□■ 一幕芝居「若きバンドマンの悩み」 ■□


(幕が開く。どこか地方のキャバレーの、薄暗い従業員用通路。壁は両側コンクリートで 窓は無く、片側には古いロッカー並んでいる。中央にステージへの狭い階段があり、階段 の脇に、薄汚れた赤い制服を着た若い男Sが、サックスを抱えてぼんやり腰掛けている。そこへ、 同じ制服を着た、トロンボーンと楽譜を持った中年の男Tが、勢いよく階段を降りて来る)

男T「あれ、バンマスは?」
男S「ケーサ(*1)に行きました」
男T「なんだ、今のステージで危なかったとこ、合わせとこうと思ったのに。ノン気やな」
男S「3曲目の勧進帳(*2)のやつ、止まりかけましたもんね」
男T「かけた、じゃなくて、完全に止まったろ。俺、心臓もいっしょに止まったもん」
男S「だったら俺、ずっと心臓止まったままですよ。トロンボーンと違って、サックスは 客に、もろ聞こえるし」
男T「あー、それ、セクハラだ」
男S「セクハラ?なんでですか?」
男T「セクション・ハラスメントで、セクハラ」
男S「ああ、セクションね。今、サックスセクションはガタガタですよ。ホント、アルト(*3)一人、 入れてくれんかなー」
男T「それで落ち込んでるの。いいよ、どうせ客はわかりゃせんよ」

(そこにホステスA、ホステスBが通りかかる)

ホA「おはようごさいまーす。あらー、今日は落花生、ないの?」
ホB「今度は、千葉県産の、もっと大きなのがいいー」

(ホステスの2人、大声で笑いながら通り過ぎる)

男S「よう笑うな。何ですか、落花生って?」
男T「昨日ここに座ってね、膝の上に新聞紙広げて、落花生食ってたの」
男S「へー、でも、それがなんで?」
男T「で、新聞紙の真ん中に穴開けて、そこからコソッと『せがれ』もいっしょに混ぜて」
男S「プッ、ようやりますね。で?」
男T「落花生、好きなだけ持ってっていいよ、って言ったら、さっきの欲張りホステスが、 ガバッとつかんで持ってこうとした」
男S「えーっ、で?」
男T「『ナンか、ぐにゃってした!』って言って、びっくりして手ぇ離して、じーっと見てから、 大笑いして行った。けど、ツメが当たって痛かったー」
男S「そんな危ないこと、ようやりますね」

(そこに、バンドマスターの男Mが赤ら顔で外から戻って来る)

男M「どうしたん、二人とも。」
男T「ちょっと重役会議」
男M「さっきのショーやろ。あれ、キュー(*4)の手の振り方が悪いよ。リハ(*5)の時の タイミングと全然違うもん。あれじゃ合わせられんよ」
男T「クラッシックの指揮者にもいたよね、『振ると面食らう』」
男M「なに、それ」
男T「フルトベングラー」
男M「知らん。とにかく、向こうが悪い。あんなキューの出し方で、出れるもんか」
男S「ねーバンマス、サックスのいいの、いませんかね。アルト一本じゃつらいですよ」
男M「今、店、金無いんよ、もうちょっと待って。なんか、学生でいいのがいるらしいから」
男S「それと、ネカ(*6)、上げてもらう話は・・・」
男M「あ、時間、時間。次、Cの110番からね(*6)」

(バンドマスターの男Mはバタバタと階段を上がって行き、男Tと男Sが残る)

男S「また、ごまかす。もう、バンド止めて、クニ(故郷)に帰ろかな」
男T「まあま、そう言わんで。若い時は、何でもいろいろ経験しとった方がいいよ。 ストレートにうまくいったら、つまらんって。ウダウダ遠回りするから、いいバンドマン になれるんやから。それよか、さっきの『クニに帰る』のフレーズ、貰い〜」
男S「なんですか?」
男T「なんかミスした奴がいたら、『お前、もうクニに帰れ!』」
男S「それ、バンマスに言ってくださいよ」
男T「俺は言いきらん。さて、ステージ行かんと」

(階段を上がりかけた時、男Sが突然、立ち止まる)

男S「あ!」
男T「ああ、びっくりした、どうしたん!?」

(男S、通路の隅に行き、しゃがんで何かを拾う)

男S「落花生、見っけ」
男T「なーんだ。中味だけ?」
男S「立派に皮付きです」

(二人は階段を上って消えていく。ステージからチェンジ曲(7*)の「カミンホーム・ベイビー」 のテーマが聞こえ始める。テーマのあと、アルトサックスのアドリブがしばらく続き、また曲の テーマに戻る。そして、演奏の終了に合わせて幕が下りる)

         −−−−−−−−−− 完 −−−−−−−−−−

ケーサ(*1)・・・酒、また酒を飲むこと。
勧進帳(*2)・・・数ページに折りたたんである楽譜。
アルト(3)・・・アルトサックス、またその奏者。
キュー(*4)・・・曲を始めるきっかけの合図。
リハ(*5)・・・・リハーサル。
ネカ(*6)・・・・金、給料。
Cの110番からね(*6)・・・楽譜を綴じてある束の名前と曲の番号。
チェンジ曲(7*)・・・バンドが交代する時に、音楽を途切らせないように演奏する曲。

(なお、落花生の話は、ラジオパーソナリティーの某女史から聞いた、今は亡きトロンボーン 奏者R氏の逸話をアレンジしたものです。合掌)