Ormandy & Philadelphia Orchestra, ETCETRA


 Ormandy/Philadelphia Orchestra に関する話題なら何でも取り上げていくコーナーです。


<Table of Contents>

・Stokowski が望んだ音、York Tuba Modelについて
・Philadelphia Orchestra の現在の音色について
・ormandy/philadelphia CD のリマスタリングについて
・フィラデルフィア・サウンドがよく表れていると思われる演奏・・・とは?
・Dennis Brain & Eugene Ormandy
・Beethoven Wellington's Victory の Electronic Canon すっぽ抜けの怪?
・1970年代からの RCA READ SEAL の低迷の原因は ormandy/philadelphia に有り?
・「名指揮者120人のコレを聴け!」を読んで
・朝比奈隆 交響楽の世界を読んで
・映画"Fantasia"60周年記念特別盤(DVD)について


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Stokowski が望んだ音、York Tuba Modelについて

  Pipers 2003/4号に、York Tuba についての記事がありました。東京都交響楽団の佐藤 潔氏のインタビュー記事です。このYork Tuba は、当時 philadelphia の指揮者である Stokowski の「ブラスセクションにオルガンのような響きが欲しい」との要望を、これまた当時 philadelphia の チューバ奏者であった Philip A.Donatelli が受けて York社に作らせたモデルとのこと。(York Tuba はPipersの記事の写真でみると、右の写真の楽器のようにピストンが楽器の真ん中にあり、そのピストンの軸が演奏者の方に向いているのが特徴のようですが・・・)

  
photos(Left:Philip A.Donatelli,Right:Charles Gusikoff)

この時2台の楽器が作られ、その1台は A.Jacobs が所有していて、現在は Chicago SO が保管しているとのこと。もう1台も Jacobs が後年探して入手したそうです。このモデルがその後 philadelphia で受け継がれたのか・・・と思い、 A.Torchinsky の写真を見たのですが、それとは異なるモデルのようで、このチューバは philadelphia では受け継がれなかったようです。ちょっと残念な気がしますね。(2003.8.17)



Philadelphia Orchestra の現在の音色について

  Pipers 2000年8月号に philadelphia の現在のトロンボーンの首席である Nitzan Haroz のインタビュー記事がありましたが、その中で、

「・・・私の前任の Glenn Dodson は私より全然小さなマウスピースで明るくスリムな音で演奏していたし、アメリカでも Chicago,Boston では小さなマウスピースを使っているんじゃないかな。 philadelphia の音は昔に比べてダークで大音量の方向に変わってきていると思います。・・・」

という気になる一文がありました。それが音楽監督のSawallischの意向なのかオーケストラが求める音なのかはなんともいえませんが・・・。世代交代で確実に音は変わっているようです。(2003.8.17)



ormandy/philadelphia CD のリマスタリングについて

  BMG Funhouse からRCAステレオ期の第3段が発売されて、彼らの録音のディジタル・リマスタリングについてちょっと考えてみました。(以前、オーマンディ掲示板に投稿したものにちょっと加筆修正を加えたものですが)特に、1970年代前半の録音の質にムラが多いことについて。

  録音時にマルチトラックで収録したセッション・テープを2chにトラックダウン(この時にバランスを調整したり必要に応じてエコーをかけたりするそうですが)したマスター・テープからCD用のディジタル・マスター・テープが作られるわけです・・・が、この当時のマスター・テープは最終製品のLPの音質を想定したトラックダウンがなされているわけです。(これからさらにLPカティング用のカッティング・マスター・テープが作られます。)

  録音時のセッション・テープはこれ以後お蔵入りとなりマスター・テープ等に破損等のトラブルが生じない限り引っ張り出されることはないでしょう。会社の貴重な財産ですから。また、マスター・テープもそのような考えで、このマスター・テープをさらにコピーしたコピー・マスター・テープを作っておいて、LP製作にはそれを使用する・・・ということも当然考えられますね。

  日本のRCAレーベル(ビクター音楽産業からRVC(RCA & Victor Corp. の略かな?ご存じの方、いらっしゃいます?)、現在はBMGファンハウスですね)にマスター・テープのコピーが送られてきて、(マスター・テープのコピーのそのまたコピーという可能性もあるかもしれませんが・・・)それを元にLP用のカッティング・マスター・テープを製作して・・・という経過を辿っていると思います。

  では、どの段階のマスター・テープからCD用のディジタル・マスターが製作されるか・・・となると、

(1)既に国内にマスター・テープがあるもの(国内でLPが発売されたもの)はそれからCD用のディジタル・マスターを製作する。
(2)国内にマスター・テープが無いもの(国内でLPが発売されていないもの)は本国よりディジタル・マスターを送ってもらう。
(3)セッション・テープから新たにトラックダウンしてCD用のディジタル・マスターを製作する。(第3弾の「復活」はこれですね)

という形になるでしょう。

  本来であれば(3)の手法でCD用のディジタル・マスターを製作すべきでしょうが、採算面からなかなかそういうことは行われないようですし、アーティストやプロデューサーが既に亡くなっている場合はトラック・ダウンした結果がとんでもないものになりかねません。

  Columbia の Bruno Walter/Columbia SO の一連のステレオ録音や Mercury Living Presence は録音当時のプロデューサー(John McClure,Wilma Cozart Fine)を引っ張り出してセッションテープから新たにトラックダウンしたCD用のディジタル・マスターを製作しています。そうしたCDは売り文句として New Rimix Master Tape とか Only Original Masters used for Transfer to Compact Disc.等と謳っています。(CD出始めの頃のCBS/Sonyは ormandy/philadelphia の録音もセッション時の3〜4トラック・テープからトラックダウンした New Rimix Master というのを売り文句にしていましたね)

