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『次の知性とその旅路』

 20世紀末に人間の遺伝子はすべて解読された。
 今後の焦点はその解析になるだろう――。

 現代の科学が不完全なものであることはいうまでもない。

 それはまだ原始的と称してさしつかえないほど各分野がバラツイて,統合されず,全体像を見失っている混沌(カオス)状態である。

 なによりも人文系と理化学系の乖離は決定的に近く,橋渡しは不可能になりつつある。ところが,学問としてはどちらを失えばバランスをとれず,失笑を買ってもしかたない片肺飛行となる。ついでに言えば,どちらの系統もそれぞれの片肺の中ですら統合できなくなっている。
 現状では学問を学べば、無学になるといっても差し支えないのだ。

 これを統合するには人間の思考そのものを再検討する以外になく,そのための有効な武器として遺伝子解析と,それにもとづいた脳の機能の完全解明であろう。
 そして,しばらくは現在の人間が保有している脳に依存した全体統合が模索されるだろう。

 これが成功するかどうかは私にはわからない。
 しかし,成功してもしなくても,やがて次の段階に移行する。つまり,暫定的であれ脳の機能の解明の成果はでてくるであろう。

 その成果をフィードバックして,自己の思考回路を改善するのである。
 DNAの制約から本格的に離脱するのである。
 外部のコンピータは当然活用して脳に直接接続される。
 これはあとわずかで可能となろう。

 さらには胎児のころから脳の形成に人為的に手を加えてより高い能力をもった思考装置を作り上げるだろうし,DNAそのものも改変して,まったく新しい脳組織を作るのも決まっているといえよう。
 新しい技術は可能性のすべてを引き出して、試してみるのが定めだからだ。

 もちろん,私は恐ろしい。
 未知と不安と怖れとおののきがある。
 自分の存在、自分の思考,それら自分の根源にかかわる変動が起きて,これまで自分が大切にしてきたものが無価値になるかもしれないのは,恐怖を感じずにはいられない。

 しかし,別の安心もある。
 生命の本質とはけっしてDNAなどではないからだ。
 『生きる』『よりよく生きる』というのはフィードバックの連続である。
 それならば,長らく使ってきたDNAという制約を解き放つのは,初めて火を使って環境からエネルギーを使い,農業をはじめ,文字を使い,コンピータを使ったときとまったく同じではないか。
 魚が海から陸に上がったように,人間が地球から宇宙へ飛び出したように,ごくあたりまえの,これまで何度もおきた可能性にチャレンジする『胸踊る大冒険』の一つにすぎないのである。

 過去の大冒険の主人公たちはいずれも今はいない。
 個体では悲惨な最後を迎えたものは多いだろうし、橋渡しをした中途半端な種は死に絶えたろうが,その成果は残っているし,これからも活用されるであろう。

 それに,現在の脳と違う脳をもち,確実に別の存在と別の能力をもった,存在は人間にとって致命的に危険でまがまがしい存在になるとしても,私たち人間を確実に滅ぼしてしまうとしても,その存在が地球,全宇宙を含めた『この世の空間=現在という時間』に「ある(存在)」ことができるなら、それは『祝福』されたものである。


 この点、私は、この宇宙をつくりたもうた『造物主』に全面的な信頼を抱いている。

 我々とは違う「彼ら」は,存在するにたる存在であり,その存在は喜ばしいものであると私は考える。

 もちろんこんな考えは感情に反しているが,私は自分の胸を切り開いてでも,彼等を全否定したくはなく,にっこり笑って彼等の過酷な将来に幸あれといってやりたいのだ。

 そうすれば,少なくとも,『我々』は,次の存在にとって,感謝されるべき前任者となる。記憶にとどめられるべき,価値ある始祖となろう。

 結局,人間の一人として,私も走りつづける者のひとりである。そうありたいとおもう。
 すべてが定められた時間と空間のなかの閉じ込められた宇宙の中の,どうどうめぐりでしかないことは重々わかっていて,すべてが無意味と紙一重であることもわかっているが,それでも走りつづけるだろうし,次のランナーに声援を送りたいのだ。

2001/10/10
 

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