熊:「きれいは汚い、汚いはきれい、か。きれいは汚い、汚いはきれい・・・・」
大:「おい、熊さん・・・・・・おい、こら、熊!」
熊:「あーびっくりした。あれ、ここは何処?私は誰?あ、大家さん」
大:「何が大家さんだ、人の家に勝手に上がり込んで」
熊:「なーんだ、汚い家だと思ったら大家さんちか。あ、お茶はいいよ、オカマバーの
店休日だ」
大:「オカマバーの店休日?」
熊:「オカマ、居なく、お構いなく」
大:「お構いなくでも、お茶はいるんだろう。しかし、きれいは汚い、ってのはシェークスピ
アの『マクベス』で魔女が唱える呪文だろ。よくそんなのを知ってるな」
熊:「?いいや。俺は、自分のサックスの音色のことを言ったんだが」
大:「サックスの音色?」
熊:「そう、きれいに吹くとジャズっぽくなかったり、汚く吹くとジャズっぽかったり。
ところがその逆もあったりで、さっぱり訳がわからねえ。ああ、アートは難しい」
大:「楽器を始めたばっかりなのに、アートとは、言うことは一人前だな。しかし、ジャ
ズの起こりから考えると、ジャズがきれいな音色から始まった、とは言えないだろうな」
熊:「へー、じゃ汚い方がいいんだな」
大:「誰も汚い方がいいなんて言ってやしない。ジャズは、アメリカ南北戦争の後、軍
隊の楽器が一般に出回り、それを手に入れた黒人たちによって広まっていった、と言わ
れている。初めは見よう見まねだろうから、とてもきれいな音色とはいかなかっただろ
う」
熊:「ふーん」
大:「それに黒人独特の唇の形、いわゆる『サッチェルマウス』というのも影響しただ
ろうし」
熊:「サッ、サッチャンが、どうしたって?」
大:「サッチェルマウス、だ。熊さんだって、サッチモぐらい知ってるだろ」
熊:「ああ、ルイ・アームストロングって、トランペット吹きのあだ名だな」
大:「そう。彼の唇がぶ厚くてサッチェルマウスだったことから、短くサッチモ、と呼
ばれるようになった」
熊:「(そういや、カカアが俺に内緒で買った口の広いバッグも、サッチェルバッグっ
て言ってたな、ブツブツ・・・)」
大:「何をブツブツ言ってるんだ。彼はマウスピースが滑らないよう、釘で引っかき傷
を入れていたというな」
熊:「えっ、唇に引っかき傷を?!」
大:「馬鹿、マウスピースの方にだ。確かに、今聴いてもスマートな音とは言えないが、
逆にそれが、ジャズ独特の音色を作っているな」
熊:「だったら、やっぱり汚い方がいいんじゃねえか」
大:「最後まで聞きな。やがて、ジャズが黒人だけのものでなくなり、白人がダンス音
楽として楽しむようになると、音色も洗練され、きれいになっていく、ところが、きれいになると
物足りなくなって、またハードな音色が生まれる、ジャズの音色はそんな繰り返しだ。
だから、どの時代のどんなジャズを目指すかで、勉強のやり方も違うことになる」
熊:「なんだ、面倒くせえんだな、その音色の違いってのは、どっかに・・」
大:「どこにも売ってない!」
熊:「まま、そう興奮しないで。じゃ、どうやりゃいいんだ」
大:「音色の違いを作るのは、まずは音の始め、つまりタンギングだ。アタックの強さ
や、その後の音の延ばし方で、雰囲気が変わる。音の終わりも大切だ。古い時代ほど、
舌でダッと止める、とか。それにビブラート。早く幅狭いとか、遅く幅広いとか、かけ
始めのタイミングなどで、ずいぶん時代感が変わる」
熊:「ほー、じゃどの時代かってのは、どうやって分かるんだ」
大:「それはいつも言ってるように、いろんな時代のジャズを好き嫌いせず、どんな風
に演奏してるのか注意深く聴いて、身に付けることだ。古いジャズも、それは次の世代
のジャズの基盤になっているわけだから」
熊:「ふんふん、じゃ帰って聴いてみるか。おっと、その前に・・・」
大:「おや、後片付けをして帰るのか、珍しいな」
熊:「ああ、俺もアーティストだし」
大:「どういうことだ?」
熊:「昔から言うじゃねえか、『立つ鳥アートを濁さず』」
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