 2003/05/20(Tue) 02:19 No.44


お帰りなさ〜い<^!^>

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Re: まれに見る名医 tshp - 2003/05/20(Tue) 05:57 No.45


 maekooさん 素晴らしい話題ありがとうございます。高畑版でのお医者さんの描き方はもう理想の人物ですね。原作では深い影を背負ったお医者さんですが、この部分を描かずにクララの治療に積極的に賛成する部分を加えて、バランスをよくしています。削られた部分に少し残念な気もするのですが、結果として万人に受け入れられるのいうのに納得です。

 adelheidさんへ >ハイジのように小さな子供が言ったことから認めることができる・・ すごくいいですね。こんな人にわたしもできたらなりたい。
「信仰」というと現代では警戒して見られますが、心の中にある座標軸は大人も子供も変りないはずですから、そこに一致があれば、子供だって大人を救える。というのがスピリの一大テーマです。
 それから幽霊騒動のときのベットでの、ハイジとの会話の一言一言は見直してみましたが、すごいです。
 ハイジは「山へは帰りたい」とは一言もいっていませんし、お医者さんも「ただの気休め」を口にせず、誠実な優しさと的確な状態把握をしているのが伝わります。(この部分は、原作のよさをそのまま高畑監督は生かしています)

 itonozさん おかえりなさい。お待ちしておりました。
 えー、搦め手・・わたしも大好きです。それにしても新刊を二通りもそろえて読んでいらっしゃるのですね。
 原作ではアルムの山とハイジが、お医者さんの精神的危機を救うことになります。クララの手紙の中でお医者さんはすっかりアルムファンになって、毎日やってきて「さあさあ、アルムの山へ」(竹山版)と高畑版よりはしゃいでいるようで、思わずほほえんでしまいます。

 それからお医者さん関連で気がついたことですが・・
 スピリは医師の娘ですし、スピリの作品にはさまざまな病気が登場してきます。
 その中でも、特にハイジで面白いのは、「夢遊病」とはっきり「病名」がでてきていることです。ペーターのおばあさんがなぜ目が見えないかとか、クララの歩行不能はどんな病気なのか、「わざ」と病名は紹介されていません。スピリの他の作品にでてくる病気でも、どうもこれは「結核」らしいなとか、「熱中症」や「心臓発作」らしいな。とわかることがありますが、具体的病名はだしていないのです。
 ところが唯一に近い例外がハイジにおける「夢遊病」であり「ホームシック」です。しかもハイジの母親も同じような症状をもっていたと踏み込んだ説明まであります。
 そして原作ではハイジが山に帰る途中バーゼルで一泊するのですが、ゼーゼマンはセバスチャンにホテルの窓や扉はしっかりかぎをかけて、夜中にハイジがさまよい出て危ないことをしないよう注意しています。非常に具体的です。そして、夢遊病は予後が極めてよい、子供時代の一時的な病気だと示唆しています。スピリは積極的に正確な情報をつたえて、世の中を啓蒙して、夢遊病に対する認識を改めさせようとしているようです。(当時、月の光を子供にあびせると夢遊病になるとかの俗説が流布していたそうです)
 ホームシックについても同様です。ヨーロッパでは中世から長らく、ホームシックは「スイス人特有」の「肉体的」病気と考えられていたそうです。まずしさのため、故郷を離れて出稼ぎにいったり、備兵として戦場にいったスイス人は、故郷を思い焦がれてホームシックになり、衰弱したり、逃亡したり、精神に異常をきたしたり、自殺したりといった例が続出したそうです。
 これから出稼ぎにでる若いスイス人達にとって、その様子は脅威を感じるほどで、いろいろとホームシックにかからないようなまじないが流行していました。雇う方でもスイス人にアルペンホルンなどスイスを思い起こさせるものは見せたり聞かせたりしないように気をつけていたそうです。
 クラッセン医師に、ホームシックはクスリでは治らない。山に帰ればすぐに直る。とはっきりいわせたスピリは、海外のスイス人のことを心配していたのでしょう。あんがいデーテもフランクフルトでホームシックになっていたかもしれません。「ハイジのことを思わない日は一日もなかった」のですから・・。

