熊さん流ジャズの勉強法(熊さん楽譜で悩む)


「おい大家、イチ、ニ、サャ〜ン〜、オモロー、いるけえ」
「ばあさん、また、熊の野郎だよ。おい、どうしたんだ、朝っぱらから。酔ってるのか」
「てやんでえ、今から決闘に行くんだ、手ぇ貸してくんねえ」
「ケットウ?甘いモンでも食い過ぎたのか」
「そう、甘いモン食って血糖値が上がって、って、その血糖じゃねえや。椿三十郎がや ったような決闘だ」
「また古い映画を持ち出したな。ま、いいから座われ。いったい何だってんだ」
「実ぁ昨日、隣町のバンドからメンバーが足りないってんで呼ばれて、サックスを 吹きに行ったんだ」
「熊さんがかい、誘うほうも誘うほうだが、行くほうも行くほうだ。それで」
「で、楽譜をもらって吹いたら、ほかのモンと、さっぱり合わねえ」
「ふーん、なるほど」
「変だなと思って、他のモンの楽譜を見ても、そいつらのも俺のとおんなじように書い てあるし、どうなってんだと思ったら、リーダーみてえな野郎が『これ、スイングでお 願いします』って言いやがる」
「ああ、そういうことだろうな」
「それから、言ってやったんだ、『てやんでえ、俺はサックスは吹くが、歌は歌わねえ』 と」
「ン、どうゆうことだ?」
「だからよ、シングってのは、歌えってこっだろ」
「おやおや、そのリーダーの人も大変だ」
「ワケの分からねえことを言うし、リズムは合わねえし。昨日は我慢したが、一晩寝た ら腹が立ってきたんだ」
「それで、朝から決闘に行くってえのか。しかしそりゃ、熊さんのほうが悪いな」
「じゃ、なにか、俺に歌を歌えってのか」
「そうじゃない。その人が言ったのは、シングじゃなくて、スイング、つまり、揺れる ようなリズムで演奏する、というジャズのリズムの指示を言ったんだ」
「揺れる?じゃなにか、揺れる楽譜を見ながら吹けってのか。デジカメじゃあるまいし、 俺の目には『手ブレ補正』は付いてねえ」
「楽譜が揺れるんじゃない、音が揺れるんだ」
「音〜?こんにゃろ。音ってのは空気だろ、それをどうやって揺らすんだ」
「わからないやつだな。そうだ、こないだ熊さんに、グレンミラー・オーケストラの 『イン・ザ・ムード』って曲を聴かせろ」
「ああ、あのノリのいいやつ」
「そうだ、あんなふうに音を揺らす、ちょっと乱暴な説明だが、八分音符が二つあったら、前 を長く弱め、後ろを短く強めにして、揺れるようなリズムで演奏する、それをスイングと言うんだ」
「へー。じゃ、楽譜には、前の音符を長めに演奏するように、書いてあるわけだな」
「そこだよ、問題は」
「そこかい、問題は、ハハハ・・・で、どこです?」
「黙って聞きな。スイングの楽譜、と言うより、ジャズ全般の楽譜は、演奏する 通りに音符を書いてないってのが、ほとんどだ」
「待てよ、演奏する通りじゃなきゃ、どう書いてあるってんだ」
「熊さんが見た隣町のバンドの楽譜には、多分、八分音符が二つ並べて書いてあったろ」
「ああ、そうだ」
「それを、熊さんはその通りに吹いたわけだが、それがスイングの曲なら、そう書いて あっても、前の音符を長めにとか、自分たちで判断して演奏しなくちゃいけないだ」
「そんな馬鹿な話があるけえ。なんで、楽譜を書く野郎がちゃんと書かねえんだ」
「それが、ジャズの楽譜の歴史であり、伝統だ。いちいち楽譜にそんなことを書かなく ても、演奏者がそれを判断して演奏するのがジャズだ」
「スイング以外もそうなのかい」
「ああ。こまごましたことを楽譜に書いてたら、音楽がせせこましくなっちまうから、書か ない。楽譜の上の方に『ボサノバ』とか『ラテン』とか、指示が書いてあったら、演奏 者は、それで判断して演奏するんだ」
「ふーん。てえことは、逆に言うと、いろいろ書いてある楽譜をやってるやつは、トウ シロウ(=素人)ってことかい」
「そういう訳じゃないが、最近はそういう楽譜も増えてきたな」
「ふーん、そういうことか。じゃ、今日のところは、決闘は止めにするか」
「ああ。それと、もう少しジャズを勉強するまでは、ほかのバンドの手伝いも、止めと きな」
「え、どうしてです」
「だって、おまえは熊さんだ、トラ(=エキストラ)は、つとまらない」