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イミテーション・ゴールド

 昔,発展途上国の首都で考えた。
 市場にならぶ,有名ブランドのちゃちなコピー商品の洪水の中に,呆れはてたボクがいた。 

 

 日本人がブランド物に弱く、流行への免疫を持たないのはある意味で仕方がない。

 一言で言えば総合的世界観を伝統的に否定して,その場の「空気」をドグマとする文化だからである。
(それにしても,もう少々お金の使い方があろうにねえ。)

 いうまでもなかろうが,ブランド物という高額商品は、「ゴールド」ではない。
 燃えればなくなってしまう消耗品に過ぎない。
 財産的価値は本質的にない。

 人口の一部をしめる裕福層が充分なゴールドをもちつつ、その周りをそれにみあう程度に装飾するために使うのが高級ブランド「イミテーションゴールド」である。
 いわばブランド物は日常品であって、外装であるわけである。

 その外装の本質は内部にもっている「ゴールド」であって、内容のない「イミテーション」なるブランド品を持っていたところで空っぽで,ミスマッチ。恥ずかしいだけである。
 金無垢と金メッキの違いである。

 どんなにブランド品を買いあさっても真の意味で「ゴールド」の保持者になれっこない。
 従って、裕福層は,貧乏人が見栄で買いあさるようになった手垢のついたブランドをさっさと見捨てて別のブランドを作るだけである。

 だが,そうしたら新たなステータスとやらをもとめて、精神の貧しい人たちが虚栄のため,なけなしの小金を投入して再び,新たなブランドを買いあさる。

 いたちごっこというか,賽の河原といおうか。やれやれ。である。

 客がこれほどバカにされているのに気がつかないとは・・・

 さらにいうなら,しょせんイミテーションであるブランド品を,さらにコピーしたブランド品イミテーションを安いからと買ったり偽造したりするというのは、もはや喜劇を通り越して人間はどこまで愚かになれるか競争してしているようなものだろう。

 そんなもののいったいどこに,幸せと豊かさがあるのだい?。
 ふざけんじゃねえ。


 ボクはイミティーションゴールドより,ゴールドが欲しい。
 それから,使えば消え去る現実のゴールドよりも,手のつけようがないほど美しく,けっして価値のなくならないものを本当のゴールドと呼びたい。それがなんとしても欲しい。

 欲が深すぎるだろうか?
 もしかしたら,ボクは世界で一番のよくばりかもしれない。

2001/6

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