楽譜が読めない本当の意味
ゆえあって、あるジャズバンドのトレーナーを頼まれました。とりあえずそのバ ンドの現在の実力を知るために演奏してもらいましたが、ありがちな間違いのため に、十分な表現力が発揮されていません。それは、「楽譜を読む」ということです。

そもそも楽譜とは何か。小学校のころから見ているので、ごく当たり前に五線紙 に接していますが、楽譜というのはれっきとした「デジタル情報」なのです。つま り、音符の種類で音の長さを表わし、音符が五線のどの位置にあるかで音の高さを を表わす、つまり音を数値化したもの、それが楽譜なのです。
ところが、数百年も以前から使われているので、まさか楽譜がデジタル情報だと は思わず、楽譜通りに演奏しようとしているところに、このバンドの演奏上の間違 いがあります。

作曲家や編曲家は、自分の心に浮んだ音楽を、他人に演奏してもらう手段として 楽譜に書きます。しかし、楽譜に書いたとたん、それはアナログ情報からデジタル 情報に変換され、作曲家や編曲家の手を離れて演奏家の手に渡ります。

演奏上の間違いというのは、このデジタル情報である楽譜を「読んで」もとのア ナログ情報に戻す時に起きるのです。つまり、楽譜に書いてあるデジタル情報を、 どうやってもとのアナログ情報に変換するのか。たとえば、ベートーベン本人に聞 くわけにはいかないので、指揮者はベートーベンの人柄、風土、生きた時代、歴史 など、あらゆる情報をかき集め、それに基いて曲想を決めて演奏するのです。

では、作曲家本人に曲想を聞ければそれがベストなのか、というと、そうでもな いところに音楽の面白さがあります。本人が考えもしなかった、もしくは本人が考 えた以上の曲想に発展して演奏される、それが音楽の最上の楽しみなのです。

このバンドの演奏上の問題点は、そのどちらでもなく、ただデジタル情報を楽器 で演奏しようとしていること。つまり、情報をかき集めてもとのアナログに戻す訳 でもなければ、それ以上のものを作ろうともしていないことでした。

しかし、これは日本の音楽教育にも責任があります。西洋音楽を取り入れる代わ りに、日本音楽のすぐれた手法である「伝承」、つまりアナログをアナログのまま で伝えることを軽視した結果、とも言えます。
それからすると、楽譜が読めないかわりに、耳コピで演奏する今の若者は、音楽 の原点に戻っている、のかもしれません。