 クラッセン医師のモデルがあるかどうかは、現時点では私に情報がなさすぎるので、なんともいいようがないです。
 原作では、物語の最後にクラッセン医師はハイジの義父としてデルフリに移住します。
 おそらく無医村であったデルフリに医師が住んだらどうなるか? というのは、おなじく田舎の無医村に開業したスピリの父の体験を、充分、念頭においていたことでしょう。村では牧師に匹敵するほどの尊敬を集めることになります。そしてハイジは医者の娘ということになって、まさしくスピリと重なります。やがてハイジは小説を書き始めるのでしょうか?
 高畑ハイジでは、無理なくごく自然な設定に変更された点が多いですが、最初にmaekooさんのいわれたとおり、とても優れた描写で心温まります。

ゼーゼマン家の商才 投稿者:maekoo 投稿日:2003/05/04(Sun) 22:09 No.33

ゼーゼマン家で盛り上がっているので上げて来ました。
今日たまたま高畑版26話・27話を見ていて気付いた事があるので述べさせていただきます。
例のハイジの水汲みの時、持って帰って来た水を美味しく飲んだ後お医者様の特徴をハイジが的確に説明する場面がありますよね。
原作ではさらりと書いていますが、この説明を聞いてゼーゼマン氏はハイジの人となりを見、「人へのいたわり」「聡明さ」「利口さ」「観察力」を見抜いたのではないかと思います。
画面を見ながら、さすが海外にも飛び回っているビジネスマンであり社長?だなと思いました。
まぁ、創造の域は出ませんがサラリーマン金太郎とまでは行かなくてもなかなかのやり手ではないかと思います。

続いて、ゴッドマザーであるおばあさまですが、27話でロッテンマイヤー女史がハイジに「ゼーゼマン家をここまで大きくした人」と説明しています。
あの人となりを見ますと、夫である前ゼーゼマン当主を大いに社交界で助け、人の城を創った事でしょう。
しかし、別の話で例の秘密の部屋で「子どもの頃良く来た」と述べている様に、その前の代もあると言う事になります。
なんだか凄い家ですよね。
あれだけのものがあると言う事は、世界の歴史にも少し関わっているかもしれませんね。

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Re: ゼーゼマン家の商才 itonoz - 2003/05/05(Mon) 00:29 No.34


こんばんわ、maekooさん!
なるほど、やはりある程度代を重ねた名家ということは裏付けられる訳だ。うん?子供の頃〜ということは嫁入りしてきたわけではないということですかね?すると前当主はどんな人だったかにも俄然興味が出てきますね。商才を認められて婿入りしたのかなぁ。なんだか、”あかんたれ”みたいやね。そこを内助の功で支えた妻ですか、絵になりますねぇ。確かに基本的に商売って人脈ですからねぇ(口で言うほど簡単ではありませんが・・・)特にあの時代王政が崩壊に向かっているとはいえ、元々ブルボンとかハプスブルグとかロマノフとか(あれ?ドイツ王家はなんでしたっけ?)ヨーロッパ王家は婚姻を通じて何重にも血縁を巡らせていたというのもあるし。貴族や名家もそれに準じていたということもあったでしょう。社交界やサロンが縁を結ぶ場でもあったわけでしょうし、商談そのものが交わされたりしたかもしれませんね。ゼーゼマンさん本人が母を評して誰とでもうまくつき合うことができる人(母親を客観的にそう評価できる息子も並ではない)と言っていますからやはりそういった舞台で活躍していたかもしれませんねぇ。
 代々名家となれば執事も代々同じ家からという線もあるか・・・と思うのは、東洋的考えかしらん。やがて主家を凌ぐ勢威を持つように・・・って下克上に拘りすぎ!まぁロッテンさんに限っては商売にタッチしていたわけでもないし、二心はないということは確かでしょうし、光と影の論理はわきまえているはず。
 まぁ、殺伐とした話はさておき、そう言えばクララの母親の人となりにも興味が湧いてきますね。

 クララも将来的には家業を継ぐことになるでしょうね。そうなると、おばあさまと同じように社交界でたち回らなければならないわけですから、今までのように箱入り娘ってわけにはいかないでしょう。ハイジと出会って体験したことが案外役に立つ日が来るかもしれませんな。
 
お婿さんは誰になりますかね。ペーターというのはさすがに冷や水を浴びせられた気分になりそうですが、私が推薦するのは”オルガン弾きの少年”抜け目ないのは折り紙付ですもんね!

