歯の命は短くて

             「歯の命は短くて苦しきことのみ多かりき」
                −− ある歯のつぶやき −−


我輩は歯である。バンドマンを生業として管楽器を演奏している、ある男の歯を勤めて、 もうすぐ60年になる。

この男、かなりズボラで、俺をろくに磨きもしない。いや、自分では「バンドマンは歯が 命」などと言いながら、食事の後にはこれ見よがしに磨く。ところが磨き始めるのが遅い、食 事が済んだらすぐ磨きゃいいのに。それに、磨き方がまるでいい加減だ。

ほら、そんなに力を入れたら、歯ブラシの先が曲がっちまって、歯と歯の隙間に入らない だろう!鉛筆を持つみたいに、軽く持って・・おいおい、それじゃ、歯茎にヤスリをかけ てるようなもんだ!違う、歯と歯茎の間にも歯ブラシの先が入り込むように、細かく 動かすんだよ!あのな、利き手で磨きやすいとこだけじゃなくて、奥の方とかも、まんべん なく!あれ、もう終わりかい、見ろ、時間の割には、ほとんど綺麗になってないじゃないか!

あーあ、この男、酒を飲んだら、いつも俺を磨かずに寝ちまうんだから・・・ あれ、誰だこいつら?糸ミミズみたいに気味の悪い・・・あ、お前ら、歯 周病菌だな!おい、なにするんだ、勝手に入り込んで来て・・・ほらみろ、歯茎が腫れてき たじゃないか、俺、知ーらないっと・・・・・

やれやれ、歯茎が腫れて痛くなって、やっと歯医者に行く気になったらしいな。 もっと前から俺に気を使ってりゃ、こんなことにならなかったのに。

うんうん、歯医者で習って、やっとまともな磨き方をしてくれるようになったな、もっ とも、教えてくれたのが、若い看護婦だったからというのも、この男らしいや。そうそう、 歯周病菌を殺す薬をつけた毛先を、歯茎の根元に押し込むようにして・・そのあとその薬を 落とすように、細かく動かして・・・ほら、やれば出来るじゃないか。ああ、気持ちがいい。

え、なんだって?ちょっと待てよ、歯医者の先生。確かに、俺の根っこの方はダメになっち まってるが、バンドマンの歯として、この先、まだまだやっていかなきゃならないんだ・・・ 待て、なにするんだ、麻酔をかけて、マ、まさか、この俺様を抜くつもりじゃないだろうな・・・ おい、や、止めろ・・・アーーーッ!!! ・・・・・・