−− 「紅の豚」マスター・スーさんへの追悼の言葉 −−
スーさんが死んだ。まだ55歳だった・・

「昔のキャバレーみたいに、バンドが入っていて、歌ったり踊ったりできる、そんな 店がやりたいんよ」。7年前、スーさんはそう言って「紅の豚」というパブを開いた。 店はやがて門司の名物になり、多くの人に親しまれたが、体調を崩し、いったん 店を閉めて治療に専念することになっていた。

「バンドさんのやりたいようにやっていいから」。スーさんはいつもそう言ってくれ、 僕らはその言葉に甘えて、好き放題に選曲し、演奏した。今思うと、なんと贅沢だった ことか。おかげで、演奏も開店当初に比べて、少しずつサマになっていった。

客の少なかった月でも、「安くてごめんね」と申し訳なさそうに言いながら、いつも通りの ギャラを払ってくれ、隣りの沖縄料理の店には焼酎1升ビンがまとめて3本、バンド用に キープしてあった。

昔ながらのキャバレーの雰囲気が幻でないことを教えてくれたスーさん、ありがとう。 もう少し頑張ってみるよ、もっとバカになるよ、けちな人間にならないようにするよ・・・ スーさんが見た夢を僕たちも追いかけてみます。

ありがとう、そしてさようなら、スーさん。