夢路いとし・喜味こいし風漫才「貧乏狂歌」


               夢路いとし・喜味こいし風漫才「貧乏狂歌」


「しかし、いよいよやね」
「出てきてすぐに、いよいよやね、ゆうたかて、ナンのこっちゃ分からんへんで。ナニがいよ いよや」
「ナニがて、いよいよ、来よるがな」
「せやから、来よるて、誰がや」
「あれや、ほれ、タイマツ」
「タイマツ?誰かが、松明かかげて来よんのんか」
「そやないがな、タイマツやのうて、あれや、ジュウシマツ」
「ジュウシマツ?ジュウシマツが、どっからか飛んで来んのんか」
「ジュウシマツちゃうがな、ほら、毎年今ごろ、遠慮のうやって来よるあれや、ああ、ネ ンマツ」
「年末、ゆうのに、どんだけかかってんねや。ま、確かに、もうすぐ年末が来るわな」
「来るいわなて君、のんびりしてたらアカンで。バンドマンにとって、年に一度の年末や で」
「バンドマンにとってて、バンドマンでのうても、年末は誰にでも年に一度やって来るがな」
「君はそうおっしゃいますがね、今年の年末は特別やで。世間があんだけ不景気やー、不景気やー、 ゆうてるんやさかい、その流行に、ワレワレも乗り遅れんようにせな」
「不景気は流行とちゃうがな。だいいち、不景気の波てなモンに、乗ってどないすんねん」
「ほー、ほたらナニか、君には、何かええ不景気対策でも、おありですか」
「おありですかて、大層に言いなや。そんなもん、気の持ちようや」
「ほー、気の持ちようで、不景気がなんとかなりますのんかいな、お兄さん」
「お兄さんて言い草があるか、ま、ならんこともないがな」
「ほたら、どないすんねん」
「たとえばやな、昔の狂歌にあるやろ、
『貧乏を すれどこの家(や)に 風情あり 質の流れに 借金の山』
つまり、貧乏を山水に見立てて、心にゆとりを持つ、これかて、立派な不景気対策や」
「ほう、狂歌、なるほどなるほど。で、狂歌てナンですの」
「知らんでゆうとんのかいな。つまり、五・七・五・七・七、で世相とかを詠むんを、狂 歌ゆうんや」
「なんや、それかいな。そんなもん、狂歌の天才の僕にかかったら、造作もないことや」
「狂歌の天才て、さっきまで知らんかったくせに。ほな、なんか詠んでみ」
「そんなもん、簡単なもんや、
『家計簿を 玄関につるして 泥棒さん どうぞ自由に ご覧ください』」
「ナンや、それは」
「貧乏な家の、泥棒よけのまじない」
「そんなんとちゃうがな。たとえばや、
『貧乏の 棒も次第に 長くなり 振り回されぬ 年の暮れかな』
『貧乏を すれど下谷の 長者町 上野の金(鐘)の うなるのを聞く』
どや、こんなん」
「なんや貧乏ばっかりやないか。そんなんやったら、僕にかてでけるで。
『貧乏は 金と気持ちが 正比例 財布が軽いと 気持ちも軽い』」
「そんなん狂歌になってへん。それに、正比例やのうて、反比例とちゃうんか。普通は、財布が軽いと 気が重いもんやろ。なにか、君は財布が軽いと、気持ちが軽いんか」
「せやかて、財布に一千万円入っててみ、落とさへんか、心配で心配で、気が重い」
「財布に一千万円て、入るか、そんなもん」
「四つ折りやのうて、二つ折りでもか」
「一千万円を、どないして四つ折りにすんねん」
「こんなんもでけたるで。
『貧乏は 「もったいない」の 極致なり それを今では エコと呼ぶなり』」
「なるほど、そらあ言えたるな。エコ、ゆうたかて、しょせんは昔からの、勿体無い、の気持ちのことや」
「せやろ。それから、貧乏は、地球環境にもやさしいで」
「地球環境にて、偉そうに。どうゆうこっちゃ」
「『貧乏は シーオーツー排出 わずかなり 生きてはおれども 息も絶え絶え』」
「それ、気の持ちよう、になってへんし」
「こんなん、どうです。
『貧乏は 魔除けの効果 あらたかなり 金の亡者が 寄り付きもせず』」
「確かに、君んとこには金の亡者も、ガリガリ亡者も、寄ってけえへんやろな」
「こんなんもでけたで。
『貧乏は 金が無いとは 違うなり 使い道知らぬが ホンの(本当の)貧乏』」
「なんや、気の持ちようやのうて、負け惜しみになってへんか」
「なんなら、君のことも詠んだろか」
「僕のことをてか、どない詠むねん」
「『君んちを 福の神が 取り囲み・・・』」
「ほう、嬉しいやないか、僕の家を福の神が取り囲んで、それから」
「『君んちを 福の神が 取り囲み 貧乏神が 出るに出られず』」
「なんやしょうもない。しかし、君には七福神さんがついてはるさかい、君は福のことは心配せん でもええで」
「七福神て、どこにいてはんねん」
「まず、バンドマンやさかい楽器を吹く(福)、楽器を拭く(福)」
「それで二福やな」
「バンドの制服が、洋服(四福)や」
「それでも六福やないか、もう一福は?」
「君のカミさんが、お多福や」
「もうええわ」