昔,発展途上国の首都で考えた。
日本人がブランド物に弱く、流行への免疫を持たないのはある意味で仕方がない。 一言で言えば総合的世界観を伝統的に否定して,その場の「空気」をドグマとする文化だからである。 いうまでもなかろうが,ブランド物という高額商品は、「ゴールド」ではない。 人口の一部をしめる裕福層が充分なゴールドをもちつつ、その周りをそれにみあう程度に装飾するために使うのが高級ブランド「イミテーションゴールド」である。 その外装の本質は内部にもっている「ゴールド」であって、内容のない「イミテーション」なるブランド品を持っていたところで空っぽで,ミスマッチ。恥ずかしいだけである。 どんなにブランド品を買いあさっても真の意味で「ゴールド」の保持者になれっこない。 だが,そうしたら新たなステータスとやらをもとめて、精神の貧しい人たちが虚栄のため,なけなしの小金を投入して再び,新たなブランドを買いあさる。 いたちごっこというか,賽の河原といおうか。やれやれ。である。 客がこれほどバカにされているのに気がつかないとは・・・ さらにいうなら,しょせんイミテーションであるブランド品を,さらにコピーしたブランド品イミテーションを安いからと買ったり偽造したりするというのは、もはや喜劇を通り越して人間はどこまで愚かになれるか競争してしているようなものだろう。 そんなもののいったいどこに,幸せと豊かさがあるのだい?。
欲が深すぎるだろうか? 2001/6 ts.hp@net.email.ne.jp |