  こういう背景を考えると、CD用のディジタル・マスターを製作する技術云々より、どの段階のマスター・テープから製作するか・・・という問題の方が大きいと思います。

  また、1970年代は Multi-Track Recorder、Noise Reduction System(Dolby,dbx 等)、4ch(Quadraphonic;CD-4,SQ,QS 等、方式が乱立して結局ポシャってしまいましたが)等の新技術が導入され、セッションの現場でもオーケストラのセクション間を広く開けて音の分離を良くするなどの試みが行われていたそうで(これは第3弾のブックレットの解説の情報ですが)色々試行錯誤していたようですね。録音の出来不出来もこの辺りの年代が一番激しいかもしれません。

  ormandy/philadelphiaの録音でも CD-4 Quadradisc(日本Victorと米RCAはディスクリート4チャンネルのこの方式を推していた)として発売されたものはありますが、元の録音が本当に4ch収録されていたかどうかは非常に疑わしいと私は思っています。でも実際に4ch収録されていたのであればどういうものか聴いてみたい気持ちはありますが。今でしたらDVD Audioのサラウンド等で聴ける環境は整いつつありますから。

  まあ、なんのかんの厳しいことを書き連ねてきましたが、ormandy/philadelphia の第3弾がセッション・テープからの新しいリミックスで無くとも、LPで入手困難な録音が聴ける(大概LPより良い音で聴ける)ということの利点に較べたら些細なことでしょう。これで再評価されれば将来新たにリミックスされる可能性もあるかもしれませんし。(まあ、あまり期待していませんが)

  ちなみに、ここに書いたことは直接関係者から聞いた話ではなく、私の推測がかなりの部分を占めますので、その旨ご考慮下さい(野暮な話ですが念のため)



フィラデルフィア・サウンドがよく表れていると思われる演奏・・・とは?

  「クラシック招き猫」の「突撃!隣の盤ごはん」にて「フィラデルフィア・サウンドがよく表れていると思われる演奏」を教えてほしい・・・という投稿があったので、思わず啓蒙活動(?)をしてしまいました・・・・・

 RCAでオーマンディの録音のプロデューサーとして活躍したジェイ=デイヴィッド=サックス氏は、フィラデルフィア・サウンドについて、

「彼の作り出すサウンドは独特で、いつも弦が中心で、木管や金管は必要なときに重要なパートが聞こえてくればいい、といものでした。たとえば、彼はホルンを嫌っていました。いつも小さく、小さく演奏させるようにしていました。『セルがよく、「トロンボーンは見えればいい、きこえなくていいのだ」と言っていた。私はホルンについても同じだと思う。』と良く言っていました。オーマンディ・サウンド、それはなんと言っても、途方もなく大きな、美しい弦の音なのです。」

と語っています。マエストロ自身は、「フィラデルフィア・サウンド」「オーマンディ・サウンド」のどちらの言葉も好まず、もっぱら「指揮者の音」と主張していたようです。「フィラデルフィア・サウンド」は米コロムビア・レコードが販売目的で作り出した宣伝文句ですし、「オーマンディ・サウンド」については、マエストロ本人の弁によれば「インタビュアーの誤解により広まってしまった」とのことです。

 フィラデルフィア管弦楽団の豊麗な弦の音は、彼らのホームであるアカデミー・オブ・ミュージックの残響の少なさがその起因の一つのようです。残響の少ないホールで豊かな音を出す為にストコフスキがオーケストラに「特訓」を施した結果、あの弦の音が生まれた・・・・と。もちろん、彼自身の音の嗜好もあるでしょう。

 オーマンディはその音を引き継いで40年近くにわたって維持・発展してきたわけですが、それでもムーティ・サヴァリッシュと引き継がれていくにつれ、オーマンディ時代とは異なる音になっていったわけですから、結局はマエストロの言うとおり、「指揮者の音」(オーケストラの音は指揮者次第)なのでしょう。オーマンディが指揮する時の「フィラデルフィア・サウンド」とは、指揮しているオーマンディ彼自身の音であり、音楽監督としてオーケストラの芸術水準に責任を持つ立場である限り、その音はまさにオーマンディが作り出していたといっても過言ではないでしょう。

 では、「オーマンディ・サウンド」ではないか?と言われそうですが、それはマエストロ本人の言葉で説明したいと思います。

「トスカニーニがよく客演に来てくれたが、彼がフィラデルフィア管弦楽団のリハーサルを開始してものの数分もすると、それはストコフスキでもオーマンディでもない、他ならぬ『トスカニーニ・サウンド』を奏で始めた・・・」

結局、「指揮者の音」であり、確固たる「音」を持ち、オーケストラに対して多大な影響力を駆使できる指揮者であれば、あっという間にオーケストラの音などその指揮者の音になってしまう・・・ということでしょう。

 とはいっても、フィラデルフィア管弦楽団の驚異的な技術水準無くしてあの名演の数々はあり得ないので、私は、ormandy/philadelphia sound という言葉を使いますが。

 ormandy/philadelphia の実演に接した方(日本の評論家以外)は、
 ・あの音は録音に入りきらない(とてつもなくダイナミックレンジの広い音)
 ・馬鹿でかいとも言える音なのに、全然やかましくない
 ・聴衆は、うねるような威圧的な音に圧倒されていました
・・・等々、実演を聴いたことが無い私には想像もできないような体験をされているようです。返す返すも、実演を聞けなかったことが悔やまれますね。

