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 「アイヌ神謡集」について


 20世紀はじめには確かにあったさまざまな「民族」が、21世紀はじめの今、生活の実態がほとんど消滅してしまったのには時間の冷酷さを感じる。

 80年前にかかれた小さな本。
 文字を持たない民族が、どれくらい古くかわからないまま、口伝えで残してきた小さな物語たちを書き残したのはアイヌの天才少女だった。
 詩才があるが、うまれつき心臓が悪く、わずか二十歳(はたち)で亡くなる。

 彼女はアイヌ語で育ち、日本語を覚え、英語も堪能だったという。
 そしてクリスチャンでもあった。
 彼女が救いをどうやって求めたのか少しだけわかる。


 いやおうなく滅ぼされていくどうにもならない運命――
 自分の民族が、
 自分の育った環境が、
 友達と遊んだ言葉、
 母親に歌ってもらった子守唄、
 すべてがなくなっていく。
 そして自分も,
  もうすぐいなくなってしまう。

 そんな終末の時間の中で,彼女が命を削って
 「世界」に残したアイヌ民族の「真珠」(金田一京助の表現)。

 ――ただ、惜しむらくはたった一粒しか残されなかった・・。
   という「評」には胸が痛くなる。

 アイヌ民族、琉球民族を20世紀に日本はのみこんだ。
 朝鮮は飲み込もうと思って果たせなかった。
 だから生き延びた朝鮮民族はいまも日本を「敵」と思って憎んでいる。
 当たり前のことだ。

 だが、飲み込んだ日本民族もやがてはどこかに吸収されてしまうかもしれない。
 もともと僕たち日本民族も多くの・・縄文の各地方諸部族(熊襲、隼人、出雲、越、毛、そして蝦夷など)
 また朝鮮南部、中国長江周辺、南方諸島の各民族が混ざったものなのだ。
 民族や文化など、けっして永遠ではない。

 僕は日本人だが、19世紀の終わりの…百年前の日本人と、どんなに違っているか考えればいい。
 百年前の日本人と今の日本人を、並べて比べたら同じ民族だと分かる外国人はいないだろう。

 アイヌの祖先と,日本人の祖先の一部である縄文人は,同じ民族だった。
 だから吸収してもいいじゃないかという無神経な議論もできるが、
 もしそうなら「日本人の一部は中国からきたのだから日本を中国に吸収してあげよう」といわれたらどうなるか。
 僕はたぶん死ぬ覚悟で抵抗するだろう。

 アイヌの人々も,江戸時代に,武器で日本人に戦いをいどんだ。
 でも、負けた。


 そして野蛮な「土人」として扱われ、すべてを奪われた。

 オオキリムイの子と悪魔の子の戦いの小さな物語が、僕は好きだ。
 成人の年齢になってから読んだが、書き残した少女のことを知ったとき涙がでた。
 アイヌの少女は80年もたってから、日本人の僕に対して「勝利」した。
 僕は負けた。

 だって、だれだってオオキリムイの子のようにしたいじゃない?。


   2001/1/31
 

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  アイヌ神謡より
  「オキキリムイの子が所作しながら歌った神謡」

    知里幸恵「アイヌ神謡集」より

 ある日
 流れに沿うて川上へ遊びに出かけたら
 悪魔の子に出会った。

 いつ見ても
 悪魔の子は様子が美しい、顔が美しい。

 黒い衣を身につけて
 クルミの木の小弓に
 クルミの小矢を手にもち
 私を見ると
 にこにこして云
(い)うことには

 「オキキリムイの子、遊ぼう!
  さあ、これから魚の根だやしをしてみせるよ。」

 と云って
 クルミの木の小弓に
 クルミの木の小矢をつがえ
 水源の方へ向って矢を射ると
 水源からクルミの木の水
 濁った水が流れ出し
 鮭たちが上ってくると
 クルミの木の水にあてられて
 泣きながら
 もと来た方へ流れて行く。

 悪魔の子は
 それを見てにこにこしている。
 私はそれを見て
 腹が立ったので
 私の持っていた
 銀の小弓に銀の小矢をつがえ
 水源へ向って矢を射ると
 水源から銀の水
 清い水が流れだし
 泣きながら流れて行った鮭たちは
 清い水に元気をとりもどし
 遊びさわぐ声
 大笑いする声ががやがやして
 バチャバチャと水音を立てながら
 川を上ってきた。

 すると悪魔の子は
 もちまえの癇癪
(かんしゃく)をめらめらと顔にあらわして

 「ほんとに
  おまえがそんなことをするなら
  鹿の根だやしをするぞ!」

 と云って
 クルミの木の小弓に
 クルミの木の小矢をつがえ
 大空を射ると
 山の木原から
 クルミの木の風
 つむじ風が吹いてきて
 山の木原から
 雄鹿の群はべつに
 雌鹿の群はまたべつに
 風に吹きあげられ
 ずうっと天空へきれいにならんで上って行く。

 悪魔の子はにこにこしている。
 それを見ると
 むらむらと怒りが私にこみあげてきたので
 銀の小弓に銀の小矢をつがえて
 鹿の群を追って矢を射ると
 天空から
 銀の風
 清い風が吹きだし
 雄鹿の群は別に
 雌鹿の群はまた別に
 山の木原の上へ吹き下された。

 すると
 悪魔の子は
 もちまえの癇癪をめらめらと顔にあらわし

 「何をなまいきな
  ほんとにお前がそんなことをするなら
  力くらべをやろう……」

 と云いながら上衣をぬいだ。
 私も薄衣一枚になって
 彼に組みついた。
 彼も私に組みついた。
 それからは
 たがいに下になったり
 上になったりして
 相撲をとったが
 悪魔の子の力のあるのには
 ほとほと感心した。
 けれども
 そのうちにとうとう
 腰の力
 うでの力を私はみんな出して
 悪魔の子を肩の上まで引っかつぎ
 奥の岩山
 岩山の上へ彼を打ちつけてやった。
 その音は
 しばらくのあいだ、かあんと響いていたが
 あとはしいんと静まりかえった。

 それがすんでから
 私は流れにそうて帰ってくると
 川の中では鮭たちの笑う声
 遊ぶ声ががやがやして
 バチャバチャと水音をたてながら川をのぼってきた。
 山の木原では
 雄鹿たち
 雌鹿たちの笑う声遊ぶ声が
 そこら一はいにひびいて
 そこにもあそこにも
 ゆうゆうと草を食べている姿が見られる。
 私をそれを見て安心し
 私の家へ帰ってきた。

 ――と、オキキリムイの子がてがらばなしを語った。