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Re: ゼーゼマン家の商才 tshp - 2003/05/06(Tue) 00:06 No.35


maekooさん、なるほどです。
>原作ではさらりと書いていますが、この説明を聞いてゼーゼマン氏はハイジの人となりを見、「人へのいたわり」「聡明さ」「利口さ」「観察力」を見抜いたのではないかと思います。

 画面を見ていると、そのようにいつのまにか思ってしまいますが、指摘いただくとあらためてゼーゼマンさんの有能さがしみじみわかります。
 そしてその息子が、信頼し高く評価するおばあさんの「ただもの」でなさ、さらにはそのような設定をして、描ききった高畑監督の力量に感嘆いたします。
線の細さはあるものの、バランス感覚にすぐれて心優しいゼーゼマンさんをみると、この人の代はゼーゼマン家は安泰ですね。

itonozさんの指摘も、むむむです。
そうなのです。おばあさんは家付き娘だったわけですね。
それにしても、クララの今後はどうなるか、色々心配です。
実は、以前ご紹介した私の「クララばあさん救出作戦」では、「あの少年」を消去法でクララにくっつけたらと妄想したことがあります。そうするとハイジ・ペーターの息子と、クララの娘で、さらにくっつけば、ハイジとクララが共通の「一家」ができたりして・・。
いやはや、ほとんどネタですね。もうしわけございません。(><)

ゼーゼマンさんの稼業 投稿者:itonoz 投稿日:2003/04/28(Mon) 23:25 No.25

 公式サイトではみなさんにご迷惑かけどうしなのです。トホホ。私の身の上はともかく、Okaeiさんみたいなドイツやスイスの言葉や事情に詳しく、見識を持った方の存在を知ってもらうとみんな心強いと思ったんですが、見方によっては独善的と映るモンなんですね〜私の話の持っていきかたも反省してはいるのですが・・・とか、こんなこと書いてるとtshpさんにもご迷惑かけるのでやめます。トホホ。

ゼーゼマン家は実際何を商っていたのでしょうか?フランクフルトで一、二を争う実業家なると並大抵のことではないでしょうから。金融業では無いのですよね。大実業家だから武器商人・・・とか言うのはいかにも短絡で穿っている感じがする。ですが、少なくともそこまで(おばあさま一代で成し遂げてという話が有ったような気がしますが)の地位を築くにはきれい事ばかりでは無かったとは思いますし、少なくともライバルを出し抜いたり、その妨害を被ることぐらいはあるでしょう、確固たる地位を作るためにはある程度権力に近いところにいかなければならないということもあるでしょう。ひょっとするとおばあさまは彼の”鉄血宰相”殿と昵懇だったりするのかも・・・って、架空の話の推理をしても無意味かなぁ。(おお!若き日のおばあさまとビスマルクとのロマンスってのも一本話できそう)逆にビスマルク失脚以降、低迷期を迎えるドイツの中でどうなっていたかも想像力を掻き立てられるのです。
 フランスによく行くとのことですが、ナポレオン残照を打ち破り、借りを返したドイツと負かされたフランス、敵対感情が強い時期だったと思います。が、敵対感情が強い国の間だからこそ商品に付加価値がつくということもありますか・・・

 お金持ちが援助するって行為も賛否両論有るでしょうね。ゼーゼマンさんはクララの脚が治ったお礼にペーターにお金を贈るようになるわけですが、結局お金かよっ!って思いもあるし、反面ゼーゼマンさんはゼーゼマンだからできうる最大限のお礼をしたと理解することもできます。まぁ、実際ペーターの家はお父さん亡くしているし、お母さんと、おばあさんのこと考えたら心底ありがたいことでしょうから。いただいた恩恵をどう生かすかは、むしろもらった側の良心の問題が大きいわけですし。少なくともペーターはそれに甘んじて生きるわけはない信じたいものです