 現在、フリーのプロデューサーとして活躍されている、マックス=ウィルコックス氏は、RCAにてオーマンディの録音担当した際、プレイバックにてマエストロから「もっと弦の音を!」ということをよく言われたと語っています。プレイバックを聴かないうちからそう言われたことも・・・(もちろん、マエストロのジョークでしょうが)というぐらいですから、マエストロの弦に対する偏愛(?)ぶりが伺えるというものです。

 ormandy/philadelphia sound の秘密の一端は、マエストロが楽譜に手を入れていたということも大きいでしょう。チェロの音をファゴットやホルンで増強したりとか、第1ヴァイオリンに第2ヴァイオリンを重ねたり・・・などなど。ブラームスの1番やサン=サーンスのオルガン交響曲にて埋もれやすくてきこえない音をトランペットに吹かせたりとか。(ブラームスの1番の4楽章については、尊敬していたトスカニーニと同じティンパニの音の追加をしています)弦楽器奏者へのボウイングの指示も徹底していたとのことです。
 これは、オーマンディに限ったことではなく、故朝比奈隆氏によれば、「我々の世代の指揮者は、楽譜に手を入れるのは当たり前ですよ。師匠がやれっていいますもん。楽譜通りに演奏するのは素人だという風潮があったのですよ・・・」ということだそうです。ボウイングについても、「・・・(弦のボウイング等を)場合にもよりますが、一人の意志で統一しておかないと、大勢の弦楽器奏者が混乱します。これは指揮者の一番大切な仕事だと思っています。そういう意味で弦楽器上がりか、崩れかしらんけれども、弦楽器出身の指揮者の方が都合が良いでしょう・・・」オーマンディも朝比奈氏も弦楽器奏者でしたね。

 話が長くなりましたが、一般にいわれている「華麗なるフィラデルフィア・サウンド」や、「明るい」「華やか」というイメージは間違いでは無いでしょうが、それは彼らのほんの一部を表しているに過ぎません。

 さて、いわゆる、「フィラデルフィア・サウンド」が良く出ている演奏ということですが、ぱっと思いつくものを挙げると、

 ・サン=サーンスのオルガン交響曲 (Telarcのディジタル録音盤)
   ormandy/philadelphia が本当の教会で演奏したもの。しなやかで美しい弦、黄金のブラス
   が堪能できます。後半の迫力は圧巻。ラストの地響きを伴うフィナーレは疾風怒濤の如く。

 ・R.シュトラウス 「死と浄化」「変容」(RCA/BMG)
   個人的にはこの2曲の最高演奏と思っています。
   特に、「変容」は弦楽だけですから、フィラデルフィアの弦が堪能できます。

 ・R.シュトラウス 「英雄の生涯」(RCA/BMG)
   悠然と鳴り響く感じは他の演奏では得られません。「アルプス交響曲」を録音しなかった
   のは残念です。

 ・チャイコフスキー 交響曲第5番と6番(DELOSのディジタル録音盤)
   5番はOld Met, 6番はAcademy of Musicでの録音です。ふくよかなオールド・メット
   の音に対して、残響が少ないアカデミーが対照的な録音です。彼らのホームの音を
   知るには格好の2枚?

 ・ヴォーン=ウィリアムズ 「タリスの主題による幻想曲」(RCA/BMG)
   寄せては返す波のような弦の音に溺れそうな名演。

 ・グローフェ「大峡谷」(Columbia/Sony Classical)
   圧倒的な大迫力は比類がありません。

 ・チャイコフスキー 3大バレエハイライト(Columbia/Sony ClassicalとRCA/BMG)
   全曲で残して欲しかった・・・と悔やまれる程の名演ぞろい

・・・・等々、切りがないのでこのくらいで。

その後、「フィラデルフィアにオペラの録音ってあるんでしょうか?」という質問もありましたので・・・

 ormandy/philadelphia ですと、

 ・バルトークの「青髭公の城」(Columbia Stereo,未CD化)
 ・オネゲルの「火刑台のジャンヌ=ダルク」(Columbia Mono,未CD化)

Muti/Philadelphia ですと、

 ・プッチーニの「トスカ」(Philips 434 595-2)
 ・レオンカヴァレッロの「道化師」(Philips 438 132-2)

というところですか。フィラデルフィアには別にオペラカンパニーがありますし、ormandy/philadelphia 時代はレコード会社の方針上あまりオペラの録音は無いようです。でも、Columbia時代は結構意欲的に現代曲(W.Schuman,L.Gensenway,V.Persichetti,W.Piston,R.Harris,D.Joio,J.Vincent)や当時としては大曲(バッハのロ短調ミサ曲、ヘンデルのメサイヤ、マーラーの交響曲第10番(クック版)、火刑台・・・もそうですね)を取り上げています。クック版は世界初録音です。チャイコフスキーの交響曲7番という変わり種の録音もあります。

 ColumbiaからRCAへ移籍後も、メンデルスゾーンの「賛歌」、ペンデレツキの「ウトレニヤ」、ショスタコービッチの13-15交響曲(バビ・ヤールは西側では初録音)、マーラーの交響曲第1番の花の章(これも世界初録音)マーラーの復活(凄い名演なのですが、残念ながら未CD化)等々当初は結構野心的な(マエストロ自身の希望)録音が続いたのですが、当時のRCAの政策転換によりポピュラー路線の録音が大半を占めるようになってしまいました。RCAよりあまりにポピュラー曲ばかりの録音要請があった為、マエストロは「私はポップス指揮者じゃないぞ!」とお怒りになったこともあったとか。(つい最近、映画音楽集のアルバムがCD復刻されましたが・・・)それでも、未だCD化されていないチャイコフスキーの初期交響曲など埋もれた名演は数知れず・・・です。(個人的には、チャイコフスキーの初期交響曲については、スヴェトラーノフのCanyon録音を迫力の点でも上を行く・・・と感じています。)

