バンドマン風短編小説「蜘蛛の意図(上)」

              バンドマン風短編小説「蜘蛛の意図(上)」


一.
 ある日の事でございます。閻魔大王様(えんまだいおうさま)は地獄の血の池のふちを、 独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いているラフレシアの花 は、みんな安物のペンキで塗ったようにまっ赤で、そのまん中にあるウコン色の蕊(ずい)から は、何とも云えない酷(ひど)い臭(におい)が、絶間(たえま)なくあたりへ溢(あふ) れて居ります。地獄は丁度朝なのでございましょう。

 やがて閻魔大王様はその池のふちに御佇(おたたず)みになって、池の面(おもて)を 蔽(おお)っているラフレシアの花の間から、ふとバンドマン界の容子(ようす)を御覧になり ました。この地獄の池は、バンドマン界を映す鏡になって居りますから、水晶玉(すいしようだ ま)のように、いい加減なバンドマン生活や汚れたバンド部屋の景色が、丁度覗(のぞ)き眼鏡(め がね)を見るように、はっきりと見えるのでございます。

 するとそのバンドマン界の隅に、神田太郎兵衛(略してカンダタと呼ばれる)と云う男が一人、ほかのバンドマンと 一しょに蠢(うごめ)いている姿が、御眼に止まりました。このカンダタと云う男は、人を 助けたりボランティアをしたり、いろいろ善行を重ねたバンドマンでございますが、それ でもたった一つ、悪い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深 い林の中を通りますと、小さな蜘蛛(くも)が一匹、路ばたを這(は)って行くのが見え ました。そこでカンダタは早速手を差し延べて、逃がそうと致しましたが、「いや、いや、 これも小さいながら、勘が働くものに違いない。タコのパウル君のように博打の当たりを 教えてくれれば大儲けだ。」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を放たずに、野球 賭博の占いに使ったのでございます。

 閻魔大王様はバンドマン界の容子を御覧になりながら、このカンダタには蜘蛛を悪用した事があ るのを御思い出しになりました。そうしてそれだけの悪い事をした報(むくい)には、出 来るなら、この男を地獄に引きずり込んでやろうと御考えになりました。幸い、側を見ま すと、ケールのような色をしたラフレシアの葉の上に、地獄の蜘蛛が一匹、ケバい銀色の 糸をかけて居ります。閻魔大王様はその蜘蛛の糸をガバッと御手に御取りになって、肉ま んのように膨れた花の間から、遥か上にあるバンドマン界へ、まっすぐにそれを放り上げなさい ました。「蜘蛛よ。カンダタを地獄に呼ぶかどうかは、お前まかせだ。これがホント の蜘蛛の意図だ」、それが閻魔大王様の御心でした。


二.
 こちらはバンドマン界の底辺で、ほかのバンドマンと一しょに、浮いたり沈んだりしていたカ ンダタでございます。何しろどちらを見ても、まっ暗闇の社会で、たまにその暗闇から ぼんやり浮き上っているものがあると思いますと、それは恐しい借金の山の督促状が光る のでございますから、その心細さと云ったらございません。その上あたりは、
悪口雑言、阿鼻叫喚、外交辞令、官官接待、疑心暗鬼、狂瀾怒涛、軽挙妄動、厚顔無恥、 極悪非道、言語道断、七難八苦、自暴自棄、四面楚歌、城孤社鼠、支離滅裂、前後不覚、 粗製乱造、大逆無道、大言壮語、多事多難、魑魅魍魎、朝蝿暮蚊、跳梁跋扈、天変地異、 薄志弱行、美辞麗句、疲労困憊、舞分曲筆、焚書坑儒、放蕩無頼、本末転倒、無知蒙昧、 夜郎自大、優柔不断、有名無実、羊頭狗肉、乱暴狼藉、竜頭蛇尾、流言飛語、梁上君子、
などの四字熟語に満ち溢れ、たまに聞えるものと云っては、ただ悪人がかけてくる「オレ オレ」という電話ばかりでございます。これはバンドマンになるほどの人間は、もうさま ざまな社会の責苦(せめく)に疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでござい ましょう。ですからさすがバンドマンのカンダタも、やはりバンドマン界の血と汗に咽(むせ) びながら、まるで100Kmマラソンの選手のように、ただもがいてばかり居りました。

 ところがある時の事でございます。何気(なにげ)なくカンダタが頭を下げて、地面を 眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、遠い遠い地下から、銀色の蜘蛛(く も)の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると 自分の足元へ伸びて参るのではございませんか。カンダタはこれを見ると、思わず手を拍 (う)って喜びました。この糸に縋(すが)りついて、どこまでも下って行けば、きっと 地獄に着けるのに相違ございません。そうして閻魔大王様に取り入って自分だけいいカッ コしてバンドマンの罪を軽くしてもらえるかもしれません。そうすれば、もう借金の山で苦労す る人もなくなれば、人の謀(はかりごと)に沈められる人もある筈はございません。

 こう思いましたからカンダタは、早速その蜘蛛の糸を両手でしっかりとつかみながら、 一生懸命に下へ下へとたぐり落ち始めました。元より落語好きのバンドマンの事でござい ますから、こう云う『オチ』のある事には昔から、慣れ切っているのでございます。・・・・・

(後編へ続く)

※尚、この「蜘蛛の意図(上)(下)」はフィクションであり、この世に存在するものと一切関係ありません。