あー。殺伐とした話になってしましましたでしょうか?申し訳ないです。ささくれ立ってますかね私。トホホ・・・

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Re: ゼーゼマンさんの稼業 maekoo - 2003/04/29(Tue) 20:57 No.26


まぁ、まぁ、色々な人がいると言うことで・・・。
勉強・べんきょう・・・。

ゼーゼマン家は興味尽きませんよね。
あと、昔ちょっぴりかじったゲーテと原作者への精神的な影響も興味が尽きません。
小生のお勉強は、いま年度始めの忙しさで滞ってしまっています。
そのうち又、高次元の皆さんの論議にちょっぴり参加出来ればと思っています。
皆さん、これからもよろしく。

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Re: ゼーゼマンさんの稼業 adelheid - 2003/05/01(Thu) 00:34 No.27


itonozさん、maekooさん、こんばんは。

穏やかに論理的に分かり易く、
関係した方皆さんへ配慮された、お二人のコメント、
勉強させていただきました。

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Re: ゼーゼマンさんの稼業 tshp - 2003/05/02(Fri) 00:38 No.28


 itonozさん、maekooさん,adelheidさん ありがとうございます。
itonozさんへ 公式ページは拝見させてもらっています。私は問題とは感じていませんでした。あと、ご紹介いただいたお嬢様にあらわれた変化はうれしかったです。
 人それぞれでいろいろ感じ方が違いますし、それを同じにしようとしてもできませんが、他の人を思いやることができればいいような気がします。

 ゼーゼマン家の職業・財政基盤については、考え始めるとすぐに疑問のヤマですね。
 代々の都市貴族で名門旧家で貿易商とのことで、交通の要衝・大都市フランクフルトらしいですが、中継貿易、物流業者なのでしょうか?
 第一ゼーゼマンさんのオフィスはどこにあるのでしょう? パリへでかけて、何週間ももどらないということは、フランクフルトには仕事の拠点がないのでしょうか?
 また、何日も子供といっしょにいられるというのは(まさかずっと遊んでいるわけではないでしょうが)かなり時間に余裕があるような気がします。いまのようにアクセクしてないのはもちろんでしょうが、現場の監督に張り付いていなければいけない。のではないでしょう。
 おばあさんの「お仕事」についてもナゾのかたまりです。あと、ゼーゼマン家ぐらいだと、もっと召使などいるはずで(原作には料理おばさんがちょっとだけ登場します)、召使がぞろぞろと登場する実写映画もあります。
 当時のドイツの富豪の生活として、なにかスピリがモデルとしたものがあるのか、それとも単なる想像だけのステロタイプ的・ありがちな描写にすぎないのでしょうか? 探す手がかりがあまりないのですが、そのうち、わかれば面白いですね。(庶民にゃわかんないかも・・(^ ^;;)

 それからmaekooさんへ わたしもたいした蓄積があるわけでないので、特に気になさらずに、お気軽にどうぞ。
 ゲーテとスピリとの関係はまだまだ奥が深そうで、できましたら、ご意見いただければうれしいです。
 ・・「野バラ」の最後に歌われる♪heidenが妙に気になる今日この頃です。

 ここのところ、やはり年度始めでいろいろ仕事が入っていまして更新が滞っていました。
 今日などは素晴らしく美しい五月を感じる日でした。ぼつぼつ再開したいです。
 ねこばすちゃん様にもずいぶんと不義理をしてしまいました。申し訳ないです。
 いまやっているのは、原文・英語・日本語・高畑ハイジのセリフ比較です。完結には(すごく)時間がかかりそうですが、前からやってみたいことのひとつです。著作権を侵害しない範囲ですすめますが、ご意見などいただけたらありがたいです。
 いろいろと面白いことが、またわかってきました!