我ながら、よく書いた・・・もんですね。(2003.7.6)



Dennis Brain & Eugene Ormandy

 1998年に春秋社より出版された「奇跡のホルン(山田淳訳)−DENNIS BRAIN:A BIOGRAPHY by STEPHEN J.PETTITT」に、1957年に交通事故で亡くなった伝説的ホルン奏者 Dennis Brain と Ormandy についての記述がありましたので、簡単に紹介させていただきます。

  ご存じの方も多いでしょうが、Stokowski が1944年英国空軍オーケストラの一員として米国を公演中の Dennis に対し「戦争が終わったら Philadelphia の Principal にならないか」と誘いをかけたのは有名な話ですが、(追記:どうもこの話はそれ程信憑性のある話ではなさそうで、Brain の演奏に感心した Stokowski からの社交辞令程度の話であろう・・・とのことのようです) Ormandy との共演の話はこの本で初めて知りました。歴史に「もし」はあり得ないのですが、実現していたらどうなっていたのか興味のあるところです。もし、Dennis が Philadelphia の principal だったら・・・。(といっても、私の個人的な好みからいえば、Mason Jones が principal で良かったと思います)この当時 Anton Horner は在籍していたとはいえ既に principal からは退いていますし、Mason Jones も1938年から入団していますが当時は principal ではなかったわけで(この当時は兵役でいなかった?)、楽団としては腕のよいホルン吹きを探していたのかもしれません。(ちなみに、この時期の principal は James Chambers, principal 1941-1946 です)またこの当時、 Dennis の叔父の Alfred が Los Angels Philharmonic 及び 20th Century FOX の Studio Orchestra の principal を務めており、彼もまたホルン一家 Brain家 の名ホルン奏者としてアメリカで活躍していました。Dennis は Alfred とアメリカで会っています。彼の演奏は戦後初期の名画の演奏で聴くことが出来るようです。
  この本は、Dennis Brain を通して当時のイギリス音楽界、そして叔父の Alfred を通してアメリカの音楽界を垣間見ることが出来るので、興味のある方は是非お読みください。

 さて、肝心の Ormandy と Dennis のかかわりについてですが、本の内容をかいつまんでみますと・・・

 『1957年8月の Edinburgh音楽祭にて、8月31日土曜日の演奏会は全曲 Tchaikovsky というプログラムで、Eugene Ormandy が指揮した。Philharmonia はこの日の午前中、アシャー・ホールで丸々3時間のリハーサルを行った。休憩時間、Dennis は Ormandy の所へ行き、彼が指揮する Concertogebow Orchestra と Strauss の Horn Concerto no.2 を演奏する予定の、翌週金曜日の演奏会について話し合った。Ormandy は Dennis がひどく疲れた様子をしているのに気づき、もっと気楽に構えた方がよいとしきりに忠告したが、Dennis は微笑んで肩をすくめるだけだった。・・・・』

Dennis Brain and Eugene Ormandy
August 31, 1957,Edinburgh

 この翌日の9月1日日曜日の午前6時頃、Dennis Brain は衝撃的な自動車事故により亡くなります。それにしても、いかにも 気配りのOrmandy らしいエピソードですね。この写真が Dennis の最後の写真となってしまいました。 

  『Dennis という人間を失ったことの深い悲しみに続いて、彼の死が音楽会にもたらす損失も直ちに実感されることとなった。最初の反響は、恐らく Edinburgh において最も切実なものがあった。Ormandy は、もっと人生に気楽に対処するようにと、ほんの1日前に Dennis に忠告したばかりであることを、悲しみを込めて述懐している。「英国と全世界は偉大な人間を失った」と彼は語った。・・・・』

  『火曜日には Ormandy がエディンバラで記者会見を開いた。Dennis は9月6日金曜日に音楽祭に復帰し、Concetogebow と Strauss の Horn Concerto no.2 を演奏する予定であった。この空白は何とかして埋めなければならなかった。Ormandy は以下の文を読み上げたが、感情の高ぶりに声が詰まるのをどうしようもできず、何度も咳払いをしなければならなかった。
  「我々は、Dennis がソロをつとめることになっていたプログラムの変更を準備するにあたって、いくつかのプランを有していた。彼の死の知らせはあまりに衝撃的であり、我々は一体どうして良いのか途方に暮れた。その時、途半ばで終わった彼の人生を偲んで Schubert の《未完成》交響曲を演奏してはどうかとの提案がなされた。我々は、英国のみならず全世界がその死を悼むであろうこの真に偉大な音楽家、真に偉大な英国人に対して、心から敬意を表するものである。独奏者 Dennis は比類無い存在であった。」
聴衆は拍手を控えるよう求められ、演奏会のプログラムにもその旨が記された。金曜日の夜、アシャ−・ホールでは2千5百人の人々が起立して黙祷を捧げた。男性の多くはダークスーツを着込み、胸のボタンホールに深紅のバラを刺している人々もいた。Ormandy は頭を垂れて立っていた。Edinburgh音楽祭の11年の歴史で、これほど悲痛な光景は無かった。・・・』

  それにしても、吹奏楽部でホルンを吹いていた時に憧れていた Dennis(無理してLPの全集を買ったもんです)と Ormandy とがこんな形で関わっていたとは・・(あくまで私個人の感情の話ですが・・・)
  最近、TESTAMENTから1952年の Toscanini とPhilharmonia との伝説の Brahms Concert の演奏も出てきたことですし、この Edinburgh音楽祭での Ormandy と Philharmonia の演奏もテープがもし残っていれば聞いてみたいものですが・・・。なお Dennis Brain についてはレコ芸2002年12月号の「レコードにとり憑かれた男たち」にも紹介された沖津さんの 憧れのデニス・ブレイン An enthusiasm for Dennis Brain のホームページがあります。(2003.3.30)



Beethoven Wellington's Victory の Electronic Canon すっぽ抜けの怪?

