高齢化社会こそジャズだ!
先日、用事があって、久しぶりに伯父の家に行ったら、壁に見事な水彩画がいっぱい飾ってある。 どうしたのかと聞いたら、「60の手習いで、自分で描いた。」へぇー、プロ級じゃない、と 言ったら、今は市の会の審査員もやっている、とのこと。

そういえば、もう一人の叔父さんは、同じように60過ぎから日本画を始め、最後には仏画を 描いていた。ふーん、60過ぎで始めて、こんなに描けるもんか、と感心したが、さて、音楽では? 60過ぎて楽器を始めて、うまくなった、という例をあまり知らない。

音楽には「音楽的運動神経」が必要だから、ではないかと思う。たとえば早い曲では、 いろんな音を長さ、高さ、音色を感じながら、短い時間の中で集中して、(しかも人前で) 演奏しなければならない。

絵画、書、陶芸などが「静」的な表現とすれば(勝手に決めると怒られるが)、音楽、特に ジャズは、「動」的な要素が強い。動的に、精力的に音に挑戦していかないと、 この音楽的運動神経は、生まれてこない。そこにジャズの魅力と深さがある。

しかし、逆に言うと、年をとっても動的、精力的であるには、ジャズが一番、と いうことではないか。「絵画おじいさん」の紳士的落ち着きもいいが、「ジャズおじいさん」 の不良的猥雑さも捨て難い。(そういえば、スカイラークのメンバーは年も考えずに、性懲りもなく、 若い女の子にちょっかいを出すなー。)

なにはともあれ、スカイラークは声を大にして叫ぶことにしよう、「高齢化社会こそジャズだ!」