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Re: ゼーゼマンさんの稼業 itonoz - 2003/05/02(Fri) 18:41 No.29


tshpさん、ありがとうございます。救われた気持ちです。

よろしければ”都市貴族”の意味を教えてください。実のところ欧州の民俗・慣習には詳しくないもので・・・中国でいう爵位を貰いながら地方の任地をもたず首都圏にとどまる”関内侯”的な貴族のような感じかな?
 
 いずれにしても、名門旧家という設定があるのですか・・・例の如く高畑版を見ただけの私の勝手な思いこみですが、私の感じた印象は根本的に覆るなぁ。以前”百科”さんのほうでロッテンさんがらみの時に話したのですが、むしろ私は、言葉は悪いですが、貴族社会の衰退と産業革命の時流に乗って急速に勢威を拡大した”成金”的な商人なのだと思っていました。ですので、財力の成長に追いつけなかった儀礼や作法などの”家格”を補うために、ロッテンさんみたいな人をあえて雇ったのだろうと思ってました。
 なんていうかなぁ、例えば歴代中国の国家が”孔子”の子孫や弟子とかをあえて敬い、江戸幕府が足利一門に連なる高家”上野介”の吉良家に古今の礼法や饗応の任を任せたと同じように、新興勢力の弱みを補うために旧勢力の残照を巧く利用するということもあるかな?と推理したのです。
 ロッテンさんが修道院上がりでは?と以前言ったのは実にこの点で、修道院がそうシステムを担っているかは私は知らないのですが(というか、例のトラップ一家〜を見た印象ですかね)欧州にもおそらくキリスト教のをベースにした正統な作・礼法を教育するシステムがあるんじゃないか?と思ったのです。
 それを本気で取り入れようとするか、ただのステータスとして利用しようとしたのかも推理の別れどころなんですが、結局庶民感覚の抜けないおばあさまと、根底にそういう高家的プライドと成り上がりに対する”蔑視”的感情があの家で主導権を取ろうとするように躍起になっているロッテンさんとの”齟齬”につながているにではないか?とitonoz的には思っていました。

 まぁ、ロッテンさんの気持ちについては、公式サイトや百科さんやこの掲示板でお話しさせていただだいた皆さんのご意見を聞かせていただいて、クララに対する愛情過多がゆえに・・・ということに落ち着きそうですが(笑)

あれ?本筋の推理とはまたはずれていった感じがするなぁ。

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Re: ゼーゼマンさんの稼業 tshp - 2003/05/02(Fri) 23:49 No.31


 Itonoz様へ
 中国の制度については、興味深いですね。現地に任官しないなんて、なんだか日本の国司にも似てますね。
 さて、NHKの解説本からの受け売りですが・・

 都市貴族とは、貴族ではありませんが、市長や市参議株を持っている都市支配層です。最上層市民として事実上・準貴族と見られ、ただの金持ではありません。
 そしてヨーロッパの階級社会は確かに19世紀に崩れてきましたが、かえって成り上がりの人々の方が、かつての貴族的習慣にこだわり、権威主義的にふるまっていたそうです。

 高畑ハイジの描写設定はずいぶんとオリジナルを含んでいますが、そのへんが実にうまく作っています。いやーすごいなあ。とつくづく思います。
 アニメオリジナル設定の代表格である、「おばあさんの秘密の部屋」を見ると、もう長年のコレクションといった感じで、この部屋に子供のときから出入りしているのであれば、代々の富豪だ。と、さりげなく育ちのよさをアピールしています。
 だから精神的余裕があって、子供と楽しく遊んだりできるのでしょう。でもロッテンマイヤさんは成りあがりの方ですから、かえって厳格にしていないと現在の位置が確保できないのです。
 原作ではおばあさんはロッテンマイヤさんに敬称をつけてません。他の人は「フロイライン・ロッテンマイヤ」と呼んでいますが、「フロイライン」はもともと貴族階級への呼び方で、それをつけていないということは、完全に下に見ている(階級が違うのよ)ということになります。
 ハイジが「フロイライン=お嬢さん」と呼ばれることにロッテンマイヤさんが抵抗をおぼえるのは当たり前で、かといって自分も、もともとその資格がないとなると、なかなか心理的葛藤はつらいものがあります。チネッテの屈折もある意味当然でしょう。『わたしだって「お嬢さん」って呼ばれたい!』よね。
(チネッテはもしかして没落貴族の末裔だとしたら、ロッテンマイヤさんへのあの冷笑も納得できたりして・・)(純妄想)