  RCA Victorola 7731-2-RV (C)1988(CD) に収録されているormandy/philadelphia の「戦争交響曲」はエレクトリック・キャノンの音が完全に抜けている。ジャケットにもしっかり、Electronic Canon と明記してあるのに・・・。国内盤と聴き比べて初めて解った次第。アメリカはおおらか?(2001.10.14)

<追記>
  後日、日本でのCD化(日BMG Funhouse BVCC-38126)の際、ちゃんと「大砲の音入り」として復刻されました。(2003.11.22)


1970年代からの RCA READ SEAL の低迷の原因は ormandy/philadelphia に有り?

  レコード芸術に掲載された「RCA レッド・シールの低迷と再興」(諸石幸生氏)という記事において、「ひたすら下降線をたどった悪夢の1970年代の物語」の大きな原因として ormandy/philadelphia の記述がありましたので、内容を簡単にご紹介します。ファンとしては耳に心地よい話ではありませんが、ormandy/philadelphia の RCA 録音についてIchikawaさんがご指摘されていた ice box や極端なリリース遅れの原因を知る手掛かりになると思います。
  記事内容は、RCA READ SEAL が General Electric から BMG に移行した際に社長に就任したマイケル=エマーソン氏のインタビュー(レコ芸による)及びHigh Fidelity 誌 1988年 2、3月号掲載のデイヴィット=ルービン氏の論文をもとに再構成されたものです。レコ芸のこの記事の掲載号は分からないのですが恐らく1988〜1989年に掲載された記事と思われます。以下、同記事の要約です。


《不幸な経営方針への転換》

  エマーソン氏は、RCA レッド・シール低迷の原因として下記2点を挙げています。

 ・リスクを廃して目先の利益だけを追求してきた経営姿勢
  ・アーティストとレパートリーの選択

  ラジオ・テレビのタイクーン、デイヴィッド=サーノフは、相当大きなリスクを覚悟して引退していたトスカニーニを呼び寄せNBC交響楽団(NBC は RCA の子会社)を組織しました。クラシック音楽に貢献すること自体はレコード部門の利益にはならないが、RCA という会社の強力なイメージアップの武器になると考えていました。彼は、世界中の偉大なアーティストが RCA に録音することを希望し、そのことにより消費者が RCA を卓越したアーティストの代名詞と思うようになれば、そのことが他の RCA 製品(ラジオ・テレビ・電気製品)に対して良い影響を与えると考えていました。つまり、クラシック音楽への投資は会社全体としては見返りの大きいものだという認識があった訳です。この当時、レコード部門は RCA の中で半ば自治権を持ち、会社内部へ直接に報告する義務を負うだけで独立した形で仕事をすることが出来ました。サーノフの元でレコード部門のトップとして情熱的に仕事をしていたジョージ=マレクは、彼に仕えていたロジャー=ホールの見解によれば、損益のみを考える経営陣からこのレーベルを頑なに守り、ホールに監督のように振る舞うように激励し、若いアーティストの起用にしても大胆でした。

「私たちは、自由に若い登り坂にあるアーティストを選び出し、RCA の金を彼らに投資したのです。それは、言ってみればギャンブルでした。しかし、マレクは私たちにそうすることを望んだのです。」

  しかし、1971年にサーノフが亡くなりほぼ同時期にマレクも引退した後で、RCA の様々な娯楽部門を統合する動きが起こり、レコード部門も NBC への報告義務を負うことになりました。NBC はレコード部門をそれぞれ独立採算制の部門に分断し、それぞれの新譜は必ず会社の利益に貢献しなければならないという経営方針をクラシック部門にも適用し、このことにより「過去の豊富なクラシックの蓄えは次の世代のアーティストの録音費用を確保するのに用いられるという原則」が無くなったのです。

  この不幸な経営哲学は、ホールの後任となってレッド・シールを切り盛りしていった二人、

    ピーター=マンヴィス (任期 1970〜1974、CBSからの引き抜き)
      「ラヴ・ソングズ」「マーチ集」「ファンタスティック・フィラデルフィアンズ」
      「クリスマス・アルバム」を企画した人物。あまりにオーマンディに売れ筋物を録音
       させようとした為、「私はポップス指揮者じゃないぞ!」とマエストロはお怒りになった

    トーマス=Z=シェパード (任期 1974〜1986)

に継承されました。利益を最優先する姿勢がもたらす弊害はマンヴィス時代に極端な形になって現れました。彼は新しいアーティストと契約するという危険で保証のない仕事には目を向けず、過去の遺産の再編成で商売する道を選びました。(Rubinstein の過去の録音をひっかき廻した "The Chopin I love" や "Greatest Hits" 等) マンヴィスの後任のシェパードは次のように語っています。

「録音に関する申告書が会社の首脳に承認されるまではレコード制作が出来なかった。これは一切危険を侵さないことを意味氏、まさに保守的で銀行に受け入れられるようなプログラミングだけが歓迎されるという事態を引き起こした。・・・・私には、『有能なアーティストをこのレーベルに引き留めておくためや、新人を発掘する為に収支の見込みのないレコーディングの提案』など出来なくなっていた。」 


《大きな経済的負担となったオーマンディの引き抜き》

  1968年に オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団 を CBS から引き抜くという決断がホールによりなされました。ホールはレッド・シールの責任者になる以前はフィラデルフィア管弦楽団のマネジャーを勤めており、このコンビとは関係が深い人物でした。(*1968年に制作された RCA によるormandy/philadelphia プロモーション用LP "Five Tresured Recordings from the Heritage of Greatness on RCA Red Seal" SP-33-555 にこのホール氏がオーマンディとのインタビューの聞き手となって登場します。なお、BMG Funhouse によりオーマンディとフィラデルフィア管弦楽団第1期の特典盤として復刻− BOCC-5,但し曲目はかなり異なる−されました。)

  当時、レッド・シールは

    Liensdolf/Boston Symphony Orchestra
    Fiedler/Boston Pops Orchestra

  を抱えていましたが、(Reiner/Chicago Symphony Orchestra は Reiner の死後、Solti/CSO として Decca に取られてしまった)それに対して CBS は、

    Bernstein/New York Philharmonic
    Ormandy/Philadelphia Orchestra
    Szell/Cleveland Orchestra

  という陣営を抱えていました。ホールは RCA を CBS と釣り合いの取れる形にする為、オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団を引き抜き、Rubinstein,perlman,Cliburn といった RCA のソリスト達がフィラデルフィアと共演してレコードを作ることを目論んでいたのです。(*Mancini の Debut! アルバムもその一環と言うことでしょうか?)

  しかし、この為に220万ドルが向こう5年間のロイヤリティーとして先払いされ、さらに100万ドルがオーケストラの基金として寄付されたのです。これに対して、 CBS はむしろフィラデルフィアを放出することを潔く決定しましたし、予想される損失に対して過去の膨大な録音の中から未発表のものを選び出して対抗する、あるいは RCA がやろうとしている新録音と競合するタイトルを用意して再発売(*1812年等)していったのです。しかも悪いことにオーマンディはあまりにも速いペースで CBS に膨大な録音を完了させており、 RCA の為のレパートリーなど用意してくれてはいなかったのです。 RCA が CBS のカタログに追いつける可能性は無かったのです。

  シェパードは、このオーケストラに対する巨額なギャランティーのために予算がズタズタになり、他のアーティスト達の要望に応えることが出来なくなった点をもっとも憂慮していました。アメリカの5大オーケストラのうち2つを押さえて CBS に王手を掛けようとした望みも RCA にとってはますます重荷となり、重役室の会計はオーケストラ録音そのものにノーを言い出しそうになっていたのです。しかもアメリカのオーケストラの録音費用は当時急速に上昇していましたし、また、次第にオーケストラと録音するのではなく指揮者を中心に録音されていくといった状況の変化も、こうしたオーケストラの丸抱えに追い打ちをかけることになったのです。(*ormandy/philadelphia の RCA 録音にあまり計画性が無いのはこの辺りに原因が?)


《まったくついていなかったアーティストとの関わり》

 ジェイムズ=レヴァイン
  CBS の MTT に対抗する形でレヴァインと契約しましたが、レッド・シールは彼が録音すべきオペラから離れようとしていた時期であり、ブラームスとマーラーの交響曲全集にとりかかるのですがこれは未だに完成には至っておらず、市場の認知も得られずあまり売れませんでした。(*でも、フィラデルフィアと残したマーラーの5番・9番・10番という名演が残りましたね。)

 エマニュエル=アックス
  CBS のペライアに対抗する形で契約し、彼の増加する演奏スケジュールに合わせて数多くの録音を行いました(*オーマンディとショパンのピアノ協奏曲を録音しています)が、何故か彼のレコードはまったく売れなかったのです。原因もわからないまま、彼は CBS へ移籍し録音を続けています。

 テッド=ヨセルソン
  1970年初めにチャイコフスキーとプロコフィエフのピアノ協奏曲をオーマンディと録音していますが、その後重要なアーティストとはなっていません。

 ディラナ=ジェンソン と ユージン=フォドア
  オーマンディとシベリウスのヴァイオリン協奏曲を録音して、それを踏み台にしてカーネギー・ホールにデビューするはずでしたが、彼女はこれをキャンセルしてしまいました。(*彼女の件については、Mr. Robert .L. Jones氏 の The Eugene Ormandy Web Page にインタビュー記事があります。また、カーネギー・ホールデビューキャンセルの話については、Ichikawaさんより「彼女がPhiladelphiaでデビューを飾ったのが、1980年12月4日、5日、6日(Sibeliusの協奏曲)Carnegie Hallでのデビューが9日。そしてレコーディングが12日。」ということで、デビューは果たしているはずとのご指摘を頂きました。)
  同じヴァイオリニストのユージン=フォドアもほぼ同じ経過を辿っており、急速に名を広めることについては完全な失敗に終わっています。

 ウラディミール=ホロヴィッツ
 シェパードによれば、RCA は彼が最も悪い時期と契約関係にあったとのこと。彼はライブ録音のみを希望し、レパートリーも以前録音した物がある物か、モーツアルト・クレメンティしか希望しなかったのです。 RCA を離れたあと彼は健康を回復し、DGGに大きな利益をもたらしているのです。