 ロッテンマイヤさんが修道女出身。というのは、あってるかもしれませんね。説得力あります。家政婦は召使の中で最も重んじられていまして、なかなか実力というか背景がないとなれない地位だったようです。

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Re: ゼーゼマンさんの稼業 itonoz - 2003/05/03(Sat) 19:27 No.32


”都市貴族”の講義ありがとうございました。勉強になります!
私の方の”関内侯”のほうは正式な定義をしっているわけではなく、”三国志”とか漢代の物語を読んだ印象で何となく理解しているだけなんです、確実な話でなくてすみません。故意に任地に赴かないと言うよりは、あらかじめ任地が設定されていない爵位のようです。アドバイザー的知識人や降伏勢力の首領など、実力を持たせたらまずいタイプの人に、体よく権威だけを与えるといった感じのようです。例によってitonoz的解釈ですが・・・
 
 ゼーゼマン家の話に戻します。そうですか、私の解釈とは寧ろ逆の精神的立場なのですね。私はつい斜めから入るタイプなんで勘ぐりすぎかも。確かにその方があたりまえに納得できますもんね。普通躍起になるのは立場が弱い人間であることが多いですし、精神的に余裕がある人間のほうが小さいことにこだわる必要がないですもからねぇ。おばあさまは”金持ち喧嘩せず”を地でいっているわけですな。あー。まぁ、人の見かたは様々か・・・こんなことばかり言っていると差し障り有りますね。申し訳ありません。 

 なんだか、ロッテンさんの方に軸足が移った話になってきましたが、そうなると、やっぱりロッテンさんの行動原理が支離滅裂に見えてくるんですよ。これも以前”百科”さんのほうで話しましたが、他人には教条的に階層社会を押しつけるのに、自分は分をわきまえない物言いや、行動をする。家宰は家宰であって主人ではないのにね。もちろん、主家のためと思えば敢えて諫止するというのも奉公の一つではあれども、ロッテンの物言いを聞いていると、そう・・・は、思えないところあるしなぁ(つい、ハイジ側に立ってしまっているからそう思えるのかもしれませんが)
 そこを納得させるために、実は根底にはロッテンさんが優位だという精神的背景があるんじゃないか?と考えてみたのです。

 いずれにせよロッテンさんには何らかの背景あるのは確かでしょうね。紹介されたにせよ、自分で売り込んだにせよゼーゼマン家に納得される肩書きは必要でしょうから。そう考えると確かにチネッテなんかもそれなりの教育とか躾とかされてないとゼーゼマン家に雇ってもらえないでしょうから、没落貴族の末裔って言うのもあり得ますね!そうなるとセバやんも確かな経歴があるんでしょうか?ゼーゼマン家の召使いとなると就職競争も激しかったでしょうからねぇ。面接とかあったんでしょうか(笑)
 案外セバやん、夜な夜な”風車の矢七”のようなことしてたりして!

HAPPY EASTER〜! 投稿者:adelheid 投稿日:2003/04/21(Mon) 19:56 No.23

こんにちは。こちら昨日は、雨のイースターでした。
岩波少年文庫のハイジ、今日、見つけたので、買いました。
表紙と挿絵のハイジのショートヘアに、しばらく目が釘付けに
なりました。いや、とってもかわいいですよね。(^^)
これから、ゆっくり目を通します。

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Re: HAPPY EASTER〜! tshp - 2003/04/22(Tue) 06:57 No.24


HAPPY EASTER ! エッグもらってきました。

私も岩波少年文庫のハイジ入手しましたよ。
最近わけあって更新が遅いですが、近々「いろいろ」アップしたいと思います。
またよろしくお願いいたします。(^ ^)
 


 


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