 イツアーク=パールマン
  若い世代では最も商業的な成功を収めていましたが、マンヴィスが約束していたブラームスの協奏曲の録音を果たさなかった為、彼は1970年に RCA の専属を離れてしまいました。

 ヘルへ=ボレ
  DECCAに録音する以前は、人気がまったく出ませんでした。

レッド・シールは、万事がすべてこの調子でした。


《クロス・オーヴァーで食いつなぎ》
 1980年代の RCA のドル箱は、ゴールウェイ・富田勲・パイヤールでした。皮肉なことに、クラシックレコードの遺産として誇れる物はありません。(*遺産はともかく、私は好きですけど・・・)


  以上が要約ですが、なんとまあ、やることなすこと全て裏目に出てしまったということですか。クラシックレコード全体の売り上げが減少するなかで ormandy/philadelphia といえども CBS時代のような爆発的な売り上げは期待出来ず、経費だけがかさむという悪循環にはまった訳ですね。RCA READ SEAL には気の毒な話ですが、我々ファンにとっては RCA に ormandy/philadelphia の録音が数多くの残されたことは幸運なことかもしれません。どうせなら、せっかくの遺産(?)を有効活用して欲しいものです・・・(結局最後はこの結論に行き着くのですが)
(2001.9.16、9.26追記)




「名指揮者120人のコレを聴け!」を読んで

  洋泉社より出版されている「名指揮者120人のコレを聴け!」の竹内貴久雄氏のOrmandyの記事を読んで、どうにも納得のいかない内容に疑問を抱いております。

  Ormandyを理解するキーワードとして、

  「指揮者になりたくなかった指揮者
  「全員参加、全会一致の音楽

  とあり、さらに特記事項として

  「細部への執着は、楽員に順番に出番を回そうとする気配りから?

とありますが、冗談にしてもこれはなんと言えば良いのか・・・。確かに、Ormandyは天才ヴァイオリニストとしてアメリカに渡って、本人の意志とは無関係に指揮者のスタートを切りましたが、それはスタートのみの話であり、指揮者として身を立ててからは、

  「私は指揮者以外のものになりたくなかったから、指揮者になったのである」

と言うほどに指揮者を天職として考えていた訳ですし、

  「私は個性的なアプローチを尊ぶが、演奏は結局、指揮者の解釈である。楽員は指揮者の楽器であり、最後の目標は統一とチームワークでなければならない」

  「私は、民主的な独裁者です」

との彼自身の指揮者についての考えを示す言葉を無視して、「全員参加、全会一致の音楽」・「細部への執着は、楽員に順番に・・」というのは、全く的外れな評価だと思いまが・・・・


  「・・・チャイコフスキーの交響曲は、サウンドのまとまりは良いものの、いったい何を伝えたいのかがわからないそれぞれのパートがどれも等距離に置かれていて、楽員が公平に分担しているといった不思議な風情をもった演奏だ。内声部が良く鳴っている演奏というのとも違う。だれにでも多少はある特定の音への偏愛、こだわりがオーマンディにはないのは、なぜだろうか?オーマンディはひたすら黙々と、淡々と、指揮を続けている。・・・」 

  「・・・《新世界交響曲》は、CBSのステレオ録音はオーマンディでは例外的にフィラデルフィア管を離れてロンドン響との録音だが、その後のRCAへの復帰後にフィラデルフィア管と録音している演奏ともども、判で押したように、デビュー録音のころと同じに妙にオーケストラの各パートが等価に響く演奏だ。・・・

  率直なところ、竹内氏はOrmandyのことには関心・興味が殆ど無い(あるいは殆ど知らない)方だと思います。1936年の philadelphia orchestra の共同指揮者に就任したばかりの古いSP録音や1967年のロンドン響との録音(オーケストラがストライキしていた時の録音)等、Ormandyの大量の録音のなかでもかなり特殊な部類の録音を引っ張り出して論評するということ自体がそれを示しています。

  「・・・だれにでも多少はある特定の音への偏愛、こだわりがオーマンディにはないのは、なぜだろうか?・・・」

  Ormandyのサウンドは常に弦楽器を主体としており、上記の評論は完全に的外れなものです。BMG/RCAのProducer,Jay David Saks氏は下記の通り語っています。(日BMGジャパン BVCC-38060 のブックレットより引用)

  「彼の作り出すサウンドは独特で、いつも弦が中心で、木管や金管は必要なときに重要なパートが聞こえてくればいい、というものでした。たとえば、彼はホルンを嫌っていました。いつも小さく、小さく演奏させるようにしていました。『セルがよく「トロンボーンは見えればいい。聞こえなくてもいいのだ」と言っていた。私はホルンについても同じだと思う。』と良くいっていました。オーマンディ・サウンド、それはなんと言っても、途方もなく大きな、美しい弦の音なのです。」

  「・・・《新世界交響曲》は・・・判で押したように、デビュー録音のころと同じに妙にオーケストラの各パートが等価に響く演奏だ。・・・

  ???理解不能です。??? 各パートが等価に響く??? 1967年のロンドン響はかなり特殊な事情での録音であり、これでOrmandyという指揮者を論評するのは問題があると思いますが、この録音はかなりオンマイクでバランスもかなり操作されています。Balance Engineer により、スコアで埋もれそうな音をかなり作為的に持ち上げているのが分かります。弦の音が力強く(単に録音上のレベルでの話では無く)聞こえるのは、オーマンディのボウイング指示による所が大きいでしょう。もう一方のRCAの録音はかなり自然なバランスが保たれていますが、一聴して分かるのは管の音をぐっと押さえ込んで弦の厚みをより前面に押し出していることです。他の演奏と聴き比べれば一聴瞭然です。「各パートが等価に響く」などとは、演奏をろくに聴いていない証拠です。

  1978.6.7の吉田秀和氏の ormandy/philadelphia 来日演奏会の評で、

  「・・・ブラームス『ハイドン変奏曲』では、あまりにすべての声部が平等に良く鳴りすぎ、とかく焦点のはっきりしない音楽になりがちだった(1978年6月1日・神奈川県民ホール)」
  − 音楽 展望と批評3 吉田秀和(朝日文庫)

  というのを読んだことがありますが、竹内氏は初めにこの結論ありきで紹介記事を書かれたのではないでしょうか?この記事を読んで「オーマンディ」を聴きたい、と思う方は余程の物好きでしょう。(2001.9.15) ※この記事を書いてから12年後、竹内貴久雄氏を「喜久雄」と誤って記述していたことに気が付きました。お詫びして訂正致します。(2013.9.3追記)



朝比奈隆 交響楽の世界を読んで

 「朝比奈隆 交響楽の世界」(朝比奈隆、金子建志、早稲田出版)という本、これは実に面白い本です。指揮者・弦楽器奏者(朝比奈氏はヴァイオリン奏者でもあった)の立場からオーケストラの指揮について(主にドイツ系の作曲家を中心に)語ったものです。Ormandy/Philadelphiaの Sound を考える上でも参考になります。読み物としても面白いのでお勧めできます。

・シューマンの交響曲について
  ・・・それから、弦楽器のアーティキュレイション。シューマンは何も書いてません。するとね、そのまんまにして放っておくと、オーケストラは弾きようが無いんですね。・・・・というのは、指揮者が何も(アーティキュレイションについて)言ってくれないと、印刷したとおりに弾かなきゃいけないわけで、楽員は途方にくれるのですよ。・・・・

・楽譜の改訂について
  あの時代の一般の流行というか、まあ時代のカラーですねぇ。オーケストレイションというものが非常に発達したから、何でも色彩的にしようという・・・僕ぐらいの世代の指揮者だったら、今は黙っているけど、必ず若いときにやってますよ。大体、師匠がやれっていいますもん。ベートーヴェンをスコア通りに演奏しているのは素人だっていう考え方がね、あったのですよ。・・・

・オーケストラのサウンドについて
  ・・・オーケストラで音量を出すなんてのは、太鼓叩いたり、ラッパ吹いたりで出るんですけどね、やっぱりオーケストラの主体は弦楽合奏なんですね。弦楽合奏が非常に内容の濃い、分厚い響きを作らなければ、管楽器は上に乗ってこないですからね。・・・ 

・ブラームスの交響曲第4番の指揮にあたって
  ・・・パート譜については、事前に私が指示をした指使いとボウイングを、まあ場合にもよりますが、全部書き込んであります。それをひとりの意志で統一しとかないと、60人もいる弦楽器が混乱します。これは指揮者のいちばん大切な仕事だと思っていますから。
 そういう意味で、弦楽器上がりか、崩れかしらないけれども、弦楽器出身の指揮者の方が都合がいいでしょうね。「僕は解らんから、君が書いといてくれ」と言われたって、コンサートマスターは困るわけですよ。自分はバス弾く訳じゃないし、5人集まって相談するとか、そんな呑気なこと、出来ないですからね。・・・

・ティンパニについて
  ・・・ティンパニって楽器は、余程いい楽器で良い奏者が叩かないと音が濁りますのでね。・・・本当の音楽の音じゃないですからね。雑音というと怒られるかもしれないけど、透明な音程じゃないからね。だから、現場で、実際の問題として考えないと。・・・
(2001.9.15)




映画"Fantasia"60周年記念特別盤(DVD)について

  レコ芸2001.2月号の海外盤視聴記に気になる記述がありましたので、ちょっと・・・。ちょくちょく聞かされてはいたのですが、映画"Fantasia"60周年記念特別盤は日本盤とアメリカ盤(DVD, Disney 18268)で内容が大幅に異なるということです。内容を簡単に記述すると・・・

・アメリカ盤が上映時間124分に対して、日本盤が117分。
  内容の違いは、アメリカ盤の方はディズニーやストコフスキらと選曲に関わった音楽評論家のジェームズ=テーラーがホスト役として画面に登場することや、「オケ団員がチューブラーベルをひっくり返してあわてふためくギャグ」が入っている等。

・音声の質
  音声についても、アメリカ盤は"ファンタサウンド効果"をより一層オリジナルの意図に近づける工夫がなされている。

・その他
  アメリカ盤では、副音声トラックにロイ=ディズニーとジェイムズ=レヴァインの会談形式で行った音声が入っており、その中で、「”魔法使いの弟子”だけはフィラデルフィア管弦楽団ではなくロスのスタジオオケで録音されておりこれがかえってストコフスキの指揮者としての技量を良く表している」と衝撃的事実を語る・・・・・(ホンマカイナ?)

・放棄作品について
  放棄された「月の光」は国内盤でのみ見ることが出来るそうですが、アメリカではボックスセットの方で膨大な資料が収録されたとの事。

  それにしても、DVDの例の地域コードの弊害が顕著に現れた例ではないでしょうか?これだけ内容に違いがあるのであれば、アメリカ盤が再生できるDVDプレーヤーを購入してでもアメリカ盤を見たくなりますね。とても国内盤を購入する気にはなれません。(Fantasia の DVD化については、風雅さんのようこそ”風雅”の部屋へに詳細情報があります。)(2002.2.11追記)


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